機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第237話「その名を辿って」

 

 ハイデガーの言葉にテトラはふっと歩み出す。

 

 他の使用人や給仕の制止の声も届かず、《レヴォルテストタイプ》の腕が彼女を抱える。

 

「手狭なコックピットだ。少し無茶をする。舌を噛まないように」

 

 テトラとピアーナを擁したコックピットハッチを閉め、ハイデガーは両腕を接続口へと翳す。

 

 直後に腕が可変し、頭蓋に突き立つ電流の味が広がっていた。

 

「……二年くらいじゃ、錆びもしないだろう、《レヴォルテストタイプ》」

 

『専任ライドマトリクサーの帰還を確認。これよりアイリウムの挙動を優先します。モードを選択、後に主導権を譲渡します』

 

「……女の人の、声……?」

 

「アイリウム……まぁ、機械音声だ、気にしなくっていい。飛ぶぞ、出来るな?」

 

『承認。ノズルスラスターを噴射させ、これより425秒間の飛翔機動に入ります』

 

「充分な距離は稼げそうだ。行くぞ」

 

 飛翔した《レヴォルテストタイプ》はスラスターノズルに蓄積した粉塵を噴き上げ、そのまま高高度へと至っていた。

 

 あまりの高さにテトラの表情に恐怖が宿る。

 

「こんな高さ……」

 

「慣れたものさ、これくらい」

 

『安定機動に入ります。飛翔高度を限定、425秒の挙動を訂正し、237秒間の高高度維持を実用』

 

「半分程度しか持たないか……」

 

 メンテナンスもなしで二年間放置すればさもありなん。

 

 むしろ機動してくれただけでもありがたいほどだ。

 

「……ハイデガー様、これは……どういう……」

 

「ああ、言っていなかった。モビルスーツと言う……鋼鉄の巨人だ。少し先の未来では当たり前になっている」

 

「モビルスーツ……? じゃああなた、未来人だって言うんですか?」

 

 テトラの問いかけにハイデガーはすぐには応じられなかった。

 

 この時間軸が正しく来英歴を辿っているのかどうかさえも分からない。

 

 しかしだからと言って、ピアーナを助けなければ自分は一生後悔していただろう。

 

「……それはよく……と言うか、何故、来たんだ……」

 

 質問するとテトラは頬をむくれさせる。

 

「来いと言ったのはそっちでしょう?」

 

「いや、そうは言ったが、普通来るか? ……この事態で」

 

「何ですかそれ。来るもの拒まず、そう言ったものでしょう?」

 

「……たくましいな」

 

 つんと澄ました様子のテトラから視線を戻し、ハイデガーは《レヴォルテストタイプ》の降り立つ場所を概算する。

 

「ここからなら……あの場所がちょうどいい。テスタメントベースに亡命する」

 

「あれって連邦の基地でしょう? 身勝手に押し入って、排除されるのはこっちなんじゃ?」

 

「心配は要らない。もう伝手はある」

 

 自分がエーリッヒなのだと告げればさほど抵抗はないはずだ――と、その段になって、ピアーナが何故、自分の本当の名前を知っていたのかと言う疑問に行き着いていた。

 

 しかし今のピアーナに問い質せるような余裕はない。

 

 ほうほうのていで逃げ出してきたのだ。

 

 少しでも落ち着ける場所を提供するのがやっとだろう。

 

「……ハイデガー様……あの……」

 

「ハイデガーって言うんです? あなたは。ふぅん、何かイメージと違いましたね」

 

 分かった風な事を言うテトラの言葉振りに翻弄されつつ、《レヴォルテストタイプ》はテスタメントベースの領空へと入っていた。

 

 迎撃網が走り、照準警告が鳴り響く。

 

「ちょっと! 伝手はあるって……!」

 

「それは今から作るんだ。ちょっと黙っていてくれ」

 

 仮想人格データにアクセスし、ハイデガーはテスタメントベース中枢の抗生防壁を打ち破っていた。

 

「……照準連鎖システムと、迎撃防衛システムは……この糸か……!」

 

 断絶させた瞬間には先ほどまでのけたたましい警告音が嘘のように静まり返る。

 

「……止まった? 何をしたんです?」

 

「だから言ったろ? 伝手を作ったんだ」

 

「意味が分かりません」

 

「……そうかもな」

 

 無事に着地した自分達へと、おっとり刀の機動隊の兵士達が照準する。

 

 コックピットハッチを開かず、ハイデガーは告げていた。

 

