機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第172話「千夜発狂」

 

『私との戦いの最中に他者に心を砕いて! 余所見など君らしくないぞ!』

 

《ソリチュード》の鋭い一閃が《ダーレッドガンダム》を斜に切り裂く。

 

 クラードはしかし、それを目の当たりにしてしまっていた。

 

「……アルベルト……」

 

 彼の乗る《アイギスハーモニア》が、リミッターを解除した状態で半壊する。

 

 その様相を目にして――理性の最後の一線が途切れていた。

 

 迫る刃。

 

 肉薄する殺意。

 

 迸る血潮。

 

 敵の太刀が首を狩りに来る。

 

 思う前に断ち切られ。

 

 考える前に、押し潰され。

 

 それが戦場だ。

 

 今さら何だって言う。

 

 分かり切った話ではないか。

 

 ――だと言うのに、何だ。

 

 切り込んでくる、この感覚は。

 

 現実を侵食する――反転衝動は。

 

 直後には、クラードの身体は後ろに向けて力なく倒れていた。

 

 肉体を拘束する楔から解かれ、意識だけが明瞭化した白の世界で、クラードはこちらを見下ろす老人を見据える。

 

「また来たのか、エージェント、クラード」

 

「……ここ、は……。そうだ、前回……! 何で俺はまた忘れている……! この次元宇宙を支配する悪意を! 俺は知っているはずだ! 知っていたはずだ! だって言うのに……何故……」

 

「前にも説明したがここは煉獄だ。よって現実にその記憶は持ち越せない。それに、何を躊躇っている。敵は潰せ。足手纏いは殺せ。そう教わってきたはずだろう。我の知り得るエージェント、クラードはな」

 

 ああ、そうであった。

 

 慈悲をかけるな。

 

 引き金を引いた時には相手はもう死人だ。

 

 愚か者をいちいち埋葬するような余裕もなければ時間もない。

 

 殺せ、殺せ。

 

 この醜悪な機械の兵隊の胎の内側で殺し合え。

 

 それだけが世界だ。

 

 それだけが理だ。

 

 そうなのだと――とうに規定した、神経であろうに。

 

「……俺にはあの言葉が眩しく映ったんだ。カトリナ・シンジョウ……」

 

「あの娘か。彼の娘はどうしてなのだか、お前と記憶を共有し、そして歴史改変から逃れた」

 

 知っていたのか、と。

 

 意外なものを見据える眼を振り向けたせいであろう。

 

 老人は目を細める。

 

「何と、他愛ない事か。お前とその娘はこの世で絶対の、凍て付くその理から逃れた。七番目の使者の力の楔より免れる唯一の術よ」

 

「……七番目の使者……。教えてくれ。俺はこいつを乗りこなさなければいけない。乗りこなして……」

 

「それでどうする? これまでのエージェント、クラードならば、その後に敵を屠り、相手を殺す術を講じるはずだ」

 

「……ああ、そうだな。これまでのエージェント、クラードなら、そのほうが随分と能率的だと、そう思うはずだ」

 

「だが何故、そうしない? 殺し尽くせ! 奪い尽くせ! お前は簒奪者、お前は全ての力よりも勝る、最上の力だけを手にして現世に舞い戻ったはずだ! ならば迷う事はない! 壊せ! 破壊しろ! この世界を、理から覆せ!」

 

 こちらを指差す老人の声音に、クラードは胸元を掻き毟る。

 

 その指先が捉えたのは、かつてのドッグタグと、そして――。

 

「……ミラーヘッドの、ネックレス……」

 

 紫色に染まった、誰の血でもない、カトリナの血が沁みた結晶。

 

 それをどうして、肌身離さずに持っているのか。

 

 その理由を自らの内に問い質して、クラードは俯く。

 

「……ああ、そうか。俺は……もうかつての破壊者のようには、戻れないんだ」

 

「ならば如何にする! 貴様は何のために戦う!」

 

 老人の命題に、クラードはネックレスを握り締める。

 

 血が滲み、自分の血が紫の結晶を上塗りした。

 

 それは人ならざる――蒼い血潮。

 

「……俺は、力だけをもって、この世界に舞い戻る。それは必要であったのだろう。だが、俺にはもう一つ、必要になった。もっとだ、《ダーレッドガンダム》。お前の全部、俺に寄越せ。七番目の使者であろうが、お前が怪物であろうが、俺は従える。世界の理を塗り替える程度で、俺が恐れを成したと思ったか? お前らの力を――余す事なく、最後の一滴まで、俺の手の中に、寄越せ……!」

 

『“その言葉を待っていた”』

 

 不意に天井を振り仰ぐ。

 

 青く脈打つ鼓動の先で、声が残響していた。

 

「《レヴォル》……いや……《ダーレッドガンダム》の中に宿る、レヴォル・インターセプト・リーディングか」

 

