強くあらねばならないと決意していた。誰よりも強く――。
だから、アルベルトが撃墜されたのだと、そうもたらされた時にも、クラードは平静を装っているつもりであった。
「そう、か……。アルベルトが死んだか」
報告してきた人影を見据える。
コックピットの装甲越しに対峙したカトリナは、どこか感情を処理し切れていないようであった。
『……私は……アルベルトさんに、あれだけ叱咤されたのに……何も、答えを出せないまま、行っちゃうなんて……』
「悲しむのは後でも出来る。今は、俺達に出来るのは前に進む事だけだろう」
『……冷たいんですね、クラードさん』
「あいつが最後まで戦士として生きたって言うんなら、俺が下手に講釈を垂れるものでもないはずだ。アルベルトにはアルベルトにしか分からない戦いがあった」
『でもその戦いは……私が無理を言ってここまでやってきた三年間でもあるんですよ』
「あんたは委任担当官だ。だからアルベルトを導く役目があったし、その役目を最後まで全うするだけの気概があったはずだ。だって言うのに、ここで足踏みしてるんじゃ、意味なんてないだろう」
カトリナはその手をそっと、《ダーレッドガンダム》のコックピットブロックへと触れさせる。
『……本当に冷たい……。クラードさん、教えてくださいよ。そこから出て来てください。何でもう……私達と対話をするのを、諦めちゃってるんですか。自分だけ彼岸に行っちゃったなんて、そんな事は言わないでください。私達はこの三年間、あなたの帰りを待ちわびて……』
「帰りを待てば、じゃあ報われるのか」
通信越しにハッとしたのが伝わってくる。
『それは……』
「帰って来ない相手に期待したってたかが知れている。それに、ユキノが目の前で弾け飛ぶ《アイギス》を見たって言うんだ。なら、疑う余地はないじゃないか。俺は、次の戦場のために《ダーレッドガンダム》を万全にしておく。それが俺に出来る、戦士としての心構えだ」
『分かんない……っ、分かんないんですよっ、クラードさん! アルベルトさんは、抜け殻みたいな私でも、それでもあなた達、エージェントを導く委任担当官だって言ってくれました! 私は絶対に……諦めちゃいけないんだって! 駄目になっちゃ……いけないんだって……! なのに、なのにぃ……っ! 私、ここで折れてしまいたい……っ、駄目になれば……もう何も考えないでいいんなら……どれだけ楽なんだろうって……ぇ! そう思っちゃうんですよぉ……っ!』
声の節々に嗚咽が混じっていた。
悲痛な声だけが《ダーレッドガンダム》のコックピット内に残響する。
永劫に失った寄る辺、永遠に失われたその感覚。
アルベルトならば、彼ならば必ず帰ってくると、そう言えればよかったのだろうか。
何も心配しなくっていい、アルベルトの事だ、きっと何でもない顔をして帰ってくるとでも。
「……馬鹿だろ、俺は。そんなわけないのに……」
最適化しようとしていたキーのタイピングを止めて、クラードはその拳を握り締める。
『……クラード、さん……?』
「カトリナ・シンジョウ。俺は、アルベルトならば、背中を預けるのに足ると思っていた。笑えるだろう? 俺はエンデュランス・フラクタルの生み出したエージェントだ。彼の組織のためならば、命だって見限る。それだけ非情に徹する事の出来た、特級の存在だって言うのに……何でなんだ? 何で……アルベルトの死一つ……こうも冷静に処理出来ない……」
『それが心って……言うんじゃないですか?』
カトリナの返答にクラードは面を上げる。
モニター越しのカトリナは泣きじゃくって、見られたものではないとでも言うように顔を逸らす。
「……心……? こんなものが、心だって言うのか……? 苦しいだけだ、辛いだけだ、痛むばかりじゃないか……! こんなものが……心だって言いたいのか……!」
これまで全てを封殺し、心なんて言う不確定要素を排除して来たと言うのに、ここに来て足を取られるのがその一言だとでも言うのだろうか。
――馬鹿馬鹿しい。心なんてまやかしだ。
そうだとも。心なんて必要ない。
――お前はエージェントだろう? 最良の結果だけを読み取り、最適な結論だけで生きていけばいい。
これまでは、それでよかった。
――何人殺してきた? どれだけの屍の上に、その命が成り立っていると思っている? だって言うのに、今さら弱くなれるものか。
ああ、そうだろうに。
「……だから俺には……心なんて要らないと……そう思っていたんだ。邪魔なだけのイレギュラーなら、排除して、切り詰めて……その上で戦いにおいての正解だけで成り立てればいい。俺に必要なのは、力だけだ。力だけを求めて、俺はこの世界に、叛逆を……」
『でも、力だけじゃ……何も救えませんよ……』
クラードはそこで考えを打ち止めにさせる。
力だけでは何も救えない。その理が正しいとすれば、これまでの自分の行いは? これまで殺してきた人々は? これまで仕方ないと切り詰めてきた自身は――?
