シャルティアは転がっていく事態一つ、理解も出来ないように格納デッキで重力の洗礼を浴びていた。
「これが……地球の重力……」
『全機体を整備点検に回せー! 《アイギスハーモニア》はほぼ大破だ! 中に収まっている馬鹿をレーザーカッターですぐに医務室へ!』
サルトルの声が響き渡る中で、シャルティアはへたり込んだまま、《アイギスハーモニア》より救出されたアルベルトを認めていた。
血溜まりの中から運び出されたアルベルトはほとんど半死半生で、意識があるのかどうかも疑わしい様相であった。
「……アルベルトさん……!」
平時の無重力の習い性で跳び上がろうとして、今は重力の投網の中である事を認識したシャルティアはタラップを駆け下りていた。
「アルベルトさん! アルベルトさん……! 大丈夫……なんですか!」
『委任担当官殿は下がってくれ! ……バイタルも、かなり無理をしたようだな。ヴィルヘルムの待っている医務室へ! 医療カプセルを空けておいてくれ。そうでないと、死ななくっていい奴まで死んじまいかねない』
「……死んでしまうって……」
絶句した自分にサルトルが怒声を飛ばす。
『退いてって言っただろうが! 今は、怪我人をどうこうするのが第一だ! このままじゃ、本当にアルベルト達は手遅れになるぞ……』
その言葉の重さにシャルティアはさぁと血の気が引いていくのを感じていた。
これまでも、幾度となくアルベルトは自分自身に無理を強いてきた。
だが、それでも帰って来てくれると言う信頼があったのだ。
しかし、この戦場は。
あまりにも想定外で。
そしてあまりにも――自分は未熟で。
眩暈を覚え、シャルティアはよろめいたのを受け止めたのはユキノの腕であった。
「ユキノ……さん……」
「シャルティア委任担当官、ちょっとこっちへ」
「ゆ、ユキノさんは……? 怪我はないんですか……」
「お陰様でね。前の戦闘で前線に出たから、今回は後方支援に徹する事が出来たのが幸いだったのかな。……それでも、苦いものは滲むわよ。まさかヘッド……小隊長があんな目に遭うなんて……」
パイロットスーツ越しでも怒りを湛えた拳をぎゅっと握り締める。
彼女とて冷静ではいられないのだ。だと言うのに、自分は喚いて、分かった風な事を言って整備班を困らせただけである。
『各員、MSへの整備点検を! トライアウトジェネシスのメカニックはダビデ・ダリンズ中尉の編隊を担当!』
『ベアトリーチェ組はこっちっすよ! 《アイギス》は整備ブロックを開放してこっちに回して欲しいっす!』
ティーチとトーマが互い違いに声を張って一機でも多くのMSとパイロットを救い出そうとしている。
その戦いに、自分はあまりにも無力であった。
「……駄目ですね、私……何も、出来ないなんて」
「そんな事はないわ。だって、シャルティア委任担当官は帰りを待ってくれたじゃない」
「……待つしか出来ないなんて、それはきっと、ただの無力ですよ」
「卑下するものでもないわよ? その待つだけって言う辛い役割を……三年間も貫き通した人間だって居るんだからね」
「それってシンジョウ先輩――」
口にする前に、格納デッキへと帰投してきた《レグルスブラッド》が抱えていたのはほとんど達磨状態の《ダーレッドガンダム》である。
ミラーヘッドの蒼い血潮が焼き付き、機体各所を染め上げていた。
見た限り大破の状態に近い機体にメカニックが寄り集まり、レーザーカッターで無理やりコックピットを強制排除させる。
『クラード! 生きてるか!』
サルトルの声にも返答はない。
まさか、と思ったその時には格納デッキに飛び込んできた影にシャルティアは目を奪われていた。
「……シンジョウ先輩……?」
カトリナは荒い呼吸のまま一度呼気を整えた後、意を決したような面持ちでタラップを駆け下りていく。
そんな彼女の視界には自分達など入っていないようで、整備班が取り付いている《ダーレッドガンダム》へと駆け込む。
「クラードさんは! どうなったんですか!」
『落ち着け、カトリナ女史……クラードからのバイタルサイン、かなり下がっているな。何が起こったのかはまるで分からんが、《ダーレッドガンダム》は暫く出せそうにもない。この状態じゃ……』
「そうじゃなく! クラードさんは……どうなったのかって――!」
『おれ達だって知りたいさ!』
怒鳴り返したサルトルの声音に遠巻きに眺めていたシャルティアでさえも息を呑んでいた。
真正面から怒鳴り散らされたカトリナはもっとだろう。
思わず言葉を飲み下したカトリナに、整備班は黙りこくっていた。
『……おれ達だってそれは知りたい。クラードは大事な仲間だからな。だが、だからっていちいち冷静さを欠いていたんじゃ、あいつにだって合わす顔がないだろ。それくらいは分かっているよな……委任担当官なら……』
「委任担当官なら……」
その言葉の重さが今だけは胸の中に沈殿する。
シャルティアはきゅっと息苦しさを感じたのも一瞬、コックピットから助け出されたクラードの状態に瞠目していた。
ほとんど死体のように脱力し切ったクラードを整備班は担架に乗せ、医務室へと輸送していく。
