機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第241話「鏡越しの己に」

 

 歩む足並みは少しばかり浮ついている。

 

 何せ――人々の期待を背負っての出陣だ。

 

 砦の住民達は自分に何を見ているのだろうと、クラードはコックピットの中で硬直していた。

 

『式典だ。型式通りでいいんだよ、お前も』

 

 ザライアンの直結回線にクラードは読まれている事を実感する。

 

「……変な感じだ。戦いに行くのに歓迎されるなんて……」

 

 これまで、戦に赴く時には誰の声援もなかった。

 

 だが、今は――。

 

 砦の人々は新たに生まれ落ちた戦いの刃へとてらいのない祝福を投げていた。

 

 街々は彩られ、祭囃子が鳴り響いている。

 

 子供達が縁日を行き交い、声いっぱいの歓喜が咲く。

 

「……俺はこんなに期待される事をしていない」

 

『それはおれ達も似たようなもんだ。みんな、ダレトの向こうの贈り物が珍しいのさ。期待に応えてやれ。それがお前の操る《レヴォル》の義務だ』

 

「《レヴォル》の義務、か」

 

 クラードは慣れない動作で《レヴォル》に手を振らせると、津波のような人々の歓喜の声が押し寄せてくる。

 

「……こんなに喜んでくれるんだな」

 

『だろ? やってみるもんさ。虚勢でも、な』

 

 ザライアンの部隊の《エクエス》も手を振りながら、砦のメインブロックへとゆったりと歩んでいく。

 

 初陣――もう何度目か分からないMSによる戦闘だと言うのに、こうも心が躍っているのは何故なのだろう。

 

 きっと、独りではないから――そんな益体もない意味に今は少し笑えてくる。

 

「……俺も、笑えるんだな」

 

『行くぞ! 《エクエス》第七小隊、出る!』

 

 ザライアンの声に呼応して《エクエス》部隊が飛び出していく。

 

 最後尾についたクラードの《レヴォル》は推進剤を噴かせてその背中に続いていた。

 

 次第に声援が離れて行き、もう聞こえなくなったところでようやく気を緩められる。

 

「……疲れるな」

 

『そう思っているんなら、お前だってまだ一端の兵士には程遠いのさ。知ったつもりになっていただけだよ』

 

 ザライアンにはこの数か月で随分と世話になっていた。

 

 その中でも彼に向けるのには最上の言葉を自分は知っている。

 

「……バーミットの手術、上手くいってるんだろ? もうすぐ弟が産まれるかもしれないんだ。なら、兄貴として一端になりたいってのが本音だ」

 

 部隊員から自分の声に合わせてめいめいに通信が繋がれる。

 

『ひゅー! 言われてるじゃないですか、小隊長!』

 

『お前……っ! ……それは言いっこなしだぜ。ようやく軌道に乗ったって言うのによ』

 

「弟が出来るのなら、俺は誇れる兄貴で居たい。いや、妹の可能性もあるのか」

 

『娘かぁ……小隊長、その点で言えば自分のほうが先輩ですぜ! 何だって聞いてください!』

 

『調子づくなっての。……クラードも上手い冗談を思いつくようになりやがって。……後で覚えてろよ?』

 

 部隊員の笑い声が連鎖する。

 

 彼らも祝福しているのだ。

 

 クラードは緑色の機体色を与えられた《レヴォル》を顧みる。

 

「……緑に塗って欲しかったのは、もう血の色なんて御免だって思ったからなんだけれどな」

 

 何よりも、ザライアンとこの数か月、平原で打ち合ってきた自分には馴染みの色に思えたからだ。

 

 これまでの自分との決別にもちょうどいい。

 

『緑色ってのは映えるから戦場じゃ間違えようもない。クラードにしちゃ、上出来の提案じゃないですか』

 

『まぁなぁ……。総員、一応は戦闘警戒をしておけよ。《エクエス》を転がすだけの式典任務とは言え、一応は敵襲の恐れもあるんだ』

 

 通信回線には流行りのラブソングを流している者も居る。

 

『こら。言った傍から。しかも流行りの曲かよ』

 

『いいじゃないですか。娘さんには小隊長もラブソングを歌ってあげてくださいよ。大きくなっていい女になるかどうかはそれにかかっているでしょう』

 

『音楽の趣味をとやかく言う男のところには嫁がせないから心配すんな』

 

 囃し立てる声と笑い声で自分は満たされた気分になっていた。

 

 暗黒太陽は相変わらず地上を睥睨しているが、それでも黄昏空が今ほど眩しく見えた事もない。

 

