既に行動権限は一般レベルまで下がっているはずだったが、それでも自分の居場所はここだとでも言うように、ゴースト、スリーは自傷防止処置が成された部屋で蹲っていた。
雪化粧のような真っ白な髪と、ぞっとするような美貌は損なわれていない。
まさに、亡霊。
行き会えば、その直後には死の淵へと落とし込まれるだろう。
薄紫の瞳を向け、スリーは声にする。
「私の処遇でも決まったのか」
「ああ、一応はね。アルベルト君、いいかな」
声をかけたのは自分の口から言うべきなのだと、ヴィルヘルムが判断したからだろう。
「騎屍兵の……その、あんたには次の作戦にも継続して参加してもらいたい」
「そうでなければ鹵獲した《ネクロレヴォル》を破壊でもするか」
「……いや、そうじゃねぇ。……そうじゃねぇはずだ」
「アルベルト君?」
疑問を発したヴィルヘルムに、アルベルトはきつく瞑目した後に声にしていた。
「……騎屍兵の、あんたの同僚に会った。オレの仲間だったヤツの顔をしていた」
「死の隊列は時に行き会う者にとって最も邪悪な顔を取る。そういうものだ」
きっとこれまでならば信じられなかっただろう。
だが、二度も目にしたのならば、それは最早逃れられない現実そのものだ。
「……トキサダを、オレは助け出したい。手ぇ貸してくれ」
「トキサダと言うのが我々の一員であったのならば、彼はこう言ったはずだ。もう迷わない、とでも」
騎屍兵の生き方を、彼女は強制されたでもなくその身に馴染ませている。
きっと、そうでしか生きていけなかった――否、死に切れなかったのだ。
死者として現世を闊歩するのには、まともな状況判断は邪魔になる。
だから、こうも切り詰めた声で自分を拒絶するのだろう。
――トキサダがそうであったように。
「……だが、オレだってもう、迷いは捨てた。トキサダを……オレの我儘でもいい、もう一度仲間にする。そのためなら手段は選ばねぇ」
「アルベルト君、しかしそれは……」
「私の力を借りてでも、か? 忌まわしい亡者の手だぞ、これは」
そうなのかもしれない。
地球圏の統制を行ってきた騎屍兵の一角だ。
彼女にも矜持があるはず。
だが――そんなもの知った事か。
「……オレは自分の信念に殉ずるだけだ。信念のためなら死んでもいい」
先ほどシャルティアにかけた言葉とは正反対になるが、その覚悟は胸にあった。
自分をこれ以上騙して、生きていたくないだけなのだ。
「アルベルト君は一度、死の淵を経験している。だからこそ、言えるのだろう。どうだろうか、ゴースト、スリー。君の戦力があれば、盤石だと、このアイリウムが言っている」
『“聖獣、《サードアルタイル》と騎屍兵、《ネクロレヴォル》があれば、わたくしの提唱した作戦は完璧です。どこにも隙なんてありません!”』
ふふんと胸を反らしたマテリアに、スリーは奇異なものを見る目を向けていた。
「……よく喋るアイリウムだ」
『“そちらこそ、思ったよりもお喋りだったのですね、騎屍兵と言うのは。わたくしのオリジナルとはそんなに会話ログはなかったですよ?”』
「……リクレンツィア艦長のアイリウムか?」
ようやくその段になって繋がりが見えたのだろう。
スリーは、なるほどと承服する。
「あの人も今の体制には疑問があるわけか」
「ピアーナがアルベルト君に預けたんだ。彼女もエンデュランス・フラクタルに従うだけの人間じゃない」
「抗いを、か。しかしその結果、何も残らないかもしれない。騎屍兵に何を求めると言うんだ。もう死んだものとして扱われる人々だぞ? 彼らが何を見て、何を感じて、戦地を統制して回っていたのか、生者であるそちらに分かるとは思えない」
「分かろうと思ってるんじゃねぇ。オレだってトキサダの痛みまでは背負えねぇだろうさ。だがな、これだけは言える。――あいつは副長で、オレがヘッドだ。凱空龍で交わした盃、嘗めるんじゃねぇ」
今日この日に至るまで、三年間、封殺し続けた思いであった。
