機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第228話「-53度の夜」

 

「エーリッヒ様、こちらの本には何と書かれているのですか?」

 

 そう尋ねてきたピアーナに、ハイデガーは応じていた。

 

「えっと、ちょっと待ってくれ。……古い文字だ。もう使われていない言語だな……。発声言語と、それから翻訳ソフトを用いて解読しよう」

 

 部屋の四面を埋め尽くした本の数々も三分の一ほどは解読出来たであろうか。

 

 ハイデガーはピアーナの邸宅のこの部屋に隠匿する事となった。

 

 居場所のない身で肩を寄せ合う事の心地よさを感じたのもあるだろう。

 

 ハイデガーはゆっくりと、現実認識に落ち着かせていた。

 

 まず収集したのは事前情報と、そして近況である。

 

 それに関しては紙媒体と、そして新聞が貢献したのは意想外としか言いようがない。

 

 毎日投函される新聞は、自分の居た時代より五十三年前となるこの時代において、有用に働いていた。

 

 第一に、日時の経過と、そして技術レベルの確認。

 

 どうやらこの時代での一日は《ダーレッドガンダム》に跳ばされる前の一日の経過時間と同じ。

 

 それを確認しなければいけないのは、自らに施したライドマトリクサー施術が常に最新の情報へと更新される仕組みになっていた事に起因する。

 

 最新の情報として登録されている日時、時間が、無効な設定となっているためまずはそれに慣れる事から始めなければいけなかった。

 

 生身であった時と同じように、今日が何月何日なのか。

 

 そして、時間経過は跳躍する前と同じなのかどうか――時刻調整機能が正常に働かない以上、人間的な感覚を頼りにするしかない。

 

 よってハイデガーは毎日のように新聞を読みふけり、そして部屋の中に時計を三つ用意していた。

 

 一つはグリニッジ標準時に自動補正されるデジタル時計。もう一つは古めかしいアンティークそのものと言えるようなアナログの時計。そして最後の一つは時差をわざと五十三年後に調整し直した時計であった。

 

 この三つの時間を常に視野に入れないとハイデガーは一時でさえも落ち着かなかった。

 

「エーリッヒ様は……偉大なのですね。解読不可能な文字まで全て読めるなんて……」

 

「いや、僕は……そういう風に出来ているだけだ」

 

 ピアーナは長く伸ばした前髪の奥で微笑んだのが伝わる。

 

 どうにも野暮ったい印象は拭えないが、彼女の日常を守るのには自分が妙な事を吹聴するわけにはいかなかった。

 

 この街はそうでなくとも全身RMに冷たい。

 

 いや、この街と言うよりもこの邸宅であってもだろう。

 

 ピアーナはアナログの柱時計がある時間を告げた瞬間、小さく委縮していた。

 

「……あっ……またこの時間に……お父様に……会いに行かなくっちゃ……」

 

 毎夜深夜三時――ピアーナは先ほどまでの言葉尻とは正反対の暗く沈んだ声を発する。

 

 夜も更けた辺りになって、ピアーナは毎夜、父親とされている男の下へと向かう習慣がついているようであった。

 

 それは、この邸宅に招かれてからずっとのようで、彼女が欠かした事はない。

 

 一度、それくらい破ってしまえばいいのではないか、と提案したが、ピアーナは身体の芯から震え、頭を振って否定した。

 

 ――父親を愛さない娘なんて居ない、と。

 

 その愛する、がどのような意味なのかは、深くは問わなかったが、この時刻になるとハイデガーは孤独になる。

 

 眠る事すら久しく忘れた全身ライドマトリクサーの身は、この時、完全に一人きりになってしまうのだ。

 

「……ああ、行ってらっしゃい」

 

「行ってきます……。その、エーリッヒ様。ここの文脈……物語のように感じるのですが……どうでしょうか?」

 

「うん……あ、ああ、そうみたいだな。古の物語、か……。分かった、君が帰ってくるまでには翻訳しておくよ。そうすれば明日も楽しみだろうし」

 

「そう……ですね。明日も……」

 

 ピアーナの声に翳りがあるのは、明日に控えた連邦による定期診断が迫っているからだろう。

 

 この世界において、全身ライドマトリクサーのモデルケースは彼女しか居ない。

 

 よって、最も搾取される立場なのは窺えていた。

 

「……ピアーナ、大丈夫だとは言わないし言えないが……物語は君を癒してくれるだろう。それだけは……確かなはずだ」

 

 慰めにも成らない言葉にピアーナは微笑みを向けてから、部屋を後にしていた。

 

