宇宙の常闇から生命の星を眺める事の、何と冒涜的な事か。
ザライアンはラムダの舷窓から望める青き母なる惑星に言葉をこぼしていた。
「……僕達の正しさは、まるで意味を持たなかった、か」
「そうでもない。ザライアン・リーブス。そちらの交渉によって我々はマグナマトリクス社における特権を得たに等しい」
前を歩んでいたマーガレットの言葉に、どうだか、と口にしたのはヴィヴィーであった。
「この次元宇宙の猿共に、要らぬ知恵を与えているだけだ。私が《ネクストデネブ》さえ呼べれば……焼き尽くしてやっているものを……!」
憤怒に染まったヴィヴィーの声音に、マーガレットは落ち着き払って応じる。
「だが我々の生存権の確保、そしてMFへの合流の確約。どれもこれも、統合機構軍の一組織にしては思い切ったものだと言う」
「それは……多分、前回の戦闘時に、彼らの一員を確保出来たのが大きいんだと思う」
ザライアンの眼差しは今も宙域を警戒する紺碧の機体を目の当たりにしていた。
――MS、《ゲシュヴンダー》。
性能面では王族親衛隊の持つ《パラティヌス》に匹敵するであろう。
それだけの機体追従性を誇りながら、今の今まで秘匿され続けてきたマグナマトリクス社の切り札、と言ったところか。
「あれもレヴォルタイプに近い。警戒任務はお得意と言ったところのはずだ」
「《レヴォル》……なぁ、教えてくれないか。僕達はだって……あの日……“夏への扉事変”の後、意図的に接触を禁じられた。一体、何があったんだ? 別の次元宇宙では、僕が想定している限りでしかないが、やはりあったのだろう? “破局”の観測が」
「我々が自らの次元宇宙に関して情報共有するのは禁じられている――と言うのも、今さらの話だな。“彼ら”によって情報を封じられ、私達はこの来英歴で生きる他なくなった。私はあの時、相手の手に落ちる事を拒んだが、それがこのような形となって跳ね返って来るとは思いも寄らない」
「マーガレット・マジョルカ。私は軽々に話すべきではないと感じている」
「ヴィヴィー・スゥ、そちらは酷く手痛い歓迎を受けたのだろう。言いたくないのは分かるが、私達が情報を封じれば、この次元宇宙の純正殺戮人類にとって優位に働く。……迂闊でも今は動くべきだ」
マーガレットの言動はここまで来英歴の人類を嘗めていた自らへの戒めのようでさえもあった。
その驕りが、先の第六の聖獣による一撃を生んだのだとすれば、もう加減などしている場合ではない。
「……僕も、賛成だ。ここに来るまで、何があったのか。少しでも情報を互いに聞き出せれば……連中に勝てるかもしれない」
「……下らん。私は私を侮った者達を焼き尽くせればそれでいい」
ヴィヴィーの論調は相変わらず取り付く島もないようであったが、ここから退席しないところを見るに、聞く姿勢くらいはあると考えていいだろう。
「……僕から、話させてくれ。僕の故郷の宇宙……来英歴とは異なる手順で栄えた世界では、ミラーヘッドの戦術レベルは現在とほぼ同等であった。あの日……僕は運命に選ばれると共に、一度……死んだんだ。叛逆の運命によって」
ザライアンの眼差しはここではない遠い宇宙の出来事へと思いを馳せていた。
剥離した装甲を刃が劈く。
貫いた感覚を正常に保ったまま、彼は並び立つ《エクエス》の頭部を斬り裂いていた。
首を刈られた機械人形達が膝を折り、末期の戦場で紅蓮の業火に焼かれる。
「……これが……叛逆の運命……」
『達す。《オリジナルレヴォル》の次元同一個体を判定。《エクエス》では勝利出来ない。総員、退避を――』
「――遅い」
脳内に焼き付いた情報痕跡へと電子の網が張られ、途端に明瞭になった視野で腕を払っていた。
《エクエス》部隊が寸断され、重力磁場が偏向する。
黒色に近い断絶の太刀は粒子を伴わせていた。
『……フェルミノイドの……情報切断概念……』
通信網に焼き付いた敵兵の声も、今は雑事だ。
脳内が先ほどからけたたましい「聲」で満たされている。
――全てを斬り落とせ。
――目に映る全てが敵だ。
――概念を両断し、観念を切断し、想念を分断せよ。
「うる……さい……。何だこの声は……!」
コックピットの中でのた打ち回る。
明らかに救われた身分でありながら、脳髄が割れそうな意識の重なり合いであった。
自我境界線が今にぷつりと途切れる間際まで追い込まれたところで、彼はその手に握り締めた血塗れの拳銃を意識する。
これで頭蓋をかち割れば、少しはマシになるであろうか、と。
暴かれた死への誘因をそのままに、銃口を顎に添え、引き金を絞りかけたところで、不意に接近警告が意識を揺るがす。
『――よう。生きているか?』
降り立ったのは《エクエス》部隊であったがカラーリングが違う。
友軍の識別信号に彼は、あ、と声を発していた。
『何だ、まだ子供の声じゃないか。まさか、これをやってのけたのは、お前か?』
喉が焼けたように熱い。
枯れ果てた声を思い出す前に、機体が挙動する。
その腕に四枚の刃を顕現させ、友軍信号を発する《エクエス》を断絶しかけた死地の太刀筋は――死線を潜り抜けた相手の挙動を前に霧散する。
「……かわ……された……?」
