機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第207話「相容れぬ毒」

 

「……何言って……」

 

『幸せですかって、聞いているんです。あなたは、これまでたくさんの人を不幸にしてきました。じゃあ不幸の上に幸福が成り立つって言うんなら、あなたは幸せであるはずですよね? じゃあ、ここまでやって、それは幸福ですか? 幸せに……成れているんですか?』

 

『……カトリナ・シンジョウ! 奴を刺激しては……』

 

『クラードさん。これは私の問いです。私が……聞かなくっちゃいけない問いなんです。クランチ・ディズルさん。私も知っている人を踏みつけにして、誰かの犠牲の上に成り立つ幸福を享受して、ではあなたは本当に、求めていた幸せはそこにあるんですか? それであなたは幸せに成れるんですか?』

 

「何言って……てめぇ、マジにイカレだってのか? 幸福なんて問うまでもねぇ。生きるべくして俺は生きて、死ぬべくして連中は死んでいった! 戦場なんて二極だろうに! 生きるか、死ぬかの二極だ! その両極が受け入れられねぇってんじゃ、それこそそいつは戦争不適格者だろうが!」

 

『……そうですか。じゃあ私は、ずっと戦争不適格者でいい。あなたのように、幸せにも成れず、誰かを不幸にもし切れない、中途半端な人間に成るよりかは、ずっといい』

 

 その言葉はどうしてなのだか、これまでどれほどの戦局であっても苛立ちの一つも浮かべず、そして醒めてしまえばこちらのものであった戦場を掻き乱すのに――充分な効力を発揮していた。

 

「……てめぇ、俺が不幸だって言いてぇのか」

 

『いいえ。あなたは間違いようもなく、自分で思い知っているはずです。幸福でも、不幸でもない。あなたはそのどっちにも、資格なんてない……っ! どちらにも成れないんですっ! なら、あなたが……クラードさんを愚弄するなんてあり得ない……っ!』

 

『……カトリナ・シンジョウ……』

 

『だってクラードさんは! 全てを取り戻そうと戦っている! 必死に、戦っているんですっ! たとえ戻れなくなろうとも、必死になって……しゃにむに手を伸ばすんならきっと、その手に掴めるものを信じているんですからっ! あなたとは……違う……!』

 

 途端、クランチが感じたのは殺意でも何でもない。

 

 これは――不快感だ。

 

 侮辱でも、ましてや知った風な口を叩かれたわけでもない。

 

 ただ純粋に、自分という個が、目の前の非武装に近い《オムニブス》一個相手に――突き崩されていた。

 

 崩されてはいけない論理を。

 

 崩してはいけない論理で。

 

 それは戦争屋、全ての人間を超えた先に居るはずの、クランチ・ディズルの生存を脅かす。

 

 これまでどれだけの硝煙も。

 

 どれだけの非人道的な武装も。

 

 どれだけの戦場も掻い潜って来たクランチは、その一個だけは我慢出来なかった。否、看過してはいけなかったのだろう。

 

 己の中の何かが叫ぶ。

 

 ――奴を殺せ、と。

 

 尊厳を叩き潰せ。

 

 その論理を破綻させろ。

 

 命と血と、そして臓物の腐臭でもって。

 

 ――喰らい尽くせ。

 

「……てめぇ……」

 

《オムニブス》を睨み据える。

 

 照準器の中心に捉えた敵機へと、クランチは雄叫びを上げて飛びかかっていた。

 

 憤怒でもない。

 

 悲嘆でもない。

 

 ただ――お互いがお互いの存在を、許し合えないだけだ。

 

 そういった遭遇が存在する。

 

 そういった邂逅もある。

 

 だから、壊さなければいけない。

 

 壊し、貶め、その論理を犯し、その頭蓋に漂う夢物語を粉砕せよ。

 

 そうでなくては、クランチ・ディズルという個がこれまで積み上げてきた戦場は。

 

 これまで積み上げてきた骸の数々は。

 

 自分を否定する。

 

 自分を判定する。

 

 自分を――殺されるまでもなかった人間であったと、規定する。

 

 運がよくて生き延びたのではない。

 

 強くって生き永らえたのでもない。

 

 誰よりも狡猾で生存を勝ち取ったのでさえもない。

 

 カトリナとやらの論調を飲み込めば、一度飲み干せば。一度でもそれを許せば。

 

 ――自分は、死ぬ程度の価値もなかったのだと、理解出来てしまう。

 

《ヴォルカヌス》がミラーヘッドメギドを発現させる。

 

 赤銅の幻像が構築され、無数の大剣へとアンカーを接続させ、幾何学の軌道を描かせる。

 

 前に出た《ダーレッドガンダム》が呼応するようにミラーヘッドの蒼い分身体を編み出し、その右腕の武装を叩き上げていた。

 

 大剣とぶつかり合った赤と蒼が、それぞれの機体を照り輝かせる。

 

「……ふざけるな……ふざけるな、この戦争不適合者が! 死ぬまでもなかっただと? 殺されるまでもなかっただと? そんなちゃちな理論で俺が生き延びたって言うのか! ふざけるんじゃねぇ!」

