「どういう……意味だって言うんだよ、そりゃあ……」
アルベルトだけではない、自分も絶句していた。
まさか――ピアーナの口から永劫に失ったはずの名前を聞く事になるとは思ってもみなかったからだ。
「……ピアーナ、さん……ハイデガーさんの事……」
「憶えている、と言えば、それもまた違ってきます。わたくしにこの変調がもたらされたのは、クラビア中尉に同期処理を邪魔された事、そして《アルキュミアヴィラーゴ》のアイリウムを手離した事が原因でしょう」
「え、俺……っすか?」
「いや……オレ……マテリア?」
茫然とするアルベルトとダイキを他所に、浮かび上がったアイリウムの結晶たるマテリアは肩を竦める。
『“そのような事例のデータはありません。何かの勘違いでは?”』
「いいえ、そのはずなのです。だってわたくしは……あの場所で、貴女と出会い、そして別れた。《アルキュミア》の中に、貴女を遺して……」
「ちょっ……ちょっと待ってくれ! じゃあ何か? 五十年も前に……カトリナさんが言っていたハイデガーって言うのが居たって? それはちょっとおかしいぜ!」
アルベルトは混乱しているのか、それとも信じられないのか、途方に暮れているようであった。
自分でももしハイデガーの記憶がなければ信じる事も出来なかっただろう。
しかし、ここに来てハイデガーの名前と存在、そして自分のよく知る名前が出てきてカトリナは当惑をどうにかするだけでも必死であった。
「……だってテトラって……それは私の……お婆ちゃんの名前ですよ……?」
こちらの疑惑にピアーナは真正面から黄金の瞳を向けてくる。
「その通りなのです。テトラ様は……カトリナ様のお婆様。それを……わたくしは今の今まで忘れていた。いいえ、封殺されていたのです。他でもない、ハイデガー様の手によって」
「……待ってください、リクレンツィア艦長、それじゃ都合が合わない。ハイデガーとやらは何をしたって言うんです? 今まで話を聞いた限りじゃ、エーリッヒとか名乗って艦長を困らせていたようにしか……」
「あのお方は恩人なのです。それ以上に……わたくしにとって欠ける事のないピースのはずであった。でも、忘れていた。その功罪を……わたくしは今こそ受けるべきなのでしょう」
「……話して……くれるんですよね……?」
ピアーナの過去に隠された秘密は、この来英歴を開くための鍵のようであった。
彼女はその手を伸ばし、自分の首から下げている黄金の鍵を握る。
「……ダレトの鍵。これがここにあると言う事は、ハイデガー様はその目的を完遂されていると言う事です。わたくしは、貴女にこれを伝えるべく、宇宙の深淵を何十年も漂っていた……」
「そこも分からねぇよ、ピアーナ。何だってお前は……救命ポッドに乗っていたんだ? あの時点でカトリナさんの事も、何もかも分かっていたのか?」
アルベルトの詰問にピアーナはゆっくりと頭を振る。
「いいえ……あの時はまだ記憶に封がかかっていた。ですが今、ハッキリと分かります。ハイデガー様はわたくしに、ベアトリーチェと、そしてカトリナ様を護るように、使命を与えてくださったのだと」
「……あの、俺、ちょっと頭がこんがらがっちまって……。後から話聞いてもいいですか?」
ダイキのギブアップ宣言にピアーナは嘆息をついたが、その眼差しは別の通信回線を開いていた。
「聞いているのでしょう? エージェント、クラード。貴方にとっても関係があります」
『……俺にとっては無意味だと思うがな』
「貴方が五十年前にハイデガー様を跳ばした、いいえ、送り込んだ。それこそが全ての始まりであり、そしてダレトを繋ぐ呪いでもある」
音声のみで回線をアクティブに設定したクラードの顔色は窺えない。
それでも、彼だって戸惑っているはずだ。
自分が消し去ったはずのハイデガーが生きており、なおかつ時間遡行を行ったなど。
にわかには信じ難いだろうが、それだけの性能をもし、《ダーレッドガンダム》が持っているのだとすれば、聖獣の力はあまりに強大。
