「微熱だな。ちょっとした疲れが出たんだろう。栄養剤と解熱剤を出しておく」
医務室でカトリナはしゅんと首を項垂れていた。
「……何だ、期待の新人らしくない。風邪とも呼べない疲れ程度だぞ?」
「いえ、そのぉ……私、仕事出来ていますかね?」
「出来ていなければ社会人ではないな」
「か、からかわないでくださいよぉ……。ヴィルヘルムさんから見て、私、やっぱり空回ってます?」
「いいや。そうでもないんじゃないか? あのクラード相手に四六時中よくやるとは思っているとも」
「……それって褒めてませんよね?」
「分かっているじゃないか。はい、処方箋」
差し出された栄養剤と解熱剤の袋に、カトリナは何度目か分からない陰鬱なため息をつく。
「おいおい、ため息をつくと幸せが何とやらだろう? 君が駄目になってどうする?」
「いえ、でも……クラードさん、私なんてどうだっていいって思っているみたいで……」
「書類仕事に追われ過ぎて持ち前の元気さも失ったか? 打ち止めになる前にもう一度走り出すといい。次第に気力なんてものは後から湧いてくる」
「……そういうのも、もう古いですよ」
「根性論は君の得意分野だろう? わたしは苦手だがね」
こちらへと振り返ったヴィルヘルムはしかし、聞く姿勢に入っていたのでカトリナはぽつりとこぼす。
「あの……クラードさんは一体その、何者なんですか? だってあんなに若くして、エージェントだなんて……」
「エンデュランス・フラクタルの社内機密の中にある代物だ。わたしの口からでもクラードに関して多くは語れない」
「そ、それでも……っ!」
「残念ながら、ね。エージェントに関する機密はわたしでも話せないんだ。これはクラードの身を守るためでもある」
「そ、その理屈は分かります……けれどでも……誰もクラードさんの事を、語りたがらないのって、それも変ですよ……!」
「彼は特級のエージェントだ。もしもの時に近しい誰かが重石になるのならば、それをまず除去する方向へと考える。それがエンデュランス・フラクタルのエージェントとしては正しいからね。人として正しいかは、ともかくとして」
「……ヴィルヘルムさんも、やっぱり人としてはその……クラードさんも正しくないっ……」
「一意見だよ。何だ、真に受けたような顔をして。期待の新人の名が泣くぞ?」
「そっ……そんな名前の人は知りませんっ! ……でも、委任担当官で命じられたのに、いいのかなぁ、って」
「当のクラードの事は君自身が知ればいい。いずれはその時が来る」
「ですけれど……本人が語りたがらないのに、私がその……いつまでも馬鹿みたいに付いていったって……それってよくないんじゃ……」
「君らしからぬ悩みだな。何だ、ベアトリーチェ出港からまだ一週間だろうに。そんなでは航路に差し支える。サワシロ君や、サルトル技術顧問に話を聞けばどうなんだ?」
「……それってズルくないですか? 確かにバーミット先輩やサルトル技術顧問はよく知っているでしょうけれど、委任担当官としてなら、話は本人の口から聞くべきなんじゃ……」
「分かっているのなら回れ右だな。わたしと無駄話をくっちゃべっていると、フロイト艦長からお叱りが来るぞ」
「うぅ……ですよねぇ……。でも、一個だけ不思議なのって、あの《レヴォル》ってのがそのー……ぅ、喋るんですよね? 何でだか」
「ああ、あれはね。ああいう風に出来ている代物でもある」
「……あれって変じゃないですか? MSにコミュニケート機能なんて」
「いや、変ではないんだ。クラードはこれまで、いくつもの戦場に身を置いてきた。その中には口にするのもおぞましい戦場もあったに違いない。そんな中で、この社内でも信じられる人間と信じられない人間が居たはずだ。クラードはそれこそ、信じられない、人間不信の状態に陥ったっておかしくはなかったはずなんだ」
「……それを《レヴォル》が助けた……? ですか」
「助けとなるべくして《レヴォル》が居る、が正しいかな。《レヴォル》が実装されたとなれば、これまでの潜入任務や、あるいはこれまでの戦場とは違う、別種の戦いが待っている。そういう風にエージェント、クラードは教育されてきたはずだ」
「……まるで観てきたみたいに」
「失礼。話し過ぎたな。君は委任担当官なんだろう? だったら、もっと体でぶつかっていけばいい。言葉なんて得意じゃないのは見れば分かる。だったら、馬鹿でもいいんだから全力でクラードにぶつかっていけ。そうすれば結果は自ずと出るだろう」
「……そう、でしょうか……。クラードさんにとってそれが正しいのかは……」
その瞬間、衝撃波と電燈の明滅にカトリナは椅子から転げ落ちてしまう。
「……この感じ……敵?」
「こんな短期間にまたか。仕方ないな。……期待の新人、君は管制室に向かうといい」
「ヴィルヘルムさんは……!」
「ここよりかは管制室が安全だ。さぁ、とっとと行った! 隔壁が閉鎖になればそれも叶わないぞ」
一つ頷き、カトリナが飛び出したところで、廊下を折れたところでクラードとかち合う。
「……あんた」
少しだけうろたえたクラードへと、カトリナは先ほどの言葉を思い返していた。
――馬鹿でも体からぶつかれ。
その言葉に衝き動かされたかのようにカトリナはクラードの白衣を引っ掴んで声にする。
