クラードもまずいと感じたのだろう。
自分を反対側に向かわせようとしてギロチン台の上からの演説が響き渡る。
『諸兄! 彼の者達はレジスタンスに与し、この軍警察のコロニー、ルーベンにて闇取引を行った者達である。よってここに! 彼らを断罪する! これは軍警察より与えられた正当な権限だ!』
その暴力的な言葉に群衆は魅せられたように声を相乗させる。
「殺せ!」、「八つ裂きにしろ!」、「市民の敵だ!」
「……でも、何でお父さんが……」
「理由は何だって思い付く。あんたが……今日この日まで続けてきた抵抗の、その結果だって言うんならな」
まさか、と戦慄いた自分の視界の中でクラードは冷徹に告げる。
「どうする? 親しい者の死だ。見ないほうがいいに決まっている。瑕に成るからな」
「どうって……私……は……」
頭が働かない。
決断が先延ばしになる。
でも今だけは。そんな弱い自分じゃ駄目なはずなのに。
処刑台に立たされた罪人達は皆、昏い瞳で自分達の番を待っている。
そんな中に自分の親が居るなんて、悪い夢でも見ているかのようだった。
「カトリナ・シンジョウ。これは現実だ。だからこそ、決定権はお前にある。……お前はどうしたいんだ」
「私は……」
これを悪夢なのだと。自分には関係のないところで起きるはずだった出来事だと、そう断じる事も出来る。
しかしクラードはあくまでも決定権を自分に投げている。
それは、自分が先ほど並べ立てた幸福論が、彼にとっても一筋の光明となったためであろう。
――分かっている。覚悟するのよ、カトリナ。
もう戻れないのならば、とカトリナは目をきつく瞑った後に、クラードに命じていた。
「……私のお父さんを……助けてください」
これは懇願ではない。彼に「命令」したのだ。
自分勝手な願いを、エージェント、クラードの手で変えてくれと。
「分かった。今から俺は、お前のトリガーだ」
――ああ、きっと、と今になって遅く理解する。
こんな瞬間に、彼は物言わぬ引き金となって己を封殺してきたのだろうと。
だが理解してあげるのならもっと早く、もっと明瞭に――彼を救う言葉一つ吐けないままに、自分は彼をトリガーにしてしまっていた。
クラードは片耳を塞ぎ、声にする。
「――来い! 《ダーレッドガンダム》!」
気づいてしまった。その瞳が赤い逆三角形の紋様を、刻んでいたその事実に。
突然に広場に跳躍してみせたMSに誰もが当惑する中で、《ダーレッドガンダム》のコックピットへと自分は招かれる。
《ダーレッドガンダム》がギロチン台に歩み寄り、その手を差し出していた。
「お父さん! こっちへ」
『……カトリナ……なのか?』
「迷っている時間はない。他の者達まで回収するような余裕もないんだ。確保してこの場を全力で立ち去る」
マニピュレーターに父親を保護した《ダーレッドガンダム》が反転し、そのまま飛翔して軍警察の追求から逃れようとするが、コロニー上層部より降りてきたのはトライアウトの機体群であった。
「……待ち伏せか。カトリナ・シンジョウ。少し手荒に行く!」
機体をロールさせ、クラードは敵機の銃撃網をかわし様に相手へと突撃を仕掛けていた。
鋼鉄同士がぶつかり合う重低音が響く中、《エクエス》の誇る銃弾の雨嵐を避け、《ダーレッドガンダム》は上方に抜けている。
逆さ吊りの高層建築物に身を隠し、僅かに敵の気勢を窺ったが、どうやらそこまで追跡してくるほどの執念深さはないようで、あくまでも自衛的な措置であったらしい。
高層ビルの屋上に降ろした父親へと、コックピットを開いたカトリナは声にしていた。
「お父さん! ……何でこんなところに……」
昇降機で降り立った自分へと、父親は沈痛に面を伏せて掛けられた手枷を意識する。
「……それはこっちの台詞だよ、カトリナ……。もう連絡がつかなくなって三年にもなるのに……」
「それは……」
言い澱んだ自分へとクラードから声が振ってくる。
「反政府勢力の鎮圧じゃないな。別の何かで処刑されるはずだったらしい」
情報網を掴んだクラードの言葉に、父親は恥じ入るように瞼をきつく瞑っていた。
「お父さん……」
「そんなつもりは、なかったんだ。だが……お前からの連絡も途絶え、その上で……どうにかしないとと思ってな。母さんも元気がなくなっていたし、わたしだけでも何とかしなければ、と……ポートホーム事業の会社に再就職したのだが、そこは秘密裏に不正取引を行っていた」
