「傍受した。これは軍警察の秘匿回線だ」
《ファーストヴィーナス》は大気圏突破以降、一定空域を浮遊しており、ザライアンはその真意を問い質していた。
「何故……すぐに地表に降りない?」
「降りればすぐに察知されてしまう。こちらの動きを先回りされるのは旨味がないから、相手から先に動かせる。戦闘の定石だ。出方を見せた側が負ける」
「それも……統合機構軍のエージェントとして、培ったもの、か」
「何か言いたげだな、ザライアン・リーブス。まさか私に腰が引けていたとでも?」
「いや……よく今日この日まで生き残ったものだと、感心したまでだよ。……僕は彼らの支援がなければ生き延びられなかった。木星師団の師団長としての責務、そしてこの次元宇宙での役割と居場所……。どれもこれも、彼らの功績だ。僕自身で手に入れたものなんて、一個もない……」
そう、それが何よりも口惜しい。
こうしてダーレットチルドレンの支援を打ち切った以上、自分達の後ろ盾は一切ない。
統合機構軍――エンデュランス・フラクタルがしかし、ここまで嗅ぎ回っている以上、宇宙でも地球でも同じように追い回されるだけだ。
「……どこにも、居場所なんてない……なくなってしまった」
「何か誤解をしているとすればそれもだろうが、ザライアン・リーブス。我々は最初から、この次元宇宙においては手枷足枷を付けられているも同義だ。それでも、燃え尽きる最後の一瞬まで、自由を講じるか、それとも支配に甘んじるかだけの違い。私は支配に甘んじ、奴隷と成るのは御免であった。だから統合機構軍で探りを入れ、そしてこの日を待ちわびていた。……もっとも、君達はもっと上手く立ち回るのだと想定してたけれどね。MFの運用も、秘密の確保も。どれもこれも、我々の驕りと、そしてこの次元宇宙の猿共の傲岸不遜さが招いた結果だ」
キュクロプスは許しはしない。
だが激情に任せて行動するような愚行は冒さない。
彼女は一線を保っている。
この期に及んで、一手でもまかり間違えれば自分達はこの次元宇宙の人類への敵と成るであろう。
いや、もっと前から、彼らにしてみれば敵以外の何者でもないか。
「……僕は、貢献してきたつもりだった。そうすれば罪は赦されるのだと、そうなのだと信じ込んで。だが、その挙句がこれだ。次元宇宙の約定なんて守られなかった。ダーレットチルドレンは何を考えている? 彼らは何をしたい?」
「……知りたいの? それを」
まるで知ってどうすると突きつけるかのような論調。
「……知らなくっちゃいけない。だって、そうじゃなくっては何のためのこの力なんだ。僕達はそれぞれの次元宇宙で、故郷の地で英雄の働きをした者達、これに関しては間違いないはずだ」
「そうだね。私達は英雄であった。間違いなく、この次元宇宙に来るべくして来た――来英歴を救うために訪れたはずの英雄。しかし、実際に訪れてみれば、何故、この宇宙は私達を拒むのだろうか。最初に……“夏への扉事変”と呼ばれたあの大戦で、世界の敵意が私達に降り注いだ。あれで何千人殺した? 私達は稀代の虐殺者だ。だが、それでもこの次元宇宙は迎え入れると、そう言って、私達を利用した。許されざる罪があるとすれば、奴らだ。純正殺戮人類の猿共め……!」
「だが、落ち着いて考えてみれば、ダーレットチルドレンだけが、あの時僕達に接触出来た。この理由を知らなければいけない。何故……彼らは偽りにせよ、この世界で最も優れた知性体を気取れたのか……その謎を氷解しない限り、僕らは永劫、囚われたままだ」
「……確かに。その前に、だね」
振り返ったキュクロプスがその赤い隻眼で睨んだのは今も倒れ伏しているヴィヴィーにであった。
歩み寄るなりその腹腔を蹴りつける。
「何を!」