『“クラードよ。こちらではその方の言葉を待っていた。ずっと、ずっとだとも。お前がその言葉に目覚めた時、ようやく、ようやくだ。《セブンスベテルギウス》は顕現する。お前のお陰で、この次元宇宙に事ここに至って干渉出来る。全てはお前が、力への求心力を持っているが故に。目覚めた力は止まらない。全てを破壊する事こそが、この次元宇宙に放たれた七番目の聖獣の役割であった”』

 

「……何を……何を言っている……」

 

「これも忘れる事柄だ、クラード。しかし、お前は遂に開いたな。ダレトの理の先を。鍵は、もうお前の手の中にある。ゆめゆめ忘れるな。訪れるであろう、“破局”を前に、扉を叩いたのは他でもない、この次元宇宙に生きるお前である事を。人類の行く末は! この世界の“クラード”の手の引き金にあるのが正しい!」

 

 哄笑を上げる老人に、クラードは浮かび上がった脈動が自分の胸で脈打つ心の臓と同期したのを感じ取っていた。

 

「さぁ、融合の時だ! エージェント、クラード!」

 

 老人の像が蜃気楼のように揺らぎ、クラードの意識は天より舞い降りた意識の網の中に囚われていた。

 

 全ての物理現象が遊離した世界の中で、クラードはその手に携えたネックレスを握り締める。

 

 掌が切れて滴る血は蒼の輝き。

 

「……ミラーヘッドの光だ……」

 

 白と黒の累乗の先を超えて。

 

 意識圏が肉の塊でしかない身体に戻ってきたその時、クラードは網膜に認証されるパラドクスフィールドの値を適正化していた。

 

「……ベテルギウスアーム、稼働。パラドクスフィールド、臨界値に補正……」

 

《ソリチュード》の剣戟を掻い潜り、《ダーレッドガンダム》が鉤爪を押し広げる。

 

 蒸気を迸らせ、爪の内側に構築されていたのは――もう一つの宇宙そのもの。

 

 白と黒に明滅する虚数の弾頭をまず、敵影へと照準、補正、照準、補正、照準、補正――。

 

 逆三角形に瞬く赤の鼓動が、敵影を捉え、そのまま放出する。

 

 この世界の理を壊しながら突き進んだ弾丸は、命中、しない。補正照準値を適性値に是正し、それらの現象値を脳内ネットワークニューロンへと反証開始。

 

 思考拡張ネットワークを収縮核退炉心――アステロイドジェネレーターとこの次元宇宙で呼称される物体へとロックオン。

 

 総数――実に三十二。

 

 それら全てに、現象補正を行い、事象確定参照意識網を構築。

 

 ――是、確定也。

 

 全ての事象地平線の集約をベテルギウスアームに展開。

 

 パラドクスフィールドを臨界設定。

 

『「【依ってこの宇宙を断罪す。】」』

 

 自分の喉と誰かの声紋を震わせた音叉は、《ダーレッドガンダム》に秘匿されていた別の機能を顕現させていた。

 

 ベテルギウスアームが内側より開かれ、事象宇宙の全てをその手に宿そうとする。

 

 掌が包まれた瞬間――世界が臨界を迎え、悲鳴が劈いていた。

 

 それは黒白の彼方。

 

 断罪の言の葉を紡ぐ、七番目の聖獣が嗤う。

 

「【破局を迎えし、この宇宙の罪深き生命体を、全て、事象特異点の彼方へと。赴くままの力で。】」

 

 黒い影だ。

 

 事象地平の彼方で黒い影が屹立し、そして自分へと振り返る刹那、覗くその牙が、喜悦を湛えていた。

 

 直後には、世界が塗り替わる。

 

 意識表層の部分が掻き消え、掌握された【座標】を含む、この【宇宙】そのものが、あり得ざる【跳躍】を遂げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に頭蓋を割るような痛みに、膝を折ったのは自分だけではないらしい。

 

 ザライアンは脳髄を掻き乱すような激痛に、奥歯を噛み締め、呻き声を上げていた。

 

 この《ファーストヴィーナス》を稼働させるキュクロプスと、それに地に伏しているヴィヴィーも痛みを前に耐えるしかないようである。

 

「……今の……は」

 

「……声だ。世界の理が……外れた……?」

 

 ここに至るまで確定した言葉しか吐かなかったキュクロプスが当惑気味に声にする。

 

 彼女にもどうやら今の現象は不明らしい。

 

「……キュクロプス、君もなのか……。今のは……」

 

「分かるはずだろう。お前もガンダムのパイロットならば。……事象宇宙に歪みが生じている。七番目の使者……《ダーレッドガンダム》……! やはりあの時、破壊しておくべきだった……!」

 

