煙草の味がここまで不味いのもそうそうない。
紫煙をたゆたわせたクランチは、舌打ちを滲ませていた。
「……誰が楽しくってこの身分なんだか、分かったもんじゃねぇよな」
『そう言うな、クランチ・ディズル。君の乗機は一時的に彼らの預かりとなる』
「道楽部門とか言われている連中じゃねぇか。……信用なるんだろうな?」
一足早く宇宙へと上がったクランチは衛星軌道上のステーションで紺碧の色に染められた艦隊の出迎えに遭っていた。
『彼らは一面では同じなのだよ。我々と目指すところはね』
「……トライアウトブレーメン。いいのかよ、奴ら、統合機構軍とグルだぜ? 俺の勘がそう言っている」
『とは言ってもだね、《ヴォルカヌス》を修繕するのにはトライアウト陣営のどれかに協力を仰がねばならない。君の機体は統制の一端を担っているのだから』
「ケッ、やるんじゃあなかったな。俺の身分を押さえつけたいとか言うんなら、殺し合いも一興だと思っていた自分が嫌になる」
『しかし、君の《ヴォルカヌス》もここで打ち止めに近いだろう。修繕及び改修作業、そうして得られるのは、神の視座だ』
通信越しにもたらされる声にクランチは手を払う。
「よせやい、神なんざ戦場から一番遠い代物だ。どうせなら悪魔に見初められたほうがよっぽど命冥加ってもんだ」
『ならば悪魔と共に行くがいい。これより、《ヴォルカヌス》は最終段階に入る。その名は――イミテーションモビルフォートレス01、《カルラ》と融合し、さしずめ《ガンダムヴォルカヌスカルラ》……と呼ぶべきか』
「《ヴォルカヌスカルラ》、ねぇ……。名前なんてただの記号さ。それに意味を見出すのはいつだって人間ってもんだ」
トライアウトブレーメンを信用ならないのは、何も彼らが道楽部門と渾名されているからだけでもない。
クランチは彼らの構成員の所作一つ一つを観察し、それから看破する。
「……全員、強度のRMだ。いざという時に盾にされたんじゃ堪ったもんじゃねぇって言うんだ」
『見抜くか。さすがの慧眼だな』
「おい、ふざけてんのか? RMの連中ばっかりなんて俺は御免だぜ? いつでも撃たれる位置に居るようなもんだ」
『意外だな。君はそういった迫害意識はないと思っていたが』
「迫害なんて高尚なもんでもねぇよ。いざという時に信じられるのは、いつだってオートマチックよりマニュアルだ。そりゃ、銃の種類なんていちいち選んでいられねぇけれどな。部下はマニュアルで固めるって決めてんだよ」
『それでも、彼らの技術面での支援は君をもう一段階上に引き上げるだろう。……つい先ほど観測された事柄だが、聖獣が動き出している』
「あぁ? てめぇら何やってんだ。そいつらは掌握したってのたまっただろうが」
『残念ながら、統合機構軍の中に裏切り者が居るらしい。恐らくは、第六の聖獣を墜としたのと同じ一派だ』
その言葉繰りにクランチは常闇の宇宙空間を眺めながら言い捨てる。
「てめぇら、うまく人間を操ったつもりかもしれねぇが、案外抜けてるんじゃねぇか? 人類を上辺からすくったつもりになって、それで分かったつもりを気取っていたって事じゃねぇか」
『返す言葉もないな』
『だが我々の助力がなければ未だに来英歴は未明のままであった。黎明の光を届かせたのは我々の叡智だ』
「それも、どうなんだかねぇ。……で? 次の俺の派遣先はどこだよ? どこへなりと殺しに行けと言われれば殺しに行くのが戦争屋ってもんだが」
『ああ、それなのだがね――』
煙草をくわえたクランチは通信越しにもたらされた宣告に、呆けたようにそれを取り落とす。
「……嘘、冗談とかじゃ、ねぇよな?」
『我々が冗談を言ったためしがあるかね?』
クランチはステーションで駐在するトライアウトブレーメンの者達を視野に入れてから、声を潜める。
「……それは……俺としちゃ大歓迎だが……いいのか? 言えた義理じゃねぇが、それは……背信行為ってもんじゃねぇのか?」
『我々の視座に背信する者など、この世には居ない』
『左様。最早、第一の聖獣も始末した。残っているのは、二体の聖獣と、そしてエンデュランス・フラクタルの手に堕ちた《サードアルタイル》。こちらはまだいい。クランチ・ディズル、君に命じたいのは最後の仕上げとでも言うべきものだ。最終的な勝利者になるのは、いつだって君のような賢明な人間だろう?』
悪魔の誘惑に、クランチは喜悦を滲ませる。
まさか――これほどまでの戦場を用意しているとは思いも寄らない。
