ザライアンにしてみれば、突然に現れた数奇な運命の先を見せつけられたような気がして、《エクエス》のコックピットの中でも震えていた。
「参ったな。ブルっちまってるってのか、おれも」
『小隊長。こっちのも駄目です。完全にイカレちまってる……と言うよりも、奇妙だ。通信回線ごと何もかも“切断”されたようにしか思えない』
「まさに概念殺しか。そんなものが存在しちまう事のほうが信じられないが……今目の前で起こった事を反芻するに、別段クラードは特別な事をしたって風でもないんだろうな」
《エクエス》乗り達はめいめいに報告を飛ばす。
『やはり……あれは危険なんじゃ? だって神官の居る祭殿から空間を跳び越えて来たんなら……』
「だがおれ達は救われたんだ。クラードに。なら、あいつを排斥するってのは嘘だろ」
『……小隊長』
護りたいのだと、願ってくれたからあの機体――《レヴォル》とやらは味方になった。だが、その矛先を少しでも見誤れば刃は自分達を容赦なく貫いただろう。
白き獣の胎からクラードは排出されていた。
その小さな身体で動かしていたと言うのはにわかには信じられない。
しかし、そうなのだと規定するしかない。
クラードは、彼は選ばれたのだ。
世界の意志とでも呼ぶべきものに。
「……おれ達に微笑むかどうかは、クラードのさじ加減一つか」
《エクエス》を駆動させ、ザライアンはクラードの傍に佇む《レヴォル》へと接触回線を開いていた。
「クラード。ここから先は神官達が出張ってくる。その時に、お前はこっちの砦のルールを知らない。かまでもかけられればそこまでだ」
『どうすればいい?』
「……おれの言う通りにしてくれ。下手な禍根の種を残したくない」
『分かった。俺は従うよ。ザライアン……俺もこの居場所が……少しばかり気に入っているみたいだ』
そう口にする横顔にザライアンは静かに恐怖していた。
面影自体は家に居る子供達と何ら変わらないのに、彼の死んだような赤い瞳が、この世界の命運を決めている。
無意識のうちに選別し、無意識のうちに簒奪する――それこそがまるで正しい事のように。
「……クラード。少し、提案がある。神官達の質問を抜けたら、おれに付き合ってくれないか?」
どういう意味なのか解していないのだろう。
小首を傾げたクラードに、ザライアンは声にしていた。
「お前に……戦い方を教えてやる」
打ち込みは何よりも鋭く。
鋭敏な刃を翳して、それから地を這うように下段より振るい上げる。
それをザライアンは一手で受け止め、返す刀で打ち下ろす。
クラードは掠めた一撃で額を僅かに切っていた。
――木剣でよかった。
これが真剣ならば額を割られていただろう。
その予感にざわめく胸の中で、静かに剣筋を整えていた。
呼吸は常に一定に。
それでいて、見定める瞳は揺るがさぬように。
クラードは木剣の重さを感じつつ、ザライアンへと横合いから打ち込む。
その一撃が入る前に、ザライアンの逆手に握り締めた太刀が返答の一撃を差し込んでいた。
防御と同時に反撃へと転じる。
それでさえも流麗に。
クラードは次手を講じる前に鳩尾に一打を受けていた。
肺が押し込まれる感覚と、心臓が収縮する。
は、と呼吸が漏れ出た次の瞬間には、叩き落とされた一撃を肩口にもらっていた。
痛みによろめいた刹那に、首筋へと剣筋が添えられる。
王手、のサインであった。
クラードはじっとりと汗を掻いた状態で後ろへと倒れ込む。
ザライアンの呼吸にはまだ余裕が窺えた。
「銃撃戦の体力はあっても、打ち込みの精度は低いな」
「クラード、よぇー!」
子供達が囃し立てるように周りを走っていく。
その言葉を否定する事も出来ずに、クラードは空を仰いでいた。
「……何で、俺は勝てない」
「練度の問題だ。それと、これまで銃の扱いには長けていただろうが、一対一の真剣勝負にはお前はまだ弱い。これは単純に辿って来た戦い方の問題だな」
「……何で俺は太刀なんて。前時代的だ」
「《レヴォル》が近接戦闘用なんだ。だったら、太刀筋は知っておいたほうがいい」
そう言われてしまえば、クラードに言い返す術もない。
