機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第235話「来英暦253年、夏」

 

 夏はさすがに蒸す、とハイデガーは一息つくべく、部屋から出て《レヴォルテストタイプ》のコックピットへと向かおうとした、その矢先であった。

 

 視線がかち合ったのはこの邸宅の給仕である。

 

 悲鳴が咄嗟に飛び出さなかったのは彼女なりの使命感であったのか、それとも自分が呆けたようにしていたせいであろうか。

 

 給仕の彼女はこほんと咳払いしていた。

 

「……お嬢様の部屋にいらっしゃるお方ですね?」

 

 そこまで露呈しているのならば、下手な隠し立てはするまい。

 

「……僕を見逃してくれるのか?」

 

「邸宅の中では噂になっておりますよ。ピアーナお嬢様が数年前とはまるで違う……明るいお方になられたのだと。きっと、よい殿方との巡り会わせがあったのでは、とも」

 

「……参ったな。そこまで読まれているんじゃ、今さらって奴だ」

 

 こちらの手は割れているも同じ。下手なマジシャンより性質が悪い、とおどけてみせると、給仕は微笑んでいた。

 

 華のように笑うのが印象的な女性であった。

 

「……お嬢様を、助けてもらっているのですね」

 

「僕が助けられている。そういう関係なんだ」

 

「ですが、本当に……。ここ一、二年ほどでお嬢様は……立派に成られました。古代文学の翻訳でライドマトリクサーの地位の向上まで叫ばれるようになるとは思ってもみませんでしたし」

 

「……なぁ、その……ピアーナみたいな全身ライドマトリクサーって言うのは、やっぱり少ないのか?」

 

「前例は三件ほどしかないそうです。お嬢様のケースはそれも特殊で……あ、これはこうでした」

 

 唇の前で指を立てて茶目っ気を出す給仕に、ハイデガーは自ずと微笑んでいた。

 

「……何だ、それ。お口にチャックって言いたいのか?」

 

「ええ、私は何も言っていませんとも。……それで、どうなさいます? 私が一声、キャーと叫べば、あなたの立場はなくなりますが」

 

「これは怖い。強請られているな」

 

「いいえ、そうでもないのでしょう?」

 

 お互いの立場にぷっと吹き出し、ハイデガーは上を指差した。

 

「ここじゃ目立つ。バルコニーのほうで話そう」

 

「まるでご自分の家のように仰るのですね」

 

「もう二年半ほどだ。すっかり慣れてしまったよ」

 

 とは言っても、人目につかないように努力しているのだ。

 

 こうして給仕に見つかるのは初めてであったし、遭遇した際にはどうするべきかと決めあぐねていたところで、彼女のようなタイプに出会うのは想定外であった。

 

 栗毛の給仕はバルコニーに出たところで、すっと煙草を差し出す。

 

「失礼。吸っても?」

 

「あ、ああ……。ちょっと意外だな。君のような人間が吸うのか……」

 

 うろたえ調子な自分に、給仕は小悪魔的な微笑みで返す。

 

「女性に理想を追い求め過ぎじゃないですか? 私だって、嗜みですよ」

 

 紫煙をたゆたわせつつ、ようやく話す段になってハイデガーは言葉に詰まっていた。

 

「……何です?」

 

「いや……どこかで会ったかな、と思って……」

 

「何です、それ。前時代的な口説き文句」

 

「いや、確かに。これは石器時代からやり直しかな?」

 

 自分なりのジョークのつもりだったが、給仕は少し微笑んだだけで次を促していた。

 

「……お嬢様に翻訳を教えたのは、あなたですね?」

 

「目聡いな、嫌われるよ、そういうの」

 

「目聡くって結構。これでも私、お局様の目を掻い潜って色々とやっているので」

 

 その証左が一本の煙草に結実しているようですらあった。

 

 彼女はどこか自由奔放に映る。

 

「……ここは窮屈だな」

 

 ハイデガーの視線の先には完成間近のテスタメントベースの全容がある。

 

 一度でも電脳に潜れば、その目的とそして完成後のスタンスでさえも丸裸であったが、解せないのはそもそも誰が先導したのか、だ。

 

「彼ら」の存在がちらつくも、それらしい尻尾を見せた事はあれ以降ない。

 