きっと、クラードだけでは背負い込み切れないだろう。
「……ピアーナさん。聞かせてください。ハイデガーさんは、どうなったんですか……」
ピアーナはゆっくりとした語り口調で言葉を継いでいた。
「……地上のテスタメントベース、そこでわたくし達は、つかの間の平穏を……享受する事になりました――」
「やーい! ヴィルヘルム先生の間抜けー!」
そう囃し立てられて、ヴィルヘルムはいつもの渋面に煙草を取り出して深く呼気を吸い込んでいるようであった。
「……エーリッヒ。君の子供は少しばかり正直が過ぎるな」
テトラが抱いた我が子に、ハイデガーは当惑していた。
「そう言わないでくれ。ここじゃないと生きられないんだ」
「……しかし、子供を作るなとは言っていなかったが、君らは正気かね?」
「ヴィルヘルム先生が堅物なだけでしょー? 男女が居れば普通ですよー」
テトラの返答に心底参ったように、ヴィルヘルムは後頭部を掻く。
「……子供は苦手だ。図々しくって」
「そうでもないんじゃないか。きっと、あなたも子供を持つ時が来る」
「そんな事はこの世がひっくり返ってもないと誓うがね」
紫煙をたゆたわせるヴィルヘルムに、ハイデガーは未来の事など誰も分からないのだと実感する。
こうして――テトラと子供をもうけるなど、誰が予想出来ただろうか。
彼女にしてみれば一生軟禁状態なならば、それくらいは構わないと言うスタンスであったのが自分としては意外であった。
焦がれ続けた面影を持つ女性に恋愛感情を持つのはさほど時間がかからなかった気がする。
「……して、エーリッヒ。君へと数度、アクセスしている連中の洗い出しが完了した」
「危ない綱渡りをするな……」
「間借りしているのはお互い様だ。わたしとしては家族と言うものにはさしたる興味もないのだが、子供はもう五才だろう。そろそろこの状況が異常なのだと、理解し始める頃合いだ」
ヴィルヘルムの言葉通り、外部と完全に隔絶されたテスタメントベースでは、いつ自分の息子もその違和感に勘付くか分からない。
否、それ以前に、何のために自分はこのような境遇であるのかを嘆くであろうか。
「……テトラ、ちょっとヴィルヘルムと話してくる。ここには……プライバシーがあるようでない」
『“ちょっと! それはわたくしの事を言っているのですか?”』
突っかかって来た電子知性体の声にハイデガーはため息をつく。
「……頼むから少しは大人しくしてくれよ。同期処理は?」
『“つつがなく。それにしても、よかったんですか? ピアーナ、彼女に他の職務は任せて”』
「元々、翻訳作家としての栄光は彼女のものだし、それに僕は他にやるべき事がある。そのすり合わせを行わないといけない」
ピアーナは電算椅子に座り込み、今も高速で情報をさばいている。
彼女ほどのライドマトリクサーでなければ出来ない芸当だ。
ハイデガーはその額へとそっと触れ、静かに声にする。
「頼んだよ、ピアーナ」
「……ハイデガー……様?」
「悪い、起こしてしまったか」
ピアーナはヘッドセットを上げて自分を認めるなり、笑顔を向ける。
「ハイデガー様、現状でもネットワークの構築速度はテスタメントベースが優位です。何もここまで急がなくってもいいのでは?」
「いや、そろそろ動き出す手合いが出てくるだろう。ピアーナ、君には翻訳も任せている、負担になっているかもしれないが……」
「構いません。あたし、ハイデガー様のお役に立ちたいんです……」
いじらしいまでの言葉にヴィルヘルムが茶化す。
「よかったじゃないか。懐いてもらえて」
「……その言い草は卑怯だよ」
「それにしても、最近はそういうのがトレンドなのか? 自らの技術結晶を結婚指輪代わりに渡すなんて」
「あら? ヴィルヘルム先生、嫉妬ですか? 男のそれは見苦しいですよ」
「見苦しいぞー、ヴィルヘルム」
テトラと息子に言い返されて、ヴィルヘルムは頬を掻く。
「そこまで言うんなら気に入っているんだろうな。ここが秘匿された場所だからと言って、結婚指輪を買えなかった事を後悔しても知らないぞ」