 

『……そうやって力で相手を否定する事こそが、その証明なのだと何故理解出来ない』

 

「黙れよ! てめぇは俺と同じだろうが! 俺と同じ、戦争中毒者なんだろうが! 戦いがないとやっていけねぇ、張り合いがねぇから戦っている! 分かるぜ、その苦悩! もし、この世から戦いを取り上げられたら、どうやって生きて行けばいいんだか、分からんねぇんだろ! だから、こうして最上の力だけを手に入れて舞い戻った! 俺とてめぇは、同類だ!」

 

『……だとしても……!』

 

『違いますっ! クラードさんは、あなたなんかとは、違う! クラードさんは、誓いを! 約束を果たしてくれるために戦ってくれているんです! 何もないあなたとは……絶対に違う!』

 

「その嘗めた口を閉じろよ、アマァ! 縫い付けて全てを後悔させながらぶち殺してやる! ああ、そうさ……この来英歴で! 戦いなしじゃ生きていけねぇヤツばっかりだ。だからてめぇらは剣を取るんだろうが! だから銃を取るんだろうが! その理由付けに高尚なもんをぶら下げたって、透けて見えるって言ってんだよ、クソッタレが!」

 

『それでも……っ! クラードさんは、私の……私の大事な人なんですっ! あなたに、殺させやしない……!』

 

 途端、クランチは殺意の波が凪いでいくのを感じていた。

 

 それも当然だ。

 

 目障りな虫を殺すのにいちいち殺意なんて浮かべてはいられるか。

 

 萎えた瞳で、《オムニブス》へと剣筋の一斉掃射を照準する。

 

「うぜぇ、死ね」

 

 全方位からのミラーヘッドメギドの一斉掃射――回避する術はない。

 

《オムニブス》は直後には己の愚かな言葉を後悔するよりも先に、剣に貫かれて絶命するであろう。

 

 思えば、カトリナとやらの言葉はどれも耳障りだ。

 

 幸せなるだと。不幸とは違うだと。

 

 そんなものが許されていいのは生まれたての赤子くらいなものだろう。

 

 野生の世界において、生まれて数秒の時しか経っていない赤子であったとしても、生殺与奪を迫られる。

 

 時には、目に映った者を親だと誤認して。

 

 時には、即座に戦えるように生まれ落ちたその時から立つ事を覚え。

 

 そうやって野生の世界では、本能だけが意味を成す世界では成り立ってきた。そうしなければ滅んでしまうからだ。

 

 そうしなければ、捕食者に喰われるだけだ。

 

 尊厳もない。

 

 慈悲もない。

 

 ただ、喰い尽くされ、奪い尽くされるだけ。

 

 自分は、野生の捕食者だ。

 

 自分は、理性の簒奪者だ。

 

 自分は――獣だ。

 

 そうだと規定したその時から、もう既に獣としてしか生きられないのだ。

 

「……ぬくぬくと養殖の世界しか知らねぇクセに、野性を否定する言葉を吐くんじゃねぇよ」

 

 だがその野性の牙は。

 

 自らの存在を賭した本能の剣は――全て叩き落とされていた。

 

 その鉤爪に本能を宿した七番目の獣によって。

 

『……俺はお前の理論のほうが、まかり取っているようにも聞こえる』

 

「そうだろうさ。俺とてめぇは同じなんだからな」

 

『……だがな、俺にはこいつの……カトリナ・シンジョウの掲げる耳触りがいいだけの言葉を……信じたくなった。それがヒトとして生きるという事なら。俺が獣にならず、彼岸にも行かず、この世界で踏み止まる……たった一つの理由になるのなら――俺は、甘ったるい養殖の世界でも、構わない。野生の世界だけでは、ヒトはきっと、幸せには成れないのだろう』

 

「……ああ、何でだ。てめぇは分かっているはずだろう。本能の部分で。そんな甘ったるい言葉を信じたって、何にもいい事はねぇ。俺と同じだ。力だけを信じろ。本能の世界で生きる事のほうが心地いいはずだろうに」

 

『……かもな。だが俺は――まだヒトでありたい』

 

 それは在り得ざるはずの――裏切りの言葉であった。

 

 相対して、殺し合い、否定し合う事こそが、互いの存在証明であったはずの無二の存在からの、背信行為。

 

 背を向けたのは相手が先だ。

 

 殺すまでもない、と。

 

 牙を突き立て合い、野性を曝け出すまでもないのだと。

 

 そう規定されてしまえば、戦場は醒め行く。

 

 自分一人が躍起になって何人殺そうが、何億人を虐殺しようが同じ事だ。

 

 自分の生は結果論でしかなく。

 

 自分の死は価値を見失う。

 

 ただ立ち尽くすのみの紅蓮の炎の中で、煉獄未満の戦場を歩み抜くだけ。

 

 ――孤独の、戦場――。

 

 途端、クランチの理性は弾け飛んでいた。

 

 これまで抑制していた自我が、集約していた戦いへの本能が、全て焼け落ちる。

 

 融け落ちる。

 