「邸宅がこんな風になったのも、割とここ数年らしいです。元々、リクレンツィア家は服飾産業に従事していたようで」

 

「服飾……。それにしては……何て言うか……」

 

「お嬢様の身なり、ですか。嫌われますよ、それこそ」

 

「言えた義理じゃない、か。……今は?」

 

「服飾で少しばかり名を上げていたリクレンツィア家は潰えつつあります。それもこれも、今の旦那様がお嬢様を全身ライドマトリクサーへと変えてから、ですね」

 

「この街の人々はRM施術を嫌っているのか?」

 

「嫌いなんじゃなくって、無知なのが怖いんですよ。偏狭な場所で成り上がっただけの、ただの成金です」

 

「いいのかい? それは自分の主人への侮辱だぞ」

 

「構いませんよ。第一、今どきじゃないと思うんですよね。大きな邸宅構えて、使用人をたくさん雇ってって。それこそアナクロですよ」

 

 どうやらこの給仕は随分と口が達者なようだ。

 

 人は見た目にはよらないな、とハイデガーは嘆息をつく。

 

「……それで? 成金趣味に飼われている身としちゃ、大きくは出られないはずだろう? ピアーナの父親は、何を考えて娘を……」

 

「実験台に、ですか? ……さぁ」

 

 中空に向けて煙い吐息を放った給仕の取り付く島もないような声音に、ハイデガーはおいおい、と返答する。

 

「そういうゴシップに興味があるんじゃないか?」

 

「あのですね……食らいついていいゴシップと、そうじゃないものくらいの嗅覚はありますよ。もしかして……私達みたいなのはみんな、お金目的に飼われている可哀想な女だなんて思ってます?」

 

「いや、それは……」

 

 追及の眼差しにハイデガーは折れていた。

 

「……すまない。ちょっとは思っていた」

 

「素直でよろしい。……でもそうですね。リクレンツィア家の名手たる、旦那様は何かと一家言あるようで」

 

「面白く思っていないのか? 自分の娘だろうに」

 

「それだから、面白くないんじゃないですか? こんな事を言うのは憚られますが、この時代でも機械人形と揶揄されるのがライドマトリクサーと言う身分です。二か月に一度、お嬢様は連邦からメンテナンスを受けなければいけない。その一事だけでも、正直、真っ当な親なら参っちゃいますよ」

 

 ピアーナは二か月に一度のメンテナンスを連邦法によって定められている。

 

 メンテナンスの日はちょうど明日であった。

 

「……僕も嫌だな。売られる子牛を見るようで」

 

「旦那様はそれ以上に……嫌悪と愛情の狭間で揺れ動いているはずです。別に気持ちを分かれだとか言うつもりはないですけれど、お嬢様に近づくのなら覚悟を持ったほうがいいですよ」

 

「……覚悟、か。それはとうの昔に……」

 

 自分の掌に視線を落とすと、自動的に網膜が適切な視力を概算する。

 

 この指先一つですら、自由ではない身なのが全身RMだ。

 

 殊にこの時代では地球連邦によって束縛され、街を出歩けば石を投げられる。

 

「……お嬢様には、可哀想だとかそういうの必要ないと思います」

 

「過ぎたる憐憫は刃と同じ……か」

 

「あなたがどれだけお嬢様の気持ちに寄り添ったって、それは結果として傷つける事になりかねません。……正直、覚悟って言うのはそれもだと思います。下手に距離を詰めれば、それだけ手痛いしっぺ返しが待っている」

 

「それがピアーナの部屋に勝手に押し入らない理由か」

 

 如何に給仕身分とは言え、二年半もの間、自分が見つからなかったのは彼女らがピアーナを遠巻きに眺める事しかしていない事にも起因する。

 

 干渉はせず、かと言って下手に突き放しもしない。

 

 それがこの家のルールなのだろう。

 

「……お嬢様は孤独を選んでいらっしゃるのだと、そう思っていました。今日あなたに会うまでは」

 

「誰だって孤独なんて望んで得ているものじゃないのさ。それが傍目に見えるとすれば余計に」

 

「経験則……みたいな言葉に聞こえますね」

 

「だとすれば、僕の努力不足だ」

 

