「ダレトのおこぼれに預かりたい連中は大勢居る」
そう口火を切ったヴィルヘルムに、クラードは何度目かの診察を受けてから、唐突な問いに眉を上げる。
「……何? 急に」
「いや、ライドマトリクサーとしての技術も、そして我が艦が持っているアステロイドジェネレーターの叡智も、全ては月のダレトよりもたらされた恩恵だ。そう思うと、何だかね。全ての生命の決定権をあの大穴が持っているようで」
「実際、そうでしょ。ダレトが出てから、俺達の日常は変わった。……いや、それは変わったと、そう認識しなければ生きていけない者達の逃げ口上だ」
「手厳しいな、クラード。現代科学の申し子たるお前らしくない」
「どうだっていいって話さ。俺は《レヴォル》の下へと向かう。いつも通り、カルテは」
「ああ、サルトル技術顧問と共有。しかし、この艦も狭くなったものだ。宇宙暴走族の連中を入れてから、もう一週間」
「……何かあるの」
「わたしはこれでも有機伝導技師だけではなく、医師としての資格も持っている。メンタルケアもその仕事のうちだ。患者を選んでいてはしかし、医者は立ち行かない」
「……凱空龍の連中はタフさだけが取り柄だろ。それでもなのか?」
「……神に祈る術を持たない荒れくれ者達は想定以上に心は脆い。殊に、宇宙の常闇へと放り出された境遇となればね。同情しないわけでもない」
「薬を処方すればいい。それで連中は満足する」
「ああ、しかし精神点滴も必要なクルーが増えてくれば、フロイト艦長の心労にもなってくるだろう。わたしはこれでも艦長派だからね。彼女のストレスは避けたい」
「そんな事、あんたの仕事じゃない」
「言い切ってしまえばね。だがクラード、覚えておく事だ。この世は何も、断言出来る事だけで回っているわけではないのだと」
「……何が言いたい。あんたらしくない言説だ」
「分かっているとは思うがね。断言すれば終わってしまう事柄だけならば、今君を悩ませている例の事象は存在しないと思うがね」
クラードは僅かに気色ばんでから、冷淡に返答する。
「……そうでもないよ。俺はどっちだっていい。《レヴォル》に乗って、それで戦う。そこにこれまで以上の意味なんてない」
「相変わらずの冷淡さで安心さえもする。しかし――エージェント、クラード。ならば何故、彼らを保護した? かつての合理性が少しばかり薄れたんじゃないのか? これは別段、例のグラッゼ・リヨンの言葉を借りるわけでもないのだがね」
「……俺が弱くなったって?」
「わたしはそうは思わない。かつての……抜き身の刃から少しばかり、人の扱う物になったと言うのは喜ばしい」
「……下手打って鈍くなったって、そういう事だろ、それ」
「これはこれは。わざわざ言葉を弄するまでもなかったかな」
「あんたの性格だ、ヴィルヘルム。俺は、鈍くなったわけでも、ましてや濁ったわけでもない。《レヴォル》に乗ればそれを証明し続けられる。それこそが俺の存在理由だからだ。決して屈する事のない」
「そうか。ならこのベアトリーチェに乗っている限りは安泰かな。特級エージェントのクラードは情にほだされる事なんてない、と」
「何度も言わせるな。俺は、かつてと変わってなんていない」
医務室の扉を開けたところで待ち構えていたであろう人影に、クラードは苛立たしげに後頭部を掻く。
「あの……クラードさん、こっちだって聞いたので……」
「あんた、俺に付き纏って楽しいのか」
「た、楽しいわけないじゃないですか……! でも、仕事なので……」
「ヴィルヘルム、次の定期診断までは時間があるだろ。この人の相手をしてやればいいんじゃないの」
顎でしゃくった相手――カトリナは、自身を指差して不服そうにむくれる。
「こ、この人って……」
「しかしクラード。わたしも彼女の仕事内容は理解しているのでね。邪魔は出来んとも」
「邪魔? それってこういうのを言うんじゃないの」
わざわざ分かりやすく言いやってから、クラードはカトリナの脇を抜けていく。
自分の背へとカトリナが続いたのが振り返らなくっても分かった。
「あの……っ! 私、これが仕事なので!」
