「キルシー、心配したんだ。だって、あれから連絡も……」
「ああ、ごめんあそばせ、ローゼンシュタイン様。地球圏に降りてあまり慣れていなくって」
こちらが愛想笑いを返すと、ガヴィリアは仕立てのいいスーツ姿で微笑む。
「いや、君が無事でよかった。知っているかと思うが、あまり地球圏とは言え安全が保障されたわけでもなくってね。こんな時に社交界か、と謗られても何も文句は言えないのだが、ホストがね……」
「リヴェンシュタイン家の方がいらっしゃっているというのは本当なのですか?」
「……未確定情報だが、そうでなければこれだけの人は集まらないだろうね」
二階層より顎をしゃくったガヴィリアの視線の先には饗宴に身を浸す貴族達が窺えた。
こんな時でも安寧を貪る貴族には関係がないのだろう。彼らの生活にとって重要なのは、今、死に絶えるかもしれないという危惧よりも、今興じられる悦楽であるのは疑いようもない。
「すまないね。本来ならローゼンシュタイン家からの迎えを寄越すのが筋だったんだが、そうもいかなくなってしまった」
ワイングラスを片手にしたガヴィリアに、キルシーはこの日のために仕立て上げたドレスに身を纏って虚飾ばかりの眼差しを受ける。
ガヴィリアはきっと、自分などただの幼馴染として消費しているのだろう。
自分も彼に対し、さして特別な気持ちがあるわけでもない。
利用出来るだけ利用して、その後には取り留めのないかわし方を心得るだけだ。
――と、その時、貴族達の中で声が上がった。
「これはこれは、クランスコール卿のご令嬢ではありませんか。お噂はかねがね」
ファムへと言い寄ろうとした貴族に、彼女はソースを頬につけたまま振り返る。
「ミュイ? しらないひと……」
「ああ、これは失礼。名乗りが遅れましたな。私は、これでも地球連邦に発言力を持つ……」
下らない貴族の名乗り口上を受け止めて、ファムは当惑したように首を傾げる。
「ミュイぃぃ……むずかしいこと、わかんない」
「ファムってば。あれじゃ貴族も形無しね」
見守る自分の眼差しに気づいたのか、ファムは大きく手を振る。
「キルシー! ミュイーっ! こっちのおいしいよー!」
「はいはい。じゃあ行ってまいりますわ、ローゼンシュタイン様」
「待ってくれ。……君が何を考えているのか分かるよ」
「あら、それは意外。ローゼンシュタイン様に興味を持っていただけるなんて恐縮ですわ」
「からかわないでくれ。私は……君がリヴェンシュタイン家に興味を持つ理由くらいは察せられるつもりだ。リヴェンシュタイン家は君が思っているような良家ではない。彼らは陰のフィクサー……世界を暗部から動かす者達だ」
「よいのですか? それはローゼンシュタイン様からしてみれば不用意なトラブルを招きかねない発言では?」
「……ああ、これまで腰が引けていたようには思われていると……理解くらいはしている。だが……キルシー……! 私は君の事を――!」
「ああ、失礼。リヴェンシュタイン様がいらっしゃったようですわよ?」
その言葉にガヴィリアは佇まいを正して首を巡らす。
その様子にキルシーは冷笑を浴びせていた。
「冗談です。ローゼンシュタイン様。でもそんなにビクビクするくらいなら、言葉はお選びになられたほうがよろしいかと」
これ以上に「恥知らず」の上塗りまでする事はあるまいという、長年の警句のつもりであったが、ガヴィリアは赤面する。
弱々しいプライドを傷つけるのには充分であったらしい。
「キルシー、君のために言っているんだ。リヴェンシュタイン家は普通じゃない。接触は危険だと……」
「ですが危険だからと言って、踏み込まないのもまた嘘でしょう」
キルシーはファムの手を取り、この社交界のホストルームへと向かっていた。
「ミュイぃぃ……まだおいしいごはん、たくさんあったよ?」
「今日はご飯を食べに来たんじゃないわよ、ファム。……確か、こっちのはずよね。リヴェンシュタイン家の長兄……次世代の連邦国家を担う人間だって聞くけれど」
「キルシーは、むずかしいことしってるね」
「……知っているだけよ。実際にここから行動するのには、あなたがいないと……ファム……」
そう、ファムの身柄を交渉材料にして地球圏の平定を確約させる。
それは我ながら人でなしの手段であろうが、自分のような一介の小娘が世界を変革するのには、そういった汚れも必要であろう。
