機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第165話「最後に笑えれば」

 

「肩肘張り過ぎじゃない? カトリナちゃん」

 

 よっ、と軽く言葉を投げてきたバーミットに、カトリナは沈痛に顔を伏せていた。

 

「……でも、こんな不明瞭な事が立て続けに……」

 

「あのねぇ、起こった事は起こったとして処理しないと、やっていけない。それくらいはこの三年間で学んだはずでしょ? はい、これ」

 

 紙袋いっぱいに詰め込まれたものを差し出されてカトリナは当惑する。

 

「これ……焼きそばパン……ですか?」

 

「そっ。メカニックの子達にも回してあげてね。彼ら、だって《ダーレッドガンダム》の整備に付きっ切りでしょ? だったら、腹ごしらえをしているような時間はないはずだし」

 

 その中の一つを手に取り、カトリナはぐっと堪える。

 

「……でも、起きてしまった事を、何とかしてなかった事には、出来ないんでしょうか? それこそ、都合がいいのかもしれませんけれど……」

 

「無理ね、それは」

 

 どうしてなのだかこの時、バーミットが冷たく見えていた。

 

 彼女は平時ならば自分の都合も相手も都合も抱き込む性質だと言うのに、今ばかりはもう少し温情が欲しかったのもある。

 

「……起きた事は取り返しがつかない。命に取り返しがつかないようにね。でも、これから先を変える事は出来るわ。過去に目を向けるんじゃない、未来に目を向ける事で、あたし達は何かを……変える事が出来るのかもね」

 

「未来に……ですか」

 

「そっ。カトリナちゃんもさぁ、前回の戦闘からかなりダメージ来てるみたいじゃない。ここ、クマになってるし」

 

 目元を指差され、カトリナはそれを恥じ入るよりも先に、いえ、と意気消沈する。

 

「でも……仕事ですので……」

 

「その言葉振りも、いつものじゃないみたい。いつもみたいに語尾が上がってないわよ?」

 

 確かに、平時ならば仕事なのだから、で割り切れるのだが、今だけはどうしようもないと思われていた。

 

 沈黙する自分にバーミットは紙袋の焼きそばパンの封を開けるなり、ふんと息をついて自分の口へと突っ込む。

 

「ふへぇっ……? ふぁにひゃってるでひゅかぁ……」

 

「だまらっしゃい。今のカトリナちゃん、カワイくないわよ?」

 

「か、可愛いとかって……」

 

「いつもの幸せ女はどこに行っちゃったの? この世全ての悲壮感を背負ったみたいな顔、カトリナちゃんに相応しくないわ。第一、今のままじゃ、嫌な女よ」

 

「い、いひゃなおんにゃ……?」

 

「そう。カトリナちゃんは不思議ちゃんだし、何ならちょっとばかし頭のネジが緩んでいるとは思うけれど、でもカワイイのは曲げないし、何ならいい女だった。なのに、今のままじゃ、私可哀想なんです、っていう悲劇のヒロインになりたがりの、嫌な女。……カトリナちゃん、誓ったんでしょう? 三年前に、もうこれ以上、失いたくないって。だからベアトリーチェでずっと頑張って来られた。だって言うのに、ここで足を止めたんじゃ、結局意味なんてない。しゃにむでも、前に進みなさい。それがあなた流の、いい女の条件だって言うのならね」

 

 いつになく真剣な論調のバーミットに、カトリナは気圧されていた。

 

 自分は、知らぬうちに悲劇のヒロインに――誰かに可哀想だと思われるような人間に成ろうとしていたのかもしれない。

 

「……だって、可哀想のほうが楽じゃないですか」

 

「そうね。それはきっと、全人類そうなんでしょう。でも、カトリナちゃん。そんな風に、みんなが笑えなくなった時でも、たった一人、笑えていれば? それはきっと、希望って言うんじゃ、ないのかしらね」

 

「……たった一人で、笑えるんですか……」

 

「もちろん、厳しいかもしれない。でも、この世には最後に笑えていれば、それだけでも幸運ってものは舞い込んでくると思っている。確率論が何だって言うのよ。目の前で悲劇が起きたから自分は可哀想の側に居るほうが楽だって? ……そんなの、あたしが許さない。何よりも、レミア艦長とあたしの横っ面を引っ叩いたんだから、責任は取ってよね」

 

「せ、責任ですか……」

 