「それは聞いた。何、俺の観察日記? 何かそれで給与とか貰えんの?」
「いや……それは……。にしたって、クラードさん、よく壁のグリップ使わずに歩けますね……」
カトリナは書類を抱えながらグリップを片手に移動しているが、自分は常に跳ねるようにして歩行しているため、彼女より前に在る。
「体力がなっていないんだよ。あんた達は。それなのに一端の仕事って言うんだから、笑わせる」
「わ、笑わないでくださいよぉ……」
「笑ってない。なに、そんな事も分かんない?」
カトリナはこちらの対応に対し、憔悴し切ったように息をつく。
「……あのー、クラードさん。私にそんなイジワルして、楽しいんですか?」
「意地悪なんてしていない。あんたが勝手にそう思い込んでいるだけだろ」
「……その言い方がそもそもイジワル……」
「第一、委任担当官って俺に付きっ切りでいいの? 書類とか纏めないといけない身分なんじゃなかったっけ?」
「そ、その書類を書くために、クラードさんに同行しているんじゃないんですかぁ……。昨日も説明しましたよね? 委任担当官はエージェントに対して五時間以上の同行義務があるって……」
「そんな面倒くさいシステムに縋ったって、いい事なんて何一つない。ねぇ、あんた自分で考えるって事しないの? ベアトリーチェ艦内でさ。俺の後ろに馬鹿みたいに付き従うんなら誰だって出来るよ」
「で、出来るからって……それがその、仕事になるとは……」
尻すぼみのカトリナの言葉にクラードは振り向く。
カトリナはグリップに掴まりながらも、荒い呼吸をついて項垂れていた。
その姿にクラードはすっと歩み寄り、その額をさすってやる。
「く、クラードさん……?」
「やっぱし。熱あるじゃん。何でそれなのに仕事してんのさ」
「で、でも……こ、このくらい! 何て事はないんです! 元気だけが取り柄ですのでっ!」
そんなカトリナの発言に対し、クラードはデコピンを浴びせる。
「痛っ……」
「やっぱ、馬鹿なのかな、あんた。自分一人が熱が出ようがどうって事はないけれど、クルー全体の身の安全と天秤にかければ、あんたは寝ていたほうがいいに決まっている。そうじゃなくっても、宇宙の熱病はどう転がるか分からないんだ。ヴィルヘルムのところに行って、薬を貰ってくるといい。ああ、そのついでに物分りの悪い頭に効く薬もね。そっちのほうが大病かも」
こちらの言葉にカトリナは今度は羞恥の念で顔を真っ赤にして、わざわざ鼻息を荒くする。
「そ、そんな……! 言い方……っ!」
「言い方が気に食わないんなら、もうちょっと使えるようになってから言えば? 今の状態じゃ、ただの足手纏いなんだからな」
うー、とわざわざ声にして唸ってみせるカトリナに、クラードは手を振って角を曲がる。
「……いちいち相手にしてやるのも馬鹿らしい……って……」
「あっ! クラード!」
「……ファム。何そのカッコ」
「何ってあんた、これがこの子の艦内の正装。似合うでしょ?」
ファムは拘束服の代わりにもこもことした羊のような服飾を身に纏っている。
「……もしもの時、これじゃ危ないだろ。バーミット、俺が嫌がる事、分かってやってる?」
「よく分かってるじゃない。鼻持ちならないガキなんだからさ、あんたは。どれだけ特級のエージェントって言ったって、年かさには勝てないでしょ」
「……年だけ食っていてよく言う」
「あんた……言葉くらいは選びなさいよー。まったく、何だってこんなのがベアトリーチェのエースなんだって話よ、ホント」
「……変わらないな、バーミット。あんた、つまんなくはないけれどでも、口うるさい」
「そりゃー褒め言葉なのかしらねー? って言っても、あんたそんな事にいちいちかけずらっている場合でもないでしょうに。管制室に居る人間と顔合わせはした? あんたの事だし、《レヴォル》とサルトル技術顧問とヴィルヘルム先生にしか会ってないんでしょ?」
反論したいがその通りであったのでクラードは舌打ちする。
「……聡いばっかりのおばさんが」