「……力だけで、よかったのに。何で俺に、こんな余計なものまで背負わせて、生き永らえさせた……《レヴォル》……!」
分からない。分からないが、こうも胸が痛いのだ。
締め付けられるように、呼吸でさえもまともではなくなって。
誰かに預けてしまえれば、誰かに寄越してしまえればこれほどいいものもないのに。
こんなに辛いのならば、心なんて自分の中には必要なかった。
冷徹な機械であるだけのライドマトリクサーでいい。
戦闘機械だ。
兵器としての在り方を突き詰めたのが、自分自身。
エージェント、クラードは最期の時までその身を紅蓮の炎に焼かれて、敵を狙い澄ます事だけに特化すればいい。
そうなのだと――思い込んでいた。
そう思えれば――どれほどよかったのか。
「……教えてくれ、《レヴォル》……。俺は、どうすればよかったんだ……? あの日……月軌道決戦でお前は、言ったな? 人間は痛み以外で泣ける唯一の存在なのだと。何でその言の葉を……知っていたんだ……」
『それはきっと……』
カトリナが答えを発しようとする。
それが自分以外の口から出るのが不快で、クラードは制していた。
「何も。何も言うな、カトリナ・シンジョウ。《レヴォル》と俺の記憶は俺達だけのものだ。他の人間に答えを言って欲しくない。……何でだ。これまでならそんな事、気にも留めなかっただろうに……」
もう自分は、彼らに別れを告げたも同義なのだ。
――波長生命体。
自分はもう、この世界を生きる人類とは違う理で生きていくしかない。
『それでも……クラードさんは私の……大切な人だから……』
「大切な人間……? 馬鹿を言え。エージェントなんていくらでも替えが利く」
『そうじゃ、ないんです……そうじゃ……。だってクラードさん、約束してくださいましたよね? オムライスの、約束……。絶対に食べに帰って来てくれるって。だったら、私にとってのクラードさんは、あなただけなんです。あなただけが……私のオムライスを……食べに来てくれるんですから……』
無視すればいい。下らない約束だ。
そんな事があったなんて憶えておかなくってもいいのに。
だと言うのに自分は――月軌道決戦で交わした約束一つのために、この世界へと舞い戻った。
それまでの「死なない戦い」から、「死ねない戦い」に。
自分の命一つはもう、自分勝手に捨て去る事も出来ないのだ。
何せ、あまりにも背負っている。
この艦の運命も、誰かに預けられた命も、そしてほんの小さな、取るに足らない約束一つも。
「……俺は、こんなにも弱かったのか……」
一人で戦い抜けばいい。自分はたった一人でも戦い抜けるだけのエージェントだ。
誰の助けも要らない。誰かのトリガーになれば、その時点でただの引き金。鋼鉄なだけの虚無。
そうなのだと、規定すればどれほど楽だと言うのか。
引き金は絞られ、弾丸は敵を射抜くために存在するもの。
それ以外に価値はなく、それ以外に意味もない。
だってそんな事は言われるまでもない。とっくの昔に分かり切っていた事だろう?
