目の前で爆ぜたのは蒼い輝きだ。
それがアルベルトの姿を取り、自分を突き飛ばした瞬間、彼の微笑みが見えた気がした。
そんな益体のない思考に身を浸していた自我が、起こった現象を理解したのは、《サードアルタイル》より機体が弾き落とされ、敵の攻撃領域から逃れてからだった。
「……いやぁ……ヘッド……」
嗚咽が狭いコックピットに木霊する。
また、生き延びた。
また、死に損なった。
そしてまた――自分は、誰かの犠牲の上で――。
瞬間、ユキノの意識の糸は浮かび上がったシステムの警告に上塗りされていた。
『レヴォル・インターセプト・リーディング、起動。これより、コード認証を行います。専任ユーザー、マヌエルの実行を待機。システムコードを声紋入力してください』
自分の知っている最後の術。
自分の持ち得る、最大の毒。
自分でも、敵に牙を突き立てられる、最善の策。
「エージェント、ユキノ・ヒビヤが命じる。コード、マヌエル、きど――」
『――駄目だ』
割り込んできたのはダビデの《レグルスブラッド》であった。
急速に《アイギス》を引き剥がされ、《サードアルタイル》が遠ざかっていく。
「やめて……離してっ………! 離してください……っ! 私は、死んででも、ヘッドに……報いなくっちゃいけないんです……! これが、凱空龍のメンバーとしての……」
『落ち着け、ユキノ・ヒビヤ。死ななくていい人間まで死地に赴くべきではない』
「でも、でもぉ……っ! ヘッドは私を……私みたいな替えの利く駒を庇って死んだんですよぉ……ッ!」
涙が伝い落ちる。
自分が削り落ちていく。
もうこれ以上、何かを犠牲にする事なんてないと思っていた。驕りたかぶっていたのかもしれない。
自分は強くなった。何も失わないくらい、強く――。
だがその実は。
何も成さない。何も成し得ない。
愛すべき人を失い、守るべき人間を損ない、そしてその果てに、死に絶えなかった自我だけが小汚く残る。
こんな汚点が自分の最果てなのか。
こんなヨゴレだけが、自分の手に居残った証だと言うのか。
『落ち着くんだ。今は……誰一人として死ぬ事は許さない。追撃に向かう事は許可出来ないんだ。これよりオフィーリアへと帰投ルートを辿る。その後に……アルベルトの、彼の生死は問おう』
何を言っているのだ。
目の前で散ってしまった命一つ、どうこう出来ないのなら、それにはもう戦士の資格はない。
「私は……終わるのなら……ヘッドの傍で、死にたかったんです。どれだけ無茶をする人でも……傍らに居てあげられたら……だってそれだけで救えるはずじゃないですかぁ……っ……!」
『救えるのは自分の気持ち一つだけだ。それを手離してでも、勝利に縋りつくのが戦士の務めのはず』
「それは綺麗事でしょう……ッ!」
メインコンソールを殴りつける。こんなにも無力、こんなにも弱々しい。
女としての弱さなんて捨て去ったつもりなのに、眼前で消えた憧れの命一つの輝きに、もう魂の色はくすんでしまっている。
こんな状態で、どう戦えと言うのだ。
こんな自分で、どう生きろと言うのだ。
泣きじゃくるユキノへと、ダビデは静かに言い添えていた。
『……一度帰還し、策を練る。そうでなければ《サードアルタイル》のパイロットに関しての事も、エージェント、アルベルトの処遇も……何一つとして、取りこぼすばかりだ』
すぐに了承を返せない。
それでも、ユキノは面を伏せたまま、接続の時を待つマヌエルの実行シークエンスをキャンセルしていた。
水色の円環が逆戻しのように掻き消え、脈動が制止する。
「……了解」
ここまで苦味を飲み込む事は、この三年間、何度もあったはずだ。
何度もあったはずなのに、それでも自分を許せない。
アルベルトの死一つで、身体は鉛のようになっていた。
鼓動も、意識も、そして魂も――全て穢れてしまったかのようだ。
もうこの世界で生きていく事に、何の気力も保てない。
「……私はだって……また、間違えた……」
自分の腕一つなら、自分の肉体程度なら。
どれほどまでも切り売り出来たはずなのに。
ここまで自分は――弱くなったとでも言うのか。
『……ユキノ・ヒビヤ。オフィーリアの格納デッキに向かうぞ。残存部隊はミラーヘッドの段階加速を経て急速離脱。《サードアルタイル》の虹の波に捉われるな』
《サードアルタイル》の機影は既に遥か彼方へと消える。
ユキノは《アイギス》から降り立つなり、駆け込んできたシャルティアが問い質したのを聞いていた。
「アルベルトさんは? ……どうなったんですか……」
「シャルティア委任担当官……ヘッドは……」