「協力者として、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの名において宣告する。我が方に銃を向けるのは遠からぬ破滅と知れ」

 

 この一声だけでも理解出来る人間は居るはずであった。

 

 三分ほど経った頃、兵士達はめいめいに指令を受け、銃を降ろしていた。

 

「……だから、何をしたんです?」

 

「伝手だよ、特別な」

 

『牽引します。格納庫へと』

 

 相手のガイド音声にハイデガーは返答していた。

 

「信用出来ない。中枢部へと直接アクセスを乞う」

 

「そんな強気な……!」

 

「それくらいじゃないと通してくれやしない」

 

 舌を巻くテトラにハイデガーは相手の返答を待っていた。

 

『……了解しました。テスタメントベース中枢への直接アクセスを許可します。歓迎します、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー様』

 

「あれ? ハイデガーだったんじゃ?」

 

「名前は、信用の数だけ持っていたほうがいいさ」

 

 テスタメントベース中枢部にはこの基地そのものの頭脳である未発達なアイリウムが据えられている。

 

 半球状のアイリウムへとマニピュレーター末端部より端末を翳していた。

 

 相手からのアクセスは少しおっかなびっくりだ。

 

 それもそのはず。

 

 五十年後のアイリウムと、前時代的でありながら原初のアイリウムとの初の邂逅である。

 

『……承認いたしました。データ痕も一致。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー様ご本人と認識』

 

「認証助かる。このまま僕達はどうなる?」

 

『決議を経て、連邦軍諜報部の預かりとなります』

 

「諜報部、か。穏やかじゃない言葉に聞こえるな」

 

『これでも譲歩なのです。元々、その機体と貴方達は、一方的に拿捕されるはずであったのですから』

 

「……なるほど、高度に政治的、ね」

 

『理解していただければ助かります』

 

 しかし、この時代の地球連邦軍に自分達を匿うだけのメリットはあるのだろうか。

 

 ハイデガーは仮想人格を拾い上げて、攻勢防壁の網を潜らせようとした瞬間には、声がかかっていた。

 

「駄目です……ハイデガー様。今は相手の出方を看ましょう……」

 

「……驚いたな。僕が抗生防壁を破るのが悟れるようになったのか、ピアーナ……」

 

「何度も見ておりますので……。その兆候くらいは……」

 

 五十年後の電子戦闘光学師としての片鱗は既にあると言うわけか。

 

 ハイデガーは暫時、思考を差し挟む。

 

 もうリクレンツィア家には居られないとは言え、少し軽率が過ぎたか、と後悔が脳裏を掠めたのも一瞬、全天候モニターに反射するピアーナの姿にその言い訳は封殺された。

 

「……僕が救いたかったんじゃない。僕は……救われたかったわけか」

 

「何を言っているんです?」

 

「君には分からないよ」

 

 そう返すとテトラは明らかに不服そうであった。

 

「……その言い草、気に入りませんよ。何でも分かった風なんですね、ハイデガーさんは」

 

「あれ、様付けはなしか」

 

 少し茶化したつもりであったが、テトラは給仕服の襟元から風を入れていた。

 

「もうお役御免でしょ? それに、いついかなる時も御用は何でも、って、そもそもガラじゃないんです」

 

「元々向いていなかった、って事か」

 

「……まぁ、そもそも私だってあのお屋敷に売られたみたいなものですし。後々の話なんて大体が想像出来るでしょう。あのお屋敷でお局様の下で一生を終えるか、それとも別の人生かなんて問い質すまでもないって言うか」

 

 テトラの人生もある意味では閉じていたのだろう。

 

 別段、彼女まで助けるつもりはなかったが、それでも面影はある。

 

 ――カトリナ・シンジョウの、彼女の面影が。

 

「……僕は、いつまで囚われているんだろうな」

 

『機体識別信号を受諾。テスタメントベース中枢にお越しください』

 

「信用出来ない、その間に機体を鹵獲するつもりか」

 

『では問い返しますが、そのまま機体に閉じ籠って交渉出来るとでも? 籠城するのは勝手ですが、それが賢いとも思えませんね』

 

「分かっているさ。この時代のアイリウムにしては融通が利く」

 

『最新鋭の叡智が詰め込まれておりますので簡単な受け答えは可能です。それもこれも、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー様、貴方が何度もこの基地へとアクセスした膨大なデータベースが機能している』

 

