機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第246話「千年のユメ」

 

「――それがあなたの、千年の夢(ユメ)か」

 

「“幻想(ユメ)”だよ。嗤えばいい」

 

 嗤えるものか。自分はその一端を思い知っただけ、幸福なのだろう。

 

 ヴィクトゥスは栞の意味を問い質していた。

 

「……ではこれは、あなたより前の何者かが遺した……」

 

「今の世界でもその呪縛が解けないのだとすれば、ともすればそれこそが、我の求め続けてきた世界を開く鍵――ダレトの鍵である可能性が高い」

 

「ダレトの鍵……とは……」

 

「妻に預けておいた。いずれ、カトリナが……孫娘が生まれた時にそれを渡せと。数十年前に発見された技術結晶だ。儂なりに世界を解析し、来るべきダレトの到来を予感して、創り上げてきた防波技術。この世界の強制力に唯一抗う、ヒトが持つ魂の術」

 

「……そうか。カトリナ・シンジョウが持つ、黄金の鍵。あれはそのような意味を……」

 

「貴君が持ってきた白銀の栞と意味存在は同じだが、この先の未来で何が起こるのかは不確定だ。儂はもう――生きていない事になっている」

 

「自らの死を偽装しなければ、あなたの奥方の身も危うかった。心中、お察しする」

 

「言うな。慣れている」

 

 そう、心底慣れてしまった――否、慣れて疲れ果てたその背中にヴィクトゥスは自分の決意を告げる。

 

「私は、それでもクラード君と、巡り会わせてくれたあなたに感謝しかない。あなたが居なければ、今日のクラード君の刃の冴えはなかっただろう」

 

「クラードを……この日まで自分は、憎み切れなかった。それは己自身の愚かさの証でもある。そして未来に、儂は賭ける事にしたのだ。自分では到底届かない、その先へ。最早、何もかも遠い出来事よ」

 

 エーリッヒにとってそれはしかし偶発的に訪れた贖罪の道であったに違いない。

 

 彼は、自分の犯した罪の重さを、五十年の月日で思い知り、孤独の果てを描いたのだ。

 

「……私は憶測でしか物を言えない。だから、これもあなたの痛みの一端にさえ触れられないだろう。だが、あなたは人類を、ひいては他の者を愛するだけの心があった。少なくとも、愛がなければ、こんな場所まで来る事は出来なかったはずだ」

 

「それも、儂は知るのにここまでかかった。どうか、時間とそして愛した者を置き去りにしてまで責務を果たそうとした儂を軽んじてくれ。もう、意味などない。貴様が来た時点で、儂の運命は終わっている」

 

 自分が偶然にもピアーナの部屋で栞を見つける事も、ともすれば組み込まれている事象の一つなのかもしれない。

 

 それでも、人間は運命を踏み越えてこそ強くなれるのだ。

 

 エーリッヒはそれを成し遂げた。

 

 ゆえにこそ、クラードと、そしてカトリナは今、生きている。

 

「あなたの人生には祝福があった」

 

「言うようになったではないか。黒き旋風、グラッゼ・リヨン」

 

「失礼ながら、もう捨てた名です。今の私はただの敗北者、よってここに、あなたの意志を継ぎたい。敗者には敗者なりの意地がある」

 

「儂の意志を継ぐ、その意味を分かって言っているのだな?」

 

「もちろん。この終わりの淵にある世界を、救えと言うのでしょう? 月にあったと言うテスタメントベース、その意味も今ならば分かる。来英歴は終わりに佇みつつある。終末の世界でしかし、自分の力はあまりにも足りない」

 

「分かっていて、論じているのだとすれば大したタマだ。よかろう、持って行け。儂からの餞別だ」

 

 エーリッヒがその手を端末に翳す。

 

 すると、テスタメントベース中枢の地下より引き出されたのは漆黒の機体であった。

 

 その独特の鋭い頭部形状に、ヴィクトゥスは息を呑む。

 

「……まさか、これは……」

 

「五十三年前、儂が使っていた《レヴォルテストタイプ》。それが解析を終え、今はここに封じられていた、永い眠りの末だが、最新鋭の装備を整えてある。今、統合機構軍の講じている手の一つたる、イミテーションモビルフォートレス建造計画。そのフラッグシップ機だ。携えて行け、魔獣《トルネンブラ》の名を」

 

「《トルネンブラ》……《ガンダムレヴォルトルネンブラ》……」

 

 熱に浮かされたようにその名を紡ぎ上げ、ヴィクトゥスは今一度、エーリッヒへと拝礼する。

 

「……ここまで礼を尽くされて何も出来ぬ木偶だとは思って欲しくない。必ずやその意志を、私は果たそう」

 

「よい。儂も随分と待った。……妻に先立たれたと知ったのは、儂が死んだとされた五年後であったかな。全てが手遅れなのを聞く度に心が軋みを上げたよ。いや、儂に心などなかったか……」

 

「あなたには間違いようもなく、心があった。人を憎むのも心ならば、愛するのも同じく心のはずだ」

 