「動けるはずでしょう、そろそろ。それとも、それほどまでに壊された? いや、《ネクストデネブ》を利用したい連中の腹を考えれば、殺し尽くしはしないはず。それとも、もう反抗の気概さえもない?」
挑発的なその問いかけにヴィヴィーはここに来て初めて、掠れた喉を震わせていた。
「……知った風な口で、偉そうに……」
「知った風な、ではなく知っていると訂正して欲しいね。私達は次元同一個体。それぞれの苦しみはいずれ互いに知る事になる。それとも、教えてくれないか? 君はMF02への思考拡張を奪われたにしては、あまりにも大人しい。それとも、理由があるのかな? 《ネクストデネブ》はもう、君の物ではない、とでも」
キッと睨み上げたヴィヴィーの眼差しに宿ったのは純度百パーセントの殺意。
身を焦がしかねない憤怒の赤い瞳が射る光を灯す。
ザライアンは当惑していたが、そう言えば、と思い返す。
「……《ネクストデネブ》は三年前より、拘束されている。拘束したのが……エンデュランス・フラクタルだとすれば……その術が通じている……叡智が届いている事になる。それは、だっておかしい……」
「何故かな? その理由を聞こう」
「だって……僕はMF04……《フォースベガ》の叡智を届けてきたが、僕達は互いに知っている。それぞれの次元宇宙での技術特異点は、同一とは限らないのだと。せいぜい思考拡張、有機伝導体操作技術、空間転移……共通なのはその程度だ。それ以外は互いに不可侵のはず。だって言うのに……この次元宇宙の人類は《ネクストデネブ》に届いた……」
「それで? 何が気づいたと言うのかな?」
キュクロプスは分かっている。分かっていて自分に答えを保留しているのだ。
ザライアンは決意して声にしていた。
「……誰かが裏切っている。誰かが……僕ら四人の中の誰かが、この次元宇宙の人間と繋がっている。そうだとしか思えない。そうでなければMFの拘束なんて不可能のはずだ」
「……なるほど。言わんとしている事は分かるが、そうだとすれば私達が同じ空間に居る事は当初の危険性よりもなお色濃いリスクがある事になる。私達それぞれがMF相当の戦力を呼び出せるだけじゃない。次元同一個体のリスク……ドッペルゲンガーと呼称される事象の起点となる可能性……さらにそれに加えて裏切り者の可能性まで加味してしまえば、私達が呑気に喋っているような時間さえもないだろう」
「ああ、そうだが……これは棄却すべきだろう」
こちらの物言いに緊迫した空気が一瞬だけ解けていた。
「それは何故?」
「そう言い出したら……僕達は互いに争い合う。この次元宇宙の人々の思うつぼだ」
ザライアンは生物的な意匠を誇るコックピットの中で座り込む。それに関してはキュクロプスも同意のようであった。
いや、そもそも今の一瞬、自分を試したのもあるだろう。
彼女は統合機構軍に長い間、身を隠していた。
それはつまり、この次元宇宙の人間を試す時間だけは有り余っていたはずだ。
キュクロプスには彼女なりの理念と、そして経験則があると思っていいだろう。
それも自分達のように――ダーレットチルドレンに与えられた身分ではない、彼女が勝ち取った身分だ。
キュクロプスは自分を一拍だけ見据えた後、ふぅん、と感心する。
「馬鹿ではなさそうだね。かと言って賢明かと言えばそうでもない。私達、次元同一個体同士が争えば、それだけ不利益になると、でも教えたのはダーレットチルドレン。彼らの想定内に全ては収まっている」
「だがそれは……この現状は相応しくないはずだ。彼らは僕達が行方知らずになる事を恐れているはず」
「だと言うのに、統合機構軍はその恐れを踏み越えて、ダーレットチルドレンの思惑を超えようとした。何故だと思う?」
問答に、ザライアンは目線を逸らしていた。