 少しはこの安寧と終焉の空をいい方向に描きたくもなってくるのだ。

 

 クラードは視界と同期させた《レヴォル》の挙動を確かめるべく、一際高く飛翔していた。

 

『おおっ! すげぇ! やっぱりダレトの遺産は違うな!』

 

『気を張っておけよ。撃たれても文句は言えないからな』

 

 ザライアンの声を聞き留めつつ、クラードは空を駆け抜ける感覚に浸っていた。

 

 今までのように地を這いつくばる戦いはしなくてもいい。

 

 ――もう、自由なのだ。

 

 この式典が終わればきっと、自分はザライアンの部隊に正式に招致され、そして《エクエス》と肩を並べて、砦を守るのだ。

 

 生まれてくる命に祝福を捧げるために――。

 

「なら……悪くないかな……」

 

 そう呟いたその瞬間であった。

 

 暗黒太陽の周辺が波打ち、どくんと鼓動が脈打つ。

 

 その感覚を、自分は知っている。

 

 命の淵で感じ取った、絶望の音色だ。

 

「……ザライアン! すぐに《エクエス》を下がらせるんだ! これは……《オリジナルレヴォル》の干渉波が来るぞ……!」

 

 しかし直後に殺到したのは暗黒太陽からの波だけではない。

 

 レーダー網を震わせたのは照準警告であった。

 

 まさか、と息を呑んだ瞬間には《エクエス》部隊に向けて砲火が放たれている。

 

 地上を駆け抜けていた《エクエス》が砲火に巻き込まれ、姿勢を崩して爆炎に呑まれる。

 

 何が、とクラードは現状認識を正常にすべく最適化を行っていた。

 

 両腕を接続口に翳し、ライドエフェクターとしての権能を発揮する。

 

 包帯を巻いた先に感じた鋭敏な死の感覚に、咄嗟に機体をバレルロールさせる。

 

 重力下でも正常に働いた回避運動はしかし、他の者達にまで伝わらなかった。

 

 波打つ干渉波の合間を縫って、小型の自律兵装が光条を絞る。

 

「あれは……あんな小さな自律兵装なんて……」

 

 だが見間違えようもなく、蒼白い光を棚引かせたそれは分身を構築し、《エクエス》部隊を叩きのめしていく。

 

『クラード? 一体何が……!』

 

「ザライアン! すぐに後退しろ! こいつは……別格だ……!」

 

 円錐型の自律兵装を有しているのはまるで合わせ鏡のような黒い《レヴォル》であった。

 

 頭部形状は他の砦で正式採用されている能面の形状であるが、その頭蓋を赤い眼光が流れる。

 

 明らかにこれまでの敵とは違う――その確証にクラードは《レヴォル》と共に先行していた。

 

『クラード! 前に出るな! お前は最後尾を固めるんだ!』

 

「いや、ザライアン……これは……まずい!」

 

 何を、と言う主語を結ぶ前の習い性の感覚で機体の片腕を翳す。

 

 すり鉢状の刃が現出し、やがて逆巻いた高重力磁場の太刀筋が敵MSを断ち割らんと迫る。

 

 しかし相手は潜り抜けたばかりか、高機動を重力下で実現してみせた。

 

「……《レヴォルタイプ》……。それも明らかに……俺の《レヴォル》よりも、性能が高い、だと……!」

 

 これまで想定しなかったわけではない。

 

 自分以外の人間が《レヴォル》に選ばれ、そして襲ってくる。

 

 だが、それはとんだ懸念であったはずだ。

 

 この数か月の平穏を思い返す。

 

 一度としてそんなイレギュラーはなかった。

 

 だから、ないのだと、思い込んでいた。

 

 そうなのだと断言すれば、飲み込めばどれほど容易かっただろう。

 

 しかし、現実はこうして突きつける。

 

 安寧と惰弱に沈んでいた自分を叱責するように。

 

《レヴォルタイプ》は背面に格納された自律兵装で《エクエス》を蹴散らしていく。

 

 仲間の声が。先ほどまで笑い合っていた気安い声が恐慌に駆られ、そして潰えていく。

 

 クラードは機体推進剤を目一杯に引き絞り、《レヴォルタイプ》へと追いついて背筋を叩き据えていた。

 

「何のつもりで……何のつもりなんだ! お前は!」

 

『――破壊する』

 

 その声に。

 

 その声の主に。

 

 自分の脈動が凍り付く。

 

 これは「まるで在りし日の自分の声だ」と。

 

 銃弾しか知らず。

 

 暴力しか信じず。

 

 そうして潰えてきた、己と言う名の過去。

 