「……だからこそ、人間はもがき苦しむ、か。もうとっくに人類の一員である事を諦めた身だ。今さら、人界のルールに則った戦いをするべきでもない。ヴィクトゥス・レイジ。貴様は全てを持って行くのだ。儂の叛逆の運命ごと。そして、遺言を、彼らに伝えて欲しい。……どのような過酷な運命が待ち受けていても――僕達は、ひとりじゃない」

 

「……頂戴します」

 

 ヴィクトゥスは《レヴォルトルネンブラ》へと搭乗し、アイリウムの認証を受けていた。

 

 五十三年前の技術はさらにアップデートされ、現状の最新鋭機に相当する技術の粋が刻み込まれている。

 

 浮かび上がった円環を描くポップアップが声を生じさせていた。

 

『最新のユーザーを登録。声紋認証を行います。ユーザー名を』

 

「グラッゼ……いや、まだだな。私は囚われている。ヴィクトゥス・レイジ。それが私の名前だ」

 

『登録いたします。専任ユーザーをヴィクトゥス・レイジで認証。コミュニケートサーキットを30セコンド有効化。“ようこそ、ミハエル・ハイデガー様”』

 

「……ハイデガーの名前で認証されている? まさか、この栞か?」

 

 白銀の栞を携えた自分をハイデガーだと認証しているのだとすれば、このシステムはゆうに数十年の禁を破られた事になる。

 

『“これより、IMF00《トルネンブラ》はあなたの生態データを登録し、再起動いたします”』

 

 直後、両肩と脇腹へと差し込まれた端末の生じさせる激痛に、ヴィクトゥスは奥歯を噛み締める。

 

「……レヴォルの意志の……洗礼か……」

 

 無数のポップアップが生じては消えて行き、バイタルデータを同期していた。

 

『“承認。これより、専任ユーザーへと全権を委譲。発進準備に移ります”』

 

「……私を受け入れた? 全身RMではない、私を……」

 

 ヴィクトゥスは全天候モニターの一角よりエーリッヒを一瞥する。

 

 彼がその権限を自分へと差し出したのだろう。

 

 ――まさに意志を継ぐに相応しい。

 

 ヴィクトゥスはリニアカタパルトボルテージに固定される《レヴォルトルネンブラ》を意識していた。

 

 無数の隔壁が開き、地上への通路を解放させる。

 

 それは、翼で舞う時へとようやく解き放たれた、麗しき一羽の黒鴉への祝福に等しい。

 

『発進準備完了。出撃します』

 

「……まさか、私がクラード君と同じく、《レヴォル》を駆る事になるとは思いも寄らない。なればこそ、全霊をかけて。――ヴィクトゥス・レイジ。IMF00、《ガンダムレヴォルトルネンブラ》。始まりの魔獣よ、今こそ解き放たれる時だ」

 

 地上に向けて重力を伴わせ、《レヴォルトルネンブラ》が出陣する。

 

 テスタメントベース中枢部より抜け出た漆黒の機体は推進剤の出力を得て、今まさに舞い上がる。

 

 蒼き光を後光のように照り輝かせ、陣形についていた《レグルス》から照準を重ねられていた。

 

 ヴィクトゥスは直後には機動性を発揮し、臓腑を押し込む強大なGを感覚する。

 

「……これが……ガンダム……!」

 

 ここまで乗り捨ててきた《ゴスペル》の息吹よりも、さらに色濃い戦場を舞うためだけの一滴。

 

《レグルス》の機動力を上回り、背面を取った《レヴォルトルネンブラ》へとヴィクトゥスは手甲に格納されていた装備を現出させていた。

 

 果たして――見出されたのは。

 

「……ビームサーベル……これで――ッ!」

 

 発振した蒼いビームサーベルの刃が《レグルス》を蹴散らし、その破片が舞う空でヴィクトゥスは爆炎を噴き上げたテスタメントベースを視野に入れていた。

 

「……何を……何のつもりで……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー!」

 

『地獄の研究はこれで手打ちとなる。何よりも、儂が生きていても好転する事は一つもない。“月のエーリッヒ”はきっと、これさえも予見している。儂は“惑星のエーリッヒ”として、使命を全うしよう』

 

「……遺言とは……そんなつもりで受け取ったわけではなかった……!」

 

 こちらの言葉に音声回線の向こう側でも明瞭に、エーリッヒは笑ったのが伝わった。

 

『……僕は感謝さえもしているんだ。叛逆の運命は、誰かを傷つける事に非ず。誰かを救うためにあった。この時代まで生きていけた事、愛した者達を守って死ねる事に、どれだけ幸福だと感じているか。何もなかった、虚無への供物に過ぎなかった僕の生存には……意味があった……』

 

「そのような事を、思い至らせるために私はここに赴いたわけでは……」

 

 否、今さらの出来事だろう。

 

 いずれにせよ、そろそろなのだと彼は理解していたはず。

 

 それが早いか遅いかだけ。

 

 きっと人生において、命の終焉と同じく、訪れる場所を心待ちにしていたのだろう。

 