「あっ……エーリッヒ様、電気系統だけはその……調整しておかなければ屋敷の者にも存在がバレかねませんので……その……」

 

「ああ、分かっている。僕は電気がなくっても感覚で文字が読めるから、それは杞憂だよ」

 

 一つ頷いてピアーナは立ち去っていた。

 

 残されたハイデガーはさて、と物語の翻訳を開始する。

 

「……悲しいかな、全身RMと言うのは、一時間もかからないんだ」

 

 文字情報を掌でなぞっただけで、それらと同期処理されたアーカイヴへと接続され、一分にも満たない情報の交錯の後に物語のデータが脳内へと翻訳されている。

 

「……これは古来の姫と騎士の物語か……。騎士は姫の囚われた巨大な怪物へと立ち向かい、そして最後には怪物と契約を交わして姫と共に胎の中で過ごす事を決める……バッドエンドだな」

 

 せめてピアーナには物語の上だけでもハッピーエンドを辿って欲しい。

 

 そう思ってしまうのはただのエゴなのだろうか。

 

 ハイデガーは部屋の電気を消してから用意されたベッドに横たわるも、やはりと言うべきか眠りはやって来ない。

 

「……有機伝導施術の成れの果て……睡眠の必要がない肉体と言うのはこんなにも侘しいものか」

 

 ハイデガーは目を瞑る。

 

 瞬間、脳内に構築されたネットワークシステムが連邦の基地へとアクセスしていた。

 

 ――テスタメントベース……とやら。まだ情報の防壁がまるで成っていない。これなら僕でも全ての情報を盗み取って痕跡すら残さない事でさえも……しかし、ここが開発されている理由は何だ? 何のために、地上に月面の再現をしようとしている……いいや、まだダレトも開いていないんだ。再現も何もない、か。

 

 ハイデガーは観測所のネットワークに介入し、月軌道を仰ぎ見ていた。

 

 まだ空に開いた間違いのような大虚ろは存在しない。

 

 つまり、ダレトが開くのはこれから先の歴史だと言う事だ。

 

「……ダレトが開く前に、ピアーナは全身を改造施術されていた……。いや、歴史を紐解けば自ずと分かる事だったが……ベアトリーチェに居た頃はそんな風でもなかったし……」

 

 とは言え、こうして眠るフリをするのも飽きたところだ。

 

 ハイデガーは新聞の文字情報へと視線を走らせていた。

 

 強化された網膜情報は即座に関連情報と結び付けられ、新聞記事の内容を補強する。

 

「……しかし五十三年前にはまだ新聞記事はアナログ主流だったのか。時代の流れを感じるな」

 

 ――と、その時ある記事が目に留まっていた。

 

「……発掘調査を断念……? 巨人のねぐら……?」

 

 オカルトめいた記事に着目したのは街よりほど近い場所であったからだ。

 

「山岳地帯に存在するとされていた十年前に突如として発見された遺跡の調査隊は今期をもってその発掘を完全に断念すると言う声明を出した……。来英歴を辿ってから発見された新たな先史文明の遺跡調査には莫大な資産と時間がかけられる予定であったが、市長自ら調査にかける資金を停止すると勧告。……その場所は巨人のねぐらと呼ばれており、18メートルクラスの巨神像が安置されており……18メートルの巨人……? まさか……」

 

 この時間軸に跳躍してきた際、自分は生身であった。

 

 その事に今日まで疑問を抱かなかったのは《ダーレッドガンダム》の性能がまるで予期し切れないからだ。

 

 だが、もし――自分と共に乗機も時間跳躍に巻き込まれたのだとすれば――その発見がこの近辺であるのは頷ける。

 

「……だが、どうしてだ? 遺跡調査……ってなっていると言う事は、最近のものでもない……と言うのか? 場所は……歩いても行けるな」

 

 新聞を折りたたみ、ハイデガーは裏の勝手口より邸宅を抜け出す。

 

 元々、夜間であろうとも暗視機能が付随しているため、昼間と同じように感じられる身だ。

 

 昼夜の逆転の心配も、眠りを必要としないのならば杞憂である。

 

「……しかし、その巨人とやらが万が一、僕の思っている通りだとすれば……どうするって言うんだ……。再会したからと言って今さらクラードを討つと言うわけでもあるまいし……」

 

 時間跳躍をした以上、もう一度同じ時代に戻れると言う楽観視は捨てたほうがいい。

 

 そもそも、五十三年のラグでさえも不明なのだ。

 

 ここは目立たないように生きていくのが吉であろう。

 

 訪れた場所は山岳地帯と言うほどでもない。ちょっとしたハイキングコースレベルのなだらかな坂が続いている。

 