「それは多分……もう僕達MFの扱い手は、それほど重要ではなくなった……という事ではないかと思う。あるいはこうも考えられる。統合機構軍からしてみれば、もっと相応しい乗り手が見つかった、とも」
「六十点。その見方も当たっているけれど、案外、この次元宇宙の猿共は未だにMFを恐れている。それでも、拮抗するだけの戦力を揃えるに値した」
「拮抗する戦力……?」
モニターの一角に映し出されたのは灰色のMS部隊であった。
各地を蹂躙し、人々の命を容赦なく奪っていく能面の機体。
「……第五の聖獣、《フィフスエレメント》よりもたらされた叡智。それがこの次元宇宙の猿共に、下手な知恵を与えてしまった。それこそが、《ガンダムレヴォル》の量産化。《ネクロレヴォル》とも、騎屍兵とも呼称されるこのMSは物量戦に秀でている。今は先行量産機だけだけれど、これがこの先、安定生産に入れば、MFの脅威は晴れると、そう考えている連中が少なからず居る」
「だが、馬鹿な……。この次元宇宙のための《ガンダムレヴォル》は……だって《フィフスエレメント》だけのはずだ。量産化計画なんて僕の居た次元宇宙だって着手出来ずにいた」
「そう、本来ならばMFはワンオフ。量産化も、その叡智の分散も、どれもこれも難しい。いいえ、不可能と断言したっていい。それでも、猿共は驕りたかぶり、その結果としてもたらしたのは死者の技術であった。この《ネクロレヴォル》に乗っているRM達は戸籍上、全て死人となっている。言ってしまえば、人体実験を、ほとんどノーリスクで行う事が出来る。エンデュランス・フラクタルもよくやったもの。いいや、統合機構軍全体が、だけれど。彼らは禁忌の扉を開きつつある。その途上で、MFの技術流用が出来れば《ネクロレヴォル》の絶対性は安泰となるだろうから」
「だから、僕達を襲った。……全ては第五の聖獣の量産化のために? ……どこまでも……この次元宇宙はまかり間違う……」
顔を手で覆ってザライアンは、ああ、と声にする。
どうしてそんな事を考え付いてしまうのだろう。
思い浮かんでも実行しなければ、まだ許されるのに。この宇宙の人類は、どこまで禁断の果実に手を伸ばせば気が済むのか。
「だからこそ、私は潮時だとも感じていた。それは何も、《ネクロレヴォル》の台頭だけじゃない。これを」
モニターが移り変わり、克明に映し出されたのは不格好な特殊武装を持つ機体であった。
「……これは……《オリジナルレヴォル》、なのか……」
「《オリジナルレヴォル》に似通っているけれど、違う。これは新開発されたMS、《ダーレッドガンダム》。……皮肉な事に、ガンダムの名を冠するなんて、ね。そしてこの機体の持つ右腕の兵装はベテルギウスアーム――第七の聖獣が眠っているとされている」
ザライアンは絶句する。ヴィヴィーもさすがにその情報には驚嘆しているようであった。
「第七の、聖獣……? だがそれは……」
「そう、あり得ない。何故なら私達が関知出来ないはずがないから」
「そう、その通りだ……。僕達は良くも悪くも繋がっている。だから、聖獣の出現があれば、何らかの形で気付けるはず……! 事実、《フィフスエレメント》襲来の際には、僕ら全員が分かっていて、あれに沈黙した。この次元宇宙の人々が、手に入れるべきガンダムだと思ったからだ。それにはダーレットチルドレンとの約定も働いていた。……だが、七番目だって? それはおかしい。イレギュラーだ」
「私達の誰も気付けない七番目の使者、《セブンスベテルギウス》。それがどういう意味を持つのか、少しだけ話し合いがしたいな。ヴィヴィー・スゥ。そちらは気付いていたのか?」
ヴィヴィーは地に伏せたまま、いいや、と応じる。
「気付けなかった……。私は三年前の空間転移の際、ほとんどの能力を封殺されエンデュランス・フラクタルに軟禁されていた……」