――あの後、神官達によって自分は《レヴォル》の私的占有を咎められたが、ザライアンの言う通りに反応したお陰か、極刑は免れていた。
その代わり、ザライアンの許可なく《レヴォル》の使用は禁止されていた。
恐らく最大限の譲歩であったのは窺える。
それでも、手にしたはずの力を振るえないのは素直に不明瞭である。
「……なぁ、クラード。あれ、ダレトの向こうから来たって言うのは本当か?」
「ああ。ダレトの……今も俺達を照らす暗黒太陽の向こう側から来た」
「そうか」
この世界は黒い太陽と黄昏の世界に彩られている。
昔は「夜明け」とやらが訪れたと言う話をどこかで聞いた事があったが、クラードが戦場を覚えてからずっとその夜明けとやらは訪れない。
世界は終わらぬ夕闇に染まり、差し込んだ斜陽の光に眉をひそめる。
「クラード、ダレトは……おれ達の砦じゃ禁忌なんだ。あれの向こうに何があるのかって言うのは未だに分からない。時折、《オリジナルレヴォル》とやらの干渉波で電子機器が駄目になるが、その理由も不明なんだ。神官達に言わせれば、神に障っているのだから当然との事だが……おれはな。神なんて居るとは思えないんだよ」
「いいのか? 神官達に聞かれでもすれば」
「構うもんか。ここはおれの敷地だ。それに、おれはこれでも《エクエス》乗りの中でも小隊長身分。身勝手に外に出る権限くらいはある」
今しがた鍛錬しているのは砦の中ではなく、ほど近い湖のほとりであった。
戦場を渡り歩いてきた身として見ればオアシスにも映る。
「クラード、ザライアンはやっぱ強ぇーだろ! お前じゃまだ勝てないっての!」
「こらこら。クラードはまだ家に来たばっかりなんだ。兄貴面もそこまでにしとけ」
デコピン一つでザライアンは微笑み、子供達とじゃれ合う。
「……慣れているんだな」
「子供の扱いか? そりゃあ、お前、父親だからな」
「そうじゃない。あんたは……いや、何でもない」
「何だよ。言いたい事があれば言えよ、クラード。お前ももう、家族なんだからな」
「……勝手に家族にされれば迷惑だ」
「そうか? おれは家族ってのは一人でも多いほうが騒がしくっていい」
「なぁ、ザライアンー! とっとと行こうぜー。クラードの奴ばっかり構ってないでさー」
「そうはいかない。今日はとことんまで鍛錬だ。クラード、一撃でもいい。おれに打ち込んで来い。他の砦の連中が仕掛けてくる前には、物にしてもらわないと困る」
クラードは起き上がり、木剣を握り締めていた。
「……《レヴォル》が近距離戦闘用だからって、木剣なんてナンセンスだ」
「銃よりかは理にかなっているだろ? お前、それとも自分の愛銃を奪われてご立腹か?」
この砦に入ってから自分は一度として銃を握っていない。
今の今まで扱わない日のほうが少なかったものを、突然に取り上げられれば戸惑いもする。
「……銃のほうがいい。あれは馴染む」
「剣のほうが馴染んだほうがいい。銃は剥き出しの敵意だが、剣には誇りが宿る」
ザライアンは木剣の刀身をさすり、その誇りとやらを大事にしているようであった。
「……馬鹿馬鹿しい。それは幻みたいなものだ」
「幻でも、ないよりかはあったほうがいいだろ? 剣には心もある。覚えておくといい。銃には心がないが、剣には魂と呼べるものが宿ってくる」
クラードは木剣の柄に巻かれた布が血で滲んでいるのを発見していた。
ザライアンが使っていたものだとすれば随分と使い古された逸品だ。
「ザライアン・リーブス。あんたには聞きたい事がある」
「何だ? 言っておくが、バーミットの口説き方に関してはノーコメントだぜ。これでも苦労して口説いたんだ」
「あんたはこういう時でも冗談が言えるんだな」
「ジョークを口に出来なくなっちゃ人間終わりさ。どんな時でも不遜であれ、ってな」
ザライアンは木剣についた砂を払っている。
今しかない、とクラードは剣を携えて飛び込んでいた。
ザライアンはそれを予期して払い上げを行うが、クラードは片手に掴んだ砂を投げる。
