「それ、入れ墨……ですよね?」
そう問いかけてきたのは赤髪のオペレーターで、アルベルトは自身の腕に視線を落としていたのを少し恥じ入る。
それほどまでの――眉目秀麗な女性であったからだ。
時間を忘れて見入るとはこの事を言うのだろう。
しかし何でなのだか、自分はそんな美人の言葉を当たり前のように受け止めていた冷静さがあった。
「ああ、これ、あいつの……クラードの腕にある入れ墨……ああ、違ったっけ。あいつのは入れ墨じゃ……ないんですよね、そのー……」
「ブルームです。ラジアル・ブルーム。専任オペレーターをやっています」
まさに華が如き咲くとはこの事か、と痛感するような笑顔にアルベルトは思わず目線を逸らして早口になる。
「……にしたって、珍しいっすよね。女ばっかりなんて」
「そうですか? ここは史上初の民間主導の戦闘艦ですので、そういう側面もあるのかもしれませんけれど、連邦艦だって、女性の採用率は上がっているはずですよ?」
「そう、なんすかね……。参ったな、マジに……」
「何がです?」
「あの……本人目の前にして言うのも何ですけれど、……どっかで逢いましたっけ、オレら?」
その言葉に暫時口を開けて放心していたラジアルは、直後にぷっと吹き出す。
「わ、笑わないで欲しいんすけれど……」
「いえ、ごめんなさい……! 思わず……だってそんな口説き文句、女優だった頃だって言われた事ないんですもん」
女優、と言う言葉にアルベルトは脳内で閃くものを感じていた。
「あー! あんた……女優のラジアル・ブルーム? まさか、歌も何曲か出してましたよね?」
「あんまり上手くないから、歌うのはよしてくれって、事務所には言っていたんですけれどね」
微笑みさえも雅なのも納得だ。
彼女は――デザイアのようなFランクコロニーではなかなかお目にかかれなかったが、かつて実家に居た頃に映画で観た事がある。
「……ウッソでしょ……? 史上初の、ライドマトリクサー施術を受けた……って言う、スタントなしの本番一発撮りの、ラジアル・ブルーム?」
「わぁ! そこまで覚えてくださっているですね! もしかしてアルベルトさん、結構いい趣味していらっしゃるんで?」
ここで実家の事を勘繰られるわけにはいかないと、アルベルトは持ち直す。
「あ、いや……。Fランクコロニーでも映画くらいの娯楽はあったんで……。まぁトキサダに言わせりゃ、ハイソぶってるんじゃないって感じでしょうけれど……。でも、マジにあのラジアル・ブルーム? 何だって……そのー……戦闘艦に?」
「私、エンデュランス・フラクタルの看板女優もしていましたので。そのご縁でこうして呼ばれたんですよ」
「いや、それはそうだとしても……。戦闘艦ですよ? どんな危ない目に遭うか分からないってのに……」
まさか芸事の人間がベアトリーチェに乗り込んでいるとは思わず、アルベルトはすっかり参ってしまう。
ラジアルはそんな様子を面白がるように少し踊るようなステップを踏んでこちらを観察していた。
エンデュランス・フラクタルの制服が、いざ大女優だと分かった途端、上出来の舞台衣装に見えてしまうのは我ながら節操がないと恥じてしまう。
「……な、なんすか……」
「いや、なーんか……アルベルトさんはちょっと違うなーと思いまして。他の方々とも、まぁ皆さんと直接会ったわけじゃないですけれど、アルベルトさん、何だか気品があるって言うんですか? ちょっと違う感じがさっきから漂ってきていまして」
「気のせいっすよ。オレなんて、荒れくれ者の凱空龍のヘッドですから」
そうは応じつつも、まさかこんなところでバレる事はないだろうな、と少しだけ戦々恐々としてしまう。
ラジアルはこちらの胸中などまるで感じていないかのように、華麗なステップを踏むのであった。
「でも、不思議ですよね! 私みたいな女優業しかしてこなかった人間と、宇宙の最果ての暴走族の方が、同じ艦内で、って!」
「いや、ラジアル・ブルームって言えば、一流女優ですよ。そんな人が、その……目の前に居るってのもなかなかに信じがたいって言うか……」