「別にいいんですよー。あなた、これ、大事にしますから」
テトラの首から下げられているのは黄金の鍵であった。
照明を照り返すその鍵はどこに通じているわけでもない。
ただ、自分の愛情を形として残すのに、適切なものを他に知らなかった、不器用なだけの代物だ。
「……君も趣味が悪い。結婚指輪くらい買いに行った」
「そう言われてしまえばそこまでだが、僕も男なものでね。妻には……自分の愛の形を示したかった」
「ノロケかい? 受け付けないよ」
軽口を返すヴィルヘルムと共に向かったのは他の介入を拒む完全な秘匿環境であった。
自分のような全身RMでも、この部屋では権能の一部でさえも使用出来ない。
暗く沈んだ部屋の中で、ヴィルヘルムは本日何本目か分からない煙草に火を点けていた。
「……禁煙出来ないのか?」
「持たないんだよ、何もかも。それで? 結果はどうなっている……なんて聞くまでもないか。君の言う“確定された未来”とやらに近づきつつあるのだろう?」
「……幾度となく、交信を試みてきた。その結果が……僕のよく知る来英歴へと少しずつ近づいている。これが何を意味するのか、情報を共有したい」
「時代の不可抗力が働いている可能性もある。どうあっても、どう足掻いてもそのように成るのだと規定された時間軸が存在し、君はその中で足掻くだけの道化だ」
「それならばまだいいさ。問題なのは、僕はピアーナを助けた。そして……テトラとも子供を作った。これがどういう意味になるのか、まだ分からないんだ。結果がまるで見えない」
「全能を気取った存在にしては謙虚な末路じゃないか」
エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの名を持つのにしては、あまりにも脆い未来への道筋なのかもしれない。
だが、着実に知っている技術は現れつつある。
「地球連邦軍が推し進める……新型機動兵器のテストベッド、耳にはしているだろう?」
「ああ、確か……《エクエス》とか言っていたか。現状課題としてあるのは、あまりにも燃費が悪い事と、動力部の相性らしい。このままでは道楽技術で終わるか」
その技術が世界を一変させるのだと、ヴィルヘルムはまるで信じていないようであった。
「モビルスーツの技術は数十年後に意味を持つ……。僕はそれも込みで、考えを巡らせたい」
「そう言えば乗って来た機体、解析するのはどうやら企業になるようだな。統合機構軍……と、企業連は手を組んで叡智を得ようとしている。あれに関してはいいのか?」
《レヴォルテストタイプ》はあの後、テスタメントベースからの交渉材料に用いていた。
その勝ち馬にいち早く乗ろうとした企業の名を、ハイデガーは忌々しげに呟く。
「……エンデュランス・フラクタル、か」
「新進気鋭の会社だろうじゃないか。元々傭兵業で成り立ったPMCくずれではあるが、それなりの技術力は保障されている」
「……その技術力が、問題でもあるんだがな……」
しかし彼らと取引するのは明らかな利益をもたらしていた。
ヴィルヘルムは煙草を灰皿で揉み消し、何でもない事のように口にする。
「全身RMへの理解、差別の撤廃、それを一流上場企業がやれば、少しはこの腐った世界は変わる……エーリッヒ、君はピアーナを救うためだけに存在していいのか?」
「構わない。僕の命は彼女に投げたも同義だ」
即答に、ヴィルヘルムは天井を仰いで大きく呼吸を吸い込む。
煙い吐息が舞い上がり、ただでさえ手狭な室内を埋め尽くして行った。
「……分からないのはそれもある。来英歴が辿るべき宿命が、確か君の手に入れた栞に集約されていると言うのも」
ヴィルヘルムは梱包された白銀の栞を取り出す。
「解析は? どこまで分かった?」
その問いかけに彼は肩を竦める。
「何も分からなかった、が結論だ。君の言う蒼い戦場とやらは観測されなかった。それ以前に、この栞に何らかの処置が施されているとすれば、我々よりも以前の人間の仕業と言う事になる」