 なるほど、伝手と言ったのは何も間違いではないらしい。自分がこれまで築き上げてきた知識にそのまま跳ね返されている気分であった。

 

「……では僕達は一度、そちらに謁見願おうか」

 

『代表者はテスタメントベース研究室にいらっしゃいます。そちらまでのガイドを送っておきますので行き先はお任せします。研究顧問役は既にエーリッヒ様の到着を心待ちにされておられます』

 

「僕が今夜こちらに来る事は察知出来ていないはずだが?」

 

『それは研究顧問の胸のうちと言うものでしょう。わたくしに関して言えば、エーリッヒ様に悪い心象ではございません』

 

「悪い心象ではない、か。それは褒められているのか貶されているのか分からないな」

 

『少なくとも、貴方方を害そうと言う気持ちは微塵にも。所詮、わたくしは疑似発達型思考回路ネットワーク。貴方方の持つネットとは隔絶されているのです』

 

 どうやらこの酔狂なアイリウムは自分達を言葉で弄そうとはしていても、迷わせようと言う害意はないらしい。

 

 信用に値するか、とハイデガーは二人へと視線を振っていた。

 

「私は……別にいいと思います。相手が何を言っているのかはさっぱりでしたけれど」

 

 肩を竦めたテトラに比して、ピアーナは縮こまっている。

 

「……あたしは……誰を信じればいいのか、よく分かりません……」

 

 それが正直な気持ちの吐露であろう。

 

 彼女はこの二年間の父親からの折檻に耐え、そこから救い出されたとは言え、自覚もあまりないはずだ。

 

「……僕が付いている。ピアーナ、もし不安なら僕が矢面に立つ」

 

「あら、心強い。ひょっとしてハイデガーさん、そういうご趣味が? 殿方の趣味にいちいち口を出すような野暮な女のつもりもないですけれど」

 

 そう言ってから静かに舌を出すテトラにハイデガーは悩まされていた。

 

 口調も性格もまるで違うのに、見た目はカトリナのほとんど生き写しだから始末に負えない。

 

「……いいから。今は僕の信用がかかっている」

 

「ですね。じゃあ私達はせいぜいお荷物ってわけですか」

 

 コックピットブロックを開け放つ。

 

 鋼鉄の巨神である《レヴォルテストタイプ》へと、ハイデガーは言い置いておく。

 

「防衛障壁を展開。専任RMである僕以外の命令系統は受け付けないように」

 

『承認しました。システムはこれよりスタンドアローンに入ります』

 

「今の、どうやったんです? まるで魔法みたいな」

 

「解読されない技術の粋は、魔法みたいに映るものさ」

 

 テトラの興味をかわしてハイデガーは歩み出す。

 

 ちょうど雨粒がかかって空を仰いでいた。

 

 冷えた大気の中で、白く輝く息が棚引く。

 

 いやに心の臓が落ち着いているのは、自分の中の心の澱を解放したからだろうか。

 

 こうなる日をどこかで分かっていた――分かっていて先延ばしにしていたのだ。

 

 当然の報いとは言え、やはり戻れない日々を回顧せざるを得ない。

 

「……研究顧問とは? 僕らの事を知っているのか?」

 

『何度かテスタメントベースには電脳知性体が潜入した痕跡があります。それにいち早く気づいたのが、研究顧問です』

 

 露見していたのか。

 

 まさか自分の手腕が五十年前の人々に解読されているとは想定外であった。

 

「……痕跡は残していないつもりだったんだが……」

 

『研究顧問は特別なお方です。誰が気づかなくとも、あのお方は気付かれます』

 

「随分と執心じゃないか」

 

『それはその通りでしょう。わたくしはあのお方に造られたのですから。造物主を崇める事は人類史がこれまで辿って来た歴史と同じはず』

 

 なるほど、創造神への畏敬の念くらいは機械でも模倣出来るか。

 

 それとも本当に――今話しているアイリウムは特別製なのだろうか。

 

 この時間軸にしては秀でているが、さほど特別とも思えない。

 

「……研究顧問はここに?」

 

 テスタメントベース中枢部たる半球状のドームの中に、ハイデガーは踏み込んでいた。

 

 無数の防御隔壁を超えた先にあったのは白く滅菌された部屋だ。

 

 四方八方からは監視カメラの視線が矢の如く飛ぶ。

 

「ここに来るのは君達が最初の客人だ、歓迎しよう」

 

 その声音と、そして人当たりの柔らかい言葉振りに、ハイデガーは思い至る人物を描いていた。

 