本人かどうかは幼少期に観た映画の記憶が物語っている。
彼女は間違いなく「本物」の側だ。
自分のような紛い物とは違う。
「……でも、マジに分かんないっすね。何で、あの大女優、ラジアル・ブルームがこんな民間の船に……」
「ああ、これ、秘密なんですけれど……」
不意に接近されて耳元で囁かれたものだからアルベルトは鼓動が早鐘を打つのを感じていた。
静まれ、と念じても、どこか甘い囁きを前にして薄っぺらい男のプライドなんてまるで役に立たない。
「……私、リアルが欲しいんです」
「り、リアル?」
「はい! だって、女優を何年やったって、本物の戦場とか分かんないじゃないですか。でも、皆さんは本物に触れてきた。それって全然違うと思うんです。私はまだまだ……オペレーターとしても学ぶ事ばかりですけれど、それでもいつかは……誰もが私の演技に夢中になってくれるような、そんな世界で生きてみたいんです」
「へ、へぇ……変わってますよね、その……ブルームさんは……」
「ラジアルでいいですよ? 他の方々ももう、わざわざかしこまってブルームなんて呼びませんから」
「いや、そうはいかないでしょ……。だってオレはその……知っちまってるんですから……」
「映画ですか? どれを観たんです? アルベルトさんは」
まるで無防備に、年相応の少女の面持ちで言われてしまうものだからアルベルトは困惑してしまう。
――これでも大女優。自分とは生きる世界がまるで違う天と地ほどの差のある人。
そう何度も自分に言い聞かせないと、ここで女優相手にとんだ失礼をやらかしてしまう気がして、アルベルトは慎重に言の葉を継ぐ。
「いや、それは……言えないっすけれど……」
「何でですか? 別に私、どの映画のファンでも差別しませんよ?」
「いや、差別って言うかそういうんじゃ……。ってか、いいんすか? オレみたいなの相手に喋っているとその……気にならないんすか?
「……何がです?」
本当に分かっていないのか、とアルベルトは咳払いして凄んでみせる。
「その……オレは宇宙暴走族のヘッドっすよ? 何し出すか分かったもんじゃないでしょうに」
そう口にすると、ラジアルは心底可笑しいように、それでいて体裁は崩さない整った微笑みを返答する。
「だって、アルベルトさん……どう見たって悪い人じゃないですもん。私みたいな一般人でも分かりますよ、それくらい」
「い、一般人じゃないでしょ、あなたは……」
「ほら、そういう。……やっぱり違う気がするなぁ、アルベルトさんは。何て言うんでしょうね? 隠し切れない、正直者さ加減?」
小首を傾げる仕草ですら、一描写を切り取ったようにさえ映るのだからさすがは大女優の風格か。
しかし、とアルベルトは頭を振る。
「あの……そういうのオレからしてみても示しつかないんで、やめてくださいよ、からかうの……。にしたって、ここは異常っすよ。いや、オレらの居たFランクコロニーも異常って言えば異常っすけれど。何なんですか、この艦は」
「何って……民間主導の新造艦、ベアトリーチェですけれど。ああ、名前ですか? 呪いの魔女の名前らしいですね」
「呪いの魔女……いや! そんな事じゃなくって! ……おかしいでしょ。そんな、いくら民間船だからってあなたみたいなのを乗せて……どこを目指しているって言うんです、こいつぁ」
「……詳しい話は聞いていませんけれど、目下のところ月軌道みたいですよ?」
「月軌道? ……つーって言うと、まさかこいつ、ダレトに向かっているんで?」
「あ、ダレトに関してはご存知……ああいえ、これも失礼でしたね。訂正します」
「あー、いや。オレらみたいな荒れくれ者じゃ確かにダレトに関したって詳しい知識なんて持っちゃいないって思うのが常識っす。でも、何だってこいつはダレトに? あそこは地球連邦の張っている警戒宙域でしょう? それに……敵は連邦政府だけじゃなくって……」
「ええ、ダレトより来たりし彼方の使者……MF四機が見張る絶対の死の宙域でもある」
歌うように告げられた事実はしかし、何よりも重い現実のはずだ。