 それは無意味なのだと、同じ境遇の人間にさえも、憐憫の情を浮かべられ。

 

《ヴォルカヌス》が駆け抜けていた。

 

 その疾走は世界への不和を帯びて。

 

《オムニブス》を、そこに位置する自分の否定者を、確実に葬らなければ。

 

 そうでなければ、自分は自分の意義を見失ったまま、この世界で喰らい合いだけを信じて、戦うしかない。

 

 ある意味では、これまで通り。

 

 ある意味では、これまでとは違う。

 

「……てめぇだけは、ここで殺す……!」

 

《ヴォルカヌス》の振りかぶった大剣を、《ダーレッドガンダム》が双剣で弾き返していた。

 

「……退けよ。てめぇだってこの世に居ちゃ、いけねぇって言われたようなもんだろうが」

 

『……かもな。だが俺は、委任担当官を信じる。信じて……いかなければいけない』

 

「その信じたヤツにこっぴどく裏切られるさ! てめぇだって俺と似たようなもんだ! 信じた先から裏切りが生じるんなら、最初から信じないほうがいいだろうに!」

 

『……誰に信を置くのかは俺が決める。たとえどれだけ裏切られようとも、信を置く人間だけは、俺の……魂が決める』

 

「魂なんざ! 有機伝導施術とライドマトリクサーでどうこうなっちまう脳の電気信号だろうに!」

 

《ダーレッドガンダム》を包囲し、ミラーヘッドメギドの分身体が襲いかかる。

 

 それを敵機は鉤爪に滾らせた黒白の殺意で引き裂いていた。

 

 赤銅色の分身体を斬り裂くのは、この世ならざる幻想の殺気。

 

 その爪が太刀筋を押し返し、分身体を斜に斬り伏せていた。

 

「……俺のミラーヘッドに干渉するだと……」

 

 逆流してきたミラーヘッドのダメージに、クランチは《ヴォルカヌス》から《オムニブス》に収まった人間を視野に入れる。

 

 怨嗟の色で濁った視界で、《オムニブス》のパイロットはそれでも自分を強く見据えているのが伝わった。

 

「……気に食わねぇな、その眼差し……!」

 

《ダーレッドガンダム》が鉤爪の蒼い残滓を棚引かせるが、その時には離脱挙動に入っていた。

 

 これ以上の喰い合いの旨味はなし――そう判断したのは何も間違いではないはずだ。

 

 間違いではないはずなのに……。

 

「……クソがッ! ……これじゃ敗走って言うんだよ。許さねぇ……あの《オムニブス》に乗っていたクソアマ……カトリナ・シンジョウ……」

 

『クランチ・ディズル、《シクススプロキオンハーツ》を残しての空間跳躍、一体何が起こったのか』

 

 ダーレットチルドレンの声に、クランチは怒りを湛えてコックピットの一角を殴り据える。

 

「うるせぇぞ! ……戦場の外から覗き込むしか能のねぇ、腰抜け共が!」

 

『我々はその特権を得ているのでね』

 

『あまり深入りするな。《セブンスベテルギウス》はイレギュラーだ。近づけばそちらにも思わぬ損耗があるだろう』

 

「……そういや、あの機体。ダレトを開きやがったように見えたが……」

 

『空間跳躍、そして位相空間を接続する。どれもこれも、この来英歴には過ぎたる技術だ。我々が打ち止めにしなければいけない』

 

『それに、貴様は第六の使者の心臓を捨て置いた。あれを解析されればまずいぞ。この次元宇宙の人類に余計な知恵を授けてしまう』

 

「……てめぇらが心配するのは聖獣を奪われないかどうかって話かい。第六の聖獣の心臓部は大地に食い込んでる。そう易々と回収は出来ないはずだが」

 

『回収されなくとも、あれが存在するだけで相当にこちらへの不利益に繋がる』

 

『左様。公にはあれは三年前の月軌道決戦で破壊されたと発表されているのだ。どの陣営が手に入れてもこちらには不利益に繋がる』

 

「存在しないはずの聖獣ってワケか。まぁ、俺も死んでいるようなもんだがな」

 

『クランチ・ディズル。しかし第三の聖獣を仕留めたのはよくやってくれたとも』

 

『既に回収班を向かわせているが、聖獣の一角が墜ちたとなれば彼の者達の行動も変わってくるはず。牽制になったのは有効だろう』

 

 牽制、自分の意味はそんな矮小なものに集約されるというのか。

 

 だが、今ダーレットチルドレンに歯向かったところでただ食い潰されるだけだ。

 

 クランチは少しばかり醒めた思考回路で煙草をくわえていた。

 

 火を点ける段になって、憎悪が身を染めかねない。

 

 ようやく点いた火は小さいが、それでも地獄の炎と同じ質を保っていた。

 

 紫煙をくゆらせ、クランチは怒りの標的を定める。

 

「……今度遭遇すればただじゃおかねぇ……カトリナ・シンジョウ……あれは俺のこれまでの戦いに、唾を吐きやがった……!」

 

 パッケージを握り締め、手の中で煙草が折れ曲がっていた。

 

 

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