『何が起こったの?』
レミアの繋いだ通信網に、ユキノは《アイギス》のコックピットの中で怒鳴り返すサルトルの姿を捉えていた。
『分かりません! ですが……モニターする限りじゃ……あいつら、自滅したって言うのか……?』
「サルトル技術顧問! いつでも出られます!」
こちらの声に、サルトルの代わりにトーマが接触回線を響かせる。
『今は駄目っすよ! 混戦になるっす! 状況が晴れてから、改めて出撃要請を出しますから……!』
「そんなの待っていたら轟沈してしまう! ユキノ・ヒビヤ、迎撃行動に移ります!」
《アイギス》を無理やり立て直し、ユキノはカタパルトへと移動していた。
無重力と違い、流れるように移送する事は出来ない。
歯がゆさを覚えていると、格納デッキで肩を並べていたのはダビデの《レグルスブラッド》と、それに随伴される形での灰色の躯体――。
「《ネクロレヴォル》? まさか、本当に出すって言うんですか!」
『ユキノ・ヒビヤ。そちらの言いたい事は分かる。だが、今は一手でも戦力が欲しい。馬鹿げていても、承認して欲しい』
ダビデの声は平時の落ち着きを伴わせているが、それでも自分の中でも納得がいっていないのは窺えた。
「……艦長達の、作戦だと思っていいんですか」
『責任は私が取るわ。ユキノさん、《ネクロレヴォル》を先行させてちょうだい』
分かっている。判断は正しい。
もしもの時に後ろから撃てるようにしておけと言っているのだ。
「……了解」
『《ネクロレヴォル》をリニアボルテージへ! 反応、これまでの奴とは違うぞ! 重力戦線を心得ておけ!』
サルトルの滑り落ちていく声を聞き留めつつ、ユキノはコックピット越しに《ネクロレヴォル》を見据える。
「……撃つべき敵が、味方に成ったって言うのは……楽観視し過ぎかしらね」
『ゴースト、スリー。《ネクロレヴォル》、出撃する』
まるで言葉の表層にも迷いなんて浮かべない、死者のままで《ネクロレヴォル》が先行する。
続いて出撃姿勢に入ったのはダビデだ。
「……編成では私が最後尾か」
『……ユキノ嬢、理解してくれとは言わないっすよ……』
「飲み込むしかないのでしょうね。今は、小隊長だって出られないんだし、クラードさんはもっと……。私達で、艦を守らないと」
『ダビデ・ダリンズ、《レグルスブラッド》、攻勢に移る』
青い電流を迸らせて出陣したダビデの機体の背中を見据えて、ユキノは地球重力圏の重さを丹田に受け止める。
「……重いわね、地球の重力って言うのは」
『《アイギス》、発進どうぞ』
「了解……。ユキノ・ヒビヤ。行きます!」
胃の腑に押し付けられる重力を感じつつ、《アイギス》が宙を舞う。
驚いた事に、敵勢と思しき《エクエス》の半数以上が既に迎撃されていた。
「敵の損耗率が高い? まさか、モルガンからの攻勢?」
『いや、これは……やはり自滅のようだ。《サードアルタイル》……か』
《エクエス》を絡め取っていく虹色の光が拡散し、叫びにも似た高音域の咆哮を滾らせ、聖獣が屹立する。
思わず銃口を向けた自分にダビデは制していた。
『いや、待て。あれの中に乗っているのは、交渉の時と同じならば、敵の首魁のはず。生け捕りにしたほうが優位に進む』
「ですけれど……! 撃って来るって言うんなら!」
『待てと言っている。《ネクロレヴォル》のパイロットも分かっているな? ここで下手を打てば、モルガンとて無事では済まないぞ』
『……それくらいは承知済みだ』
眼前まで迫った《サードアルタイル》は圧巻の一言であった。
月のラグランジュポイントに位置し続け、そしてダレトの守護をこの数十年間、守り通してきた存在は、自分達の操る機械の塊とは別格だ。
「……まさに、聖なる獣……」
感嘆の息を漏らしたユキノはコックピットが開け放たれているのを発見する。
「待って……あれは……ファム、ちゃん……?」
『知り合いのようであった。艦長達も……』
「どうして……? 何でMFにファムちゃんが……」
最大望遠で観測した相手は見間違えようもない。