『敗北を知るのは上等な経験だ、少年。そして強過ぎる力は、お前への福音になるのかどうかも、な』
《エクエス》の構えたヒートトンファーがコックピット部へと叩き込まれ、機体が鳴動する。
コックピットに備え付けられている衝撃減殺の機能が働いたが、それよりも素早く《エクエス》は自分達を組み伏せていた。
手狭な腹腔のコックピットが直後にはひっくり返っている様は、我ながら無力の象徴でさえある。
コックピット側面へとヒートトンファーの灼熱化した武装が添えられていた。
つまりは王手――最果ての戦場でそれを痛感出来ないほどの戦士ではない。
「……殺すなら、殺せ」
『喋れるじゃないか。なら、お前は今日から、おれの下につけ。それが正しさと言う奴だ』
「……正しさなんて……ない」
『確かにな。正しい戦場っていうモノがあるとすれば、それは言葉を弄するだけの詭弁だろうに。しかし、な。根幹の部分で正しいと言う概念はある。子供を一人で修羅に落とすのが正しい大人とはおれにはどうしても思えない』
「……正しい……大人……?」
分からない。今まで自分は命の奪い合いをしていたのだ。
だと言うのに、通信先の相手は正しさを振り翳す。
それがどれほどまでに愚かなんて問うまでもないのに。
彼は急速に脱力していく四肢を感じていた。
それは恐らく、この機体に接続された時点で、相手を殺し尽くす恩讐の徒になる以外の選択肢を奪われていたからだろう。
奪い、奪われ。呪い、呪われ。殺し、殺され。
それが当たり前だ。日常であったのだ。
だから自分は――禁術をその腕に秘めている。
先ほどからコックピットの中を血染めにする両腕の紋様が光を失っていた。
戦意の喪失と共に、刻まれた「聖痕」とも呼ぶべきものは力を失う。
それこそが“疾走する本能(ライドエフェクター)”の名を持つ自分には相応しい末路であったはずなのに。
通信先の《エクエス》より、パイロットが降りてきたのが回線の感度で伝わって来ていた。
『……なぁ、そろそろ出てくれないか? こっちだって子供相手に銃なんて振り回したくない』
「……子供じゃ……ない」
『そうかよ。じゃあ顔見せだ。お互いに上品に、な』
外部開閉ボタンに干渉され、腹腔のコックピットを開いた瞬間、差し込んできたのは悪魔の黄昏の光景であった。
空を支配する暗黒太陽――ダレト。
死に別れた者達は地獄の炎で焼かれ、照り返しを受けている。
そんな中で、灰色のパイロットスーツ越しの相手はヘルメットを開いていた。
四方に開閉する形状のヘルメットの下にあったのは、精悍な顔つきの男性である。
口元にニヒルな笑みを浮かべた相手は、おっと、と声にする。
「お前……最近実装されたって言う、ライドマトリクサーの発展形……ライドエフェクターか。だからそいつと感応したんだな」
「……子供のライドエフェクターは珍しいか」
戦場では当たり前に損耗するだけの代物だと言うのに。
相手はこほんと咳払いして、いいや、と頭を振る。
「こちらも敬意が足りていなかった。ここまで戦い抜いたんだ、歓迎するよ。それとも……この手は敵意に塗れているか?」
差し出された手は無改造の生身の腕に映った。
随分と前――この戦場に放り込まれるよりも以前に、数回だけ見た事のある光景であった。
――生きろよ、と願ってくれた誰か。
その人の手は、生身の温かさであった気がする。
途端、彼は泣き崩れていた。
どうして――生きるだけがこうも難しい。誰かを蹴落とさなければ、生き抜く事さえも、この戦地では無理であった。
涙が止め処なく溢れ出る中で、ぼやけた視界の向こうの男は茶化さなかった。
「……よく、ここまで戦ったな。おれはお前を、一端の兵士として迎え入れたい。みんな、いいよな!」
『まったく! 小隊長は言い出したら聞かないもんだから!』
通信網を騒がせる声は、ここまでやってきた大人達の声であった。
誰の手も届かない、戦場の最前線。
誰の手も届かない、死と硝煙だけが支配する空間。
それなのに、こうして手を伸ばしてくれる誰かが、まだ居た。
自分はもう、見離されたのだとばかり思っていたのに。
「……もう……死ぬしかないんだって……」
「そう偏狭に構えるなよ。助けたおれだって少し気分は悪くするぜ?」
こんな土壇場で冗談の言えるタマだ。相当にイカれているか、あるいは相応に真っ当かのどちらかだろう。
握り締めた体温が伝わる。
「お前の名前は? ここまでやったんだ、撃墜王として刻んでおくぜ?」
「……俺は……」
久しく忘れていた名前を、彼は紡ぎ出していた。
「……俺は……クラード。クラードだ」
「そうか。おれはこの小隊を束ねる《エクエス》乗りの一人に過ぎないんだが」
『名乗ってあげてくださいよ、小隊長。それは義理ですよ』
「むぅ、そうだったな。名乗れと言っておいておれのほうが渋ってどうする、って話だ。おれの名前は――ザライアン。ザライアン・リーブスだ」
手を引いてくれた男の名前を――クラードは意識の中に刻み込んでいた。
あ、とそれに返答する前に混濁した意識野が閉ざされていく。
何か、真っ当な返事を考えよう、と思ったその直後には、宵闇の中へと自我は消え失せていた。