 そこいらに調査の痕跡が残っており、遺跡と言うからには何かしら起因するものがあるはずだと、ハイデガーは構えていたが、案外容易く立ち入り禁止のゲートまで辿り着けていた。

 

「……日々の研鑽のお陰か、全身RMの無尽蔵の体力のせいか……」

 

 恐らくは後者だろうと思いつつも、ハイデガーは閉鎖されたゲートを片腕の力だけで開き切る。

 

「警報は鳴らないな。それほど重要とは思われていないのか」

 

 一応、先んじて警備装置へとアクセスして全ての権限を奪っておいたが、どうやらここに安置されているものがそこまで重要とは思われていないのか、警備も手薄であった。

 

 ガードマンが配置されている様子もなく、寂れた廃墟と言うのが一番の印象だ。

 

「……とは言え、巨人のねぐらと評されているんだ。それなりの広さを誇る……ここは、まるで鍾乳洞だな」

 

 地球圏に点在すると言われている鍾乳洞はデータベースでのみ閲覧した事があるが、ハイデガーの眼前に広がっていたのはそれとはまた別種のものに思われていた。

 

「蒼い結晶体……まさか、これはミラーヘッドジェルが硬質化したものか? ……どれだけの年月が経ったって言うんだ……」

 

 自分と共にこの時間軸に跳んできたのではないのか。

 

 ハイデガーは奥へと足を踏み入れていくうち、明らかに発掘途中の箇所へと視線を投じていた。

 

 その装甲は間違いない。

 

 五十三年後には全てのMSに標準装備されている規格のものであったが、この時代には過ぎたる代物なのだろう。

 

 傷一つつける事の出来ないものに対しては諦めるしかない。

 

「……だが、お前がもしそうならば……僕に従え……」

 

 腕を可変させ内側より呼び声を発すると、共鳴して装甲が蒼く輝く。

 

 色調を帯びた洞窟が鳴動し、埋まっていた巨人を呼び起こしていた。

 

 轟、と空気が震え垣間見えていた巨人の腕がハイデガーの目の前で風圧を生み出す。

 

 この時代には想定されていないミラーヘッドの風切り音、そしてMS特有の機動シークエンスを響かせその巨人は――否、MSはハイデガーの前に屹立していた。

 

「……やはり、お前だったか。《レヴォルテストタイプ》……」

 

 名を呼ぶとオォン、と叫びが迸る。

 

 自分と完全な同期を果たしている《レヴォルテストタイプ》は塞がれたフェイスパーツの向こうに眼窩を煌めかせていた。

 

 ゆっくりと、そのマニピュレーターが伸ばされる。

 

「……乗れって言うのか? ……アイリウムが生きているのかもしれないな」

 

 コックピットブロックに搭乗するなり、アイリウムの声が響き渡る。

 

『専属ライドマトリクサーの搭乗を認証。前回の戦闘より七百日が経過しております。専任ユーザーの再認証をお願いします』

 

「ミハエル・ハイデガー……声紋認証及びRM接続認証を乞う」

 

 両腕を可変させ、接続口へと繋げた途端、電流の突き立つ感覚が脳髄を痺れさせる。

 

『承認。レヴォル・インターセプト・リーディング、稼働。コミュニケートサーキットを起動させます。戦闘モードへと移行しますか?』

 

「いや、今はいい。アイドリング状態のまま……そうだな……ミラーヘッドによる防護迷彩を展開出来るかどうかを試したい。稼働準備」

 

『了解。ミラーヘッドジェル残量は六十七パーセント。ミラーヘッド偽装迷彩を展開します。偽装迷彩機能は最大250日まで継続可能』

 

「燃費だけはいいんだな。……まぁ、いい。ここも崩落したし、この時代の人間に気取られるのは旨味もない。《レヴォルテストタイプ》、飛翔高度に移ってくれ。目標地点まで飛ぶ」

 

『了承しました。この後の行動を専任ライドマトリクサーへと譲渡します』

 

 蒼い円環が浮かび上がり、アイリウムの稼働を確かめさせてから、ハイデガーは飛翔機動に移らせていた。

 

 七百日のブランクによって各所が軋んでいるのが窺えたが、それでも機動に耐えたのはひとえにエンデュランス・フラクタルの仕事の良心さか。

 

 スラスターに累積した粉塵を噴射し、《レヴォルテストタイプ》は空へと舞い上がる。

 

 ライドマトリクサーの所作に慣れた身として見れば、街の頭上を音もなく飛翔する事など容易い。

 

 そのままピアーナの邸宅の裏へと機体を停め、コックピットブロックを開放させる。

 