銀髪を下方より流れてくる強風に晒し、ところどころで炎が燻ぶる戦場で、ファムは涙を流している。
「一体何が……何があったの? ファムちゃん!」
『広域通信は迂闊だぞ! ユキノ・ヒビヤ!』
しかし、呼びかけずにはいられない。
ファムが聖獣に乗っている事も不明ならば、それを手足の如く動かしている事も不明瞭だ。
その時、ファムの声を通信域が拾い上げる。
『……いたいの、いやぁ……っ、こわいの……もっといやぁ……っ! しんじゃうの、いや――っ!』
その声を引き受けたかのように、《サードアルタイル》を中心軸にして風圧が嬲る。
虹色の波に触れただけでも、《アイギス》の躯体が震撼したのが伝わった。
「……恐怖している? MSでは……MFに勝てないって言うの……?」
『……情けない話だが、こちらも同じものを感じている。聖獣相手に、現行のMSでは手が届かないとでも言うのか……!』
ダビデの悔恨が噛み締められる中で、《ネクロレヴォル》の挙動をユキノは観察していた。
その照準が迷いなく、コックピットのファムに向けられたのを関知したユキノは、思わず割って入る。
「何を……! どういうつもりで……!」
『見えていないのか? あれはコックピットを晒している。千載一遇の好機だ。今ならば、聖獣のパイロットだけを無力化出来る』
「それは……! それはでも、看過出来ない! ファムちゃんを殺させるわけにはいかない!」
『だが、あれはたくさん殺してきたぞ』
その冷酷なる言葉が、脳内に沁み渡っていく。
《サードアルタイル》の波打つ攻撃によって《エクエス》部隊はほとんど壊滅状態だ。
その多数がアステロイドジェネレーターを封殺され、海面に叩きつけられるようにして撃墜されている。
「……ファムちゃんが望んでやったわけがない」
『何故、そう言い切れる? あれは聖獣のパイロットだ。“夏への扉事変”を思い出せ。あれがどれだけの人間を殺してきたのか、知らないわけがあるまい』
「それは……」
正論だ。
真っ向からの正論に、成す術がない。
聖獣は――MFはこの世界にとっての敵。
滅ぼさなければいけないはずだ。
しかし、それを知ってもなお――。
『ユキノ・ヒビヤ! 何をしている!』
ダビデが驚嘆の声を張り上げる。
気づけば、ユキノは《サードアルタイル》を庇うように、《アイギス》の四肢を広げていた。
「……撃たせない。撃たないで……」
『分かっているのか? それは世界への裏切り行為だ』
「……今さらじゃない。私達は世界に叛逆するために存在している。だったら……見知った女の子一人、守れないでどうするって言うのよ……」
こう着の時が行き過ぎる。
こうしている間にも、後ろから自分は《サードアルタイル》の放つ波に呑まれ、自滅するかもしれない。
それでも――かつてのベアトリーチェでの日々を、嘘だと思いたくないだけの、これは我儘だ。
ユキノは瞼を閉じて、その時を待っていた。
誰からともなく、終わりはやって来るだろうと。
しかし、《ネクロレヴォル》からの銃撃も、《サードアルタイル》からの攻撃もやって来なかった。
『……ミュイ……』
「ファムちゃん……?」
ファムは涙を拭いつつも、自分を真っ直ぐに見据えて声を発する。
『ミュイ……しんじゃうのは……やだよ……』
「大丈夫、死なないわ。だって、私はあなたが……デザイアに落ちて来た時から知っているもの。あなたは私達の天使でしょう?」
『ミュイ……それ、いってくれるひと、ひさしぶりぃ……』
先ほどまで泣き喚いていたのに、今度は慈愛の籠った微笑みを浮かべる。
まるで赤子のそれだが、どうやら落ち着いてくれたらしい。
ユキノは《アイギス》のマニピュレーターを伸ばしていた。
「……こっちへ。あなたが居るべきなのは、そんな怖い場所じゃない」
応じてくれるかどうかは分からない。それでも、ファムの言葉を信じるのならば。
あの日、自分達へと落ちてきた天使を、今一度と思うのならば。
『アルベルト……クラードは、いる?』
「ええ、居るわ。クラードさんも、小隊……ヘッドも、みんな。みんな、こっちに居る……」
