「どうあったって、現場判断ってのもあります」
レミアへとそう忠告したアルベルトに、ブリーフィングルームの重苦しい空気をカトリナは感じていた。
「……そうね。未確定情報に踊らされて、二の足を踏んでいる場合じゃないもの」
「レミア艦長……でも、でもでも……っ! ファムちゃんはあれに……キルシーさんを感じているって……!」
「カトリナちゃん、感情論で動くのは結構。これまでだって確率じゃどうしようもない戦場を、あなたはそうやって生き永らえてきた。……でも事が事なのよ、受け止めて」
バーミットのたしなめる声にカトリナはゆっくりと頭を振っていた。
「でも……っ! もしキルシーさんが乗っているんだとすれば……! レミア艦長!」
「私だって分かっているわよ!」
返された怒声に、カトリナは硬直していた。
「……分かっている、分かっているつもりなの……。でも、だからって私の一感情で、こんな事……決められるわけがないでしょう……!」
顔を伏せたレミアの感情の発露にカトリナは何も言えなくなっていた。
分かった風な事を言って、この場を掻き乱したところで仕方ないのだ。
アルベルトは静かに応じていた。
「……とは言え、オレらからしてみても、《ティルヴィング》は二度も三度も相手取れる敵じゃありません。余裕があるかって言えば、ないんです」
「……ええ、それは承知の上。RM第三小隊は前回の戦闘での損耗もあります。よって、今次作戦の決行は見合わせるのが適当でしょうね」
「……とは言ったところで、大人しくはいそうですか、と受け止められるわけでもあるまい。殊に、ここに集った者達はな」
ダビデの言葉にバーミットは端末上に呼び起こした情報を手繰って前髪をかき上げる。
「でも、どうするって? 今しがたアルベルト君の言った通り、あたし達じゃ、《ティルヴィング》を抑えるなんて事は出来そうにないわ。妙案があるのなら聞くけれど」
「……我々だけでは不可能な領域であるのだけは嫌ほどに分かるのだが、何も言えん。IMFをこのまま放置してもいいとは判じられないが、止められる術があるとも思えないのは事実……」
やはり、そうなのだろうか。
《ティルヴィング》に搭乗しているのがレミアの妹であるキルシーだとしても、助け出す術は存在しない――そんな残酷な答えだけが、今目の前にある事実だと言うのならば。
「……私はでも、ファムちゃんに……。助け出すって決めたんです。誓ったんです。なら、無理を承知でも、やらないといけないはずじゃないですか」
「カトリナちゃん、無謀と勇猛はまるで違うわ。IMFを止められるとすれば、もう一度……《ダーレッドガンダム》の放った謎の弾頭が必須になってくる」
「……あ、れ……? 私、そう言えばあの時……白い空間に……堕ちて……? あれは、夢……?」
脳内に残存する記憶の片隅を感じつつ、カトリナはアルベルトの言葉を聞いていた。
「どっちにせよ、敵はミラーフィーネ持ちなんです。ただの編隊じゃやられるのがオチってヤツですよ」
「そうね……。私達は一刻も早く、宇宙に上がらなければいけない。そのためには魔獣を相手取っているような余裕もなければ、時間もない」
「……エンデュランス・フラクタル本社が何か遣いを寄越さないとも限らない。我々の次の行動は慎重に行かなければいけないはずだ」
レミアの言葉にダビデが同調する。
分かっている、自分達はこれまで以上に、世界から狙われる事だろう。
その上で、一度宇宙に上がり、エンデュランス・フラクタル本社と事を構える考えも必定になってくるはずだ。
だと言うのに、地表に這いつくばって魔獣の相手をしている場合でもない。
「……でも、私達はきっと……何かが出来るはずなんです」
「何か、ね。これまでならあなたの言葉に、少しは勇気付けられた経緯もあるでしょうけれど……IMF02をどうこうする手段が見当たらないのなら、もう私達に出来る事なんて……」
『――失礼を。何も手がないわけではございません』
唐突に繋がれた回線に、カトリナは狼狽する。
「ピアーナさん……?」
『ブリギットを預かる艦長として、IMF02《ティルヴィング》の針路を計測いたしました。その進行方向にあるのは、ポートホームの粒子加速器と推測されます』
「それって……」
ブリーフィングルーム中央に三次元の投射映像が映し出され、リアルタイムでの《ティルヴィング》の進行状況を示していた。
『ポートホーム集積地点をもし、《ティルヴィング》がミラーフィーネで攻撃……あるいはその強い力に引き寄せられるようにして、捕食にかかった場合……地上と宇宙は隔たれるでしょう。わたくしの計測結果では、三十年は宇宙に上がる術が存在しなくなるとされています』
「三十年……? おい、そりゃあ、マジなのか! ポートホームの集積地点ってのは、でも世界に何個もあるもんだろ?」
疑問を発したアルベルトに、ピアーナのもたらしたデータは的確に応答する。