『……クラードがどうなっちまったのか、おれ達がどうなっちまうのかは……まだ誰にも分からん。分からんからこそ、委任担当官であるお前さんだけは、下手にうろたえちゃいけないはずだろう。それくらいは分かるようになったと……思っとったんだがな……』
それはサルトル達の側からしてみても断絶であったのだろう。
カトリナは一拍、その事実を飲み込むように肩を震わせた後、身を翻して駆け出していた。
恐らく医療カプセルに向けて、だろう。
その後ろ姿にシャルティアは言葉を投げていた。
「シンジョウ先輩……っ!」
足が止まる。
事ここに至るまで、自分の存在にさえも気付いていなかったカトリナは驚愕の面持ちで振り返った後に、ようやく自分のよく知る委任担当官の先任としての声を発する。
「……シャルティア……さん」
「先輩……何が起こっているのか、何があったのかはその……窺い知る事も出来ませんけれどでも……っ! 先輩らしくありませんよ! 何だってクラードさんにそこまで入れ込むんです? 彼は、だってエージェントでしょう? ……確かにもうエンデュランス・フラクタルがどうだとか言えない身分ではありますが……。それでもエージェントと委任担当官の立場の差です。どうして……自分を削ってまで、クラードさんに尽くすんですか……!」
それは単純な疑問であった。
シャルティアはその疑問に澱みなく答えて欲しかっただけだ。
平時のように、あるいはこれまでのように。
教育係として、何よりも先達として。
迷う事はなく、一拍の逡巡さえも浮かべずに。
だが、カトリナはその問いかけに面を伏せていた。
「……私は……何者でもなくなった」
「先輩? でもシンジョウ先輩は……私の尊敬出来る委任担当官で……」
「それ以前に、私はカトリナ・シンジョウ……クラードさんを支えたい……。それが、私の……どん詰まりまで来たところの本音……なのかもしれない」
分かっていた。
分かり切っていたのだ。
クラードが帰還してから、彼女はおかしくなってしまっていた。
先の戦闘だって、戦闘宙域に向けて自分の感情を発露させるなんて間違っている。
どう考えたって異常なはずなのに、それをオフィーリアの艦内のクルー達は飲み込んでいるようであった。
やめて欲しい。
そんな、誰かの押し付け。
誰かの価値観で、自分の情景を打ち砕くなんて。
「……クラードさんの、せいなんですか……」
「シャルティアさん……?」
「クラードさんが居るから、シンジョウ先輩はおかしくなっちゃったんですか……。あの人が全部……おかしくさせたんですか……!」
「違う! ……それは違う……私は、元からこうで――」
「だったら! 何で私の前では、しゃんとした人間を演じていたんですか! ……あなたが情けない大人だなんて、思いたくなかったんですよ……私は……」
自分とて誰かに勝手な自己投影をしていただけだ。
カトリナに、立派な委任担当官でいて欲しいなど、それも甘えの一言。
しかし、自分が目標とする人間なのは間違いようのない事実。
だと言うのに、カトリナは身勝手に、それこそ幻想を打ち壊して行ってしまう。
ただの女として、クラードに入れ込んでしまう。
ならばその前に決定的な断絶を味わわせて欲しかった。
そのほうが、誰にも期待しないで済むのだから。
言葉を彷徨わせるカトリナに幻滅する前に、ユキノが歩み出ていた。
「ユキノさ――」
その言葉を遮ったのは一発の張り手。
まさか、ユキノが暴力を振るうとは思っておらず、想定外の痛みにシャルティアは頬をさする。
「……シャルティア委任担当官……あなたの事は尊敬しているし、上官だとも思っている。だけれど、カトリナさんの希望を壊す事は、私は個人的な心象で許せない。誰にだって、生きる指標がある、生きるに足る目標があるのよ。だって言うのに、憧れ一つでカトリナさんの生きる目的を壊さないで欲しい。あなたにとっての人生があるように、カトリナさんにとっての人生がある。それは……誰にも冒されるものではない資格だから……」
痛みは出口にもならない。
カトリナが困惑して声を発する前に、シャルティアは奥歯を噛み締めて駆け出していた。
「シャルティアさん!」
やめて欲しい、呼び止めないで欲しい。
シャルティアは重力に囚われた重い手足を振るって、自室へと飛び込んでいた。
痛みが今さらにじくりと滲んで、直後には身を震わせる。
涙が止め処なく溢れていた。
子供で居たいと思っていたわけではない。
むしろ、逆だ。
早く誰かに認めて欲しかった。
自分は一人前だと、誰かに言って欲しかっただけなのだ。
だが、アルベルトが重傷を負い、そしてカトリナが我を忘れた今、誰に頼ればいいのか、誰に縋ればいいのかまるで分からない。
無辺の闇を漂っているのと同義だ。
そんな中で道標が一個あればよかったのに、ユキノにさえも幻滅されれば自分の行き場所なんてない。
「……私は……どこに行けば、いいんですかぁ……ぅ。教えてくださいよぉ、誰かぁ……アルベルトさん……」
どうしてこんな時に、アルベルトの名前が胸の内から湧いてくるのだろう。
だらしがない大人だと、普段はあれほど言っているくせに、こんな時に頼るよすがにしたいなんて虫がよ過ぎるだろうに。
しかし、駄目であった。
心の支えを失った幼い自我は、ただ慰めを求めて嗚咽するばかりであった。