「裏取引……」
「それが軍警察にとっては知られてはまずい案件であったのだろう。わたしはここで処刑されるはずだった。、だが、カトリナ……何でお前がこのコロニーに? それに……その機体は……」
「今は、説明は後にさせて。とにかく……お父さんを逃がさないと」
自分の言葉に父親はいいや、と頭を振る。
「逃げたところでどこまでも追われるだけだ。……カトリナ、お前は今、一体何をやっているんだ? 確かエンデュランス・フラクタルに務めていたんじゃ……」
「それは……」
「カトリナ・シンジョウの父親。闇取引とやらの内情を教えさせてもらいたい」
「……彼は……」
「私の……上司みたいなものなの。クラードさん、お父さんはやましい事なんて――」
「やましい事がないのなら、あんな公の処刑場なんて用意されない。軍警察の何を知っている?」
詰問の声音に父親はばつが悪そうに目線を逸らしていた。
「……わたしが知り得たのは、軍警察のアキレス腱のようなものであった。ポートホームによる違法な移送行為。トライアウトは地球圏に、《ネクロレヴォル》に拮抗する兵器を輸送している」
「その実情を言えと言っている。知り得たからには、軍警察も穏やかではないはずだ。一体、何を知ってしまった?」
「く、クラードさんっ……そんな言い方……」
戸惑った自分を他所に父親は罪の告白をするかの如く、重々しく口にしていた。
「……トライアウトブレーメン、知らないわけじゃないな?」
「ブレーメン……? それって研究部門の軍警察なんじゃ……」
「そんな彼らが、開発してしまった禁断の兵器。ミラーヘッドの、第四種殲滅戦を覆しかねない兵装……名称を“ミラーフィーネ”。現行のミラーヘッド減殺ガスよりもなお強力な、第四種殲滅戦を無効化するだけの兵器だ」
「第四種殲滅戦を、無効化する……?」
「それはミラーヘッドジャマー程度の兵装ではないな?」
「ジャマー兵装ならば、まだ読みが勝る。ミラーフィーネは木星船団よりもたらされた叡智だ。搭載したMSはミラーヘッドの戦場にて、その場に居ないものとして扱われる」
その言葉にクラードへと目線を返して絶句する。
彼もその赴くところを理解したらしい。
「……レヴォルの意志に寄らず、同じだけの戦力を拡充する、か。考えていないわけではないようだな」
「だ、だがわたしは……偶然知り得てしまっただけなんだ! それなのに……本社に足切りをされて……。わたしは知らなかった頃には戻れないとは言え、企業もきな臭いと思っている。軍警察と企業の癒着もあり得るのではないかと」
カトリナはクラードに目線を流し、彼の本意を確かめる。
「軍警察のお膝元であるこのコロニーでは彼らこそが法だ。コロニーから逃げ切ったとしても個人アカウントの単位で消せない限りは、ずっと追われ続けるだろう」
「で、ではどうすれば……!」
「抗うしかない。地球圏でも統制が強くなっていると言うのならば、自分を捨て去る覚悟で戦い抜く。そうでなければ負けるだけだ」
「ま、負ける程度で済むのだろうか……。わたしは、これでも責任を感じているんだ。知ってしまった責任、そして一度は逃げようとした責任……どれもこれも、重苦しいものばかりじゃないか……」
「だがカトリナ・シンジョウは、あんたの娘は逃げようなんて思っちゃいない」
差し挟まれた声に父親はハッと振り仰ぐ。
クラードは怜悧な赤い瞳を向けたまま、事の趨勢を眺める。
「あんたの娘は、逃げなかった。逃げなかったから、今、こうして俺と共に在る」
今一度、今度は教え込むかのように告げられる。
クラードの口から自分が逃げなかったと言われたのは初めてであった。
だが思えばこの三年間、無様でも敗走だけはしなかったのは、それは自分自身の覚悟そのものに問いかけてきたからである。
――自分が恥ずかしい自分にだけは、成りたくない。
その想いだけでここまでやってこられた。
しかし、それを父親にまで強いるのは酷であろう。
何せ、父親は一般人なのだ。
自分のように、運命への叛逆を講じるのにはあまりにも普通の人間である。
だがクラードの言いたい事は分かる――分かってしまうようになってしまった。
運命への叛逆を常に講じるものだけが、未来を掴む事が出来る。その条件を自らに課してきたクラードにとって、父親のような人間は漫然と今を生きるだけの存在なのだろう。
