機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第170話「畢生よ」

 

 戦闘警戒だ、と言われても身体が鉛に成ったように動けなかった。

 

 分かっている、離別だってしたはずだ。

 

 だと言うのに、部屋から出られない。

 

 自分のような人間に何が出来ると言うのか。

 

 委任担当官として、戦い抜くと誓った――そう、誓ったはずなのに。

 

「……私は、こんなにも弱かった……」

 

 言葉にしたところで、父親が蘇るわけでもなければ過ちを清算出来るわけでもない。

 

 しかし、濁った自分の、世界への叛逆は途絶えていた。

 

 ここで、途絶えようとしていた。

 

 何になると言うのだ。

 

 大切な人を死なせてまでの叛逆など成立するのか。

 

 そんな迷いの胸中に、差し込んできたのは声であった。

 

『……カトリナさん。居るわね?』

 

「レミア……艦長」

 

 クッションを抱いたまま、ベッドの中央で蹲っていた自分へと、レミアは部屋の外から通信を繋ぐ。

 

『クラードが……彼があなたを必要としているわ。今のままじゃ、少しまずいかもしれない』

 

「……何がですか。クラードさんは、だって迷わないじゃないですか。私なんかの声……足手纏いなだけですよ」

 

『それでも彼の背中を押して欲しいと願うのは……同じくクラードに、トリガーとしての意味を見出した同士だから、じゃあ駄目かしらね』

 

 何故それを、と絶句した自分にレミアはフッと微笑んだようであった。

 

『分かるわよ……今のあなたはあの時の私と……同じ境遇の塞ぎ込み方をしているもの』

 

「……艦長も、大切な人を……?」

 

『あなたとちょっと事情は違うけれどね。……エンデュランス・フラクタルに入る前の、統合機構軍の一企業に居た時の事よ。そこで……とても気の合う人と出会えたわ。私は、言ってなかったけれどこれでも貴族出身者だったから、とても奔放な彼に惹かれた。私の知らない世界を何でも知っていて、そしてとても……とても優しかった。きっと、惚れていたのよ。世界の何がしかを知らない私は、少しだけ世界の片鱗が見えた気がして、彼と行動を共にする事が多かった。……こんな事言ったって困るかもしれないけれど、将来を誓い合ったわ』

 

「……その人は……?」

 

『……彼はでも、エンデュランス・フラクタルより送られてきた諜報員に追跡され、ある日行方を晦ませた。産業スパイだったのよ、彼。だから親しかった私が疑われ、そして彼と再接触の可能性があると目された私に、エンデュランス・フラクタルのエージェントが付けられた。それが、クラード』

 

 まさかそんな出会いだったとは思いも寄らない。

 

 カトリナは目を戦慄かせて、その宿業の先を尋ねていた。

 

「……クラードさんは……敵だったんですか」

 

『元々は、の話だけれどね。彼は私に何らかの形で再接触を果たす、そう信じ込んでクラードは寝ずの番。その時に、いくらか話したわ。クラードは……元々の名前を失っている事。エンデュランス・フラクタルの所有物として、今の自分の生存権は存在し、そしてレミア・フロイトと言う私を守るために今は任務に当たっていると』

 

「……変わっていないんですね、その時から」

 

『ええ、変わらない、血も涙もない冷徹なエージェント……今よりももっと、ね。そして、この話は特に面白味もないまま、終局を迎える。……私に彼が接触してきたのよ、エンデュランス・フラクタルの見立て通りにね』

 

 カトリナはクッションに顔を埋めてから、その時の事を思い描く。

 

 レミアは運命の相手を殺さなければいけなかった。それは彼女自身のためであろうし、何よりも相手を守るためにも必定であったのだろう。

 

『……私は、クラードより、拳銃を預かっていたわ。もし接触して来た時は打算以外での再会はあり得ない。だから撃て、とね。……残酷でしょう? 実際、でもそうだったの。彼は……エンデュランス・フラクタルに何を言われたのか、自分の事をどう評されたのかを最初に確認し、それから私の無事は二の次だった。……クラードの言う通りの事しか言わなかったわ。その場合、撃てるのは私だけだって……クラードの話の通りに、私は……』

 

「……撃てたん、ですか……?」

 

 だがこの物語の結末は切ない。それは分かり切っているはずなのに。

 