『ミュイぃぃぃ……じゃあ、そっちにいく……』
おっかなびっくりにコックピットから飛び移ろうとするファムを、《アイギス》の両手が抱える。
その途端、《サードアルタイル》から光が失せていた。
虹色の血脈が消え、まるで人形のように項垂れたかと思うと、真っ逆さまに海中へと没する。
それを誰ともなく、眺めていた。
『……さんばんめ、おっことしちゃった』
それでも、ファムは何でもないように口にする。
ユキノはこの場での判断を求められているのを感じ、通信網に声を響かせる。
「こちら、ユキノ・ヒビヤ。……《サードアルタイル》は無効化しました。ファムちゃんを……回収。敵勢は……向かってくる気配もなし。作戦の続行を問います」
だがこれでよかったのだろうか。聖獣の最後がまさか海の底へと沈んでいくなど世界中の誰も予想出来ないだろう。
『こちら、管制室。ファムを確保出来たって言うのは、今だけは吉報として受け取りましょう。艦長、いいですよね?』
『……ああ、もうっ。あなた達はいつだって、こちらの想定外を行くんだから。そのまま、部隊は帰投。敵の奇襲も削いだって言うんなら、あまり前に出しておく旨味もないわ。《ネクロレヴォル》も……』
「まって。こわいのがくる……」
「ファムちゃん? 来るって……」
天上を仰ぎ見たファムの視線の先を追ったユキノは、こちらへと赤色の光を伴わせて降下してくる大気圏突破カプセルを認めていた。
「シグナル不明……? 一体何が……」
カプセルが装甲を弾き飛ばし、内側に燻ぶる真紅の機体を晒し出す。
それは、邪悪なる赤銅の輝きを帯びて――。
『大気圏をひとっ飛びってワケだ! それもこれも、てめぇらを追うって言う大義名分だって言うんだから、笑わせるぜ!』
響き渡った声と、機体識別照合にユキノは身構える。
交錯の一瞬、アンカー装備が《アイギス》の動きを封殺していた。
「こいつ……確か前回現れた……《ヴォルカヌス》……!」
『憶えてもらって光栄だねぇ! 女ァ……ッ!』
『こいつ! 敵勢か!』
ダビデの《レグルスブラッド》がすかさずミラーヘッドを起動させ、応戦の銃撃網を見舞うが、《ヴォルカヌス》は赤銅のミラーヘッドを盾にしてそのまま《レグルスブラッド》へと肉薄する。
加速した一瞬、その手がミラーヘッドの中核を掴み取っていた。
『――貰うぜ、その心臓……!』
それはまさにガラスが砕け散るかのように。
《レグルスブラッド》のミラーヘッドが一瞬にして無効化される。
『何だと……《レグルスブラッド》のミラーヘッドは、オーダーを通した正規品だと言うのに……!』
『いつまでも正規非正規言ってるから、てめぇらは俺に追いつけねぇ』
大剣が《レグルスブラッド》の無防備な躯体を叩きのめす。
咄嗟に《ネクロレヴォル》が応戦に出ようとしたが、その迷いの銃口を読んだのか、《ヴォルカヌス》はミラーヘッドの段階加速を経て跳ね上がる。
『騎屍兵がそっちに付いているとは驚きだな。ってもまぁ、情けねぇ機体で俺を墜とせるかよ! なまっちょろい!』
《ヴォルカヌス》のアンカー装備が《ネクロレヴォル》を翻弄し、隠し腕に搭載したビームタレットが《ネクロレヴォル》の攻勢を削いでいく。
『さて、と。スポンサーからは《サードアルタイル》の奪還と聞いていたんだが、随分と戦場の様相は違うじゃねぇか。《サードアルタイル》は水没、そんで対抗勢力は自滅か。どれもこれも、つまらねぇ戦場だなァ、おい!』
《ヴォルカヌス》が加速度を帯び、《アイギス》へと追いつこうとする。
ファムを抱えている以上、ミラーヘッドの段階加速も、ましてや推進剤をまともに使う事も許されない。
「どうにか……格納デッキまで帰還出来れば……!」
『――遅ぇ』
それは冷徹な響きを伴わせて。
残酷な現実の色調が、《アイギス》を縫い止めていく。
《ヴォルカヌス》の操った大剣が分身体を構築し、それぞれが自律兵装の如く空間を奔って《アイギス》を射抜いたのである。
完全に無力化された《アイギス》がその手からファムを取りこぼしかける。
「……駄目……っ!」