たとえファムに一生恨まれようが、それでも必要なのだ。
彼女は何も分かっていないのか、頬にソースを付けたままである。
思わず足を止め、ハンカチで拭き取ってやった。
「動かないで、ちょっとソース付いてるから」
「ミュイ……くすぐったいよ」
「我慢して。ほら、綺麗になった」
「キルシー、やっぱりバーミットみたい」
「あなたの使用人ほどじゃないわよ。だってあなたの事……死んでも守り抜くなんて言えないもの」
むしろこれから彼女との絆は切れる。
せっかくの親友であったのに。せっかくの友情であったのに。
それを断ち切るのは自分自身のエゴ。
しかし、それでも非情に徹しなければ、自分は永劫に後悔する。
戦い抜くのならば、世界に抵抗するのなら、自分はどれだけの恨みを受けようとも――。
「ここね……」
奥まった場所に位置取った一室の扉は高い。
キルシーはガヴィリアより預かった特別製のカードをドアロックに通し、声を吹き込む。
「失礼いたします。私はフロイト家の人間です。リヴェンシュタイン様の部屋はこちらで間違いないでしょうか?」
『……誰なのだ』
掠れ切ったような声。
キルシーはファムへと一瞥を振ってから、そっと声にしていた。
「……今宵の夜伽の娘を連れて参りました」
「よとぎ? ファムだよ?」
『……入れ』
重々しい扉が開いてゆき、キルシーが視界に入れたのは巨大なベッドであった。
広く取られた室内は、それだけで社交界の会場とさほど変わらない。
相手が間違いなくVIP待遇であるのは疑いようもない。
歩み出たキルシーはベッドの奥で身を起こした相手を感覚していた。
「……フロイト家の者です。こちらはクランスコール家のご令嬢となっております」
『……もう随分と長い間、こうした集まりには顔を出していない。して、夜伽の相手とは、そのクランスコール家のか』
「ええ。彼女の名前はファム。ファム・クランスコール。名高いミラーヘッド使い、万華鏡、ジオ・クランスコールの血筋です」
『……興味深いな。あの不屈の万華鏡の血の者とは』
「ええ。彼女には既に承服を取ってあります。しかし、お引き渡しをする前に、少しばかりお話が」
『何だ。言ってみろ』
「では……恐れながら現状の地球圏の状況下では世界の変革はもたらされないと存じます。それは片面の理由だけではなく、今も蔓延るレジスタンス組織と、そして騎屍兵と呼ばれる者達の統制。世界は均衡とは程遠い場所にあると考えていいでしょう」
『私に何をしろと言いたいのだ』
「一つだけ。世界への忠告でございます。私は、リヴェンシュタイン様を尊敬しております。協調関係を結ぶ事が出来ればと思い、こうして馳せ参じました」
『……軍事力への発言権の確立か』
「私は所詮、ただの小娘。しかし、今の世界には一家言はある。それを理解していただいた上で、私の理想とあなた様の理想、それを擦り合わせられれば――」
「ねぇ、キルシー」
袖を引っ張ったファムにキルシーは言葉を切る。
「何? 今大事なところで――」
「くるよ」
何が、という主語を欠いたままにキルシーは直後の激震を感じ取っていた。
社交界の会場が大きく揺れ、キルシーはよろめいてしまう。
「何が……? 地震?」
その愚鈍な問いかけに対し、爆発音が連鎖して響き渡る。それは護衛についているはずのMS部隊の敗北を示していた。
「いちばんめ……おりてきたんだね」
「どういう――」
ファムの言葉を問い質す前に、金色の稲光にも似た輝きが窓の外を満たし、直後には粉砕された天井よりシャンデリアが落ちてくる。
爆砕の音叉を響かせつつ、露わになった空を舞うのはMS部隊であった。
「あれ……確か《レグルス》とか言う……」
機銃掃射を迸らせる《レグルス》を轟音で応戦するのは黄金の輝きであった。
帯のような兵装を纏い、《レグルス》の火線を弾いて武装を逆立たせる。
次の瞬間には掃射された帯状の武装が包囲しているMSの腹腔を射抜いていく。
動力炉に引火したのだろう、収縮爆発を引き起こしたMSは噴煙を吐き出しながら地上へと真っ逆さまに落下していく。
頭部から墜落した《レグルス》が爆炎をなびかせ、巨大なる黄金の魔は甲高い咆哮を上げて、世界に布告する。
それは、まるでこの惰弱に沈んだ世界を切り裂くが如き咆哮――地球圏の重力の湿気を断絶する黄金の獣の顕現――。
「あれは……何……」
いや、知っていた。
知っているはずであった。