 その清算を求められているようで、クラードは硬直する。

 

 隙を逃さず、自律兵装が四方八方に展開され、《レヴォル》の四肢を撃ち抜いていた。

 

 激震するコックピット。

 

《エクエス》程度ならば想定出来た機体追従性も、同じ《レヴォルタイプ》となれば及び腰になる。

 

 肉体が軋み、機体が警戒色のポップアップウィンドウに沈んでいく。

 

 何度もコックピットの中で意識の昏倒と、そして覚醒を繰り返す中で、ザライアンの果敢な声が響き渡る。

 

『なろっ! てめぇだけは――墜とす!』

 

《エクエス》では無理だ、そう言おうとして唇が言葉を紡げない。

 

 肉体は重く鎖に囚われたように言う事を聞かない。

 

 きっと、もう自分はこの末路を描くためだけに生き永らえたのだ、と冷静な自分は俯瞰する。

 

 ――だってそうだろう? 何で、あんなに殺して、あんなに信じられないと言ってのけた自分を裏切って、そうして一端の人生を選べるなんて思った?

 

 血濡れの自分が、かつて直視した自分の咎が目の前で嗤う。

 

 ――何故、そんな様に成り損なった? と。

 

 何を信じたと言うのだ。

 

 何を見据えたと言うのだ。

 

 何を――期待したと言うのだ。

 

 もう自分は――とっくの昔に壊れているくせに。

 

 人間ぶった痛みも、人間めいた平穏も。

 

 偽善ぶった人生も、虚飾めいた空想も。

 

 何もかも棄てた癖に、今さら何を――救われようなどと言うのだ。

 

 ザライアンの声が焼き付く。

 

《エクエス》が包囲陣を敷く磁石のような自律兵装に貫かれ、そのコックピットの中から声が漏れ聞こえる。

 

 きっと死にたくないだとか、きっと嫌だとか言う声なのだろうと。

 

 断末魔なんてそんなものだと、規定した自分の鼓膜を、彼の声が震わせる。

 

『……クラード、悪ぃ。先に行く、ぜ……。後を頼んだ……おれの――』

 

 その声が。その証が。

 

 自分の名を呼んだ瞬間にクラードの意識は、全神経は弾けていた。

 

《レヴォル》が駆動し、その眼窩に赤い導が宿る。

 

 包帯の下で紋様が疼く。

 

 刻まれた呪いが、再び動き出す。

 

 クラードは真紅に染まった瞳で、接続口へと両腕を叩き込んでいた。

 

 機械が絡みつき、肉体を蝕む。

 

「聲」が、幾重もの呪縛が頭蓋を掻き毟る。

 

 ――ここで終焉だと。

 

 ――ここで死ねと。

 

 ――胎の中で、死んで行けと。

 

《レヴォル》の「聲」を、クラードは振り切っていた。

 

「……黙っていろよ、《レヴォル》。お前が俺に乗るんじゃない。俺が――お前を乗りこなすんだ」

 

 紡ぎ上げたシステムの名は一つ。

 

 警戒色はコックピットから消え失せ、蒼い輝きが満たしていく。

 

「コード、“マヌエル”……俺に、従え……ッ!」

 

 脳細胞を沸騰させる感覚にクラードは意識の網を手繰り寄せ、機体を跳躍させる。

 

 それはこの世界にあり得ざる技術の粋であったのだろう。

 

 蒼白い閃光を抱いて、《レヴォル》が分身する。

 

 腕を突き出し、自身の操る本体と同期した分身体より空を裂く太刀筋が放たれていた。

 

 それは世界を破る咆哮――叛逆の標を持つ黒色の輝きが敵《レヴォルタイプ》を捉えんとする。

 

 敵機は地表ギリギリを滑り、大地を打ち破る自分の拒絶の刃をいなそうとするが、相手の突き上げた格闘兵装を《レヴォル》の真空の剣閃が打ち破っていた。

 

 分身体がそれぞれ機動し、《レヴォルタイプ》へと叩き込まれていく。

 

 自律兵装が宙を舞ったが、それさえも児戯だ。

 

 唐竹割りに構えた片腕をそのまま打ち下ろさんとして、回り込んでいた自律兵装の光軸が関節系統を爆ぜさせる。

 

「……片腕くらい、くれてやる……!」

 

 脱力し切った腕へともう片方の腕で刃を無理やり引き剥がす。

 

 重力の色彩を伴わせた一撃が、ビィンと鳴動し敵機へと叩きつけていた。

 

 コバルトブルーの血潮を撒き散らした敵影へと、返す刀の二の太刀が閃く。

 

