「艦長! 騎屍兵団は帰投ルートへと……艦長?」
ピアーナを振り仰いだブリッジの人々の視線に、熱を帯びた意識を振り払う。
「……いえ、何でも。……まったく、無茶をするものです」
「先の不明機と照合結果は一致。ですが、何が起こったと言うのでしょう。万華鏡を……一機体が撃墜したように……」
「実際、その通りであったのでしょうね。王族親衛隊は?」
「別ルートを辿っているようです。ばつが悪いと言うのはさしもの厚顔無恥な者達でも分かっている、と見るべきでしょうか?」
「あるいはこの局面はまだ戦闘継続の只中にあるとでも……いえ、実際のところは分かりません。《ネクロレヴォル》隊へと格納デッキを開いてください。トゥエルヴが……命を賭したのは見て分かったでしょう」
アステロイドジェネレーターの収縮爆発がなければ《ラクリモサ》撃墜は得られなかっただろう。
しかし、その代償のように光背によって飛翔する第三の聖獣が粉塵の空に屹立する。
「……仕損じた責任はある、と思っていいでしょうね」
「ですが、本社の意向では《サードアルタイル》の鹵獲は急務です。モルガンとしての動きに間違いはなかった。……せめてそう信じたいですよ」
「そうですわね……。そう信じられれば、どれほどにいいか……」
「艦長? お疲れですか」
「……少し。自室に戻ります。作戦指示は二十分後に先送りに。それでも構わないと、言ってくれるかどうかは分かりませんが」
「騎屍兵団だって艦長の意見を聞かずに出る向こう見ずばかりじゃないでしょう。彼らも兵士です。何に従えばいいかくらいは見えているはずですよ」
何に従えばいいか――それが最も見えていないのは自分自身だ。
心に従うのならば、アルベルトと共に半身を引き写した《アルキュミアヴィラーゴ》の生存を喜ぶべきであったのだろうが、自分には責任がある。
――曰く、生き残った責任。
――曰く、死に損なった責任。
「……どうあったって、艦長職は囚われる。貴女の気苦労が少しは分かった気がしますよ、レミア・フロイト艦長……」
そう呟いてブリッジを後にしたピアーナは自室に赴く道中で思わぬ人物と遭遇していた。
「……大丈夫ですか? だいぶ、具合悪そうですけれど……」
「クラビア中尉、戦闘待機です……よ」
「騎屍兵団の連中が先走って出撃したせいで俺の機体は後回しですって。……って言うか、それより、顔色も悪いですし……何かあったんで?」
「……貴方が介入していい事柄ではありません。これはわたくし自身の咎のようなもの……」
「いやいや、格好つけないでくださいよ。……艦長と俺、もう共犯関係みたいなもんでしょ?」
ジオと王族親衛隊の目論みを探っているのだ。
本社からしてみても、まして彼らからしてみてもイレギュラーだろう。
「……そう、ですわね。まったく、貴方と言う人は……」
よろめいた自分を慌ててダイキが受け止める。
「危ねぇ! ……本当、何やったんですか。まるで同じ戦場に出たみたいな損耗具合ですよ」
「……ここでは気取られます」
「はいはい、それは分かっていますけれどね。……具合の悪い婦女子を運ぶのに、いちいち了承が要りますか」
「……思ったよりも紳士ですのね」
「それはどうも。……って言うか、何だよ。紳士だと思われてなかったのかよ……」
どうやらダイキの不満はそこらしく、ピアーナは少しばかりこの状況下で救われるものを感じていた。
艦長室に戻るなり、電算椅子に座ろうとするのを、ダイキが首を横に振る。
「駄目ですよ。あれ、艦長と本社が無理やり同期しているんでしょう? そんな顔をした艦長を座らせられません」
「……上官命令でも、ですか」
「今まで散々、跳ねっ返りって言われてきたクチです。始末書の一枚や二枚くらいなら喜んで書きますよ」
ピアーナは壁に背を預け、ゆっくりと座り込む。
「……少し……状況が複雑になって来たようですわね」
呼吸が荒い。想定以上に、自分自身を分割してアイリウム化するのは損耗となっていたようだ。
「大丈夫ですか? どう見ても具合悪そうですけれど。何なら医務室に――」
「大丈夫です。それにわたくしは、全身ライドマトリクサー。調整次第でどうとでもなります」
こちらの目線を汲んでダイキは言葉を仕舞う。
最早、このモルガンにおいてどこを取っても自由ではない。
先の《アルキュミアヴィラーゴ》の識別信号を受諾したエンデュランス・フラクタル本社は恐らく視察を差し向けて来るか、あるいは自分のデータ上の抹消を仕掛けてくる事だろう。