この世界に生きているのならば、誰しも無関係ではいられない。
与えられた名は――モビルフォートレス。
禁じられた明けの明星。
『《ファーストヴィーナス》……だと……』
当惑しているのは何も自分達だけではない。
この絶好の夜を砕かれたリヴェンシュタイン家の当主の姿が月明かりに照らされて露わになる。
生命維持装置に繋がれた痩躯。骨と皮ばかり浮き立った、人間としての尊厳を奪われた肉体。
そんなものに、自分は何の疑いも持たず、ファムを捧げようとしていたのか。
《ファーストヴィーナス》が警護部隊である《レグルス》を黄金の帯で撃ち落としていく。
まるで桁違いだ。
逡巡の欠片もない挙動、敵意、否、殺意。
研ぎ澄まされたこの世への嫌悪。
どれもこれも、自分が二流、三流だと明らかにされるようで。
《ファーストヴィーナス》は稲光を想起させる武装を鬣のように立たせ、一斉掃射で《レグルス》編隊を打ち砕いていく。
あり得ない、それはだって……。
『護衛の下々とは言え、王族親衛隊のはずだぞ……何故……』
《レグルス》の挙動範囲と機動性は自分のような戦いの素人でも分かるほどに洗練されている。
だと言うのに、《ファーストヴィーナス》の攻撃をかわすどころか、反撃に転じる事さえもまるで出来ないまま撃墜されていくのは悪い夢のようだ。
灼熱の尾を引いて、《レグルス》が海面に没する。
炉心融解と収縮爆発で津波が巻き起こり、海に面した会場が鳴動していた。
「……何で……何で、MFがこんな、重力圏に……」
いや、それは聞き及んでいたが、そもそも何故――このような社交界を狙うのか。
そこまで思い立って、目の前で機械に侵食された裸体を晒す男に視線が赴いていた。
ここを狙う理由なんて分かり切っているはず。
目の前の男こそが――地球圏を牛耳り、発言力を持つと自分のような小娘であっても分かっているから、ファムを餌にしようとした。
それと同じ事を、MFは武力で行っているだけだ。
《レグルス》部隊はおっかなびっくりの火線で《ファーストヴィーナス》の装甲を叩くが、どれもこれも致命打には成り得ない。
そもそも、攻撃と言う基準にすら達していない、及び腰だ。
《ファーストヴィーナス》が一本角の直上に円環を浮き上がらせる。
忌むべきエンジェルハイロゥ――唾棄すべき毒。
風圧が生じ、《レグルス》部隊が煽られる。
黄金の帯を近接武装のように用いて《ファーストヴィーナス》は《レグルス》の胴体を両断していた。
爆炎が散る中で、《レグルス》は撤退機動に入る。
それをリヴェンシュタイン家の当主はうろたえ気味に声にしていた。
『ま、待て……! 戦え! 相手はMFだぞ! 討って名を上げろ!』
無理に等しいに決まっている。
こちらの叡智がまるで届かない相手に、何を言っているのか。
いやに醒めた意識の中で、キルシーは《ファーストヴィーナス》がこちらへと狙いを付けたのを、確かに目にしていた。
――ああ、死ぬのだな、と。
終わりはこうも呆気なく。
そして、ここまで蓄えた知識や意味、自分と言うちっぽけな自我は、ここまで意義を消滅させて。
終焉を迎えるのには、今宵はいい月夜である事くらいしか分からない。
分からないから、泣けもしない。
涙も出ないまま、蒸発の彼方へと。
自分達は追いやられるのだと、そう思い込んでいただけに。
歩み出た影に、キルシーは意識の片隅で声を発する。
「……ファム……?」
ファムが、これまで自分の思い通りに動かそうとしていた、虚飾ばかりの娘が――今この時、瞳に静かな闘志を宿らせ、自分の前に佇んでいた。
「いちばんめ……ファム、おこった。キルシー、きずつけるの、ゆるせない……!」
ファムの赤紫の瞳が内側から光を宿し、瞬間的な風圧を生み出していた。
それが何なのか、理解する前に《ファーストヴィーナス》の武装が照射されたが、直後に至っても自分の意識は掻き消されない。
その不明さに目を見開いたキルシーは、屹立する巨体を目の当たりにしていた。
円環の武装に吊り下げられた機体はマリオネットを想起させる。
項垂れていた単眼の機体は、目には見えない何かを波打たせて《ファーストヴィーナス》の攻撃を防いだのだ。
その叡智を理解する前に、出たのは呼吸と大差ない声である。
「……ファム……あなたは……」
「ミュイ! まっててね、キルシー。こわいのは、やっつけちゃう!」