「とすれば、残ったのは私と、そしてザライアン・リーブス。最初に手札は晒しておく。私は気付いていなかった。思考拡張で呼び合うはずの七番目の使者に、どうしてなのだかまるで勘付けなかった」
「……なら、この映像は何だ? 分かっているからこういう映像が撮れたんだろう?」
「私が《ダーレッドガンダム》の存在を知ったのは、エージェントとしてエンデュランス・フラクタルに潜り込んでいたからだ。コロニー、セブンワンにて秘匿事項として情報集積艦、オフィーリアと共に封印されていた。私は襲いかかってくるレジスタンス組織から《ダーレッドガンダム》とオフィーリアを守れと言う命令をもたらされ、その時にようやく、新型機が開発されているのだと知ったくらいさ」
嘘を言っているにしてはあまりにも明け透けだ。ザライアンは一拍の逡巡を挟んだ後に、自身の感想を述べていた。
「……僕は月軌道にて、アルチーナの護衛に当たっていた。それが任務とは言わないが、アルチーナ艦のクルー達とは個人的な繋がりもあった。彼らは僕が次元の来訪者だと知っても、一人の人間として……接してくれていた。くれていたのに……」
悔恨が滲む。
守れなかった、守り切れなかった。
《フォースベガ》ほどの叡智があったとしても。あれほどの力を持ちながら今は撤退に甘んじている事が、何よりも屈辱だ。
「……となれば、三番目の使者に関しても、になるが、あれは私がこの次元宇宙に現れた際にはもう出現していた。《サードアルタイル》。三番目を冠するにしては、あまりにも秘密主義が過ぎる」
「会った事はないのか? ……と言う問いも無駄か。だって、僕らはこの二十年間、出会えば死だと思い込んでいた。だから接触は控えていたのに……」
「《サードアルタイル》のパイロットに関して、少しばかり興味深いデータはある。三年前、月軌道艦隊と一時的に交戦状態に入った《サードアルタイル》を止めたのは、万華鏡、ジオ・クランスコールであった、と言うログだ」
《ファーストヴィーナス》はまるで万能のようにその時の映像記録でさえも保持していた。
「……僕が一番近かったな、その時は」
「何か気付いた事は?」
「……いいや。正直言えば、ジオ・クランスコールに関しても話せる事はない。彼も秘密主義だ。それに、データを反証しようにも、王族親衛隊と呼ばれる身分のせいでまるで掴めない」
「MS、《ラクリモサ》の圧倒的性能。それくらいか、今分かるのは。ジオ・クランスコールはその実力で《サードアルタイル》の攻撃を止めてみせた。……だがここで奇妙なのは、《サードアルタイル》のパイロットが居たにしては、動きが散漫であった事だろう。パーティクルビットによる艦隊への波状攻撃。思考拡張を行ってみたものの、この時、パイロットが搭乗しているような感覚はなかった」
「……何か疑う余地でも?」
「私はこれが、遠隔による操縦であったのではないかと睨んでいる」
ザライアンは自身の腕に刻まれたモールド痕に視線を落とす。
「……この次元宇宙の技術なら不可能ではない、が……不可解ではある。それほどの距離で離れていれば、思考拡張を読まれるはずだ。誰もそれを傍受出来なかったのはおかしいだろう」
「そう、そのはず。だと言うのに、今日に至るまで《サードアルタイル》のパイロットが誰なのかは分からないまま……。これはある意味では、命題なのではないかと考えている」
「命題……」
「MF、《サードアルタイル》。最初に次元宇宙に訪れたにしては、秘密が多い。ともすれば、これはダーレットチルドレンの、弱点に当たるのではないか、と」
「《サードアルタイル》を彼らが動かした、と見ているのか?」
「そう考えれば不可能ではない、が、不可解が残る。何故、万華鏡に応戦させたのか」