後者のほうが現実味を帯びているのは、全身を機械に冒された自分という存在そのものへの罰のように思われた。
「……ここで椅子にも座らず、話すのが一番安全、って事ですか」
「貴方は理解だけは素早く、機転が利く。わたくしがこの艦長室に戻れるのは、恐らくもう二度とない機会でしょうね」
「分かりません……どうして艦長はそこまで? ……俺、さっきの不明機、知ってるんですよ。《アルキュミア》って名称だったはずです」
「ではわたくしの差し金だとして、貴方はどうします。わたくしを撃ちますか。ダイキ・クラビア中尉」
黄金の瞳を向けた自分に、ダイキは赤髪を掻いて、煩わしげに声にする。
「ああ、もうっ! 何だって誰も彼も、そんなギリギリのラインで戦ってるんですか! ……少しは俺を信用してくださいよ。そうじゃないと、困るのは艦長のほうでしょう?」
「わたくしが信用するとも限らないのに?」
「それでも、です。何よりも、俺、そんな風に無理する女子ってのは、見ていられないんですよ。……カトリナも、そんなでしたから」
ダイキの口からカトリナの名前が出たのはそう言えば初めてかもしれない。
データ上は二人が幼馴染であった事は承知していたが、実際に語られるとは思っても見ない。
「……カトリナ様……いいえ、カトリナ・シンジョウと、貴方が?」
「まぁ、腐れ縁って奴で。家が近かったのもあるんですがね、あいつとは顔を合わせる度に、なんつーか、喧嘩です」
「喧嘩……仲が良かったのでは……?」
「とんでもない! ……って言うか、知っておられるんですね。まぁ驚きませんけれど。元々、あいつ、エンデュランス・フラクタルに入社するんだって息巻いていましたから。どこかで接触があったんでしょうし」
ピアーナはばつが悪そうに視線を背ける。
どこか彼らの思い出に無遠慮に分け入ったようで居心地が悪かったのもあった。
「……仲が、悪かったのですか?」
「幼馴染なんてそんなもんですよ。顔を合わせると何かと、色々ありました。聞いておいでかもしれませんが、俺は戦災孤児だったので、カトリナとは近所って言っても、引き取られた先の家での、って話ですが」
「……生家ではない、という事ですか」
「まぁ、そんなところです。カトリナの奴は、結構ぶきっちょでしてね。クラスで俺がいじめられていると、まぁ女だてらに割り込んでって……そんで割を食っていましたね。いじめられていたんですよ、あいつも」
「……カトリナ様が……?」
どうしてなのだろう。
出会ってからの印象でしかないが、彼女がいじめられていたなど想像もつかない。
むしろ、そのような事態とは正反対の場所で、ぬくぬくと生きてきたような感覚を見受けていた。
この世の悪の部分からは切り離され、善性だけを浴びて成長したのだと。
「……あいつ、馬鹿なんです」
「それは……何となく分かりますけれど」
「でしょ? ……馬鹿正直に、自分は間違っていないって。そんでもって、俺の味方をしてくれるかって言うと、そうでもないんですよ。ダイキはもっと強くなりなさいって、お前は俺のオカンかよって言う。……まぁ、母親の記憶なんてほとんどないんですがね。ってすいません、これは笑えませんね」
ダイキはゆっくりと、それでいて確かな論調でカトリナとの思い出を紡いでくれているようであった。
「……わたくしはお二人がその……恋人の関係にあったのかと」
「恋人? ……うーん、それは違うかな。って言っても、あいつの周りって結構、異常だったんです。友達、少ないんですよ、あいつ」
「……あれだけ明るくても、ですか?」
「逆です。底抜けに明るくて底抜けに真正面から物事を見ちゃうような人間ってのは、疎まれるんですよ。表面上の友人関係は多かったでしょうね、それこそ。グループディスカッションとか得意そうでしたし、初対面の相手とでもすぐに打ち解けられるような人材でしたから。でも、俺はミドルスクールからずっと、あいつの事を見ていて……それで大学で首席になったところまで見届けましたけれど、その真正面さって仇になっていたって言うか……。人間って表向き言っている事が正しくっても、裏じゃどうとでも言っちゃえる生き物じゃないですか。何度か……あいつメインのいざこざとかも聞きました。俺は大学は途中で抜けて、トライアウトの防衛学校のほうに入隊しましたけれど、それまでのあいつって、とにかく努力家なんです。人前で泣き言を言わない、他人に対しては優しくあろうとする……模範みたいな人格で」