「そうよ。他人の人生変えちゃった責任。まぁ、そういう点では、クラードも似たり寄ったりって感じかぁ。……あいつもね。今みたいに無頼漢気取っていた時期だけじゃないのよ。どうしようもないミッションを背負わされて地獄の苦しみみたいな顔をしていた時もあったわ」

 

「……クラードさんが……?」

 

 意外であった。

 

 クラードならばどのようなミッションでも、顔色一つ変えずに達成するのだと思い込んでいたからだ。

 

「……イメージ出来ない? でしょうね。でも、あたしが赴任した最初のほう……エンデュランス・フラクタルに入った本当に最初は、あいつも何度か辛そうな顔をしていた事があったわ。でもそういうのってね、女じゃ駄目なのよ」

 

「女じゃ駄目って……」

 

「だって、じゃあ可哀想だね、その痛みを背負う、って、そう簡単に言えないもの。男には男の戦場がある。女には女の、ね。だから、女々しさであいつを囲って、それで可哀想気取るのだけは絶対にやっちゃいけなかった。……今も、そうなんじゃないの?」

 

「……今の、クラードさん、は……」

 

 決して他人には深入り出来ない秘密を自分と共有し、そしてそれを胸に秘めて消し去ろうとしている。

 

 立ち入る事は無礼と承知でも、それでも彼の痛みに寄り添いたい。

 

「……ホラ、やっぱり言葉が出ないって事は、あいつ、それなりに深い傷を負っているって事でしょ。だったら、背負ってあげられるのは男友達なら拳骨、女ならいい女である事よ」

 

「いい女って……でも私……バーミット先輩みたいにいい女には、急に成れませんよ……」

 

「じゃあ無理でもそのフリをしなさい」

 

「ふ、フリで……? フリでいいんですか?」

 

「そうよ。じゃなけりゃいきなり上等な人間に成りなさいとは言えないし。せめてフリだけでも、そう見えるようにしなくっちゃ。じゃないと、一生同じところをぐるぐる回ってばっかりよ? カトリナちゃん、あなたはどうなりたいの? だって、あたしに会社で出会った時、開口一番に行ったわよね? ――幸せになりたいって」

 

 それは右も左も分からなかった頃、それでも自分の中にあった迷わぬ意志そのものだ。

 

 だが、それを貫くのには現実を知ってしまった。

 

 背負わなくていい分まで背負ってしまったのだから。

 

「……私は……」

 

「はい。言い訳の言葉はこれで塞いじゃう。カトリナちゃん、どうしたいのか、それを決めるのはきっと、どう生きたいのかに繋がるわ。あなたはどうなりたいの?」

 

 もごもごと、再び突っ込まれた焼きそばパンに、カトリナは視線を落としてから、ふっと呟く。

 

「……幸せになりたい。……ううん、幸せになるんだ……!」

 

「だったら、こんなところで油売っている場合じゃないわよね」

 

 カトリナはキッと顔を上げ、焼きそばパンを頬張る。

 

 乱雑に、それでいて綺麗とは言い難い食べ方であったが、今はこれでいい。

 

 自分の中に理路整然とした答えを見出すのは、まだ先のほうに持ち越しでいいはずだ。

 

「……その、ありがとうございます。バーミット先輩」

 

「何の事やら。あたしは焼きそばパンを差し入れただけだし」

 

「……じゃあ焼きそばパン、美味しかったです。その、ちょっとワガママ、いいですか?」

 

「何でも。だってこの艦ではレミア艦長よりも発言力あるんだから」

 

「じゃあ……ちょっとクラードさんと……コロニーに赴いても、いいでしょうか?」

 

「休暇申請ね。いいわよ、別に。レミア艦長には上手く言っておいてあげる」

 

 頭を下げるとバーミットは言いやる。

 

「簡単に頭を下げない。安くなるわよ」

 

 その警句がいつか誰かが言ってくれたアドバイスと重なって、目頭が熱くなるのを感じつつも、カトリナは紙袋を抱えて身を翻していた。

 

 今、自分のやるべき事は悲嘆に暮れる事でもなければ、悲劇を気取って誰かに助けを求める事でもない。

 

 格納デッキに出るなり、カトリナは声を張り上げる。

 

「皆さーん! 焼きそばパンの差し入れでーす!」

 

 その言葉にめいめいの表情がこちらに向く。

 