「……じゃああれかい? 俺はこれまで通り……いいやこれまで以上に、戦場に酔えるってもんだと、思っていいんだろうな?」
『その認識で構わないとも。《ヴォルカヌスカルラ》がロールアウト次第、君には世界を相手取る戦いに挑んでもらおう』
「……上等……ッ!」
通信を切り、クランチはトライアウトブレーメンの女性構成員に呼びかけられていた。
「クランチ・ディズル様ですね? こちらへどうぞ。我が方の用意した最上の機体をご覧に入れます」
女性構成員はそれなりの容姿をしていたが、全身RMというのはどうにもそそられない。
誘うように揺れる尻も、男をたぶらかす胸も、甘い吐息とその整ったかんばせも。
どれもこれも虚飾――偽物だ。
だからこそ、クランチは次の言葉を問い返していた。
「《ヴォルカヌス》、あれは我が方にガンダムとして登録されています。三年前に設立された概念ですが、違反兵器に相当します」
「違反兵器ぃ? 今さらそんな分野で戦ってねぇだろ、てめぇら」
全て織り込み済みだと言うように、女性構成員は口元を緩め眼鏡のブリッジを上げる。
「ええ、その通り。ガンダムの遺恨は全て過去のものとなり、我々はこれから先の栄光を築き上げる。お見せしましょう。これがIMF01、《カルラ》です」
女性構成員が案内した格納デッキに佇んでいたのは、巨大な構造物と呼ぶべき代物であった。
両肩に位置する部位にすり鉢状の推進器を有し、背中には怪物の背びれじみた構造物が内側より脈打っている。
それは――ヒトのスケールに落とし込むのならば巨獣の鎧そのもの。
「これが……《カルラ》、か。イミテーションモビルフォートレスとか言う」
「我々トライアウトブレーメンは、《ネクロレヴォル》との協力による統制の末に兵器の上層概念へと触れました。それこそが来英歴の人間の手による聖獣の模造、魔獣の建造です」
「魔獣、ねぇ……。これだけでどれだけの街が焼ける?」
「世界主要都市だけならば、三十分あれば陥落出来るでしょう」
何の疑問も差し挟まずにスペックだけを報告する構成員に、クランチは笑みを刻んでいた。
「……いいじゃねぇか、《ヴォルカヌスカルラ》……こいつと一体になって神とやらを騙るのも悪くねぇ。何よりも……もう俺に怖いものなんて何一つねぇんだ。クリアになった意識ってのは、いつだって自分を最善の状態にする。これもそうさ、目に見える形での力の誇示。人間はいつだってそんなもんで成り立ってきたんだからな」
「クランチ・ディズル様。これより、《カルラ》のコアユニットへと《ヴォルカヌス》を統合、結合する事でその性能を十全に発揮出来るようにいたします。トライアウトブレーメン直下の戦力として、これよりあなたには――宇宙に上がってくる全ての存在を、迎撃してもらいます」
それは先ほどダーレットチルドレンが言ってのけた事実と合致するが、自分がもたらされたのはさらに高次の命令権である。
「いいのかねぇ……俺はこれから先、人類を宇宙に上げるなって言われているんだぜ? それはつまり、もう来英歴の人間共には先がねぇってこった。その意味、分からないほど馬鹿じゃねぇだろ?」
女性構成員は紅を引いた唇に笑みを浮かべていた。
「それこそが求められる未来であると言うのならば」
「受け入れる、かよ。じゃあよ、ついでにその作り物の身体で俺を受け入れてくれよ。こういう性質はよく居たクチだろ?」
迫ると女性構成員は分かり切った言葉を吐く。
「……人に見られてしまいます」
「構わねぇさ。そっちだって承知の上のはずだ」
女性構成員の唇を塞ぎ、直後には悪徳の情欲が溢れ出す。
恐怖するものが何一つない、澄み渡った意識の中でクランチは動物的な本能で腰を動かしていた。
「ああ、これは……たまんねぇな。世界を手にする、英雄の目線ってのは」
喘ぐ女性構成員の声が格納デッキの隅に残響する。
その中でクランチは不意に浮かび上がった声に意識を取られていた。
――あなたは幸せですか?
「……何だと……?」
「……クランチ様……?」
熱を帯びた呼吸の女性構成員を前に、憤怒が這い出てくる。
封殺したはずの感情が汚泥のように浮かび上がり、直後には暴力で相手を屈服させていた。
その声に聞き留めた名前を重ね、クランチは引き裂きかねない力で何度も泥を吐き出す。
「……ふざけるな、ふざけるなよ……カトリナ・シンジョウ……てめぇだけは……この世に女として生まれた事を……後悔させながら殺してやる……! てめぇだけは……俺の獲物だ……!」
悪欲の渦巻く宇宙で、クランチは奥歯を噛み締めていた。