しかし、《ダーレッドガンダム》のコックピット越しに対面したカトリナの言葉に、自分はどうしてここまで揺れ動かされているのか。
彼女の言葉も虚飾だと切り捨てる事だって出来るのに。
自分は何に――意味を見出して。
「俺の弱さは……この世界を取り戻せやしない。叛逆なんて……」
『そうじゃないですよ。そうじゃない……だって、人って一人じゃ、立てるようには出来ていないんですから。だから、これはクラードさんだけじゃない。みんなの――叛逆なんです。この世界への、私達の声を、抗いを向けるための……』
「抗い、か……。だが俺は、二度も三度も間違えてそこから先があるとは思っていない……」
『きっと、大丈夫ですよ。だって、私も何度も間違えた。それでも、その度に立ち上がって、その度にみんなに励まされてここまで来たんです。だったら、一度折れたくらいじゃ、へこたれません。……でも、それでも……アルベルトさんが居なくなったのは……辛いですね』
ここで一言でも辛いと言えば、自分はエージェントとしての資格なんてないだろう。
返すべき言葉は一つ。
――そういう事もある。戦場を生きていれば、誰かの死に直面する事も。いちいち死に怯えていれば、足元をすくわれるだけだ。
「……俺は……怖い」
だが口から出たのは、そんな想定とは正反対の言葉であった。
「俺が俺でなくなってしまう事も……アルベルトが居なくなってしまった事も……《ダーレッドガンダム》の力そのものも……。俺は、俺が思っている以上に、間違えてしまっているんじゃないのか? この世界への叛逆のつもりが、俺の思う世界なんて……この世のどこにも存在しなかったんじゃないか……と」
手が震えはじめる。
指先は、ここではないどこかを彷徨って空を掻いていた。
アルベルトならば――彼ならば分かったのだろうか。
自分の赴くべき心の先を。
どう生きて、どう死ねばよかったのかを。
今さらアルベルトに尋ねたところで、答えなんて永劫返って来ないと分かっているのに。
その時、不意にコックピットブロックが開け放たれていた。
《ダーレッドガンダム》の緊急ハッチを開いて、カトリナが自分と対面する。
これまで、直接的に会話する事のなかった自分達は、目が合うなりどこかばつが悪そうに視線を逸らしていた。
「……その……えっとぉー……」
「……何だ。何か用があったんだろう」
「その……私……回線越しだから言えたのかもしれません。でも、目の前にすると臆病だから……」
「だから、何だって言うんだ」
カトリナは調子を取り戻すように、こほんと咳払いする。
しかし、どこかに詰まったのか、何度も咳き込む形となってしまっていた。
見ていられずにクラードは彼女の背中をさする。
「何をやっているんだ、あんたは」
「す、すいません……。慣れていなくって……。私、その……自分の気持ちに正直になる事を、避けて来たんだと思います」
「避けて来たって……」
「わ、私……っ! 私は……あなたの委任担当官っ! そして……その、クラードさんを最後まで……見届ける義務とか権利とか……その他諸々っ! 色々ありますけれどでも……っ! 今言いたいのはそんな事じゃなくって!」
「何でわざわざ回り道するような事を言ってるの」
「そ、それはぁー……こうして面と向かってその……自分の気持ちを言い切るなんて事……何で皆出来るんだろ……」
視線を右往左往させるカトリナへと、クラードは嘆息一つで言い切っていた。
「……人間は、痛み以外で泣けるって言っていたのは、誰なのか、あんたには言っていなかったな?」
「ふへぇっ? ……ああ、そう言えば、そういう……」
「俺の前任者なんだと。つまり……俺の前の“クラード”だ」
「クラードさんの前の……クラード……?」
