機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第231話「Who I Am」

 

 意識が朦朧としている、というわけでもない。

 

 かといって、明瞭かと問われればそれも否だ。

 

「……俺は……また堕ちて来たのか……」

 

 四方八方が白の領域。

 

 自分の脳髄に寄生する煉獄――。

 

「堕ちてくるのも慣れてきたのではないか? クラード」

 

 振り向けば白い老人が絶対者の眼差しで自分を見返す。

 

「……あれは何だ?」

 

「唐突な逆質問だな」

 

「知っているのだろう? あんな敵は今まで居なかった」

 

「万能の鍵と言うわけでもないとも。我とて関知せぬ領域だ」

 

「……ここには全てがあるように感じる。堕ちてくれば嫌でも分かる。俺が、忘れている事……《ダーレッドガンダム》の秘密に、そして世界の謎も……。何故……現実では持ち越せない?」

 

「そういう風に出来ているのだ、この煉獄の仕組みを今さら説くべきか?」

 

「……いや、そんな時間も惜しい。お前と対峙していると言う事は、俺は相応に無茶をやったんだな?」

 

 最後の記憶は《ネクロレヴォル》系列の機体に抱えられ、赤い熱波のような皮膜から逃れたところまでだ。

 

 それ以降はぷっつりと記憶も意識も途切れている。

 

「……《ネクロレヴォル》……騎屍兵の知り合いは居ないと思っていたが……」

 

「あれは我も想定外であった。まさかこう動くとはな。ピアーナ・リクレンツィア、分からぬ女よ」

 

「ピアーナ……? やはり。あれに同乗していた声はピアーナだったのか?」

 

 だとすれば、今のモルガンは手薄か、と考えて、否と反証する。

 

「そういう場合でもないか。俺は作戦を……遂行し損なった」

 

「無理を通すべきでもあるまい。あれは世界に風穴を開けるような害意だ」

 

「……MAかとも思ったが、あんな巨大な機体は前例がない。恐らく符合するものが居るとすれば……」

 

「分かっているのだろう? ここは思考迷宮だ。お前の関知野がそのまま反映される」

 

 白の世界の中で、思い至った相手――聖獣の影が差す。

 

「……MFか」

 

「その真似事、と呼ぶべきなのだろうが。疑似的に聖獣を再現するなど……この次元宇宙の、何と浅ましい事よ」

 

「聖獣は……お前が乗って来たのと合わせれば、現存するのは四機のはず。それらが奪われた……と言うよりかは現実的な線で言えば……」

 

「模造品だ、あれは。猿真似(イミテーション)だよ」

 

 エーリッヒが断言するのならば、それは確定事項だろうが、ここでの記憶は現実に持ち越せない以上、目が覚めてからの情報整理になるだろう。

 

「……敵は聖獣の模倣……」

 

「それほど意外な結論でもあるまい? 自らで御する手段を持ち得ないこの次元宇宙の人類は、では模造した獣に跨る事を選んだ。……まさに魔獣よ」

 

 ――魔獣。

 

 その名称が妙に胸の中にすとんと落ちたのは偶然であろうか。

 

「……俺は、また起きれば無知なままに現状を掻き回す」

 

「そうでもない。《ダーレッドガンダム》の性能をよく引き出している。括目して、己の血潮を見るがいい。お前の血は、もう人類のそれではない」

 

 掌を翳せば、蒼い血脈が流れている。

 

「……波長生命体か」

 

「これはお前の選んだ結末の一つだ、クラードよ。誰に責任を被せられるわけでもあるまい」

 

「そうだな、そうだとも。……俺がここまでの未来を選び取って来た。《ダーレッドガンダム》を乗りこなしたのも、俺のエゴだ」

 

「しかし、後悔が浮かんでいるようにも映る。今までのお前にはなかった代物だ」

 

 ――後悔? そんなものに足を取られている時間はない。

 

 これまでの冷徹なエージェントならばそう答えていたはずなのだが、喉を震わせたのは別の声であった。

 

「……俺は、後悔しているのかもしれない。《ダーレッドガンダム》に乗った事もそうならば、ここまでの決断も。……これは、何だと言うんだ……」

 