 生き過ぎた自分の人生の清算を求め、そして自分がこの場所へと訪れた。

 

 託すのには、充分な理由のはずだ。

 

「……だが、それも……狡い……」

 

『狡くとも、僕は……ようやくテトラの下へと行ける。愛した人々が愛したまま、間違いだけを正すために叛逆している事を理解して、ようやく旅立てるんだ。ヴィクトゥス・レイジ。君は征け。その手に魔獣の力を携えて、暗礁宇宙の彼方へと……己の正義を信じて』

 

 テスタメントベース中枢部が爆ぜ、内側よりの破裂が衝撃波として伝導する。

 

 最後の最後、通信網に焼き付いた声に、ヴィクトゥスは瞑目していた。

 

「……“クラードを頼む”、か。あなたはこの極地で、憎しみではなく慈しみで彼を見る事が出来た。その時点で、既に救いは……」

 

 いいや、これ以上は言うまい。

 

 自分の身勝手な飾り立てなど、エーリッヒは望んでもいないだろう。

 

 追撃する《レグルス》を加速度で振り切り、《レヴォルトルネンブラ》は空を駆け抜けていた。

 

 漆黒の機体は六翼の翼を拡張させ、飛行機雲を描いていく。

 

「……約束しよう。私は、あなたの意志を継いだ。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの後継者は、このヴィクトゥス・レイジの終生の役割だ」

 

 その言葉はレヴォルタイプのコックピットの中で静かに溶けてゆく。

 

 今、解き放たれた刃は、振るわれる時を待ち望んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 崩落する。

 

 世界が焼け落ちる。

 

 発動させた自爆プログラムの腕に抱かれ、自分は今に死に絶えようとしている。

 

 だが、それでよかった。

 

 それで、自分は満足であった。

 

「……これでようやく、この世界を去れる……か。クラード、それにカトリナさんも……笑ってくれていいが、僕は君達と出会えて……たとえ憎らしくともこうして想えてよかったとさえ考えているんだ」

 

 よろめき、エーリッヒ――否、ハイデガーは積年の務めよりようやく解き放たれた自己で歩みを進めていた。

 

 随分と老いさらばえた。

 

 それでも、ここに来られた事に、ここで今、彼らの道筋を思える事の、何と幸福な事か。

 

 ハイデガーは最終機密チェックの施された最奥の部屋まで、導かれるようにして歩みを進める。

 

 もう、かつてのように走る事さえも出来ない。

 

 それでも、今自分の脳内に居たのは、きっちりと大地を踏み締め、そして大いなる海原へと向かって駆け出す小さな自分であった。

 

 ――ミハエル・ハイデガーと言う名前は呪いではない。

 

「……祝福だった。僕の存在意義は、呪いではなく……。だから、こうして満足して逝ける。君の……下へ……テトラ……僕の愛した人……」

 

 テスタメントベースを完全に破壊するのには自分の承認が必要である。

 

 ハイデガーは両腕を可変させ、最終認証を終えていた。

 

 これで自分の生は意味をなくす――いいや、これで役目を終える。

 

「……感謝、するべきなのだろうか。《ダーレッドガンダム》、そしてクラード。僕に……役割を与えてくれてありがとう。君達を憎む事でしか存在出来なかったミハエル・ハイデガーは、ようやくその意味存在に完結出来る……」

 

 指先が捉えたのはかつての写真映像であった。

 

 このテスタメントベースで生きると決めた時、写真を嫌がるヴィルヘルムと、そしてピアーナ達と撮影した一枚である。

 

 その一枚に集約された思い出を抱き、ハイデガーは落ち行く世界を見据えていた。

 

 業火に呑まれ、自分の世界であった場所は砕ける。

 

 そんな今際の際だと言うのに、浮かんだのは歌声であった。

 

 ピアーナが作業の合間によく口ずさんでいた、五十年も前の流行歌である。

 

 ハイデガーは老人の喉ではなく、自分の本来の声でその歌声を紡ぎ出す。

 

 最後の最後に、歌えれば。

 

 全てが終わる場所で、歌えればそれでいいではないか。

 

「……さようなら、みんな。また……会おう」

 

 叶わない願いだとしてもそれはきっと――未来への展望には違いない。

 

 この五十年余り、願い続けたもの。

 

 それは終生の祈り。

 

「未来を信じる事だけはきっと誰にも邪魔されない。それだけはどこまでも……自由なはずなのだから」

 

 だから、笑え、と。

 

 寂しくとも、侘しくとも。

 

 如何に孤独でも、如何にいびつでも。

 

 それでも笑えれば。

 

 それでも歌えれば。

 

 世界の果てに待っているのはきっと、自分の望んだ安寧であるのだろう。

 

「自分の世界の終わりをこうして願えるだけ……僕はきっと随分と長く生きた。ピアーナ、後は頼んだよ。君だけの……世界を……」

 

 テスタメントベースの隔壁が焼け落ち、天上より落下してくる。

 

 その終わりを、ハイデガーは安らかな面持ちで迎えていた。

 

 

 

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