濁しただけでも彼女には理解出来てしまったに違いない。
どのような誹りでも受けるつもりであった。
沈痛に顔を伏せた自分にはしかし、シャルティアからの罵倒の一つも浴びせられない。
代わりにシャルティアは、その眼差しに希望の光を見出して、自分を真っ直ぐに見据えてくる。
やめて欲しい。
自分のエゴで張り手まで見舞っておいて、一端の口を利いた女相手に、愚直にも真っ直ぐな眼差しなど。
「……ユキノさん。アルベルトさんは、死んだんですね」
シャルティアの口から出たとは思えないほどの冷徹な論調。
すぐに何か気の利いた言葉を返そうとして、何一つ伴っていない事に気づく。
自分は――アルベルトの死に、何一つとして飾り立てる言葉を持たない。
「私は……」
「ユキノさんに、負傷は?」
「あ、……いや、私は何も……」
「そう、ですか。よかったです。これで、まだ戦えますから」
どうしてなのだろうか。
あの時、カトリナに掴みかかった時のシャルティアはどう考えても子供であったのに、この数時間で彼女は冷静な判断を下せるだけの女性に成っていた。
一体何がそうさせたのかは分かり切っている。
アルベルトが、彼女の心を開いたのだ。
だと言うのに、自分は真っ当に彼女の瞳にさえも誓えない半端者。
ユキノは恥じ入るよりも、この選択肢を選ばざるを得なかった自らの境遇を呪っていた。
一端に大人の女を気取って、見知った風な口を利いて、それで何が出来た?
彼女らに、誇れる人間であり続けようとして残ったのはただの虚勢。シャルティアに何が出来た? 彼女は自分達の帰りを待つだけだ。
その無力感を噛み締めていないはずがないのに、分かったような言葉繰りで自分は彼女より前に居る気がしていたのだ。
「……シャルティア委任担当官。私は……」
「ユキノさんが帰って来ただけでも次に繋がります。それこそがきっと……アルベルトさんの望んだ、明日でしょうから……」
分かっている。
目尻より流れ落ちるその滴。
シャルティアだって辛いはずだ。
彼女だって、アルベルトと何度も言葉を交わし、その熱量を持ったまま情景を抱いていた少女なのだ。
アルベルトに――エージェントに死んで欲しくないのは委任担当官なら当たり前の事。
だと言うのに、自分は彼女に最悪の結果を持ち帰ってしまった。
「……ごめん、なさい……」
そのたった一言を口にするだけで、身が削れる思いであった。
自分のせいでアルベルトは死んだ。
ならば、釈明をするのが筋のはずだが、適当な言葉で――気の利いただけの台詞だけで――アルベルトの死を飾り立てられない。
だって、アルベルトは自分にとっても特別な――特別な想い人だったのだから。
その時、差し出されたのはハンカチであった。
シャルティアだって辛いはずなのに、こうして自分にハンカチを手渡せる。
それだけで、絆の違いを見せつけられたようですらある。
「……ごめんなさい、シャルティア委任担当官。……ヘッドを、守れなかった」
「サヨナラ出来なかったのは残念ですけれど、それでも私は委任担当官です。アルベルトさんの遺した仕事は、しっかりとこなしておきました」
「……ヘッドの遺した仕事……?」
「MF、《サードアルタイル》の存在と、そして王族親衛隊の目的。どうしてこうも同時多発的に事象が巻き起こったのか。……全ては、アルベルトさんの兄である、ディリアン・L・リヴェンシュタイン……彼が関わっている可能性が濃厚になりました」
「……ディリアン、って……」
「ええ、三年前、月軌道決戦時にベアトリーチェを強襲した人間です。彼は……まだ生きている。世界を牛耳るためだけに、残りカスのような命を絞って……」
別段、仇討ちと言うものでもない。
だが指針が見えたのは、今の暗中模索の自分からしてみればありがたかった。
「……MFに、回収されたファムちゃん……それに、万華鏡。どれもこれも、まるで離れている事実に思えるけれど、全ては……繋がっている……?」
「あるいは関係ない事実に関連性を見出したいだけの抗弁なのかもしれませんが……私は信じたいです。アルベルトさんの……命令に」
アルベルトの命令。
それは自分達、RM第三小隊と凱空龍の面々に残された、最後の寄る辺。
「……シャルティア委任担当官。ビンタを張ってごめんなさい」
今さらだったのだろう。
シャルティアは柔らかく微笑む。
「……結構効きました、あれ」
「実行しましょう。ヘッドの遺してくれた、その意志に報いるためにも……私達は、生きなければいけない。その命に限りがあるのを、理解しているのなら」
その最後の一片まで。
命ある限り、戦え。