「教えてやろう。それは“恐怖”と呼ぶ。お前がこれまで遠ざけ、そして目を逸らし続けてきた感情だ。お前はエージェントとなった時から、恐怖だけは手綱を引いていた。それに一度でも囚われれば戦いで生き抜く事は出来ないのだと、直感的に理解していたのだ。だが今のお前の胸を締め付けるのは、間違いなく恐怖そのものであろう。何を恐れている? 《ダーレッドガンダム》の力か? それとも、我と肉体を共にする事に今さら身震いでも?」

 

 分かっている。ここはエーリッヒの領域だ。

 

 嘘は付けない。それどころか思考は明け透けになる。

 

「……カトリナ・シンジョウ。不可思議な宿縁だな。貴様はメイア・メイリスではなく、あの娘を選んだと言うのか」

 

「……何故、メイアの名前がここで出てくる?」

 

 こちらの疑念にエーリッヒは両腕を広げ、それから哄笑を上げていた。

 

「思い知る事となる! メイア・メイリスが何を背負い、何を覚悟してこの世界に舞い戻って来たのかを! お前はその後でも、あのカトリナ・シンジョウと言う娘を想えるのか! ……見物だな、クラード。お前の唯一間違った決断こそが、カトリナ・シンジョウを選んだ事など!」

 

「待て、貴様は……一体何を知っている……!」

 

 消え失せていく感覚の果てに、クラードはその手をエーリッヒへと伸ばしていた。

 

 エーリッヒの像がぶれ、直後には感覚意識は途絶えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を掻いた指先に、クラードはぶれた視界を持ち直す。

 

「……ここ、は……」

 

「気が付いたか。……まったく、冷や冷やとさせる。お前は、いつもわたしのような待っているしかない身分にとってしてみれば恐怖でしかない」

 

「ヴィルヘルム……か? ……俺は……」

 

「直前までの記憶は持ち越しているか?」

 

 屹立する巨大なる影、そして赤い拡散粒子が世界を覆う光景――。

 

「ああ、負けたんだな、俺は……」

 

「悲観するようなものじゃない。あんなもの、どうかしている」

 

 ヴィルヘルムの声に浮かんだ恐れのような感情に、クラードは身を起こしていた。

 

「……まだ節々が痛む」

 

「お前の生命力はかなり向上している。傷に関してはほとんど自然治癒だ。……これでは船医は要らんと言われているようでさえあるがね」

 

 腕や頬に至った傷痕をなぞり、クラードは包帯を引っぺがしていた。

 

「……蒼い血筋……」

 

「お前は口にするのを嫌がるだろうが……波長生命体に関してはわたしも完全に知り得ているわけではない。とは言っても、驚異的な回復速度と、そして書き換えが進んでいるのだけは窺えた」

 

「……書き換え……?」

 

「隠しても仕方あるまい。……クラード、お前の肉体は少しずつ、この世界の理とは別の場所へと至ろうとしている。……とは言っても、全くの荒唐無稽でもない。元々その兆候はあった。それを推し進めたのが、あの機体であっただけの話だ」

 

「……《ダーレッドガンダム》か」

 

「まさに忌むべき火薬庫(ガンルーム・ダムド)の名前に相応しい。乗り手を書き換えるなど……最早MSのそれではないだろう。クラード、それでもあの機体に乗り続けるつもりか? 戻って来られなくなるぞ」

 

 掌に視線を落とす。

 

 末端神経まで蒼の血潮に染まった時、自分は何を思うのだろう。

 

 だがそのような感情は些末事なのだと、今は追いやるしかない。

 

 拳に変えて、決意を口にする。

 

「……ああ。今は足を取られている時間も惜しい」

 

 ヴィルヘルムは煙草に火を点け、紫煙をたゆたわせていた。その視線が天井の換気装置に注がれる。

 

「……失礼。禁煙はもう二時間も持たなくなってしまったな」

 

「ヴィルヘルム。お前には分かっている事もあるはずだ。それが俺にとって今、必要なのかどうかも。お前は……全て分かった上で、それで俺を導いたはずだ。クラードの名前を与えた時点で」

 

「そこまで重石に感じてもらっているとすれば、失策だな。クラード、その名前はもうお前自身のものだ。空白の席でもなければ、まして替えの利く名前でもない。お前だけが持つ、本当の名前だろう」

 

「嘘が下手になったな、ヴィルヘルム。……俺の名前は……」

 

 首から下げたドッグタグをさする。

 