凱空龍の名を自分の口で語るのは、死ぬ直前で構わない――そう規定していたアルベルトは、少しでも希望が見えたのならば、と。
何故ならば、その希望が目の前にあるのだ。
ならば手を伸ばさないほうがどうかしているだろう。
「……理解出来ない。そんなもの、脆く崩れるだけの代物だ。生前の事など、我々は皆、忘れている」
「だったら、ゲンコツで思い出させるまでだ。それが凱空龍の在り方なんだからよ」
ヴィルヘルムは暫しの沈黙の後に、スリーへと提案していた。
「どうだろうか。アルベルト君が前衛、君が後衛、その立ち位置だけはハッキリさせている」
「後ろから撃ててもいいと言うのか」
「撃てるものなら、撃ってみやがれ。オレはもう死なねぇよ」
スリーの透明度の高い瞳と向かい合う。
マイナス百度の煌めきを持つスリーの視線と交錯したのも一瞬、彼女は瞑目していた。
「……言っても聞かない性質だ。応じよう」
「感謝する、これは、型式だが」
握手を求めたヴィルヘルムに、スリーは自分へと向き直る。
「……こっちが礼儀だ」
「お、オレ……?」
差し出された白磁の指先に、アルベルトは戸惑ってしまう。
「なるほど、確かに。君を説得したのはアルベルト君だ。ならば、それが流儀だろう」
「いや、でもヴィルヘルム先生……それってのは……」
「前を任せる。私は後ろだ、その明瞭な部分だけでも間違えなければいい」
断言され、アルベルトは手を握り返す。
しなやかだが、それでも人間のぬくもりがある手であった。
「……ああ、頼むぜ、その、ゴースト、スリー――」
「シズク、だ。もしもの時に呼びにくい呼称では困るだろう。ここでは皆、名前を名乗っている。ならばその流儀に従おう」
「シズク……」
「――シズク・エトランジェ。私の生前の名だ」
そう名乗ってくれたと言う事は信じてくれたと言う証なのだろうか。
それとも、一時的な協定に持ち込むだけの、ただの記号だとでも言いたいのだろうか。
いずれにせよ、アルベルトにとっては大事な名前であった。
「……ああ。オレも背中を任せるんだ、名前があったほうがいい。頼んだぜ、シズク」
呼ぶと、スリーは――シズクは少し戸惑ったように瞠目する。
「どうした? 発音が変だったか?」
「いや……こんな事も、あるのだな。死んだはずの身で、もう一度、誰かの口から自分の名を聞くなんて……」
アルベルトは指摘しなかったが、この時のシズクは傍目にも――まるで死者だとは思えなかった。
人がそうするように、少し照れたのが、窺えたからだ。
「……作戦開始は一時間四十分後。既に《ネクロレヴォル》は整備済みだ。君は格納デッキへと赴いて欲しい」
「ああ。……よろしく頼む、お前は……」
「アルベルト・V・リヴェンシュタインだ」
「そうか。ではアルベルト、そちらの作戦指揮下に入る」
その言葉一つで彼女の迷いは振り切れたのが戦士の眼差しで分かる。
アルベルトは一つ頷き、身を翻していた。
扉を潜ったところで、ヴィルヘルムが肘で小突く。
「やるじゃないか。氷の姫君の心を開くなんて」
「そんな大層なもんじゃないですよ。それに……オレもいっぺん、死んだみてぇなもんだ。気持ちは、分かんないでも、なかったですからね」
「しかし、君の言っていた事の次第は重大だぞ。トキサダ君をもう一度、わたし達の仲間に加えるとなると」
「……やっぱりまずかったですかね。断言しちまうのは」
「いや、そのほうが君らしい。……三年前を思い出すな。無鉄砲なだけが取り柄だった、若かりし君達を。わたしのような人間には、君らの行動力は素直に眩しかった」
「よしてくださいよ。そこまで老け込んだわけでもないでしょう」
ヴィルヘルムは煙草に火を点け、いいや、と頭を振っていた。
「老け込んださ、もう随分とね。……未来を切り拓くのは、旧態然とした老人のそれではない。時代は、いつだって若い息吹を求めている」
「何ですか、それ。誰の言葉です」
その問いかけに、ヴィルヘルムは紫煙をたゆたわせ、分かり切っているようにウインクする。
「引用不明、だな」