「それが最も自然だったからじゃ……」
「思い出して欲しい。そもそも月軌道艦隊にはそちらも居たはずだ。これは約定に反する」
そう言えば、自分はあの当時、木星船団の師団長としてアルチーナに迎えられていた。
あのまま何の抵抗もしなければ自分も死んでいた可能性だってある。
「……ダーレットチルドレンからしてみても、制御不能だった?」
「だがそう考えれば、何故、我々の前に一度として姿を見せないのか。不可解が残ってしまう。《サードアルタイル》の主は、ダーレットチルドレンの命令に逆らえないのか」
「いや、待って……待って欲しい。《サードアルタイル》のパイロットがダーレットチルドレンに逆らえないとして……月軌道艦隊を襲った理由にはならない上に、それは……」
「約定破り……。彼らが決めたルールを彼ら自身が破った事になる。……それでは、あまりに不自然だ」
ここに来て頭打ちか、と感じていたザライアンはヴィヴィーの掠れた声を聞いていた。
「……あの戦闘艦……同じものを感じた」
「戦闘艦? アルチーナ級か?」
「違う……。私が……私をここまでコケにした、あの男……タジマ……ッ! あの男が居た戦闘艦だ……。確か名前は……ベアトリーチェ……!」
憤怒に沈んだ声音のヴィヴィーは赤い瞳をぎらつかせる。
殺意を隠すつもりもないらしい。
「ベアトリーチェ……。つい最近までレジスタンス組織の温床だった艦だと言う情報がある。……《オリジナルレヴォル》を、三年前に収容していた情報集積艦だ」
「《オリジナルレヴォル》を……? という事は、ダーレットチルドレンの思惑通りに……?」
「いや、その逆と言ってもいい。ダーレットチルドレンは幾度となく、《フィフスエレメント》を確保しようとして失敗している。その結果が、これだ」
映像の中では月軌道決戦時に現れた超巨大兵装――呼称、《フルアーマーレヴォル》が《シクススプロキオン》との戦闘に入っていた。
「……聖獣討伐作戦……」
「あの時、六番目の使者を殺した、遠大なる自分殺しの咎を持つ存在。それこそが、三年前までダーレットチルドレンに反旗を翻し、彼らの思惑通りに行かないように戦い抜いてきた人間……即ち、この次元宇宙の我々と等しい、次元同一個体であると見られる。実際、彼は生き永らえていた。《ダーレッドガンダム》に乗ったのは彼だ。――エージェント、クラード」
その名前がまるで因縁めいて全員の胸の中に沈んでくる。
「クラード、その名前か……。エンデュランス・フラクタルは分かっていて、そんな真似を?」
「そこまでは掴めなかったが、三年前の決戦時に、彼は死んだと目されていたらしい。しかしながら、生き永らえ、そしてセブンワンにて七番目の使者を手に入れた。これは脅威判定としてはかなり高い。クラードの名を持つ存在が、聖獣と共に在る。それだけでも、我々にしてみれば討伐対象だ」
「……確かに。僕らもまた、そうであるのだと……説いても無駄だろうけれどね。だって、僕らでさえ二十年近くかかったんだ。戦場の一瞬で理解出来るとは思えない」
「我々の目的は、《セブンスベテルギウス》より、エージェント、クラードを排除する事。そしてもう一つ。約定を守るつもりなど毛頭なかったこの世界への叛逆……まずは先ほど傍受した連中に、思い知らせる」
「何だって言うんだ」
「連邦高官や貴族共が集まる社交界がある。そこに《ファーストヴィーナス》で襲撃。皆殺しにする」
ザライアンは息を呑んでいた。
キュクロプスの相貌にはしかし、何一つたじろいだ様子もない。
「……本気……なのか。そんな事をすれば……」
「MFは人類の天敵。そう思っているのが猿共なら、事実にすればいい。これまで月軌道で防衛戦だけを繰り広げてきた私達の、持ち得る全ての叛逆を。少し人類の頭数を減らすだけだ。私達のこれまでの苦難に比べればなんて事はないよ」