「……納得するのには少し足りない、か」
ヴィルヘルムは煙草のパッケージの底を叩き、新たに一本くわえていた。
「なぁ、君は何故、このテスタメントベースで生きていく事を選択した。話の限りじゃ、ピアーナを守るためだけにしては大仰が過ぎる。別に誰も知らない土地に降り立てばよかったじゃないか。あの巨人にはそれが出来た。だと言うのに、この場所を選んだ理由を聞かせてくれ」
「……将来の話になるが、テスタメントベースは地上と月で二ヶ所建造される。その時、月のテスタメントベースの意味と同一の価値を持っていなければこの場所は封鎖されるだろう」
「月面にこの場所を、か。何の意味があって……と言うのは愚問だな。君の言う、ダレトとやらか」
ハイデガーはヴィルヘルムの映し出した投射画面の宇宙空間の定点映像を凝視する。
まだ、ダレトは出現していない。
だが確実にこの世界に風穴を開けるはずだ。
「……君の言うワームホール、超空間の形成と、そしてそこから現れるとされる、モビルフォートレス――聖獣と呼ばれる事になる未知の存在。どれもこれも荒唐無稽だと断じてもいいが、あまりにもよく出来過ぎた創作は創作とも呼べなくなる。嘘はもっともらしい事実と同時に語るものだ。そこまで話せれば、もうそれは近い世界の真実なのだと理解するしかない」
「……空に、大虚ろが開くのもそう遠くない。もしその時、対応出来るだけの能力を持っているのだとすれば、それだけで違ってくる。運命は、土壇場まで分からない」
「運命は分からない、か。全能者を名乗っておいてそれは情けないとも呼ぶ。君は何のためにこの来英歴を試したい? 《レヴォルテストタイプ》の解析を企業に投げたのも、そしてわたしと手を組んだのも全て、未来への投資だと言うのならば、少しは教えてもらえないだろうか? 君の目論みとやらも」
「目論みなんて、大層なものじゃないさ。ただ……優しい未来が欲しいだけだ」
「優しい未来か。理想論だな。それだけでは回らない。……言っていなかったが、わたしはエンデュランス・フラクタルの招待を受けている」
初耳の言葉もそれとなく受け入れられるのは、この数年間で築き上げた信頼感もあるのだろう。
「そう、か……。統合機構軍に配されるか……」
「残念に思ってくれているのは分かる。だが、わたしは自分のような技術者くずれが彼らの力になるのは必定だとも思っている。人でなしがこれから先に必要になって来るのだろう。その時代の到来に、誰も抗えないのと同じに」
「誰も抗えない、時代の波、か……」
呟いてから、ここまでの道筋を思う。
テトラとの息子に、ピアーナの成長。
どれを取ってもあのまま燻ぶるばかりであった自分には持て余すだけの幸福だ。
しかし、分かっている。
自分は、幸福なんて長く続かない事を。
「……テスタメントベースの研究主任は? どうなってしまう?」
「君達と、そしてピアーナに任せたい。これから先、わたしは宇宙の職務になる。テスタメントベース内部でいつまでも引きこもっても居られないわけだ。嫌にもなるよ」
「どういう職務なんだ? 少しは友人のよしみで教えてくれないか?」
ヴィルヘルムは煙草をくわえた口角を緩め、つまらない事さ、とぼやく。
「何でも、これから先の時代を創る、新進気鋭の者達の教育、いいや、そんな綺麗な言葉じゃないな。君にならば、その全容を語ろう。戦災孤児達を寄り集め、洗脳教育を施す。それがエンデュランス・フラクタルだけじゃない、統合機構軍全体で足並みを揃える“エージェント計画”だ」
エージェント――紡がれたその名称にハイデガーは震える。
「……まさか。だとすれば、ここが始点か……?」
「どうした? まさか未来の変動値に意味でもあったか?」
「……いや、確定じゃない。だから何とも言えない……。すまない、僕は全能者を気取っておいて何も言えないなんて……」
「そうでもないだろう。君の肉体に端を発しているライドマトリクサー先進技術。そしてそれを流用した、義肢と機械との伝導。“思考拡張”と呼ばれるようになるとされている技術をこの時代にもたらせたのは大きいはずだ」