振り向いていつものように笑顔を向けたファムは、直後には敵を見る眼差しを《ファーストヴィーナス》に据える。
その意思に応じるように、単眼の機体より放たれたのは虹色の波であった。
機体を中心軸として放たれたパーティクルが、《ファーストヴィーナス》の装甲に纏いつくなり、連鎖爆発を引き起こす。
それはこれまで幾度となく《レグルス》の銃火を受けてきた堅牢な装甲とは思えないほどに柔い反応であった。
黄金の帯に引火し、武装そのものが溶解していく。
灼熱の吐息に包まれた《ファーストヴィーナス》は、新たに生み出した帯の武装を逆立たせ、一斉にこちらへと打ち込んできた。
当然、消し炭にされると思い込んでいたキルシーは、手を払ったファムの声に目を見開く。
「ミュイ! 《サードアルタイル》っ!」
その声に呼応し、第三の使者――《サードアルタイル》はここに来て初めてその単眼の頭部に意思を宿らせ、波打つ虹が皮膜となって黄金の帯を縫い止める。
その光景は世界の終わりを想起させた。
立ち向かえるはずのない叡智が、この時、届いたのだ。
静止した黄金の帯を虹が波打ち、直後には粉砕している。
分解され金色の粒子が舞い踊る中で、ファムは両腕を突き出していた。
《サードアルタイル》が、第三の聖獣が、この時、動く。
その挙動自体には、意味などないのかもしれないが、人類史にしてみれば大いなる一歩であった。
浮遊する《サードアルタイル》の周囲に展開する虹の皮膜の指向性が変位し、瞬時に《ファーストヴィーナス》に纏い付いていた。
《ファーストヴィーナス》はその波を振り払おうとしたが既に遅い。
瞬く間に爆炎に押し包まれ、《ファーストヴィーナス》の機体より黄金の輝きが明滅する。
それはあり得ざる明けの明星の沈黙。
《ファーストヴィーナス》の躯体はこの時初めて、ダメージらしい傷を負ったのだろう。
続く《サードアルタイル》の追撃を、相手は黄金の帯を鎧のように展開して防御し、かかろうとした波の攻撃を受け流す。
それでも完全なる無効化は不可能のようで、爆発の点滅を引き起こしながら、《ファーストヴィーナス》は海上を滑走していった。
そのまま天上へと昇っていく様は、神の鉄槌だと言われても何ら不思議ではない。
無数の黄金の帯による照射攻撃は狙いさえ付いていないものの、社交界の会場を粉砕するのには充分であった。
キルシーは思わず腰が引けてしまう。
それを防御したのは《サードアルタイル》の波打つ虹であった。
「ミュイぃぃぃぃッ!」
彼女の声が響き渡り、円環を描いた虹が《ファーストヴィーナス》の攻撃網を弾いていく。
近場の街にそれらは突き刺さり、爆発の光と音が連鎖していた。
キルシーは全てが終わってから、翳した手を払いのける。
「キルシー! 一体何が……!」
今さらになって駆け寄ってきたガヴィリアは、半裸のリヴェンシュタイン家当主に一瞥を振り向けた後に、超然と佇むファムへと視線を奪われているようであった。
自分も同じだ。
聖獣を操り、この会場を守り切ったその当事者であるファムは、いつもの笑みを湛えてこちらへと振り返る。
「ミュイっ! キルシー! ぶじっ!」
「……何が起こったんだ……」
ガヴィリアの「恥知らず」な言葉も今だけは同意であった。
《サードアルタイル》はその眼差しを海へと据えたまま、ただそこに在り続ける。
ファムは自分が茫然自失になっている理由が分からないのか、抱きついてくる。
「キルシー! よかった! すきー!」
「す、き……?」
言われた意味が一瞬分からなかった。
だが、その体温が。
その無邪気な声が、耳朶を打った時、小賢しい自分の意識はようやく、覚醒していた。
ファムを抱き返し、そして確信する。
――女神は、すぐ傍に居たのではないか。
自分では世界を変えられない。
だがファムならば、世界を変える力を持っている。
その確証にファムを強く抱き留める。
「ファム……あなたは女神だったんだわ。私にとって……出会うべくして出会った……これは、運命だったのよ……!」
「ミュイぃぃ……キルシー、ちからつよいぃぃ」
今は、そんな事はどうだっていい。
この手には女神の力が、変革の力が手に入った。
それだけで、ここまで無為な革新を夢見てきた甲斐があったと言うものだ。
「ファム……私にとっての変革の女神は……あなただった……!」
それは手を伸ばしても届かない太陽や星の輝きに、ようやく手が届いた瞬間でもあった。