慌てて姿勢制御にインジケーターを振ろうとしたが、その時には既に、よろめいたファムはマニピュレーターから身を躍らせている。
落ちていくファムを《ヴォルカヌス》が回収しようと回り込む。
恐らくは自分も撃墜するのだろう。
『パッケージの引き渡し感謝するぜ。じゃあ死ねやァ――ッ!』
その剣が両断の太刀を滾らせたのだと、そう確証していた。
誰が救いに来ると言うのか。
この極地に。
絶望の淵に。
しかし、ユキノの絶望の耳朶を打ったのは、熱源警告であった。
途端、ミラーヘッドの段階加速を経て《ヴォルカヌス》の機体を突き飛ばしたのは、見知った機影である。
「……《マギアハーモニクス》……? ヘッド……?」
否、その戦い振りで分かる。
加速度にかかる荷重をまるで無視した機動と、そして《ヴォルカヌス》相手に果敢に攻め立てる動きは、何度も目にしてきたはずだ。
「……まさか、クラードさん……?」
『離れろよ、クソッタレがァッ!』
《ヴォルカヌス》の腕からファムを奪い取り、そのまま急上昇に移ろうとした《マギアハーモニクス》だが、ビームタレットの追撃と、追尾性能を誇る大剣のミラーヘッドを全身に纏い、今にも空中分解寸前であった。
『退き際が潔くねぇのはいただけねぇなァ! ここで墜ちろよォ!』
《ヴォルカヌス》が大剣を下段に構え、直上の《マギアハーモニクス》へと狙いを付ける。
《マギアハーモニクス》はスパーク光を散らせながら、ファムを抱え、《ヴォルカヌス》の太刀筋を中枢に受けていた。
折れ曲がった疾駆が溶断され、ファムの身体が宙を舞う。
ユキノは中空で弾け飛んだ《マギアハーモニクス》の装甲の中に、身を躍らせた白衣姿のクラードを認めていた。
「……どうするって言うの……」
ライドマトリクサーとは言え、ただの人間の身でMS相手に抗えるはずもない。
《ヴォルカヌス》の手が迫る中で、クラードがこの戦場に声を響かせていた。
『――来い! 《ダーレッドガンダム》!』
その声が世界を満たすのと、空間転移してきた《ダーレッドガンダム》が《ヴォルカヌス》と相対したのはほぼ同時。
互いにレヴォルタイプの鋭い双眸を交わしたのも一瞬、鋼鉄の頭蓋をぶつけ、《ヴォルカヌス》から一瞬の隙を奪った《ダーレッドガンダム》はその手を伸ばす。
風に銀髪を煽られるファムへと《ダーレッドガンダム》はそのマニピュレーターで受け止め、コックピットへと招く。
『ユキノ、遅くなった。すまない』
「そ、それは……いいんだけれどでも、クラードさん。《ダーレッドガンダム》はまだ修繕が……」
『手負いで俺に立ち向かうたぁ、いい根性しているじゃねぇか! このまま断ち切ってやるよ! ガンダムッ!』
《ダーレッドガンダム》の修繕状況は戦闘継続可能にはまるで見えない。
機体が爆散しないように仮縫いで設えられた包帯を風圧になびかせ、《ダーレッドガンダム》は即席のビームサーベルで打ち合う。
《ヴォルカヌス》の機体追従性には及ばず、そのまま弾き飛ばされかねないが、《ダーレッドガンダム》の特殊兵装が鉤爪を現出させていた。
『……俺は死ねない。死ねない理由がある。だから――応えろ、《ダーレッドガンダム》! 俺達は、まだ終われないはずだ!』
鉤爪の兵装を掲げ、《ダーレッドガンダム》は次の瞬間、虹色の輝きを帯びていた。
その正体を看破する前に、鉤爪と大剣が絡み合う。
直後に視界に入った現象に、ユキノは絶句する。
「……嘘、でしょう……。一瞬で、修復した……?」
《ダーレッドガンダム》は先ほどまでの手負いの状態から一転、完璧な整備が施された状態へと変移していた。
その現象を解き明かす前に大剣を弾き返し、《ダーレッドガンダム》は拡散重力波を《ヴォルカヌス》に向けて放出する。
『クソがァッ! 分からねぇ事態を起こしやがる……!』
『俺は俺の信じる事を……全うするまでだ……!』
刃を交わす二機相手に、ここに居る誰もが介入出来ないでいた。
一体何が起こっていると言うのか。
そして、どうしてクラードは復活したのか。
「……一体何が……《ダーレッドガンダム》……」