 だが相手もされるがままではない。

 

 ビット兵装を爆弾として射出し、《レヴォル》の勢いを殺そうとする。

 

 何度も揺さぶられた脳髄で、何度も消え入りそうになった意識の隅で――クラードはザライアンの最期の言葉を反芻していた。

 

「……俺はあんたの言う……立派な息子なんかじゃ……なかった」

 

 ――おれの自慢の息子。

 

 そんな言葉を吐くくらいなら、命乞いをして欲しかった。

 

 もっと生き意地を汚く、もっと醜く。

 

 だったなら見限られたのに。

 

 だったなら諦められたのに。

 

「……もう、諦められないじゃないか。あんたの終わりの言葉が、俺への祈りだって言うんなら……」

 

 直視した自律兵装のうち一つが《レヴォル》の頭部を激震する。

 

 半分が暗黒に沈んだコックピットの中で、クラードは吼えていた。

 

 それはこの数か月、ザライアンに叩き込まれた打ち込みの術である。

 

 振るい上げた太刀筋が蒼い残像を帯び、光の刃を構築する。

 

「……ビーム、サーベルだ……これが」

 

 この世界には存在しない叡智を手繰り、クラードは敵《レヴォルタイプ》の頭蓋を撃ち割っていた。

 

 絶命の瞬間の悲鳴が劈く中で、クラードは意識を手離す。

 

 もう、無理をしなくっていい。

 

 もう、虚勢を張らなくっていい。

 

 ああ、もうきっと――だってそう遠くないうちに会えるはずだから。

 

「だから……ごめんなさい……父さん。俺はあんたの言う……自慢の息子なんかじゃ……」

 

 意識は泥のような昏倒に苛まれ、そして堕ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗黒太陽がもたらすのは災厄と言われている。

 

 あれがいつ、空を支配したのか――それはこの世界の誰も知らない。

 

 きっと、世界が構築された瞬間から決まり切った理の一つだったのだろう。

 

 だから争い合うのも、領土を巡って殺し合うのも当然の摂理なのだ。

 

 自分達は罪人でもなければ、咎人でもないのに、それでも喰らい合う。

 

 それでも血を流し合う。

 

 それ以外の方法があったはずだ。

 

 それ以外の残酷な選択肢だってあったはずだ。

 

 機械の鎧に身を固め、鋼鉄の銃器で敵を葬る術を講じなくってもいい未来もあったのかもしれない。

 

 だが、それ以外に知らないじゃないか。

 

 それ以外に知りようのない世界だったではないか。

 

 では諦めるしかなかったのか。

 

 きっと過ぎたる願いは毒であったのだろう。

 

 ――だが、違うと。

 

 違うのだと、声を張り上げたい。

 

 だって、自分のような呪われた生まれでも祝福出来た。

 

 世界の声が、優しい夢のように思えたのだ。

 

 だから、自分はここに居る。

 

 ここで、戦い続ける。

 

 弟や妹に、決して顔向け出来なくとも。

 

 その血濡れの指先で触れる事が許されなくとも。

 

 それでもいい。

 

 自分は――だってもう手に入れていた。

 

 安息の場所を。

 

 魂の故郷を。

 

 ならば、それでいいではないか。

 

 何を求める必要がある。

 

 何を渇望する必要がある。

 

 何を――騙されたように泣きじゃくる必要があると言うのだ。

 

「……助けてくれ、ザライアン……父さん……俺の心は、あんたに貰ったのに……」

 

 何も返せない。

 

 そう懺悔した瞬間には、瞼を開いていた。

 

 自分を見下ろすのはバーミットを含めた医療班である。

 

 彼らはバイタルが正常になったのを確認するなり、声を飛ばしていた。

 

「《レヴォル》のパイロットの生存を確認! 生存だ!」

 

 しかし誰も、送った時のような歓声を上げなかった事で、嫌でも先ほどの光景が嘘や夢ではなかったのだと理解出来る。

 

「……バーミット……俺は……」

 

「何も。何も言わないで、クラード。あなたが生きてくれて、よかった……」

 

「よかった……? よかったはずなんて……」

 

 黄昏の色調が視界に滲んでいく。

 

 こんな時にまともに誰かの顔を見て泣けないなんて、どれほど情けない事だろう。

 

 それでも、泣きじゃくる自分を、バーミットは安心させようと背中をさすってくれていた。

 

 ここで子供のように泣いてしまえば、自分は永劫後悔する。

 

 それは分かっていたのに、何故なのだろう。

 

 止め処なく溢れる、涙だけは止められなかった。

 

 

 

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