『……撃てなかった。彼がもう、私をただの事実関係のために使っているのだと分かっていても、それでも撃てなかったのよ。私は……弱い女だった。彼に、最後の選択肢を問いかけたのよ。このまま私と逃げないか、って。でも、彼は出来ないって言った。自分には使命がある。そのために、君を利用していただけだ、ってね。銃口を突きつけられたのは私のほうだったわ。用済みになった湿っぽいだけの女なんて、撃つのに躊躇いなんてなさそうだった。……でも、私は……クラードに命を拾われた。私の引き損なったトリガーを、彼は肩代わりしてくれたのよ。その時から、今も、約束は続いている。私の保留したトリガー、それがクラードと言う名の罪となって、今も私を制約し続ける。……月軌道決戦で、お互いに死んだほうがマシだったと思うのは、それもあったの。もう、縛られ続ける必要性はないんだって。でも、私も生き延びて、彼も生き残って、そして在るべき場所に私を取り戻してくれた』

 

 それはクラードが決して崩さなかった姿勢だ。

 

 レミアを取り戻してからレヴォルを含め失った時を取り戻す――それが彼の講じた叛逆。

 

 世界へと牙を突き立てる行為。

 

 しかし、自分にはそこまで思い切って付いて行けるだけのものがない。

 

 三年間も掲げ続けた叛逆の旗は、こんなにも簡単に折れてしまう。

 

「……私、でも駄目なんです。あの時、言われたんですよ。今は私のトリガーに成ってくれるって……。でも、責任を取り続けなくっちゃいけない。それは私にとって……とてつもなく重くって……」

 

 父親を死なせた責任。

 

 処刑台で無知のまま死なせてやれば、もっと後悔のない死に様だったかもしれない。

 

 なのに自分は、無駄に生の執着を掴ませてから、それを最悪の形で手離させてしまった。

 

 最後の最後、娘に会わせるなんて残酷だ。

 

 そんな残酷な幕引きを選ばせてしまったのは、自分の罪だ。

 

『……カトリナさん。塞ぎ込むのは結構だし、いつでも足を止める事は出来る。でも、今は、今だけは……同じくクラードにトリガーを預けた女同士……弱くなっちゃいけないのよ。彼は待っている。あなたの答えを』

 

「私の答えなんて……っ! だって、クラードさんにとっては、私の我儘なだけで……!」

 

『そうじゃない。クラードは今でも憶えていてくれている。私のトリガーであり続けてくれる。それはあなたもでしょう? カトリナさん。彼に一度でも引き金を預けたのなら、最後の最後、お互いに死んでしまうまで、その時まで抗い抜くのが、いい女の条件のはずよ。クラードに本当の意味で報いたいのなら、余計にね』

 

「でも……でもでもっ! ……クラードさんに、これ以上重石を背負わせられないんですよ……っ! 狡いんです、私……っ! クラードさんがどれだけしんどいのか、どれだけ辛いのかは分かっているつもりだったのに、いざ自分の番になると及び腰で……あの人に……どういう言葉をかければいいのか……何も分からない……」

 

『きっと、あなたが信じる言葉でいいと思うわ。だって、クラードはいつだって待ってくれていた。私が保留し続けたトリガーとして。……随分と前に、何で私が死神って言われているのか、疑問に思っていたわね? ……その一件からずっと、私は恋い焦がれた人を無残に死なせてしまう、不幸の象徴(ファム・ファタール)になってしまった。彼を死なせた責を負いながら、私に近づく不心得者達は、みんな、嫌な死に方をしていく。……結局の話、私だって弱いのよ。弱いまま、ただ立場だけは高くなっていって……それで迷っている。クラードにいつか、この言葉を返す事が出来るのかどうかは、私にはもう分からない。でも、カトリナさん? あなたはまだ、言葉を返せるでしょう? 約束で、彼を引き戻せるはずでしょう? なら、そうしなさい。あなたの講じる叛逆を、この世界の果てに行き着いたとしても、掲げ続けなさい。その時に、クラードと一緒に見える景色があるはずよ』

 

「……でも、クラードさんは充分に傷ついて……それでも前に進むなんて……」

 

『不可能に思える事が起きるのが現実。可能な事ばかり起きるのは夢の中だけ』

 

「……誰の、言葉なんですか……」

 

『……さぁね、引用不明の誰かさんの言葉よ。でも、なら私達が生きているのは、儘ならない現実なんでしょう? だったら、夢に逃避するんじゃない、リアルの上で抗うのが、私達のはずよ』

 

「分かんないんです……分かんないんですよぉ……ぅ! あの時……クラードさんにトリガーを任せなければ、私はもしかしたら、遠いどこかの出来事として、お父さんの死を、受け入れていたのかもしれないって。そんな後悔ばっかりが渦巻いて……何にも……! 分かんなくなっちゃったんです……。これまで、無策でも、無意味でも、どれだけ無様に成ったって戦い抜くって……そう言えた気概が、自分の中から消えちゃって……。もうどうしたらいいんだか……分かんないんですよぉ……!」

 

 心の檻を発露した気分であった。

 

 これまで誰にも言えなかった、否、言ってはいけなかった言葉の数々。

 