「……勘弁してやってるのよ? これでも。あんた、口さがだけはあるからね。ホントは頭をぐりぐりとしてやりたいところなんだけれど、ファムの目の前だし、カッコつかないでしょ?」
「……別にそんな事は――」
「クラード! すきー!」
急にファムが抱き着いて来たので言葉を遮られたクラードに、バーミットはわざとらしく、あらま、と声にする。
「こりゃー、妬けるわねぇー、このこのー! あたしには全然懐いてくんないの、このカワイイの。素材だけはいいから必死こいてお風呂に入れて綺麗にしてあげたのにねー」
「……ミュイ……バーミット、おふろでおにになるからやだ」
「誰が鬼よ! ったく……そのカワイイのさー、ホントにどこで拾ってきたのー? 色男さん。ヴィルヘルム先生に診せても専門外なんでしょ?」
「……分からない。俺にも、ファムが何者なのかは」
「でもあんた、そのカワイイのを追ってトライアウトが来たって話、聞いたわ。ガイ何とかの子達からね」
「……お喋りな奴も居たものだ」
「案外、いい子達じゃない。見た目コワモテだけれど。その分純粋で、裏表がないわ。エンデュランス・フラクタルのお偉方とは真逆の方向性ね」
「……バーミット。あんたの任務は俺とはまた違うはずだ。オペレーターとしての仕事はどうしたんだ」
「あー、それ? もうカトリナちゃんに任せちゃおっかなぁって。だってあの子、仕事覚える気だけは満々だし」
「……俺は迷惑している。あんなのに四六時中付き纏われたらあんただって嫌になる」
「そう? あたしはカトリナちゃん好きだけれど? 色々とまぁ空回っているところも含めてね」
「……分からないな。あんただって俺がエージェントになってからの経緯は聞き及んでいるはずだ。それなのに何故、不合理性を持ち込む」
「あのねー、クラード。合理性だけで人間生きていたら、電池の入っただけのおもちゃと何も変わらないわ。その辺がまだまだ分かってないところがお子ちゃまなのよ、お子ちゃま」
「……あんたに比べればね」
「……ホント、カワイくないガキねぇ、あんたってば。そっちのカワイイの見習いなさいよ」
「ミュイぃ……クラード、いいにおいするー」
抱き着いて頬ずりしてくるファムは以前までよりも距離が近くなったような気がする。
これも恐らくはバーミットの入れ知恵なのだろう。
「……いい匂いなんてしない。血と硝煙の臭いだ」
突き放してから、クラードはブロックを浮遊していく。
「どこ行くのよ」
「部屋。……って言うか、何であんたにいちいち報告しないといけない。直属の上司はレミアだけのはずだ」
「艦長命令だけ聞くってのも、ホント、嫌なガキよ、あんた」
「俺は嫌な餓鬼になった覚えなんてない。あんたのよく知るエージェント、クラードから一ミリだって変わっちゃいない」
「そう? あたしは、もしかして変わったのかなって思ったけれど? だってあんた、宇宙暴走族の子達を引き入れるなんて艦長含めて誰も想定していなかったわよ?」
「……アルベルト達は行き場がなかったから案内しただけだ。ここの居心地が悪いって言うのなら出て行けばいい」
「――それは強者の理論ね、クラード」
不意打ち気味の核心を突いた声音に、クラードは立ち止まる。
バーミットはファムを抱きかかえつつ、窓際に佇んで宇宙の常闇を眺めていた。
「ミュイ……うちゅうこわいね」
「そう? あたしは嫌いじゃないけれど。静かで、ほら、あっちにある資源衛星の光が瞬いているわよ、ファム」
「ミュイ! きれい!」
「そうそう。綺麗とか綺麗じゃないとか、そういうのも込みで学んでいくといいのよ」
「……馬鹿馬鹿しい。俺が、何の意味もなく動いたって言いたいのか、あんたは」
「そうじゃないの? だって、合理性の塊みたいなあんたが言う台詞じゃないでしょ、それって」
「……俺らしくないとでも?」
「その辺までは関知しない。でもクラード。何かを感じたから、あの子達を引き入れたんじゃ? そうあたしは思っているけれどねー」
「……何かを感じた……。俺がアルベルト達に、何を……」
自身の掌を眺める。
相変わらず、ライドマトリクサー施術によるモールドが内側で赤く明滅していた。