一瞬だけザライアンの矛先が揺らいだ隙を突き、その横腹へと剣筋を叩き込んでいた。
捉えた、と言う感覚は一瞬、すぐさま返す刀の一閃によってクラードは鼻頭を叩かれ、無様に転がってしまう。
「ザライアン! 野郎、クラード……卑怯な真似を……!」
「いや、卑怯でも手は手だ、よくやった、クラード。それにしたって千載一遇のチャンスを物にするとは、なかなかに運もいい」
快活に笑うザライアンに、クラードは子供達へと視線をくれていた。
「……ガキの居ないところで喋りたい」
「それが望みか? 別に《レヴォル》のところに案内してもいいんだぞ」
「今は、そっちのほうが先だ」
「何だとぅ! クラード、お前は弟なのに生意気だぞ!」
「いいから。男同士一対一で喋りたいってのがお前の望みなら、なるほど、しっかりと叶えよう」
子供達は不服そうに砦の中へと戻っていく。
その背中が充分に離れてから、クラードは口火を切っていた。
「……子供達の年齢がバラバラだ。本当の子供じゃないな?」
「そんな事を聞きたかったのか? ああ、確かに。みんな戦災孤児さ。小さい子達も同じようにな。中にはMSのコックピットに置き去りってのもあった」
ザライアンは軽い調子で返すが、クラードにしてみればもう一つの確信もあった。
「バーミットは? あの女は何だ?」
「何だってのはないだろ? おれの自慢の妻だ」
「それも虚飾か? 子供を産んだにしては若い」
ザライアンは少し思案した様子を浮かべた後に、嘆息一つで応じる。
「……バーミットは子供が産めない身体なんだ。戦場で出会ったクチでな。あいつは医者だったが、そんなの関係なしの、酷い戦場だった。そんな場所で運命の出会い、これって本当に一生涯添い遂げられるって奴だろ?」
「茶化すな。要は寄せ集めの家族ごっこか」
「そう映るか、お前には」
即答出来なかった。
家族ごっこなのだと、それでしかないのだと言い切れないのは彼らの間に絆のようなものがあったからだ。
本物の家族以上に、彼らは身を寄せ合い、お互いを必要としている。
「……あんたは偽りの家族を護るために《エクエス》の小隊長に?」
「元々は大義名分もない。砦の中だって今は平和だが、昔は酷かった。生き残るためには、明日の食い扶持を稼ぐのには泥棒でも殺しでも何でもやったさ。今さら綺麗な手じゃない」
「……意外だな。あんたは綺麗事を貫くもんだと、思っていた」
「それはお互いに理想を見ていたって奴だな。……なぁ、クラード。前線は変わらないか? まだお前の魂は……戦いの先に囚われているのか?」
当たり前だと答えられればどれほど楽だっただろう。
この砦に保護されてから数週間。
打ち込みの鍛錬を始めて数日。
クラードは己の掌に視線を落としていた。
「……たまに、自分が銃を握っていた事を忘れそうになる。このまま……日常に埋もれてしまえればどれほど楽なのだろうと、思ってしまう時がある」
「本音で喋ってくれているのが分かるぜ、クラード。お前は、そういう点じゃ義理堅い。だからこそおれは買ったんだ。お前ならきっと、みんなを幸せにしてくれるはずさ。この世界に囚われているおれ達みたいな人間を……扉の向こうに連れ出してくれるんだってな」
暗黒太陽を仰ぎ見る。
世界はきっと――もう終わっている。
だとしても、終わりくらいは描きたいではないか。
その終わりの形を紡ぐのに、何の抵抗も出来ずに終わる事こそが恐怖でさえもある。
「……幸せに成れる、か。でもそれって、一端の人間にだけ与えられた権利って奴なんだろうな」
「おれもお前も、ロクデナシって奴なのかね」
それは――きっと真っ当に生きている人間からすれば同じ穴のムジナだろう。
自分もザライアンも、どれほど平穏を祈っていてももう汚れた指先なのだ。
だが、だからと言って人でなしに成っていい言い訳でもない。
「……俺は、最後の一人になっても戦う」
「決意、と見ていいのかね、それってのは。来いよ、クラード。打ち込みには素直に性格が出る。お前の太刀筋、見せてくれ」
「……行くぞ」
呼気を詰め、そしてクラードは振るい上げた剣と共に咆哮を上げていた。