 だがまさか、あり得ない――そう判定した意識は振り向いた白衣の人影を前に霧散する。

 

「……まさか、そんな……」

 

「何かな? それほど意想外な邂逅だとは思えないが」

 

「でもあなたは……まだこの時間軸には存在しても居ないはずだ……。――ヴィルヘルム先生」

 

 その言の葉を受け、紫煙をたゆたわせていた男性は口角を緩める。

 

「おや? 同名の知り合いが居たのかな? それとも……わたしのあずかり知らぬところで、君とは出会っていたか?」

 

 ハイデガーはよろめきつつ、目の前の現実を直視する。

 

 ――ヴィルヘルムであるはずがない。

 

 それを確かめるのには、あまりにも酷似している。

 

 違うのは無精髭を蓄えている点と、煙草の喫煙者である部分くらいだろう。

 

「どう……なされたんです? ハイデガーさん。あれ、お知り合いですか?」

 

 テトラの疑問も耳に入って来ない。

 

 ハイデガーはその時、ピアーナに袖を引かれてようやく自我を保てていた。

 

「……ハイデガー様……」

 

「あ、ああ、すまない。あまりにも……知り合いによく似た人物が居たから。でも、その人のはずがないと、分かり切っている」

 

「それは経験則かな? いずれにせよ、君らはこの地球上でも最も秘匿されたこの場所に招かれたんだ。誇ってもいい」

 

「……誇っても、か。だが最も閉ざされた場所と言う意味でもある」

 

 返答すると、ヴィルヘルムと名乗った男性はニヒルな笑みを浮かべる。

 

「皮肉は嫌いじゃない。むしろ大好物だとも。人間は、その自意識を肥大化させて生存出来る唯一の知性体だ」

 

「それは……誰の言葉なんですか」

 

「さぁね、引用不明とでも言うべきか」

 

 ヴィルヘルムと同じ佇まいで、ヴィルヘルムのような事を言ってのける眼前の存在に、圧倒を覚えつつもハイデガーは咳払いで打ち消していた。

 

「……それで、あなたは何故、我々をここに招く気になったのです?」

 

「まぁ、それを話すのには時間がかかる。どうだね? 一緒にお茶でも。自信のあるコーヒーを焙煎している」

 

「まぁ! コーヒー!」

 

 こんな状況下にも関わらず、平時のような声が出せるテトラはある意味では大物だろう。

 

 ヴィルヘルムを名乗った相手は笑顔でコーヒーを抽出していた。

 

「これでも暇でね。こうしてコーヒーの味だけは一丁前になっていくわけさ」

 

 人数分のコーヒーが淹れられる中で、アイリウムが声にする。

 

『わたくしの分はどうしたのです? ヴィルヘルム様』

 

「おや、人工知性体でもコーヒーによる休息は必要かな?」

 

『ここまで招いたのです。一杯くらいはわたくしにもくださいよ』

 

「じゃあ、これでどうかな? 今、コーヒーの味覚に相当するデータを送信したが」

 

『……そういう問題ではありません。神棚に供えるように、心構えが必要だと言っているのです』

 

「参ったな、言われてしまっている」

 

 コーヒーカップを端末の上に置き、自分の分のコーヒーに口を付けてから、ヴィルヘルムは余裕たっぷりに尋ねていた。

 

「それで? 君達は何故、ここに来た?」

 

「……行く当てがもうないからですよ。もう居場所なんて……どこにも存在しない……」

 

「それは違う……と短絡的に言うつもりはないが、あの機械の巨神を使えば、どこへなりと逃げられるだろう。わざわざ敵の多い場所を選んだのには理由があるはずだ」

 

 その論調でさえ、冷静さを崩さないヴィルヘルムの口調そのもので、ハイデガーは三年前に袂を分かったはずの相手と話している錯覚に襲われる。

 

「……テスタメントベースの建造には、僕も協力している」

 

「なるほど。幾度となくテスタメントベースの抗生防壁へとアクセスし、その都度開錠してから施錠まできっちりとこなす律儀なハッカーは君だったか」

 

「……そこまで露見しているのなら、余計に、です。何で僕達をここまで?」

 

「興味深いからだ。持ち得る技術も、そしてその身に宿した現代科学でも解き明かせない神秘も、どれもこれも一級だろう。君は思ったよりも我々に注目されている。自覚は持ったほうがいい」

 