「言っていなかったがあんたも知っているはずだ。エージェントの席が空けば、その名を名乗る事が許される。俺の時には、この名前が空席だった。だから名付けられた。ただ戦場を駆け抜けるだけの愚かな子供に、クラードと言う名前の意味を」
「それは……えっと……」
首から下げたドッグタグ一つを握り締め、クラードは言いやる。
「名前は……意味が宿らなければそれはただの音の連なりに過ぎない。だから俺は“クラード”に成った。成るべくして成ったと言われるように、屍を積み上げてでも。俺はエージェント、クラードでなければいけない。そうでない俺に、存在価値はない」
「そ、そんな事……っ! クラードさんは、だってこれまで、私達のために戦ってくれて……一番最前線で、傷ついていたはずですっ! それは……他の人が傷つく怖さを知っているから……だからなんでしょうっ!」
「だから? だから俺は……前に出て、《ダーレッドガンダム》で戦ってきたのか……? 他人が傷つくのなんて所詮は他人事のはず。そんな事で……」
「だってそれは……人は痛み以外で泣けるから、だから……! 痛み以外で泣くために、あなたはずっと……そうやって自分を切り売りして……」
赴くべき戦場は自分で選択してきたつもりだった。
そうすれば、後悔がないのだと。
そうすれば、何かに足を取られてその拍子に転ぶ事もないのだと規定して。
だが自分は――事ここに至って意識した自分自身は――臆病なだけであった。
誰かに死んで欲しくないから、自分が死地に赴く。
誰かに傷ついて欲しくないから、自分が傷ついていく。
それは、弱者の在り方だ。断じて強者の在り方ではない。
「……俺は、こんなにも弱い……。それが分かっていたのか? アルベルト……」
だから、自分にはないものを求めて、アルベルトを突き離せなかったのだろうか。
今となっては答えなんて彷徨うばかりだ。
「アルベルトさんも、三年間エージェントだったんです。きっと……分かっていたんでしょうね。クラードさんの苦しみを。心がどれほど痛いのかを……」
「……心……。力でもない、何でもないそれを……、ただ信じて来られたって言うのか? それがアルベルトの……強さ……」
「クラードさん……。私はその……! クラードさんの事が――!」
『クラード、聞こえている? 今しがた、《サードアルタイル》の予測到来地点が概算されたわ。ここより南方の前線基地、そこに到来しようとしている』
不意打ち気味に接続されたレミアの通信にカトリナが素っ頓狂な声を上げる。
「って、ひやぁ……っ!」
『あら? カトリナさんも一緒? ならちょうどいいわ。カトリナさんはブリーフィングルームまで来てちょうだい。《サードアルタイル》をここで逃がせば、私達の禍根になるのは明白よ。クラードは《ダーレッドガンダム》の調整を』
「ああ、レミア、分かった」
鎧のパイロットスーツを一度脱ぎ捨て、汗に蒸した身体を解放する。
クラードは《ダーレッドガンダム》のコックピットより這い出ていた。
カトリナはどうしてなのだか、顔を真っ赤にさせている。
「……何やってるの。俺達の戦いは、まだ終わっていない。……アルベルトには悪いけれど、今だけは忘れさせてもらう」
「いえ、その……何て言うか……間が悪いんだからなぁ……レミア艦長も」
「何の事だよ。作戦を聞かないと。出せる戦力は限られている。それに、第三の聖獣の脅威ともなれば、世界中が黙っちゃいない」
「そ、それはぁー……。まぁ、言っちゃって恥ずかしい思いするよりかは、いいのかもですけれどぉ……」
「何ぶつくさ言ってのさ」
「知りませんっ! クラードさんは色々と……鈍感だって事ですっ!」
「……久しぶりに見たな、小動物のモノマネするあんた」
そう呟くと、カトリナはより不機嫌になって自分の後ろをついてくる。
今は、これだけでもいい。
寄る辺は、たった一人でも、意味があると言うのならば。