「……あそこで大勢死んだってのだけは、連日報道されていたじゃないですか。ダレトが開いた時分には」
「でも、今は安定期に入っているみたいですよ? 観測器の一部権限は我が社にあるので。おっと、これ社外秘でした」
ピンと指を立ててお茶目に笑ってみせるラジアルに、アルベルトはすっかり毒気を抜かれていた。
「……からかってるんすか。オレの事」
「嫌ですねぇ、からかっているなんて。ちょっと遊んでいるだけじゃないですか? あ、せっかくなのでアルベルトさん、この艦をご案内しましょうか? だってまだ、ほとんど知らないままでしょう?」
「ご案内って……オレら、これでも一応、あんたらの社員とかスタッフとかとの、その、軋轢みたいなのもあるんじゃ……」
言いやる自分も何のそので、ラジアルは腕を引いていく。
「いいですから! 私、これでもオペレーターなんで、色々と叩き込まれたんです。じゃあ、今度は後輩に教えるのが筋じゃないですか?」
ふん、と胸元を反らして誇らしげにするラジアルに、アルベルトは懐疑的になってしまう。
「……女優業は辞めたんすか?」
「いいえ? 女優もやりつつ、ベアトリーチェのクルーも、なんです。だってこの先、どれだけ面白い事が起きるか分からないんですから! 期待値は高めにしておかないと!」
確かに舞台女優としての癖が抜けていないようで、どこか観客に向かうように大らかに、ラジアルは芝居めいて言ってのける。
「……あのっすね。オレみたいなの連れているとその……ラジアルさんも言われちゃうんじゃ? 面倒っすよ?」
「いいじゃないですか! アルベルトさん、何だか素敵ですし、別の世界の人にこの世界を案内するのって、メルヘンですから!」
「……メルヘン、ねぇ。ってなると、オレが野獣の側か?」
呟きつつ、ラジアルの思ったよりも強い腕力にそのまま引かれる形で、アルベルトが訪れていたのは食堂であった。
「……えっ、食堂?」
「何もおかしくないはずでしょう? 食は明日への活力! 戦士達の基本ですよ」
「そりゃあ……そうかもしれませんけれど」
食堂でランチにありついている整備班からの視線が刺々しい。
何であいつが、のような攻撃的な眼差しに、アルベルトは遠慮の言葉を返す。
「その、ちょっと居づらくないっすか?」
「そうですかねぇ……。でもアルベルトさん達もここで食事を取るんじゃ?」
「いや、オレらは運んできてもらうんすよ。出来る事やるのが筋なんで、メカニックとかにも顔を出しますし。そっちでの食事ばっかりで――」
「えー! もったいないですよ、それ! みんなでご飯食べたほうが美味しいに決まっているじゃないですか!」
断定の口調で言われてしまうと、こちらもどうすればいいのか分からず当惑してしまうのみだ。
「……私! ここでいっつも、同じランチ頼むんです! アルベルトさんも今度、いかがですか?」
「あー、そうっすね……。いただくかもしれません……」
こうやって話している間にも野郎連中の視線が鋭くなる一方だ。
アルベルトは意図的に話題を逸らしていた。
「そういや……艦橋とかどうなってるんですか? オペレーターならメインの仕事場はそっちなんじゃ……」
「管制室ですね! じゃあこっちへ!」
「えっ、ちょっ……! だから、力、強いんですって!」
「ライドマトリクサーですし、鍛えていますから!」
自信満々なラジアルに案内された先は管制室で、今も警戒挙動に入っているはずであったが、存外静かであった。
「……あれ、思ったよりも人は少ないんすね……」
「ええ、自動操縦が利いていますので。だから私もちょっと仕事がないなぁって思ってこっちに来ちゃったんですよ」
「……なるほどね。それにしたって操舵手も居なければ砲撃長も居ないってのは、最早、妙だとしか……」
「それくらい、この戦艦は他とは違うんです。何せ、民間主導初の戦闘艦ですからね!」
まるで自分の手柄のように言葉にするラジアルにアルベルトは軽く呆れつつも、艦長席にも人気がない事に気付く。
「艦長は……?」
「お部屋でコーヒーでも飲んでいらっしゃるのでは?」
「……マジかよ。無警戒過ぎだろ、この艦……」