 一度、部屋に戻ろうと踵を返しかけた自分に、給仕の彼女は声を振っていた。

 

「また、お話ししても?」

 

「……君は。賢しいのが取り柄なんじゃないのか?」

 

「賢しく立ち回るのも最近、ちょーっとリスクないなぁって思っていたところです。どうせなら、スリル、欲しいじゃないですか。お局様の目を盗んでちょろまかすのもしょうもないですし。せっかくなら、世界を揺るがすスリルの上で遊びたいですし」

 

 ししし、と小坊主同然の笑みで返答した彼女に、やはり重ねるのはよくないな、とハイデガーは頭を振る。

 

「もう少しおしとやかになる事だな。そうでないと、色々と逃す」

 

「えーっ。これでもすごく真面目なのにぃ」

 

「どこが……。一応、名前を聞いておいていいかな。使用人が多くって覚えきれない」

 

「テトラです。でも、名前なんて記号でしょう?」

 

「いいから。フルネームは?」

 

「……嫌いなんですよ、家が。だからこんな偏屈なリクレンツィア家で働いているって言うのに」

 

「知らないとこっちの命運にかかわるんだ。とっとと教えてくれ」

 

「……んじゃあ、言いますけれど。――テトラ・シンジョウ。これ、あんまり言い触らさなさないでください。東洋系の血は嫌われるんです」

 

「……そう、か。……いや、自分の眼も……」

 

「何です? まさか東洋系の女に口を開くんじゃなかったとか、そう思っていらっしゃいます?」

 

「……いや、知り合いに……よく似ていたものだから。声をかけてよかった」

 

 そう返すと、テトラは悪戯めいた微笑みを向けるのであった。

 

「じゃ、私も仕事に戻りますかねぇ。そろそろお局様の怒りゲージがマックスになったところでしょうし」

 

 大きく伸びをして、テトラは煙草を踏み消す。

 

 その所作も、どこか浮世離れしているようでハイデガーは彼女が見えなくなるまでずっと視線で追っていた。

 

「……シンジョウ、か。これも奇縁だな」

 

 部屋に戻ったところで、ピアーナは瞠目する。

 

「お外に……出られていたんですか?」

 

「ああ。たまには気分転換に……」

 

「お煙草をお吸いに……?」

 

 彼女の匂いがついていたのだろう。ハイデガーは襟元を正す。

 

「この時代にも煙草はあるんだな」

 

「ほとんどの大衆娯楽は消え去ったようですが、煙草は残っているみたいですね……。エーリッヒ様、本日のお仕事はもう済ませておきました」

 

 安楽椅子の背もたれに手を伸ばしたところで、ピアーナの報告に面食らう。

 

「早いな……。いや、もう君の仕事だと、そう思うべきなのかな」

 

「とんでもない……! エーリッヒ様が居なければ、あたしは翻訳作家になんて成れませんでしたし……」

 

「もう立派な作家先生だ。何ならサインでも窺おうかな」

 

「……怒りますよ……」

 

 頬をむくれさせたピアーナにハイデガーはいやはや、と手を振る。

 

「すまなかった。ちょっと意地悪をしたくなったんだ」

 

「……エーリッヒ様、あたし……今日はちょっと勇気を出してみたんです。分かります……?」

 

「ああ、髪を切ったのか」

 

 応じると、ピアーナは嬉しそうにはにかんだ。

 

「正解……。どうですかね……」

 

 少し前からピアーナの髪型はショートボブになっていたが、今日は少し思い切りがいいのか、前髪を随分と切ったらしい。

 

 以前までなら隠れていた黄金の瞳がよく見えていた。

 

「うん、よく似合っている。それにしたって、最初に会った頃とは見違えたよ」

 

「最初のほうは……あたし、見えないほうがいいとか思っていましたし……」

 

 野暮ったい長髪だった面影はもうほとんどない。

 

 ピアーナの髪の色は不思議で、窓から差し込む光の屈折角で切り替わる。

 

 その移り変わりの奔放さは都度ごとの彼女の機嫌の象徴でさえもあった。

 

 基本の黒髪のカラーにエメラルドの色彩が入るのは、自分もまるで宝石のようであると感じている。

 