思考拡張の基礎理論をヴィルヘルムへと語ったのは、何も五十年後の彼への意趣返しと言うわけでもない。
ただ、必要であると感じたからだ。
これからの来英歴を辿っていく者達へのある意味ではギフト。
福音になるのならば、それに越した事はない。
「僕のような末端でもどうにかなるのなら……それを救いと見るか呪いと見るかだけの違いだよ」
「末端、か。あと数十年後には君のような存在が跳梁跋扈する。恐ろしい時代が来るものだ。しかし、わたしは歓迎したい。君達のような存在こそが、未来を切り拓く鍵だと」
「……随分と殊勝になったものだな」
「何だ? 未来のわたしと痴情のもつれでもあったのか? たまに君は分からない事でわたしを責めるな」
互いに目線を交わし合って笑い合う。
ここでは憎しみなんてものは意味がない。
何よりも――この時代のほうが自分は自由に生きられていた。
あれだけしがらみに囚われ、そして憎悪ばかりを膨らませていた「ミハエル・ハイデガー」と言う人間は、過去に救われる事になるなど思っても見ない。
「……笑うかもしれないが、僕は君達を恨んでいた。だって……あの時代では誰一人として特別ではなく、そして誰一人として繋がっていた。でも、僕は孤独なのだと……生きている価値なんてないんだと、思い込んでいたんだ……」
「生きている価値、か。それはしかし、付与価値と言うものだろう。誰かから与えられない限り、役割なんてものに集約はされないものさ」
「……かもしれない。僕は、大事な事をまだ――」
そこで自分の言葉を遮ったのは爆発の音響であった。
ヴィルヘルムと視線を交わし合い、部屋から出た瞬間に飛び込んできたのは武装を固めた部隊である。
「連邦保安局より、勅命である。テスタメントベース研究主任、イヴァン・クーンド主任研究員はどこか」
「イヴァン……一体誰だ……」
「失礼。偽っていたな。それはわたしの名だ」
ヴィルヘルム――イヴァンは前に歩み出て自分を制する。
連邦保安局の職員らしい物々しい人々は自分達を包囲し、銃口を向けて牽制する。
「……大丈夫、大丈夫だから……」
テトラが必死に息子を守ろうとする。
「で、これはどういう了見かな。テスタメントベースはわたしの管轄下だ。如何に連邦保安局とは言え、汚い足で踏み潰していいものじゃないはず」
「それは本日の連邦法改正により、廃止された。貴君はこれより、連邦法に則って捕縛される」
「捕縛……? 彼が一体何をしたって言うんだ……!」
隊長らしき者が自分を一瞥するなり、ふんと鼻を鳴らす。
「エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーだな。そちらにも複数の罪状がかけられている。連邦法により、その身柄を確保させてもらう」
「……横暴だ! そんな昨日今日の法律で、ここは超法規的機関だぞ……!」
「人類の遺産とでも言うつもりかね? それはもう通らない。非人道的処置と技術のオープンソース化と、そしてこのテスタメントベースを永劫に封印する事で、未来への展望とする」
明らかにそれは何者かの作為が見え隠れしていた。
しかし、今の自分達には何も出来やしない。
「……僕達を足蹴にするって言うのか……」
「苦言に対し今は統制しないが、いずれ法に背く。要らぬ口は控える事だな」
統制――幾度となく未来で聞いてきた言葉は、この時に呪縛として作用する。
最早、動き始めているのだ。
時代のうねりは止められない。
「……そうか。踏襲銀河連邦……もう片鱗を」
「失礼……。何故、その名を知っている? お得意のハッキングかね?」
「……読むまでもないさ。お前らのやり口は……いつだってそうだって言う話だ」
隊長格は自分へと歩み寄るなり、腹腔へと拳を見舞っていた。
ただの鉄拳ならばいなすまでもなかったが、その拳はライドマトリクサーを麻痺させる電撃を伴わせている。