『この来英歴では宇宙へと上がるのにポートホーム……即ちダレトの技術結晶が使われて来ました。瞬間的に空間転送が可能なポートホーム技術は連鎖反応を引き起こすとされており、一カ所の起爆が他の集積場へのダメージとなります。もし……ミラーフィーネによって完全停止に追い込まれた場合、地球圏と宇宙での断絶に留まりません。人々は宇宙へと赴く術をなくす事でしょう』
「……取り戻すのには三十年は必要だってのか……」
茫然とするアルベルトにピアーナはツインテールを払う。
『……これでもマシな試算です。もし、《ティルヴィング》ほどの巨大兵器がポートホーム付近で自爆した場合……我々が当たり前のように使っている転送技術は使えなくなる可能性があります。そうなれば、宇宙へと上がるのにはローテクの技術に頼る事となり……我々がエンデュランス・フラクタル本社と戦うなど夢のまた夢……』
「……参ったわね。こっちとしちゃ、一撃与えたつもりが、相手にとっては最後の手段を取らざる得ない状況にまで追い込んでしまった、って事なのかしら」
バーミットの言葉にピアーナは重ねる。
『いえ、これはこちらの読み違えと言うよりも……最初から仕組まれていた流れのような気さえするのです。《ティルヴィング》がもし、聖獣の心臓を獲得していた場合、自動操縦型に切り替わっていた可能性があるでしょう。これはわたくしの中へと流れ込んできたIMFの基礎設計理論に基づいた話になるのですが……』
「……なるほど、つまるところ、どちらもまだ可能性でしかない。でも悪い方向に可能性は転がっている……艦長、あたしから進言するとすれば、《ティルヴィング》の足止め……くらいなものでしょうね。完全撃破は不可能と考えたほうがいいでしょうし」
「……分かっているわ、バーミット。こういう時こそ、理知的に振る舞わなければいけない事くらい。現時刻で、《ティルヴィング》に最も近い勢力は?」
『……我々……という事になりますね』
ピアーナの声を聞き留め、レミアは判断を下す。
「では、これより――魔獣《ティルヴィング》を討伐します。それに、さしものエンデュランス・フラクタル本社も馬鹿ではないはず。送り狼で《ティルヴィング》をどうこうされる前に、私達の力で止めましょう」
レミアにしてみれば、キルシーが乗っているかもしれない《ティルヴィング》に仕掛ける事そのものが下策であるはずだ。
しかし彼女は迷わない。
オフィーリアを預かる責任者としての声を振り絞る。
「……止める……んですよね? 倒すんじゃなくって……」
「カトリナさん。弱音はいいの、今は……私達に出来る抗いを浮かべるまで。どっちにしたって、このまま指をくわえて待っていれば、宇宙への道筋が永劫に途絶えると言うのなら、まだ勝ちの芽があるほうに賭ける、それが私達なりの抵抗でしょう」
『話は聞いた』
接続された声にカトリナは瞠目する。
「クラードさん……?」
医務室から直通を繋いできたらしいクラードの面持ちには疲弊が窺えたが、彼は言ってのける。
『俺と《ダーレッドガンダム》が先鋒を務める。アルベルト達にはバックアップに回って欲しい。……聖獣の心臓を手に入れたんだ、少しは出来るはずだ』
「でも……でもでも……っ、クラードさん……っ」
『何だ、カトリナ・シンジョウ。まさか諦めると言うわけでもないだろう』
クラードの赤い瞳に浮かんでいたのは本気の眼差しだ。
ここで――《ティルヴィング》を完全に封殺する。
その決意の輝きに、レミアは目元を伏せる。
「……クラード。あなたにばかり、無茶をさせるものじゃないと、私は思っているのよ……」
『無茶を言っているのは百も承知だ。それでも……俺達は宇宙に上がって決着をつけなければいけない相手が居る。それなのに、悠々と三十年も待てるものか。俺が出る、他の文句は受け付けない』
「……あなたはそれだから……痛みを全て背負ってしまう……」
弱い女の一面を晒したのも一瞬、レミアは艦長としての声を問い返していた。
「……一つ聞くわ、クラード。《ダーレッドガンダム》を使いこなし、勝てる作戦に組み込んでも構わないのよね?」
それはクラードに前を任せると言う意思表示でもあった。
無論、ここで弱気に挫ける彼ではない。
『……ああ、俺がこれまでと同じように……奪われたものを奪い返すだけの戦いを繰り広げるだけだ』
「……分かったわ。クラードと《ダーレッドガンダム》を作戦の前線へと組み込みます。サルトル技術顧問、《ダーレッドガンダム》の修繕、どれくらいでいけそう?」
『こっちはかなり損耗しているが……何でなのだか分からんとは言え、これは……自己修復していると言うべきか』
「自己修復?」
『《ダーレッドガンダム》の有するベテルギウスアームが破損個所を中心にして別の機動形態へと変異を果たそうとしている……。これは恐らく……MFの持つ修復機能の一部だと考えられるが、仕組みはまるで分からん。人外未知のテクノロジーだ……』