 ラメのように敷き詰めた色鮮やかさをもっと誇ればいいのに、ピアーナは余計な装飾に走る事はない。

 

 あくまでも自分の振る舞いとしてあるのは、目立ちたくないと言う気持ちであろう。

 

 それでも彼女なりに前を向こうとしているのが窺えた。

 

 ならば自分がやるべきなのは、その背中を押す事だろう。

 

「それにしたって、翻訳作家としての仕事がようやく軌道に乗って来たんだ。別案件を寄越してくる企業の厚顔無恥さには呆れ返る」

 

「でも……それでお仕事が貰えるんなら……あたしはいいかな……。今は少しでも仕事を増やす時期だって思いますし」

 

「それは言えてる。それに、僕としても鼻が高いのさ。ピアーナ・リクレンツィア先生?」

 

「もうっ……そういうのは言いっこなしですよ……」

 

 ピアーナはこういう時、所在なさげながら、それでも自分の中に確固たるものを感じて微笑むのだ。

 

 それは五十一年後の彼女を少しばかり知っている身となれば、どこか奇異にさえ映る。

 

「……なぁ、これは戯言みたいなものだと思ってくれていいんだが……ピアーナ、もし……タイムトラベルが可能だとすれば、どうしたい? 人類の夢だろう?」

 

「タイムトラベル……ですか? あっ、次の翻訳案件はSFとか……?」

 

「まぁ、そう考えてくれていい。翻訳作家にはいちいち作品に入れ込むのは性に合わないかもしれないが、話の種だよ。どうかな?」

 

 ピアーナはうーんと呻った後に、あっ、と手を叩く。

 

「それなら……あたしは……いいえ、やっぱりやめておきます。暗くなっちゃうから」

 

「別に僕と君との間柄じゃないか」

 

「いえ、でも……。作品に入れ込まないのが、翻訳作家ですから……」

 

 どうやら道は諭すまでもないと言うわけだ。

 

 いや、ともすれば諭されたのは自分のほうか。

 

 ハイデガーは安楽椅子に深く腰掛けて思案する。

 

 この時代に跳ばされた意味――たとえそんなものはないとしても、それでも何か、意義のある時代であると感じずにはいられない。

 

 最初期のピアーナとの邂逅に、「彼ら」への接触、そして「エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー」と言う名前が持つ呪い。

 

 どれもこれも、ただの現象と片づけるのには出来過ぎている。

 

「……タイムトラベル、か。果たしてそれは、時間旅行などと呼べるのだろうか。片道しかない切符なんて……」

 

「エーリッヒ様?」

 

「何でもない。僕はまた潜っておくから、その間の仕事は任せる」

 

「最近……潜る時間が長くなられましたね。深夜まで……」

 

「それだけ相手が手強いってわけさ」

 

 ハイデガーは直後には電子の海へと漕ぎ出していた。

 

 脳内ニューロンの中でハイデガーは「彼ら」の声の一部を聞く。

 

『また潜って来たな。自分の中に我々の一部を飼い馴らす事にも慣れて来た様子だ』

 

「そうでもないとも。こうして仮想空間に自我を落とし込む作業を経なければ、同居人に迷惑をかける」

 

 実体の声帯は震わせていない。

 

 あくまでも仮想空間での「彼ら」との何度目か分からない対面であった。

 

「彼ら」の姿は光情報として認識され、ハイデガーは己の電脳の躯体を輝かせ、無数の悪意と対峙する。

 

「それで、結果は出たのか?」

 

『ああ。テスタメントベースを月面にも建造、そして、地球連邦軍への新たなる組織編成案の提示。どれもこれも連邦法を掻い潜っての実施だ。骨も折れる』

 

「よく言えるものだ。そちらは全知全能を気取っていると言うのに」

 

『こちらも言わせてもらおう。貴様は我らとの接点を持ち、そしてこの二年余り、対等に近い条件で渡り合ってきた。その敬意を表し、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの名は御旗となって、歴史に刻まれる事だろう』

 

「……元々は使い捨てのはずだった名前、か」

 

『最早、偉人説だ。その名前を持つ事、誇りに思っていい。貴様は“惑星(ほし)のエーリッヒ”として、叡智を施してきた。無知蒙昧な人々を起こすのには、名が負けてないと言う事だ』