 かつての価値がそこに集約されているはずであった。

 

 自分は「クラード」でなければ意味なんてないはずだ。そして名を与え、意味を見出したのはエンデュランス・フラクタルであり、ひいてはヴィルヘルムであったはずなのに。

 

 彼は、囚われるなと言っている。

 

 だが自分にとって、ヴィルヘルムが下した裁定を、今さら覆せるものか。

 

「……失い続けてきたお前だ。もう一つでさえも……失う事なんてないと、わたしは思っているのだがね」

 

「そうなのだと分かっているのだとすれば意地が悪い。エンデュランス・フラクタルに背を向けると決めた時点で、俺達の道は閉ざされたも同じだろう。俺は奪われたものを全て取り戻す。レヴォルも、それにあの日失った何もかもをまだ取り返していない」

 

「その事なのだが、どうやら少しは戻ってきているらしい。これは吉報なのかどうかは分からないが」

 

 ヴィルヘルムが灰皿で煙草を揉み消した瞬間、クラードは対面のベッドから起き上がった影を視界に留めていた。

 

「……ミュイ……っ、クラード……」

 

「……ファムか。まだここに居たんだな」

 

 寝ぼけ眼を擦ったファムは次の瞬間、自分へと抱き付いていた。

 

「……クラード! すきー!」

 

「……重いよ。それに、さっきまで重篤だったんじゃないのか? 医務室に居るって言う事は」

 

「そんなのどうだっていいー! クラード、そばにいてくれるから、ファムすきー!」

 

 頬ずりするファムに、ヴィルヘルムは訳知り顔で声にする。

 

「これも、取り戻した一つじゃないのか。想定していなかったとはいえ、お前は一つずつ、あの日失ったものを奪還しつつある。その行く先に光が差しているのだと、わたしは思っているのだが」

 

「……ファム。お前は何故、《サードアルタイル》に……?」

 

 問い詰める論調にファムは変わらない様子で首を傾げる。

 

「ミュイ……? だってさんばんめはずっとファムといっしょだったよ?」

 

「……つまり、MF03《サードアルタイル》はお前の乗機だったと言う事か。……いや、待て……。何かが……おかしい」

 

 しかしその違和感を明言化出来ず、クラードは額を押さえる。

 

「《サードアルタイル》に人が乗っている事自体、エンデュランス・フラクタル上層部くらいしか知り得なかったはずだ。ファムがその鍵だなんて想定外だっただろう」

 

「……本当に、そうか? ヴィルヘルム、お前は何となくでも、知っていたんじゃないのか? ファムが意味もなく、俺達に拾われたわけじゃなかった事くらいは」

 

「参ったな、読まれてしまっている」

 

 特に悪びれるわけでもないヴィルヘルムは、ここでの隠し立てに意味がない事を理解しているのだろう。

 

「……《サードアルタイル》は聖獣の中でも別種だった――それくらいは既知の事実だったのだろう」

 

「分かって欲しいのは、《サードアルタイル》とファムの繋がり自体は、思考拡張の専門であるわたしには予見出来た……その程度だ。それ以上は分かりもしなかった。まさか本当に《サードアルタイル》を呼び出すほどの能力と、そして手足のように扱ってみせる技量があるなんて」

 

「ファムと《サードアルタイル》の繋がり自体には気づいていて黙っていたのか」

 

「確定事項じゃなかった。仕方がない事だ。混乱させる種になる」

 

 三年前の時点でファムに何かあるのだと推定していたのはきっと、ヴィルヘルムくらいなものだったのだろう。

 

 その彼とてファムが強度の思考拡張を保持しているのだという推論を浮かべるしか出来ないのであれば、なるほど、他人に口外すべき事ではないくらいは頷ける。

 

「……しかし……一つずつ奪い返しているのでは話にならない。もっとだ……もっと必要になってくる。俺は……誰にも負けない力が欲しい」

 

「力、か。クラード、それは闇の求心力だ。誰にも負けない虚栄の頂に立って、お前はどうする? その時傍に居る人間でさえも、お前は拒むと言うのか」

 

 ――待っていますからっ!