この時代の技術でも、明らかに自分への牽制に相当する代物にハイデガーは膝を折っていた。
「ハイデガー様……っ!」
駆け寄ろうとしたピアーナを顎でしゃくっただけで部隊員が捕縛する。
「禁忌の技術体系の一つであるピアーナ・リクレンツィアは我が方で裁く。貴君の身柄の安全は我らが保障しよう」
「……どの口が……!」
「従えぬのなら、死、あるまでだ」
ハイデガーは丹田へと力を込め、隊長格を吹き飛ばしていた。
戦闘用に調整された腕が現出し、ナイフ以上の切れ味を誇る手刀がその首筋に添えられる。
「来るな!」
ハイデガーは身を焼く憤怒に駆られながらも、冷静に事の次第を観察する。
ヴィルヘルムは従おうとしている。
恐らく、ここで逆らったところで意味がない事を悟っているのだろう。
ピアーナをしかし、彼らのものにさせるわけにはいかない。
彼女はようやく自由に生きられる翼を得たのだ。
だと言うのに、それをもぎ取るような真似など、許すわけにはいかない。
「……僕に……いいや、我に従ってもらおう。我が名は――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。絶対者である」
ならば――精一杯虚飾を「取り繕え」。
今まで散々やって来ただろう。
演じるのだ。
この場で余裕ある佇まいを。
そして、皆を救うために。
「……詭弁だ。聞き入れるな」
「それはどうかな」
ハイデガーはテスタメントベースの映像中枢へとアクセスし、自分の記憶野に存在する記憶を、ただ投射してみせた。
そう、単純にこれから到来する時代を見せつけただけだ。
ライドマトリクサーの技術としては末端もいいところ。
しかし、人々は神託でも得たように絶句する。
何故ならばそれは――未来に起こり得る煉獄の戦場そのものだからだ。
「……神様……」
膝を折り、祈りを捧げ始める者達にとって、それは間違いようもなく預言者の遺すそれであったのだろう。
「惑わされるな! ただの映像投射だ!」
「果たして、そうであるかな。我は……全てが分かる。分かるからこそ、貴様らを裁く事も出来る。自分がいつ死に、どこで子を成し、そしてその子孫はどこで途絶えるのか。知ってみるのも悪くはあるまい」
中には半狂乱になる者も居た。
未来視を実現する自分という存在に、自我が持たないのだろう。
「騙っているだけだ! この者は神ではない!」
「ではどう説明する? いずれこの場所も燃え尽くされ、世界は蒼い残像を誇るブリキの死神達で満たされる。その時、自分の死に様くらいは描きたいだろう?」
「耳を貸すな! 思考拡張技術とやらだ!」
だが、この時代の者達にとって解明出来ない技術はそれだけで神秘足り得る。
神秘を前に、人はどうして来たか。
蹲り、過ぎ去るのを待ってきたか、あるいは意味づけをしてきただけだ。
かつて、嵐や災害に、聖なる獣を見て来たのが人類であるのならば、ここに居る者達が見ているのは神話の世界の再現であろう。
預言者達は、こうして世界の神秘を下々にもたらしてきた。
その叡智に、無知蒙昧なる者達は傅くしかない。
この場で、自分相手に銃口を構えるような勇猛なる者は存在しなかった。
ハイデガーは一歩歩み出し、眼前の相手を突き飛ばす。
「……この者を裁け」
その言葉に誰となく、それでいて全員が集合無意識に囚われたかのように。
拳銃が、ナイフが振るわれ、隊長格へと暴力の発露が向かっていく。
「やめろ……やめろと言っている! 貴様ら……何をしているのか分かって……!」
もう遅い。
暴力は一度振るわれてしまえばその行方を辿るまでもなく。
そして、その末路を関知するまでもなく。
血飛沫が舞い、呼吸を荒立たせて生き残った者達へと、ハイデガーは神託を下す。
「我の言うようにしておけば、地獄で亡者の苦しみを味わわずに済む。その一端でも理解出来たか?」
「……エーリッヒ……君は……」
「ヴィルヘルム……いや、イヴァン・クーンド。貴公は統合機構軍へと赴け。そこが終生において意味を成す」