 

「名前負けしていないってだけで、じゃあ偉人ってわけでもないだろうに……」

 

『貴様は我々の技術の方向性を定めた。三十年以内に開くと予言した月のダレト、そしてこの規模での思考拡張に、まだ発展分野であった全身RMへの差別意識をなくすための貢献……まさに人類史を背負って立つだけの偉業と言ってもいい』

 

「そういうのはどうだっていいと、そう言われているようだ」

 

『違いない。何故、そこまでの知識を持っていて、我らに与する? 大いなる存在が恐ろしいのか?』

 

 おぞましいの間違いだろうに、と胸中で毒づいてからハイデガーは応じていた。

 

「企業を擁立しての巨大兵器の開発前身は? その企画の推移をまだ聞いていなかった」

 

『貴様の言う通り、まだ新進気鋭の企業でありながら、有機伝導体操作技術に帰依している珍しい技術者連中を取り集めたが、企業体の時代が来ると言うのは、何か確証でも?』

 

「……勘みたいなものだ。その企業の名簿を寄越して欲しい」

 

『既に技術体系として成り立っているものを含め、百二十社前後。その中でも卓越していると思しき者達は――画期的な技術によって人型巨大兵器を推進するマグナマトリクス社、量子演算コンピュータ端末による一律管理を目指すクロックワークス社、そして――傭兵部門と企業理念が最も合致率の高かった、エンデュランス・フラクタル社の三つか』

 

 エンデュランス・フラクタル――まさか五十年以上前の時点で、布石を打っていたとは思いも寄らない。

 

 だが、彼らをこのまま進ませなければ全身ライドマトリクサーへの偏見や、施術そのものへの忌避はなくならないだろう。

 

 ピアーナのために、汚れた道であっても進むべきだ。

 

「……彼らの情報は逐一欲しい」

 

『承知した。こちらもそのほうがもたらす技術恩恵で潤っている。モビルワーカーと呼ばれた機械人形技術を、さらに発展させるというアイデアは素晴らしかった』

 

『ライドマトリクサーがまるで纏うようにそれらを扱い、ヒトの義肢の延長線上に存在する技術の神髄――まさに機械延長服(モビルスーツ)と言う名前が相応しいだろう』

 

「……将来扱う事になるのは何もライドマトリクサーだけじゃない。普通の人間だって、扱えるようになる」

 

『重機を扱うように、かね。なるほど、時代の転換期とはこうして訪れるものか』

 

「……あなた方は来英歴の始まりより、それらを俯瞰してきたはずだ。だと言うのに、今さら僕のような木っ端ライドマトリクサーを信用する理由が、今一つ分からないんだが」

 

『信を置くに値するとも。貴様は我々の思考拡張領域に踏み込んだ。通常の人間では不可能だからな』

 

『この時代において、それほどまでの深度のライドマトリクサーは存在せず、そしてたまたまこの波長を読んでいる、と言うのには、いささか技巧が過ぎる。最初から、分かっていたかのように接触して来ただろう』

 

「……波長、か。それは明け透けだとも言う」

 

 この時代においてはまだ思考拡張だけに秀でた交信手段はさほど存在しない。

 

 だと言うのに、「彼ら」の交信手段はまるで五十年後のそれと同等か、あるいはそれ以上でさえもある。

 

 元居た時代において、「彼ら」の支配が健在であると仮定すれば、その技術領域は遥かな高みだ。

 

『しかし、操られるのは興味もなければ旨味もなし、と言った具合だな。どうしてそこまで栄華を拒む? 我々と手を組めば、真の意味での平定に邁進する事も可能だろうに』

 

「……生憎、僕は僕でやる事がある。あなた方に全面的な服従をするわけにもいかない」

 

『その邸宅で飼われている機械人形端末か。どうしてそこまで入れ込む。以前、教えたであろう? この時代において、試作型のライドマトリクサーは――』

 

「それ以上、言うな! 僕が許さない……!」

 

 仮想の肉体で拳をぎゅっと握り締める。

 

 血が通わない電脳の躯体でも、爪を食い込ませていた。

 

『……よかろう。これ以上は言うまい』

 