「……それはわたくしも感じました。カトリナ様は……太陽のようなお方だと」
「でも、それで好かれるかって言えばそうでもない。模範みたいな人生ってのは、普通に嫌われますよ。何でもっと上手くやらないんだって、何度か思いました。あいつにとって一番近いのが俺だっただけの話なんでしょうけれど、陥れてやろうみたいな事も、聞いたのだって一回や二回じゃありません」
「……中尉は、カトリナ様の事が嫌いだったのですか」
「……もうガキじゃないんですから、本音で言いますね。艦長の事、信頼していますし。……好きだったっすよ、真面目なところでは。でも、俺には力がなかった。ずっと、夢想みたいな事ばっかり言ってるカトリナに、馬鹿だな、こう生きろよだとか、もっと上手い生き方がこの世にはあるぞだとか、そういう事を言うと大抵喧嘩です。それでも、曲げなかったからこそ、あいつはあの場に居るんでしょうね。……何度か聞かされませんでしたか? 絶対、幸せに成るんだって」
「それは……まるでカトリナ様の精神的支柱のような格言でしたが……」
「あれ、ずっと言ってるんです。自分でも他人でもお構いなし。そりゃあまぁ、ハブかれちゃいますよね。俺はあいつの、そういうところが嫌いでしたし、疎ましかったですけれど……他の大人だとか少し世の中知った風になっている同世代が言う、リアルだとかよりもずっと、眩しい代物でした。……だから、ああ、好きだったんだなって……離れちゃって分かるんですよね。馬鹿でしょ、俺って」
それは自分には無縁のような情景であった。
誰かを好きになる――それは同時に、誰かの悪名や裏面も覗き見る事なのだろう。その時に幻滅しないかどうかを確かめるのに、普通は皆必死になるのだ。
憧れや、希望に糊塗された表層を人は好きになる。
だがその向こう側にある本性を、では知った上で、それを眩しいと評せるのは、本心から他者を愛せた事のある「人間」の特権なのだろう。
とうの昔にそれを放棄している自分は、ではどうしてカトリナに惹かれたのか。
「……羨ましかったんでしょうね、わたくしはきっと……」
確率論を無視した感情論。
概算すればすぐに分かる現象を、それでも体当たりで向かっていく胆力。
そして――笑えば華のように麗しい。
微笑み一つ知らない鋼鉄の身であっても、太陽に触れれば少しはぬくもりを思い出す。
きっと、求め続けていたのだ。
絶対の極寒に囚われ、長い年月を常闇へと投げ続けてきた己には、彼女の生き様そのものが。
だから、この胸に芽吹いたのは、闇に咲く花の感情でしかない。
「……もっと明るいところへ、眩い場所へとわたくしは……ずっと行きたかった……」
「リクレンツィア艦長。これを」
ハンカチを差し出される。
馬鹿馬鹿しい、と一蹴しようとして顎を伝い落ちた滴を感じ取っていた。
「……わたくしにも……まだ……」
「リクレンツィア艦長。俺はカトリナとたとえ敵対するとしても、自分の心以上に、今仕えるべき人に従います。そして、この艦の責任者は、あなただ」
ハンカチを手に取り、ピアーナはダイキの手を取る。
「……電算椅子に座ってしまえば、わたくしの意思はもうないも同然です。エンデュランス・フラクタル本社の意のままにでしょう」
「じゃあ、護らせてくださいよ。他の何者でもない、俺達は共犯関係なんですから」
そうだ、王族親衛隊に勝てるわけでもなければ、この世界のうねりに抗い切れるわけでもない。
それでも――たった二人ならば。
否、二人で居られるのならば。
「……ダイキ・クラビア中尉。わたくしはエンデュランス・フラクタルの所有物。モルガンを任せられている存在です。貴方は所詮、一兵卒でしかない。そんな貴方に守れますか」
「守れるかどうかを問うよりも、護りたいって言う気持ちが大事じゃないですか」
そう勝気に笑ってみせるこの青年は本当に、どこまで愚直なのだ。
カトリナの事も、騎屍兵の事も、そして自分の事まで背負い込もうとしている。
その果てに待っているのが破滅であろうとも、彼の実直さに救われる人間も居るのだろう。
カトリナがダイキの事を悪く言わなかったのが、今になってよく分かるとは思いもしない。
涙を拭って、ピアーナは改めて艦長としての双眸を向ける。
「……わたくしはそんなに、頼りないと言うのですか」
「俺は護りたいと願った人のために動くのみです。それが誰であろうと関係ない、そうでしょう?」
「……本当に、貴方と言う人間は……。言っておきますが」