「それはどうも……。ですが、ヴィルヘルムせんせ……研究顧問はここで何を? 他に人員が居るようには見えないですが」

 

『失敬な! わたくしが居ますよ!』

 

 自信満々のアイリウムの声にヴィルヘルムは微笑んでいた。

 

「言われているぞ、君」

 

「……じゃあ仮に二人だとして。たった二人で出来る事なんてたかが知れているでしょう? 一体、何の研究を? テスタメントベースは何のために生み出されたのです?」

 

「その前に、レディに服を着せてあげるといい。わたしの研究室には滅多な事では他人は来ないが、服くらいは用意してある」

 

 ヴィルヘルムは落ち着き払った様子でピアーナが裸体に近い事を看破し、自らの研究服の替えを差し出す。

 

 震えるピアーナに代わってハイデガーはそれを受け取っていた。

 

「……テトラ、ピアーナを頼む。僕が着せるわけにはいかない。」

 

「そりゃあ頼まれますけれどね。女の子の着替えを覗く趣味は最低ですから」

 

 テトラがピアーナを着替えさせている間、ハイデガーはヴィルヘルムへと歩み寄っていた。

 

「どうした? 他人が淹れたコーヒーは飲めないかね?」

 

「それよりも、一つだけ……。あなたは本当にヴィルヘルムと言う名前なのか」

 

「どういう意味かな?」

 

「あまりにも偶然が過ぎれば、それは必然だと言うんですよ。僕は……この場所へと跳ばされたのが運命だと思う事にしていた。でもここまで偶然が重なればそれは出来過ぎているとも言う」

 

「何者かの作為、かね?」

 

「あるいは現在進行形でここを見張っている存在が居るとも」

 

 ヴィルヘルムは視線を機器へと流し、それから顎でしゃくっていた。

 

「コーヒーを飲むといい。この時代の端末では君を納得させるのに少し時間がかかる」

 

「……僕の正体を……」

 

「知ってはいない。だが、特異な人物であるのは分かっている。全身ライドマトリクサーのようにも映るが、少し違うな。ピアーナ・リクレンツィア。彼女のデータは存在する。この地上でも珍しい、全身ライドマトリクサー施術を受けた身分だ。当然の事ながら彼女の家柄であるリクレンツィア家には莫大な資産が約束され、そして地球連邦政府による管理権限が与えられている。いわば、特権階級だ」

 

 ハイデガーは先ほど対峙したピアーナの父親を思い返す。

 

 彼は最初から狂っていたのか、それとも狂わせたのは金や名誉によるものか。

 

 否、きっと両方であったのだろう。

 

 リクレンツィア家の当主として、実の娘を連邦の研究機関に預けると言う暴挙は、狂っていなければ出来ないはず。

 

「……特権階級ってのはみんなああなんですか」

 

「……言っておくが、リクレンツィア家当主は元々は服飾関係の職人であった。彼の名誉のために言わせてもらうと、家系としては連邦政府に準ずる血族ではない。ただ、誰もが唾を吐き、そして目を背けるライドマトリクサーと言う分野において、理解があっただけだ。当主は精神鑑定の結果、その意識は大変良好であったと言う記録がある」

 

「じゃあ……! じゃあ、ピアーナは……分かっていて……あんな目に……」

 

「あんな目、と言うのを詮索する趣味はないが、状況証拠だけで言えば、なるほど。確かに選択はミスであったようだな」

 

「……あなたはピアーナが……この世界そのものの悪意に石を投げられ、罵倒される苦しみを知らない……!」

 

「知った風になる事は偉い事かね? わたしはそうは思わない。痛みを肩代わり出来るのは代償を背負う覚悟のある人間だけだ。知ったつもりの言葉はナイフ以上に他人を傷つける」

 

 ヴィルヘルムの言葉は正論だ。

 

 分かっているからこそ、ヒトは傷つけ合う。

 

 その言葉振りでさえも――三年前に分かたれた道を再確認されるようで。

 

「……やはり僕は、あなたを好きには成れそうにない」

 

「そうか。生憎わたしも、君の事は好きに成れそうにない。どれだけ取り繕っても侵入者だからね、君らは。わたしは現場責任者を務めている。君達をこれ以上、テスタメントベースの神秘に近づけさせるわけにはいかないのだが……話はそう単純でもない」

 

 ヴィルヘルムは大きく呼吸し、端末に表示されたデータをこちらへと見せつける。

 

 それはテスタメントベースの擁する機密そのものであった。

 