一週間前後過ごしたとは言え、自分達の領分以上は全く関知していなかった戦闘艦だ。
しかもヘカテ級となればそれなりに広く、散策しようと思わなければ中々お目にかかれない。
「でも、システムOSが優秀ですので。ご存知ですか? 艦には大型のアステロイドジェネレーターシステムが搭載されているので、その気になればミラーヘッドの加速くらい、訳ないんですよ?」
「この艦自体が、ミラーヘッド機って事っすか?」
「まぁ、平たく言うとそうですね。厳密に言うともちろん違うんですが、ミラーヘッド機と同じような機能もあると言う話で」
想定外に近い出来事ばかり起こるので、ある意味ではそれも納得か、とアルベルトは胸中に結んでいた。
よくよく考えれば最初の長距離通信からさほど時間も空けずにデザイアまでのランデブーポイントに入れたのだ。
ベアトリーチェの秘密にそれくらいはあってもおかしくはない。
「にしても……静か過ぎやしませんか? 一応はトライアウトからの追撃もあるって言う線でしょう?」
「ええ。ですが警戒しっ放しでも仕方がないですし、それに私達の航路はあくまで月面を目指しています。トライアウトと諍いを起こす自体は、ある意味じゃ現実的じゃないんです」
「……なるほど。つまりあんたらは安全な月面航路に入りたいだけでトライアウトと事を構えたいわけじゃない……」
「正解! アルベルトさんってばやっぱり、何か品性がありますね」
「……あのですねぇ、オレをどんだけからかったって何も出ないっすよ。それに……今の、ちょっと馬鹿にしてません?」
「あっ、バレちゃいました?」
本当に何なのだ、とアルベルトは困惑してしまう。
「……っつっても、この戦闘艦、前の時って艦砲射撃も何もなかったじゃないですか。あれで大丈夫なんです?」
「大丈夫です。この艦にも成長するOSと言いますか、学習型のシステムが組み込まれているんです。あの時はまだ進水式を飛ばしての航行でしたので後れを取りましたが、今度はそうはいきません!」
「……とは言っても、仕掛けてくる敵もないんじゃ、証明のしようもないですけれど」
「まぁ、そこはいいように捉えましょうよ。今のところ航行に支障なし。現状宙域より、少し行けば、補給に必要なコロニーに着きます。そのコロニーで三日ほど滞在、後に月面航路を目指していくつかのコロニーを中継しつつ、着実に向かうのが理想ですね」
ラジアルが機器に触れると月面航路までの道のりが大型のモニターに映し出される。
「……いいんすか。これも守秘義務じゃ?」
「堅い事言わないでくださいよ。もう一蓮托生じゃないんですか?」
「……それってそっち側の台詞じゃ、ないっすよね」
そうぼやきつつも、アルベルトはこのベアトリーチェが如何に優れているとは言え、補給なしでは月までは辿り着けないのだと知る。
「……もしかしたら、道中であいつらを無事な場所に返せるかもしれないって事か」
「えっ、アルベルトさん、どっかで降りちゃうんですか?」
「……いや、オレは……。いや、どうかな。あいつらが落ち着ける場所があるって言うんなら、そこで改めて凱空龍興してやるってのも、ヘッドの仕事のうち――」
「駄目です! 駄目! ……そんなの駄目なんです!」
ラジアルが自分に顔を近づけて言いやるものだからアルベルトは仰け反って頭を振る。
「いや、その……近いって言うか」
「あっ、すいません。……でも、まだ宇宙暴走族を? もういいんじゃないですか? ここも悪くないですよ? エンデュランス・フラクタル」
「……ラジアルさんの行き着く先はここなのかもしれませんけれど、オレらは所詮、根無し草なんです。だからどこか、辿り着ける場所に落ち着けるんなら、そこでもう一回、凱空龍として活動して……ってのも、ある意味じゃ、さ。あいつらに顔向け出来るヘッドであるための、ケジメみたいなもんで」
「……ケジメ、ですか。男の子の理論ですよ、それ」
「……かもしれません。オレは……結局まだ、クラードに礼の一つだって、言えてやしないんですから……」
その感慨を噛み締め、アルベルトは顔を伏せるのであった。