「はい、何とでも」
呼吸一つ挟んで、ピアーナは言い置く。
「……わたくしは年齢的には貴方より年上なので、悪しからず」
その言葉に毒気を抜かれた、とでも言うのだろうか。
ダイキは一つ微笑み、ええ、と了承する。
「存じております。それに、言ってませんでしたか。俺は年上が好みなんです」
これで自分の意志一つ、預けられる人間を得られたか。
軽口でも、今はそれでいい。
ピアーナは身を翻し、電算椅子へと向かっていた。
――分かっている、怖い。
本社のさじ加減一つで、自分の命と気持ちと、そして心は消滅する。
それが何よりも怖いが――今は一人でも。
「……得られた理解を捨て去るのが、ここまで怖いだなんて……」
ダイキはじっと見守ってくれている。
自分の選択に口を挟まないのも、ダイキが自分を一人の女性として見てくれている証明であろう。
電算椅子に深く腰掛け、ピアーナは呼吸をつく。
直後、エンデュランス・フラクタルのデータベースと同期した機械仕掛けの脳髄は、意識と言うものを簡単に消失点の向こう側へと消し去っていた。
こうして同期処理が成される時、ほとんど自分の自由意思という境界線はない。
ピアーナ・リクレンツィアと言う個を尊重される事はなく、モルガンを稼働させる一パーツとして運用されるだけだ。
――この同期処理で、自分という個は消え去るかもしれない。
そう感じた事が一度や二度ではなかった。
しかし、今は――と、瞼を閉じ電流の瀑布が意識を漂白しようとするのを耐え忍ぶ。
ようやく得られた理解。
ようやく得られた朋友。
そして――自分の気持ちを吐露しても、同じ目線に立ってくれる人よ。
カトリナ以外にそんな人間は不要だと、ベアトリーチェ時代には判じていた。
彼女だけが、自分を助け、この地獄のような現世から解放してくれるのだと。
だが、運命は残酷に、そして感情を処理するような暇もなく、カトリナを敵とした。
だから、自分はモルガンと生き死にを共にするのだと信じ込んでいた。
この艦が墜ちる時は自分の死に時。
しかし、自分の死はモルガンが轟沈する時とイコールではない。
自分の代わりなど、エンデュランス・フラクタルはいくらでも用意出来るようになっているだろう。
この三年間がその証左であった。
恐らくは、本社はもっと仄暗い闇を抱えている。
それに気づくまいと思っていても、目を逸らしていても、いずれは闇に呑まれるのが必定。
ならば、せめて幸福な夢だけを、見ていたいではないか。
ピアーナの唇からこの時、電算処理が成される中で、声が漏れていた。
「……ああ、こんな一生なら、それはきっと夢のような……」
次の瞬間には掻き消えているかもしれない、些末事。
それでも、運命を共にしてくれる人間が、もう一人現れてくれてよかった。
――生きていて、よかったのだろう。
暗礁の宇宙を掻いて、幾百の夜を超えて生存に縋り付いた先に、理解者を得られたのだとするのならば。
それはきっと、優しい「ユメ」だ。
なら、自分はきっと安堵して、夢の中に堕ちていける。
それが二度と目覚める事のない、悪夢の淵であったとしても。
「……いい夢を、見られるように……」
意識を手離そうとした、直前。
電算椅子より、ピアーナは引き剥がされていた。
同期処理がエラーを起こし、エンデュランス・フラクタルのデータベース更新が滞る。
抱き留めた体温を感じ取ったその時には、銃声が劈いていた。
電算椅子を撃ち抜いたのは軍人の相貌のダイキである。
「……クラビア中尉……」
「……やっぱ駄目だ。駄目なんです、俺……。カトリナの時には見て見ぬ振りが出来た。上手く……生きて来られたはずなんです。でも、二度も三度も……大事な人が届かない場所に行っちまうのを、容認したら、それは男じゃないって言うんですよ」
エラー情報のポップアップが浮かび上がるのを、ダイキは正確無比に銃撃する。
「……いいのですか。貴方はこれでエンデュランス・フラクタルからも追われる身ですよ」
「いえ、構いません。しかし……艦長室でリクレンツィア艦長と何をしていた、と問われれば、言い訳は出来ませんね」
頬を掻くダイキに、ピアーナはぷっと吹き出す。
――ああ、三年間、久しく忘れていた感情が。
「しかし、この艦はエンデュランス・フラクタルの物です。統合機構軍が内側からの背信者を許すとも思えません」
「じゃあ、高跳びでもしますか。お供しますよ、リクレンツィア艦長」
どこまでも、冗談のような物言いで、彼は本気の言葉を言ってのける。