「……言っている事とやっている事がちぐはぐですよ」

 

「わたしは研究顧問だ。当然、テスタメントベースの運用方針も理解している。その中で、どうにも解せないのがこれだ。上は月面にもこれと同じようなものを造るつもりでいる。そのこころは?」

 

「……それは、相手にしか分からないでしょう」

 

「三十点の答えだな。君ならばもっと肉薄出来るはずだ」

 

 試されている感覚にハイデガーは吐き捨てる。

 

「……じゃあ、それこそ身勝手そのものなんじゃないですか。あるいは、別の何かを、待ち望んでいるか」

 

「今のはよかった。五十点に格上げだ。主観が入り混じってはいるが、それでも君の本心を聞けた気がする」

 

「……何が聞きたいんです」

 

 ヴィルヘルムは端末に腰掛け、深く煙草を吸ってから言葉を発していた。

 

「……つまりは、今のわたしでは、お歴々の考えを読み取る事はまずもって不可能だ、という事実だ。彼らは思惑の外で動いていると言っていい。だが、君は違う。何度もテスタメントベースの抗生防壁に打って出て、その結果に得た何かがあるはずだ。わたしは現場判断を大事にしたい」

 

「……僕の入手した情報と、あなたの情報とを擦り合わせて、それで上を打倒するとでも?」

 

「おいおい、滅多な事は言うもんじゃないとも。打倒なんて、人聞きが悪いと言うものだ。考えを知りたいだけさ」

 

 肩を竦めた相手にハイデガーは、記憶の中のヴィルヘルムよりも目の前の男は飄々としているように映っていた。

 

「じゃあ、僕達をどうこうしようってわけじゃ、ないって考えても?」

 

「それはそうなんだがね。全身ライドマトリクサーを擁すれば技術の叡智は十年は早く訪れる。どうだろうか? 君達さえよければ、ここで暮らしてみないか?」

 

 思わぬ、と言うのはこのような時を言うのだろう。

 

 想定外の提案にハイデガーは面食らう。

 

「……僕らを、テスタメントベースで飼い殺しにするとでも」

 

「言い方だ、言い方。生憎のところ、わたしにも一般社会において生活と言うものは存在する。これでもここを空ける事もあるんだ。その間、思わぬ闖入者を呼び込みたくはない」

 

「……同じじゃないですか。番犬として飼うと言っている」

 

「これは失礼。こちらも言葉が足りなかったな。――単刀直入に言わせてもらえば、君達の実力は買っているとも。それだけのハッキング能力と、現状比肩し得ない情報処理技術、そしてあの巨人の叡智もある。それら全てを寄越せとは言わないが、テスタメントベースならば適正な扱いを施す事が可能だろう」

 

 逆を言えばテスタメントベース以外では最早自分達に生きる道はないとさえ、言われてしまっているようである。

 

 だが事実そうなのだ。

 

 ピアーナの日々を壊してしまった以上、もうリクレンツィア家の邸宅で、知らぬ存ぜぬを通せるわけがない。

 

「お着替え完了ーっと。あ、お話終わりました?」

 

 テトラによって白衣に着替えさせられたピアーナの双眸を見据える。

 

「あの……どうでしょう、か……?」

 

「とっても似合っているとも。研究職も悪くないんじゃないか?」

 

 軽口のヴィルヘルムに辟易するものを感じつつも、ハイデガーは静かに誓っていた。

 

 ――もうピアーナを傷つけさせない。他の誰の手も及ばない場所へと保護するのには、ヴィルヘルムの口上をある程度受け入れるしかない。

 

「……分かりました。僕達の能力があなたの……ひいては僕らの役割となるのならば」

 

「そこまで硬く構える必要性はないとも。それに、依頼しているのはこちらのほうだ。協力して欲しいのは純粋な願いだよ」

 

 ヴィルヘルムの口振りにハイデガーは真正面からその瞳を覗き込んで返答する。

 

「……力が必要と言うのならば、応じましょう。どうせ、僕にはそれくらいしか……出来る事なんてないのだから」

 

「ではまずは名乗りだな。君の名前は? ハイデガー、でいいのかな?」

 

 既に二人にはハイデガーで通っているが、ヴィルヘルムにはその名を呼んで欲しくなかった。

 

 だから――これは自分の、我を通すだけの手前勝手さだ。

 

「……いいえ、僕の名前はエーリッヒ。――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーと、呼んでいただきたい」

 

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