 中には何で今、この非常時にという面持ちもあったが、それを無視してカトリナは焼きそばパンを差し入れしていく。

 

「はい、これ。皆さんも! ……お腹いっぱいじゃないと、だって元気も出ませんからっ!」

 

「か、カトリナ女史……どういう……」

 

「いいですからっ! サルトルさんも焼きそばパンを!」

 

 その時、《ダーレッドガンダム》のコックピットからこちらを認めたクラードと視線がかち合う。

 

 少し目を伏せたのも一瞬、直後にはカトリナは笑顔を取り繕っていた。

 

「クラードさん! コロニーに行きましょう! 休暇申請は取っておきましたっ!」

 

「休暇申請? ……何言っているんだ、そんな場合じゃないだろう。俺は……あの男に……赤い《レヴォル》を操るあいつに勝たなくちゃいけない。そのためには時間を一秒でも無駄に使うわけには――」

 

 その手を引き寄せ、カトリナは格納デッキを漂う。

 

「クラードさん、借りていきますっ!」

 

 誰かが二の句を継ぐ前に、サルトルが腰に手を当てて声を振っていた。

 

「……仕方ねぇなぁ。皆の衆! クラードは休暇だ。おれ達で機体は万全にしておくぞ!」

 

「休暇? 何を言って……そんなものは必要ない……」

 

「いいから! お前は休め! ……それに、ずっとそんな悲壮な顔で格納デッキうろつかれちゃ、こっちだって迷惑だ。お前は羽を伸ばして来い! その間に、《ダーレッドガンダム》のほうは完璧にしておいてやるよ」

 

「……サルトル、お前……」

 

 クラードの声が返る前に、サルトルは手を払っていた。

 

「さぁ、行った行った! 休暇中のパイロットなんて猫の手にもなりゃしねぇんだ! 今は……休んで来いよ、クラード」

 

 それは恐らく、彼のこれまでの歩みを分かっているからこそ出た言葉なのだろう。

 

 クラードはエアロックを潜ったところで声を潜める。

 

「……レミアが黙っちゃいないぞ」

 

「レミア艦長ならもう申請を出しておきましたっ」

 

「……抜け目ない性格に成ったな、あんた」

 

「そうでしょう? ……だって私、委任担当官なんですからっ!」

 

「どうでもいいけれどさ。手ぇ、引っ張る力、強いよ」

 

「だってこうしないと、クラードさん、付いて来てくれないでしょう?」

 

「……それもそうだな」

 

 面を伏せたクラードにカトリナは遠心重力区画を抜けてオフィーリアから下船する。

 

「……クラードさん、買い物しましょう! いつかみたいに、自由に」

 

「いつかみたいに、か。そのいつかに買った物に、まだ執着しているのは我ながら女々しいな」

 

 クラードの首に掛かっていたのは細かく砕けてはいたが、いつかのミラーヘッドの結晶のネックレスであった。

 

 思わぬ応戦にカトリナは面食らう。

 

「……まだ、持っていてくださったんですね……」

 

「他人に貰ったのは……これと名前だけだ。他は自分で勝ち取って来た」

 

「……クラードさんの名前、エージェントとしての名前ですよね?」

 

「ああ。少しばかり重たい記号だよ」

 

 コロニー、ルーベンの空は快晴に設定されており、軍警察のお膝元とは言え、街は活気づいている。

 

「……すごいな。かつてのコロニーとは似ても似つかないほどの人波だ」

 

「た、確かに……。こんなに人が多かったところ、あまり来た事がないですね……」

 

「……あんたが気圧されてどうするんだ。まるでお上りさんだな」

 

「く……クラードさんだって! ……どうするのかまるで分かっていないって感じですよ?」

 

「どうするのか、か……。確かによく分かっていないな。娯楽のようなものはほとんど封殺してきた身だ」

 

「だったらなおの事……! 必要なんじゃないですか? 委任担当官が」

 

 そっと手を差し出す。

 

 クラードはその手を握り返していた。

 

「……あんたが俺の手をこうして取るのは、まだ二回目か」

 

 一度目は月軌道決戦に赴く際であった。

 

 生きて帰れるのか、まるで分からなかった戦地に赴く時の約束手形として。

 

 今は、違う。

 

 あの時とは、違うと言い切れる。

 