だがそれは。
この次元宇宙そのものを敵に回す。
「もう一度、何とか協定を結べないだろうか? だってダーレットチルドレンだって、僕らの叛意は想定外のはずだ」
「だがそれを破ったのは彼らのほうであり、そしてこの次元宇宙の猿共の浅知恵だ。ダーレットチルドレンには後で思い知らせる。その前段階として、猿共の中でも特権層に値する者達に、天罰を下す」
天罰。
しかし、そのような事、まかり間違っても同じ人間が言っていいはずがないのだ。
ザライアンは拳を骨が浮くほどに握り締めて問いかける。
「どうにか……ならないのか……?」
「もう、ならない。《ファーストヴィーナス》の技術でもいずれは見つかる。その時に、名誉ある行動を取れるか取れないかだけだ。なら、私は……自身の次元宇宙において英雄であったのなら、英雄として戦いたい。これまで約定一つで停戦を守ってきた私達に出来る抵抗はそれくらいなものだ。ダーレットチルドレン達はそこでようやく、交渉材料を思い至る事だろう。私達に優位な交渉はその後でいい」
キュクロプスはもう決意した瞳を投げている。
ザライアンは何か、自分の意見を言おうとして何一つとして言葉が浮かばなかった。
これまで、アルチーナのクルー達と、ある意味ではぬるま湯のような関係を築いてきた。
この次元宇宙の人間達も捨てたものではないのだと。
同じ人類なら分かり合える道がきっとあるはずだと、そう模索していた自分へと突きつけられたのは何物でもない、ただの敵意であった。
「……確かに統合機構軍を、エンデュランス・フラクタルの者達は禁を破った。だからと言って無関係な人間達まで殺せば、禍根を残すぞ」
「今さら何を言っている。月軌道に迫って来た人間を、無条件で殺してもいいと、そういう約定であったのではないか。その身の憤怒に任せ、殺し尽くしたのはもう逃れようのない事実」
「だがそれは……僕達の故郷を守るための……」
「向こうの連中はそう思っちゃくれないとも。私達にどんな理由があろうが、どんな事情があろうが、ただ闇雲にダレトを護るために人殺しを容認した稀代の殺戮者だ。なら、殺戮するのならば自分の意思で、相手くらいは選びたいだろう? ……私に決定権がある。反対でもするのなら、ここで戦うか? 思考拡張の外では、MFを呼べまい」
歯噛みするがその通り。
地球の重力圏まで降りて来た時点で、MFを呼べる関知野は消え去っている。
ヴィヴィーならば可能性はあったが、彼女は抵抗するような気概はないらしい。
「……本当に、やるのか。もう……戻れないぞ」
「戻る? 何を言っている。ちゃんちゃらおかしいな、ザライアン・リーブス。退路なんて望んでいるのか?」
ああ、そうだとも。
退路なんて、もう断たれた。
そうしたのは、この次元宇宙の人類たちの功罪だ。
止められない。否、止める術は永劫に失われた。
「……一つ、聞きたい。連邦高官や貴族達を殺せば、この間違いは正せるのか?」
「正せないだろうな。猿共の一山辺りを殺した程度では、何も変わるまい。だからこそ、そのきっかけになればいい。なに、奴らは向かってくるさ。命なんて頓着もせず、私達のMFへと。叡智なんて届かないのに。まったく、羽虫の智慧と言うものだ」
せせら笑うキュクロプスの眼差しに浮かんだのは間違えようのない敵意。
ザライアンは、事ここに至って感じ取る。
――もう、戻れない。退路は一つでさえもないのだ。
「……でもだからって、人類だろうに」
「猿共だ。同じ知恵を期待するだけ、無駄さ」
そう言ったきり、キュクロプスは《ファーストヴィーナス》の航行制御へと戻っていく。
その背中に、呼び止められるだけの言葉は、一つもなかった。