 

 不意に脳裏を過ったカトリナの姿に、クラードはファムの体重を受け止めて横たわる。

 

「……俺は……何で人でなしで居られなかったんだろうな。ヒトであろうと思った事なんてないと言うのに」

 

「ミュイ……? クラードはひとだよ?」

 

「RM施術が全身の七割に到達している。人間と呼ぶべきじゃない」

 

 否、そういう事を言っているわけではないのは分かっている。

 

 分かっていても、今は他者を拒むような言葉しか吐けない。

 

 自分でも己の迂闊さに腹が立つ。誰かと共に立つ縁を結べるわけでもなければ、帰還を約束出来るほど強くもない。

 

《ダーレッドガンダム》と言う魔に呑まれ、そのまま闇の先へと到達してしまえればまだ楽であったかもしれない。

 

 だと言うのに、ここに来てヒトでありたいと願うのはただの傲慢であろう。

 

 力だけで現世に舞い戻り、力だけで他者の介在を拒んで全てを塵芥に追いやれれば、どれほど楽であっただろうか。

 

 だが自分は知ってしまった。

 

 帰るべき場所があると言う気持ちを。

 

 その安息を胸に抱いて戦うという心強さを。

 

「……守る……なんて、簡単に吐ける言葉じゃないのにな」

 

「お前はそれくらいでいいはずだ。今もカトリナ君と、アルベルト君達が策を編み出してくれている。お前は強いが一騎当千と言うわけにもいかない。何よりも、このオフィーリアではそれを許すような環境でもない。お前を一人で立ち向かわせるような無責任な人間はこの艦には居ないとも」

 

「……意外だな、ヴィルヘルム。投げられた爆弾は手元に返ってくるものじゃないとでも言うと思っていたが」

 

「お前は爆弾じゃないさ。ヒトであろうとする人間を、爆弾扱いなんて出来るものか。それこそ人道にもとると言うものだよ」

 

「人道に……お前が言うと笑えてくるよ、ヴィルヘルム」

 

 かつて冷徹に徹し、エージェントを育て上げる事に終始していた男が、今は一端の人間の感情を理解したような言葉を弄する。

 

 それだけでも異常であったが、自分はその言葉に嫌悪感を覚えているわけでもなければ、そういうものかとすとんと胸に落ちている感覚さえもある。

 

 ヴィルヘルムが無理をして「取り繕い」の言葉を向けているわけではないのだと、理解出来てしまっているのだ。

 

 自分はあれほど他者を蔑ろにして、骸の上に立つ事に何の躊躇も浮かべなかったのに。

 

 今になって懺悔をするつもりもなければ、後悔に足を取られているわけでもない。

 

 ただ――ヴィルヘルムと言う男が真っ直ぐに前を向いて歩き出しているのを、悪い気分でもなく見届けている己が居る。

 

 この男に道を閉ざされ、道を諭され、道を踏み外したというのに。

 

 恨んでも恨み切れないはずだと言うのに。

 

 ヴィルヘルムの生涯をかけた贖罪を、見届けてもいいのだと、そう思えているのだ。

 

「……俺は随分と……なまくらに成ってしまったのかもな」

 

「なまくらに堕ちれば戦いにおいて修羅に囚われる事もない。だが、刃としての純然たる力は消滅する。クラード、もうお前は選び取ろうとしているんじゃないのか? 剥き出しの刃として常に紅蓮の炎を身に纏うのか、それとも別の道を模索してもいいのかを」

 

「別の道……。俺に今さら、別の道、か……」

 

 それは恐らく、これまで積み上げてきた過去が許さないだろう。

 

 何人も、何十人も、否――何百人と殺してきたはずだ。

 

 数えるのも馬鹿馬鹿しい数の死骸を踏みしだき、その怨嗟の声を振り払って、ここまで到達した。

 

 今さら、何を言える?

 

 今さら、何を吼えられる?

 

 殺してきた者達に頭でも垂れろと言うのか。

 

 地獄の炎に焼かれ続けて、最後の最後に後悔しながら死んで行けばいいと言うのか。

 

 きっと、どちらも違う。

 

 どちらもきっと、罪の清算には程遠い。

 

「……俺は……どうあればいいんだろうな……」

 

 分からない。分からないと言うのに、カトリナの声だけがいやに明瞭に記憶の中で残響する。

 

「待っているって……。そんな身分じゃないだろ、俺もあんたも……」

 

 呟いた言葉は医務室の滅菌された天井に霧散していた。

 

 

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