「……違いますよ。三回目です。あの時……コロニーで映画がやっていた時、あの時優しく、私の手を取ってくれたじゃないですか」

 

「そんな事があったか?」

 

「……もうっ! 本当に憶えていないんですねっ!」

 

「……カトリナ・シンジョウ。要は全て忘れて、俺に、少しでも息抜きをさせたいんだろう? その目論みは分かっている」

 

「も、目論見って言い方……。でも、そうですね。クラードさん、全部一旦、忘れちゃうのは駄目ですか?」

 

「……そうするのにしては背負い過ぎてしまっている。別段、誰かの死なんてこれまで重いとも思ってこなかったのに、忘却がこれほどまでに重いなんて、想定してもいない」

 

 ――忘却。

 

 やはり自分と彼だけなのだ。

 

 ハイデガーの消失を、感覚出来るのは。

 

 しかし、カトリナは努めて明るく笑っていた。

 

「いいですからっ! 今は忘れちゃいましょう!」

 

「……それは重いだろ」

 

「罪としては、確かに重いです。でも、どんな罪人だって毎日懺悔しますか? そこまで思い詰めているのなら、もうその人の罪は……一日くらいは、赦されてもいいんじゃないですか?」

 

「一日くらいは……か。それも、どうなんだろうな。俺にはそんな資格……」

 

「ありますよっ! あります! ……だってクラードさんは、今日まで戦い抜いてきた! 忘れずに、帰ってくるって約束っ! ずっと守って来てくれたじゃないですか! なら……分け合うのは、駄目ですか?」

 

「分け合う……?」

 

 クラードの手をぎゅっと握り締め、カトリナは言いやる。

 

「……私とクラードさんだけが憶えていると言うのなら、二人だけの共犯関係です。私達は、この世で二人だけの、忘れちゃいけない人の記憶を共有している。なら、それは自分だけで背負うんじゃない、二人で背負いましょう」

 

 クラードは一瞬だけ放心したようであったが、すぐに持ち直す。

 

「……いいけれど、あんたの理論は穴だらけだ。そんな理論じゃ誰も幸福になんてなれない」

 

「それでも……っ! 目に見える誰かの幸福を……! 祈るのは駄目なんでしょうか? 手の届く人だけでも……幸せになって欲しい……ううん、幸せにするんだって!」

 

 この言葉は届かないかもしれない。

 

 そう思っていたが、クラードはふと言葉にする。

 

「……幸せになる、じゃなくって幸せにする、か。あんたらしい、暴論だ」

 

「ぼ、暴論って……!」

 

「だがその暴論はいい意味で、あんたらしくない。これまでの幸福論とは違うな、カトリナ・シンジョウ」

 

 それはきっと、いい意味でも悪い意味でも、線を引いていたのかもしれない。

 

 幸福になるのは限られた人間だけで、その総数には限界がある――だから不幸だけが世の中で分配されていく――その理論に反論出来ない自分に、どこかで見切りをつけて。

 

 だが今は。

 

 クラードは自分の幸福論が少しでも正しいのだと思ってくれた。

 

 それはきっと、違うはずだ。

 

 これまでとは、きっと……。

 

「クラードさん。ちょっと街を回って行きましょう。気が紛れると思います」

 

「……構わないが……何で涙ぐんでいるんだ?」

 

「……いえ、これは……ちょっと目にゴミが入っちゃただけですからっ!」

 

 そんな分かりやすい言葉で今は済ませて欲しい。

 

 嘘をつけない自分のような人間でもたまには体裁のための嘘だってつくのだ。

 

「……そうか。それならいいが……いや、待て。この人垣は異常だ。何かが起こっているんじゃないのか?」

 

「何かって……お祭りとかじゃないんですかね?」

 

 のほほんと応じてみせた自分にクラードは急に手を引いて人垣の向こう側へと自分を導く。

 

「ま、待ってっ! クラードさん! ……急に引っ張られちゃうと……!」

 

「しっ。静かにしていろ。……群衆が熱狂している」

 

「熱狂……何に、ですか……」

 

「声を潜めろ。あれは……処刑具か。ギロチンとは古風だな」

 

「ギロチン……何で……」

 

 クラードの言葉にカトリナの視線はギロチン台の上に立たされた数名の囚人に据えられていた。

 

 そのうち一人の面持ちに、見知ったものを感じ取る。

 

「……うそ……お父さん……」

 

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