『しかし、忠告はしておく。人形遊びにうつつを抜かせば、足をすくわれるのはそちらのほうだと』

 

 唐突に接続が切られる。

 

 相手からの思考拡張脳波を打ち切られるのはいつだって突然だ。

 

 だからこそ、何度か枝をつけようともしたが、既に自分の電脳に深く食い込んだ「彼ら」の側の枝のほうが強い。

 

 下手を打てば、自分だけではない。

 

 ピアーナの身さえも危険に晒す。

 

「……そういえば、ピアーナは……。もう深夜か……」

 

 戻ってきた肉体感覚にハイデガーは息をついていた。

 

 時刻は深夜三時。

 

 彼女は毎日のように、この時間帯になると部屋を抜ける。

 

 ハイデガーは視野と感覚器の調整に三分を要していた。

 

「仮想現実に身を浸し過ぎれば、それだけ危険も増す、か……」

 

 だが、ピアーナに危害を加えないように立ち回るのにはこの方法しかない。

 

 そういえば、とようやく立ち上がれたハイデガーはピアーナの仕事の一端である翻訳文学に触れていた。

 

「……今日の物語は悲劇だな。我が子を食い殺す実の父親の……物語か」

 

 ページを捲っていると、不意に滑り落ちたのは銀色の栞であった。

 

「……金属製の栞……。ヒトは船が錨を下ろすように、物語と言う大海原で迷わないように栞を挟む……か」

 

 その栞に触れた途端、ハイデガーは脳髄を揺さぶる衝撃を感じていた。

 

 頭蓋に突き立ったのは誰かの記憶だ。

 

「これ……は……」

 

 大いなる大地に燻ぶる蒼い残像の地平。

 

 黒色に堕ちた太陽の光からの干渉波を受け、ブリキの巨人が世界を踏み荒らす。

 

「今の……ビジョンは……あれはミラーヘッド……か?」

 

 自分の中で該当するのはミラーヘッドによる「統制」の戦場でしかない。

 

 だが、何故と言う疑問が浮き立つ。

 

「……この時代にミラーヘッドは……まだ存在さえもしないはずだ……」

 

 ならばこの栞に刻み込まれた記憶は誰のものだと言うのだ。

 

 ハイデガーは栞を仔細に眺める。

 

「……この栞……ライドマトリクサーの指先でさすらなければ、反応さえもしない……」

 

 指先に刻印された自動翻訳機能が作用し、栞の内側に封印されてきた記憶を呼び覚ましたのだ。

 

 だが、とハイデガーは本のあった場所へと視線を巡らせる。

 

「……この本は……今週に入ってから、ようやくこの書架から持ち出されたものだ。それまで本棚の隅で……埃を被っていたはず……」

 

 しかし、この記憶に一度でも触れれば――それは在りし日のミラーヘッドの戦場を思い返すのには充分な起爆剤だ。

 

 何よりも自分は、この記憶の在り処を知っている。

 

「……だが、待て。ミラーヘッドは存在していない。それだけは確かだ。今にモビルスーツの建造に移ろうと言う時代だぞ……。そんな時代に第四種殲滅戦はおろか……ミラーヘッドの技術体系でさえも成り立っていない。しかし、この記憶は間違いなく……ミラーヘッドの戦場だ。僕の経験がそう告げている」

 

 だと言うのに、どれだけ知識を総動員しても、どれだけ感覚器を鋭敏にさせても、この時代にミラーヘッドの技術の残滓でさえも関知出来ない。

 

 ――それでも蒼い地獄の光景だけは本物だ。

 

「まさか……僕より先に、この時代にミラーヘッドの概念を持ち込んだ人間が……居る?」

 

 あるいは「彼ら」の何者かが送り込んだ差し金か。

 

 どうとも取れるが、ハッキリしているのはこれが「挑発」だと言う事だ。

 

 この時代に跳躍してきたハイデガーへの、正真正銘の宣戦布告だ。

 

「……僕に何をさせたい……。ここでピアーナを……見ているだけの僕が……ピアーナ?」

 

 ページを捲り、その物語へと視線を落とす。

 

 曰く、“その少女は自ら望んで父親に食い殺されるのだ”――と。

 

「……まさか……」

 

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