「偽装迷彩を展開。僕が合図するまでずっとだ」

 

『承認。偽装迷彩の展開時にはエネルギー残量は常に最適化されています。専任ユーザーは出来るだけ離れてください。偽装迷彩発生時には有毒ガスが発生する場合があります』

 

「頼むぞ。……まったく、レヴォルの意志って言うのはこれだから」

 

 有毒ガスが発生したとしても、無害化出来るのが自分という存在だ。

 

《レヴォルテストタイプ》は景色に溶け、目視ではほとんど発見不可能な領域となる。

 

「……久しぶりにMSを動かした気分だな。いや、実際にそうなんだろうけれど」

 

 首回りに滲んだ汗は否が応でも最後の感覚と光景を思い起こさせる。

 

 ――悪鬼の如き《ダーレッドガンダム》の形相と、そして周囲を満たす虹の輝き。

 

「……よそう。有機伝導体操作技術はこういう時のためにある」

 

 トラウマを脳内に分泌されるホルモンで最小限に抑え、記憶の表層に上って来ないように最適化する。

 

 ある意味では古来より人類には備わっていた機能だ。

 

 人間は忘れる事が出来るからこそ強い。

 

 その機能を拡張化させただけ。

 

「……裏庭に隠したのは、軽率だったか? だが《レヴォルテストタイプ》なのだと分かった以上、放ってもおけないしな」

 

 ハイデガーは部屋へと戻った後に、物語の翻訳を再開していた。

 

 こうして一つでも、ピアーナに語れる物語を増やす事程度が、彼女にも自分にも恐らく今の環境において最善であろう。

 

「明日はテスタメントベースに彼女が連れて行かれる……か。売られる子牛を見る気分で僕は憂鬱だよ」

 

 とは言え分かった事も多い。

 

 ピアーナはこの時代において、かつてベアトリーチェで行使したような実力は持ち合わせていない事。そして、この豪勢な邸宅はピアーナを両親が連邦政府へと譲渡した事で獲得した資産である事だ。

 

「……考えたくないな。永遠に自分の娘を手離す代わりに、栄光を、か。しかし……これだけの資産があっても五十三年後には……やはりデータベースに合致するものはなし。王族親衛隊や特権階級の名前を調べても、リクレンツィアと言う家系は存在しない。……消え失せる運命、か」

 

 一時の栄華のために、娘を怪物に仕立て上げる両親もそうなら、ピアーナもピアーナだ。

 

 意味も分からずにその力を手に入れたのだろうが、過ぎたる力は毒となるのは目に見えている。

 

「……本だけが自分の世界、か。五十三年後に君はそんな事も忘れて、電子戦闘のエキスパートになるんだ、なんて信じないだろうな」

 

 ハイデガーはページを捲りつつ、自動翻訳機能を走らせ彼女の行き着く先を思う。

 

 ――ピアーナは月軌道決戦以降、統合機構軍に配されたのだと伝え聞いていた。

 

「……結局は逃れられないのか。自分の役割と言うものがあるとして、そういう因果からは。ピアーナも僕もそうだ。何で……僕はあの時、《ダーレッドガンダム》に……クラードに勝てなかった……! 勝てたはずだろうに……!」

 

 しかし身を焼く怒りかと言えばそうでもない。

 

 人間らしく振る舞ってみても、どうしてなのかいやに醒めた思考回路だけがある。

 

 これが全身RMになると言う事なのだろうか。

 

 機械によって精神は統合され、一度意味がないと判じた事に関しては無関心になる。

 

 記憶の中でどれほど憎らしいと思っている相手でも、記録の中ではそうでもない。第三者のような目線で相手と自分を計算し、そして暗算は自分の立ち位置を決定させている。

 

 五十三年の月日をどうやって埋めるか、という遠大なテーマに立ち向かえば精神が自壊するであろう。それを防ぐために、今はこうして終わりのない物語を綴っている。

 

 これも一種の逃避なのだろうか。

 

 自分は、ピアーナのための物語を紡ぐ事で、彼女に一端の人間を演じているのかもしれない。

 

 あるいは、思い出したくない過去を追いやるために、目の前のタスクをこなしているだけなのかもしれない。

 

 いずれにせよ、この時代で出来る事は思っているよりも少ないだろう。

 

「……僕は何故、この時間軸に落とされたんだ……。それさえも悪意だと言うのか……《ダーレッドガンダム》……」

 

 空に浮かぶ月を眺める。

 

 黄金に輝く三日月は、恐れの穴が開いた五十三年後よりも純粋な輝きを宿しているように思われた。

 

 

 

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