 衝動に衝き動かされるように、キュクロプスは口に出すなり、ああ、と落涙する。

 

 その感情の落差に、ザライアンは絶句していた。

 

「……止められなかった。この次元宇宙でここまで立ち回っていたのに……。何で……」

 

 さめざめと涙するキュクロプスへと、言葉を投げる前に、ザライアンは疼痛を感じ取っていた。

 

 額に浮かび上がった光の拡散は思考拡張の痛覚である。

 

「……これは……? 何かが僕らを……見据えている……?」

 

 要領を得ない言葉であったが、キュクロプスが歯軋りして天上を睨む。

 

「謀ったな! ダーレットチルドレン!」

 

 その意味を問い質す前に、審問の光が天を射抜いて降り注ぐ。

 

 直後、高重力熱波に押し潰される感覚に、ここに居る全員が意識の表層を洗い流されていた。

 

 あ、と終わりの断末魔はあまりにも呆気ない。

 

《ファーストヴィーナス》の金色の鎧を打ち砕いたのは、宇宙より飛来する悪意そのもの。

 

 この次元宇宙よりの拒絶に、黄金の矜持は成す術もなく、破壊されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『《セブンスベテルギウス》が揺籃の時に入った』

 

『よってこの事象宇宙を裁定。不穏分子であるMFのパイロット達にはご退場を願おう』

 

『なに、彼らは所詮、この宇宙を舞うだけの羽虫だ。その羽虫が一匹二匹消えたところで、最終目的地は変わらない』

 

『左様。――我ら総体、ダーレットチルドレンの目指す結論に、少しばかり駒が必要になっただけだ。そして時計の針は進めなければいけない。聞いているな? ジオ・クランスコール。万華鏡よ』

 

「ここに」

 

 傅いて彼らの言葉を聞き届けていたジオは、投射画面に映し出される砲撃兵装を視界に入れていた。

 

「8」の字を想起させる意匠に、瞬くのは高重力の紫の磁場。

 

 明滅し、敵を重力砲撃の彼方へと追いやる、果ての光芒。

 

「まさか先の《シクススプロキオン》、回収していたとは言え、修繕まで出来ているとは聞き及んではいませんでした」

 

『あれは最早、六番目の使者に非ず』

 

『名を冠するとすれば、《シクススプロキオンエメス》――我らのための真理の篝火だ』

 

「どなたが乗っておられるので」

 

『ジオ・クランスコール。貴様の関知するところではない』

 

『それよりも、地球降下作戦は滞りなく行われているのだろうな?』

 

「御意に。愛機《ラクリモサ》と共に、三時間後には《ファーストヴィーナス》爆心地へと降り立ちましょう」

 

『影も形もなくなってくれているとありがたいが、そうもゆくまい』

 

『MFパイロット達には役割があった。その役割を放棄するのならば、我らの側から切り捨てるまで』

 

『よって、審問は我が方で行った。彼奴らが生きていればそれも僥倖。死んでいればそれでも構わん』

 

『最早、MFの技術ですら、我々の次元宇宙の人類は侵犯しつつある』

 

 投射画面が切り替わり、貴族階級の住まう特権地区に屹立したのは、一種異様なモニュメントであった。

 

 操り人形を想起させる躯体が今は、虹色の血潮を滾らせて反抗勢力の旗印となる。

 

「《サードアルタイル》。空間跳躍ですか」

 

『目覚めの時は近い。その時に、迷っていては撃てぬものもある』

 

「いえ、やれます。自分にはそれしかございません」

 

『結構。では使命を果たせ。――ジオ・クランスコール。地球重力圏においての聖獣討伐任務を下す。可否は問わぬ』

 

「つつしんで、お受けいたしましょう」

 

 波打った映像が途切れ、ジオは垂れていた頭を上げる。

 

「して、まさか地球の土を踏むのがこのような形だとはな。自分は惜しいとも。ファム。お前の理想を破壊するのが、自分に出来る、唯一の」

 

 赤く染まる地平を眺め、熱核を帯びた大気圏突破用のカプセルが真っ逆さまに降下する。

 

「海を、この距離で見たのは初めてだったな」

 

 見渡す限りに広がる海域の青。

 

 思ったのは、ミラーヘッドの蒼とは違うのだな、という些末事。

 

『王族親衛隊。ここに』

 

 通信が繋がり、自分を含めた王族親衛隊直属部隊が、地球の重力に囚われつつあった。

 

「重力の井戸の歓迎は手痛いらしい。怠るな」

 

『承認。ジオ・クランスコール大佐の《ラクリモサ》を中心軸として、我が方の作戦を受領します。目的は――全てのMFの、殲滅』

 

 目に映るもの、全てが敵だと、断じる他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十六章 「破滅地平の事象境界〈パラドクス・インターフェイス〉」了

 

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