「……あなたは、しかしカトリナをどうすると言うのですか。わたしは……可能なら逃げおおせたい。この過酷な運命から……背中を向けたい」
平時ならばそのような甘えた言葉は許さないクラードであったのだろうが、今ばかりは、と屋上に降り立って言いやっていた。
「……カトリナ・シンジョウ。あんたが決めろ。俺は、あんたが従えと言った事なら従う。……《ダーレッドガンダム》を破壊の力に使うのか、それとも守るための力に使うのかは、あんた次第だ」
「……でもそれは、クラードさんの力で――」
「俺の力の所在は、今はあんたの手の中にある」
それで理解出来てしまった。トリガーの意味を。
クラードは、自分の余計な感情を挟まず、それでいて的確に、トリガーとしての役割をこなそうとしている。
並大抵な事では叶うはずもない、そんな理想を掲げ、彼は自分に問いかけているのだ。
これから先、《ダーレッドガンダム》と自分は、ただ壊すだけの存在なのか。
それとも守るための存在に成り得るのか。
ここが分水嶺であった。
クラードにとっても自分にとっても。
自分が安きに流れれば、クラードは幻滅するのかもしれない。
だが肉親相手だ。血だけは裏切れない。
今、父親が困窮していると言うのならば、それを救うだけの力を自分は持っている。
クラードは自分に従うと言ってくれた――それはただ文面通りなだけではない。
自分の決定なら、それを呑むと言ってくれているのだ。
これまで紡いできた絆を、ある意味では試されているようであった。
父親を救うのにはしかし、オフィーリアの指令とは相反する行動を取らなければいけないかもしれない。
何せ、ほんの一個人だ。
これまでのように仲間達の命を背負って戦場に赴くのとはわけが違う。
どう足掻いても、どう虚飾しても、それは自分の意思であり、自分の決定となる。
カトリナは一拍、拳をぎゅっと握り締めてから息を詰める。
その一瞬で、自分の胸中にある迷いをある意味では掻き消していた。
「……クラードさん。お願いします。お父さんを……助けてください」
「構わないが、ここは軍警察のコロニーだ。長くは居られなくなるぞ」
「……構いません。覚悟の上です」
その時、警笛と共にこちらへと肉薄しようとしてくるのはトライアウトの擁する《レグルス》の部隊であった。
昇降機でコックピットに収まったクラードは敵勢と相対する。
『カトリナ・シンジョウ。これよりルートを模索する。それを辿って一旦離脱しろ。戦闘状態では二人も守り切れる自信はない』
「……クラードさん……」
『行くぞ、《ダーレッドガンダム》。トライアウト軍勢に対し――攻勢を開始する!』
《ダーレッドガンダム》がビームライフルを速射し、《レグルス》の編隊をばらけさせてから、その武装を刃に持ち替えていた。
小太刀を逆手に握り締め敵の肉薄を留める。
粒子束が拡散する中で、斬り返し、《レグルス》へと蹴りつける。
そのまま下方へと向かっていったのは自分達から目線を逸らすためだろう。
《レグルス》部隊がその背中を追いすがる中でカトリナは父親に言葉をかけていた。
「……お父さん、クラードさんが守ってくれるから、今は、このコロニーから離脱しなくっちゃ……。そうしないと、クラードさんに合わせる顔もないよ」
「構わないのか? カトリナ……お前はエンデュランス・フラクタルに……企業の人間だろう?」
カトリナはゆっくりと頭を振り、その眼差しに返答する。
「そうだけれど、それよりもお父さんの娘だもん。だから、今はこれでいいの」
そう、今は、これでいいはずだ。
自分の中にそのように規定して、カトリナは上層のエレベーターに飛び乗り、コロニーの階層を降りていく。
「ポートライナーを使えば、別のコロニーに行けるはず……。そうすれば一旦は、追求から逃れる事くらいは……」
「だが……それは重罪に成るんじゃ……」
今さらだとは言えない。
自分がレジスタンスとして戦っていた事を、父親は知らないのだ。
ならば、せめていい娘として振る舞うしかない。
「お父さんのほうが大事。お母さんに……故郷にもう一度、帰って欲しいから……」
もう、自分の身では踏む事も叶わないとそう思っていた地球圏の故郷。
そんな当たり前の幸せを父親には失って欲しくない。
だから――今だけはワガママでいる他なかった。
階層表示が切り替わると共にカトリナは顔を上げる。
「……絶対、幸せになるんだ……!」