「あの! 私、絶対に諦めませんから! クラードさんに認めてもらうまで、もう絶対に! 馬鹿だとか愚図だとか言われても! もう体から立ち向かうって決めたんですっ!」
「……何言ってんのさ。離しなよ」
これまでならここで折れてきただろう。しかしカトリナは頭を振っていた。
「離しません! クラードさんも、だから約束してくださいっ! 少しでいいから私と向かい合うようにって! 帰ってきたら、絶対ですよっ!」
「……何であんたと向かい合わなくっちゃいけないんだ、いいから離せって……」
力任せに振り払おうとしたクラードの躯体を僅かにずらし、重心をぶれさせてカトリナは自分の側へと引き寄せた後に、大外刈りを見舞っていた。
「どうです? これでも柔道部じゃ強かったんですよ……っ!」
「……ラクロス部だったんじゃなかったの」
「あっ……えーっと、ラクロスは高校の時で、その、柔道は大学の時に誘われて……!」
「どうでもいい。気は済んだ?」
こちらの気勢を削ぐように白衣を整えた後にクラードは脇をすり抜けていく。
その背中にカトリナは言葉を投げていた。
「約束なんですからねーっ!」
返事はない。
だが少しだけ、前向きになれたような気がして管制室に向かっていた。
「遅くなってすいません! カトリナです!」
「名乗りはいいから。そこの椅子に座っておきなさい、委任担当官」
「あっ、今回は居るんですね……艦長」
「居ちゃ悪い?」
「い、いいえ……っ! ……そんなに今回の敵はまずいんですか?」
レミアは頭痛薬を飲み干してから、はぁと嘆息をつく。
「……こんなことわざを知っている? 狭き門より入れ、ってね。どっちにしたところでいつかは会敵するような相手よ。ここで一度陣取っておいてもそれは別段、しなくてもいい苦労じゃない。聞こえているわね? クラード。敵は軍警察、トライアウトの識別信号が出ているわ」
『またトライアウトか。あいつら懲りないんだな』
「“この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は、危険に生きることである”ってね。彼らも狭き門を通ろうとしているのかもしれないわ」
『何だ、それ。ワケ分かんないな、まったく……』
ぼやきつつも、出撃姿勢に入っていくクラードの《レヴォル》の信号へと、別のシグナルが開かれる。
『待ってくれ! また軍警察なら……オレも出させて欲しい』
「アルベルト君……だったかしら? 許可出来ないわ。大人しくしていなさい」
『でもよ! クラードばっかり出るこたぁねぇはずだ! こっちも一応、《マギアハーモニクス》でミラーヘッド戦ならやれる! ……あいつばっか傷つくのは、観てられねぇ!』
「……勘違いがあるようだから言っておくけれど、クラードは別にあなた達を守るために出ているわけじゃないのよ。この艦と、そして自分の生存のために出撃している。それが彼の職務なのだから」
『だったら! オレらだって職務はあるはずだ! いつまでもおんぶにだっこじゃ……居られねぇよ!』
通信を切ったアルベルトにレミアは陰鬱なため息をついていた。
「……サルトル技術顧問、聞こえているわね?」
『ああ。さっきのも聞いたが、艦砲射撃の邪魔にならん範囲なら《マギア》を置いてやってもいい。いくら宇宙の荒れくれ者だって言っても、それくらいは守らないと後ろから撃たれるくらいは分かるだろ』
「……分かったわ。後の処理はそっちに一任します。カトリナさん」
不意に言葉を振られてカトリナはかしこまる。
「あっ、へっ……? あっ、何でしょうか! レミア艦長!」
「……そろそろ座ったら?」
ずっと管制室で佇んでいるのを茶化され、カトリナは羞恥の念で耳まで真っ赤になった挙句に、椅子へと歩を進める。
「し、失礼しまーす……」
「敵影は三。明らかなミラーヘッドの編成です」
「最大望遠、出せる?」
管制室のモニターに大写しになった敵影はデルタ編隊を三機で組んでおり、先頭を行くのは紅色の《エクエス》であった。
「……あの《エクエス》、変な色……」
「識別信号トライアウトジェネシス……軍警察の上層部……?」
「……なるほどね。単純に攻めて来たわけでもなさそうってわけ。クラードにはミラーヘッドの許可を。全力で叩き潰すように」
「了解。エージェント、クラードにミラーヘッドの許可を降ろします」
「あの……っ、ちょっといいですか?」
「なに、カトリナさん。分かっているとは思うけれど戦闘姿勢なんだけれど」
「いえ、その……相手が軍警察なら、ミラーヘッドオーダーを、令状を持っているんじゃ? そうなってしまうと、下位のオーダーは掻き消されてしまう。《レヴォル》がどれほど優れたミラーヘッドの機能を持っていても、もうオーダーが出された後じゃ……」
こちらの知識にレミアは一瞥を振り向けた後に呟く。
「……単純に元気なだけが取り柄でもないのね」
「えっ、どういう……」
「カトリナさん。知っておくといいわ。あの《レヴォル》が、何故、何のために我が艦に配備されているのか。それも込みでね」
「……は、はぁ……。でもそれって、この世界の常識……」
『エージェント、クラード。《レヴォル》、発艦準備に移行』
「了解。リニアカタパルトボルテージに《レヴォル》を固定。出撃位置に。艦長」
振り向けられた命令系統にレミアは手を払う。
「エージェント、クラードと《レヴォル》に出撃許可を」