そして、今の自分はピアーナと愛する妻と息子を、まるでゴミのような眼差しで射抜き――。
「その者達を解放せよ」
人々が道を開けていく。
かつて、海を割った偉人はこうして世界を渡る術を持ったのだ。
世界を崩壊させる術は、解明されぬ神秘の域であり、そして人界を稲光で打つ。
その一撃は――世界を揺るがす一撃に違いない。
「……あなた……」
「行け」
一言で離別は果たされていた。
これで分からぬほど、テトラは聞く耳を持たない女ではない。
彼女はまだ幼い子を抱え、そうしてピアーナの手を引いていた。
「……行きましょう」
「待って……待ってください……ハイデガー様! ハイデガー……様……っ! あたしを置いていくんですか! みんなを……救ってくれるって、助けてくれるって……! あなたはそう言ってくれたじゃないですか! あの日……あの夜にあたしのために動いてくれた人は……だってあなたでしょう……!」
分かっている。
これは明瞭な、彼女への裏切り行為。
だが、これしかない。
愚かしい自分はこれ以上の最善策を思い至らない。
全能者を騙れ。
預言者として偽れ。
そうでしか救えない。
そうでしか――彼女らの未来はない。
ハイデガーはゆっくりとピアーナへと歩み寄り、その手に栞を握らせていた。
「……これ、は……」
「ピアーナ。僕は幸せなんだ。君が生きていてくれる。どんな形であれ、僕らはもう一度出会う。そのために……僕とこの時代で出会ってくれた。それが何よりも……嬉しい。だから、お別れだ。君の記憶を封印する」
「……いや……っ、嫌ですっ……。なんで、なんで……あなたの事を忘れないといけないのですかっ! あなたの事だけは……忘れたくないのに……っ。何でそんな事を……」
「それが君のためなんだ。……カトリナさんとクラードを……助けてあげて欲しい」
「……カトリナ……クラードとは、一体誰の……」
「全ては忘却の彼方に。――眠れ」
ピアーナの記憶中枢へとアクセスし、その人格データへと介入する。
上書きするのに使ったのは、テスタメントベースの情報知性体であった。
『“……本当に、いいんですの? わたくしのデータを用いての人格改変なんて……”』
「構わない。君はピアーナを救ってくれる。だって、僕はもう知っているんだ。君達はいいパートナーになれる」
『“……答えられるかどうかは分かりません”』
「それでも。未来に希望を投げたい」
『“人はそんな顔をするのですね”』
そう口にされて頬を流れる熱を感じていた。
こんな土壇場になって人の心なんて要らなかったのに。
だと言うのに、運命は。
この時間軸との自決と、そして「エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー」として生存させる事を強制させる。
「……ああ、そうかもしれない。だって……人間は痛み以外で泣ける、唯一の生き物なんだ」
そんな誰かの物真似のような言の葉で、ピアーナを送り出す。
連邦保安局の人々は戦々恐々として、自分の行いを眺めていた。
「……我はこれより、地上のテスタメントベースを司る。“惑星(ほし)のエーリッヒ”としての言葉だ。聞けないものは居るか?」
賢人の声音を前にして誰も抵抗出来ないはずだ。
やがて撤退して行った人々の残滓を感じ取る前に、ぽつり、と滴がテスタメントベースの銀盤へと降り始めていた。
静かな雨音を奏で、揺籃の時代は終わりを告げていた。
「……序幕はここまで。カーテンコールの時に……僕一人じゃ……何が出来るって言うんだ……」
全てが消え去ってから、孤独感が苛む。
全てを失ってから、虚無感が押し寄せる。
それでも――耐えねばならないはずだ。
自分は“惑星(ほし)のエーリッヒ”。
時代を超える賢者の一人であり、来英歴を壊すのではなく、創り上げる存在。
「これより、我が叛逆を行う。時のいや果てまで、この命を実行しよう。我の意味は、ここに集約するのだから」
そして――ただのヒトに過ぎなかった己は、時を超えた――。