 アルベルトに、シャルティアに、ユキノに、サルトルに、ヴィルヘルムに、打ち明ける機会はいくらでもあった。

 

 しかし、誰かに言ってしまえばその時点で終わる。自分の叛逆はその程度。

 

 誰かに任せてしまった瞬間に、主体性を失う程度の叛逆心。

 

『……カトリナさん。もう一個だけ、言っておくわ。クラードはあなたからの命令だけじゃない、約束だって誓った。なら、今のあなたが彼に届けるべきは、泣き言じゃないはずよ。彼は待っている。あなたの命令を。委任担当官は、ただの戦うためだけの役職だって最初に言ったけれど、取り消しね。あなたは戦い以外のところでも、クラードをサポートしてくれた。……感謝しているのよ。彼が今のように成ったのはきっと、あなたのお陰なんだって』

 

「……やめてください。託さないでください、私なんかに……」

 

『でも、カトリナさん。あなたは絶対に、幸せになるんでしょう? だったら、その時に隣に居るかもしれない人を、ここでむざむざ死なせていいって言うの?』

 

 最後の景色――それを共有する相手。

 

 これまで考えた事もなかった。考えないようにしていたのかもしれない。

 

 叛逆の彼方、それらが終わった後の風景。

 

 それを一緒に見る事の出来る相手、対等な相手、――……傍に、居たい相手。

 

 カトリナは抱えていたクッションから顔を上げていた。

 

 まだ涙は拭えない。

 

 顔も、髪の毛も、肌も手入れ不足。

 

 目だって酷く腫れている。

 

 それでも、前に進みたいのなら――前に進むべきなら。

 

「……生きていて欲しいのなら……私は……傍に居て欲しい人は……」

 

『カトリナさん。私はあくまでの艦長としてじゃない。同じ女として、助言しに来ただけ。クラードは今もトリガーであり続けている。だったら、彼の引き金を最後の最後に、引いてあげるのは私達の役目よ。いつまでも彼に押し付けていいものじゃないわ』

 

 責任を取らなければいけない。

 

 守ると決めた責任を。

 

 誓うと決めた約束を。

 

 死なせてしまった責任を。

 

 知ってしまった後悔を。

 

 そして――引くと決めた引き金の所在を。

 

「……それが委任担当官、の、仕事……」

 

 カトリナは姿見の前に立つ。

 

 酷い姿だ。

 

 自分でも嫌になる。

 

 擦り切れたスーツに、そこらかしこが血で汚れたまま。

 

 それでも前にだけは、進む意志を携えて。

 

 愚直でも、前に。

 

 愚昧でも、先に。

 

 どれだけ間違いだらけでも、自分の中で誓った間違い一つ、正すために。

 

「……遅いわよ」

 

 扉を開いた先に居たレミアの目配せに、カトリナはもう一回だけ、鼻をすすり上げる。

 

 きっと、酷い顔に違いない。

 

 だがそれでも、覚悟だけは伝わったらしい。

 

「……行くのね?」

 

「……はい。だって私は、カトリナ・シンジョウ……。エンデュランス・フラクタルの委任担当官で、そしてクラードさんの……トリガーですから」

 

「……クラードは今も戦っている。広域通信になるわ」

 

「構いません。管制室に」

 

「……了解。あなたも少しばかり打たれ強くなったわね」

 

「よしてくださいよ……私はまだ、全然……」

 

「あなたがでも、前に進めばきっと、見えてくる景色がある。その時の景色をクラードと一緒に見たいのなら、あなただってヨゴレを背負わないといけない」

 

 これまでのように一線を引いた場所から誰かの戦いを見るのはサヨナラだ。

 

 今はただ、戦いの終着点に辿り着いた時、その時にてらいのない笑みを誰かと交わしたい。

 

 そしてその相手は、きっと――。

 

 管制室のエアロックを潜るなり、艦長席に付いていたバーミットから叱責が飛ぶ。

 

「遅いですよ、レミア艦長」

 

「ごめんなさい。でも、……連れてきたわ」

 

「……カトリナちゃん、酷い顔よ。メイクも全部落ちちゃったわね」

 

「……はいっ。でも、今の私にはこれが多分、相応しい顔なんです……」

 

「女はその時々に纏う化粧だって違うってね。……酷い顔だけれど、同時にいい顔でもある。艦長、艦制御は後は任せますよ」

 

「了解。カトリナさん、広域通信を開くわ。あなたの気持ちを……クラードだけじゃない。この戦域で戦うあなたが気持ちをぶつけたいみんなに……ぶつけてあげなさい」

 

 マイクを手に取り、カトリナは大きく深呼吸をして開いたアクティブの信号を目に、声を張り上げる。

 

「クラードさん!」

 

 

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