「……《ダーレッドガンダム》が?」
「……要は、次の戦いで出せるか否かで言えば……」
『……出せる、がクラードと応相談だな。おれ達だって戦ってるんだ。どれだけ無理無謀なスケジュールでも間に合わせよう。任せろよ、艦長。それに、期待の新人も。おれ達、オフィーリア整備班はお前さん達を生かして帰すまでが仕事だ。絶対に、万全の状態にしてみせるさ』
「……サルトルさん……」
「……期待しているわ。では、私達はこれより、《ティルヴィング》討伐作戦を決行します。ピアーナのブリギットと相対速度合わせ、IMF02への追撃に入る。出せるパイロットは全員出して。……恐らくはこれまでにない、戦いとなるでしょう」
その言葉を発し切ってから、レミアは踵を返す。
カトリナは思わず背中へと呼びかけていた。
「レミア艦長……!」
「……何、カトリナさん。時間は有限よ」
「あの、その……っ、私……っ! 私……! ファムちゃんと約束したんですっ! 絶対に……キルシーさんを、そのっ、助け出すって!」
「……出来ない事を作戦に組み込むわけにはいかないわ。あなただって三年間も戦ってきたのなら分かるでしょう」
「出来る出来ないじゃなく……っ、やってみせたいと! 思っているんですっ!」
分かっている。とんだ精神論だ。
ガッツで世界が救えるものか。
だが、それでも自分はどうしたって希望を捨てられない。
だって、誰しもが絶対に――。
「幸せに成るために……生きているはずなんだから……っ」
レミアは顔を伏せたまま振り返って歩み寄っていた。
張り手の一つくらいは来ても、可笑しくはない。
身構えたカトリナへと――レミアは震える声で尋ね返す。
「……本当に……本当にそんな事が……叶うと思っているの? 出来ると思っているの? ……キルシーを……あの子に何も出来なかった私みたいな女に……資格があると思っているの……?」
肩に触れたレミアの指先は凍えたように震えていた。
その段になってようやく、カトリナはレミアを直視する。
今にも崩れ落ちそうな眼差し。
今にも決壊しそうな感情。
そして――今も必死に押し留めている、「レミア・フロイト」としての自我。
彼女は、恐らく自分以上に救済を求めている。
だが、願ってしまえば、祈ってしまえば。
それは個人としての言葉に成り下がり、オフィーリアの存続の危機に陥らせるであろう。
今、個人的な感情を発露させるわけにはいかない。
そんな澱に囚われ、行き場をなくしたレミアの感情に訴えかけるように、カトリナは真っ直ぐにその瞳を見返して頷く。
「……助け、ましょう……。私達なら、出来ます……っ。可能不可能の次元なんて、これまでだって飛び越えて来たじゃないですか……」
「……あなたにそんな風に諭される日が、来るなんてね……」
レミアは寂しげに自嘲した後に、自分の手を握り締める。
冷たい指先、緊張に強張った手が、懇願するように自分の手の体温を求める。
「……お願い……カトリナさん、クラード……。あの子を……助けて……。キルシーを……姉らしい事なんて一個も出来なかったけれど……最期くらいは、人間らしく……殺してあげて……」
もっと姉として願いたかった事はあったはずだ。幸せくらいは祈ったってよかったはずだ。
だがレミアの身分はそれを許さないのだろう。
血を分けた妹へと、最後の最後、安息な死くらいしか、レミア・フロイトと言う女性は報われないのだろう。
彼女にとって最も残酷な選択肢だけが残された形だ。
しかもそれを、自分とクラードに投げなければいけないと言う苦痛は推し量るに余りある。
カトリナはその手を優しく包み込み、言って聞かせるようにゆっくりと告げる。
「……大丈夫、ですから。私達はきっと……助けられます。いいえ、助けなくっちゃいけないんです。だって、誰でもきっと――」
「幸せになる権利はある、から?」
先回りして口にされた言葉に、カトリナは微笑む。
レミアも口元を綻ばせていたが、それでも緊迫は拭えないようであった。
「……私は怖い」
「ええ、知っています」
「……キルシーを殺す事もそうなら、それを冷酷に告げてしまえる自分にも」
「……分かっています」
「……あの子の事なんて、何一つ分かっていなかった。姉なんて言える立場じゃないのも、重々承知。……でも、どうしても……あの子を怪物のまま、死なせちゃいけないのだけは分かる。私にとってのあの子は……母親違いでも掛け替えのない妹で……何度も袖を引いてくれた事だけは、憶えているもの」
「だったら、艦長は憶えてあげてください。キルシーさんの事、きっちり思い出の中で」
面を上げたレミアは僅かに涙ぐんでから、そうね、と呟く。
「……もう思い出の中でしか、私はあの子に、姉らしい事をしてあげるなんて、……出来ないのかもね」
「レミア艦長はきっと、いいお姉ちゃんだったんだと思います。だって、そうじゃなくっちゃ、ここまで艦長は……キルシーさんのために、泣けないはずじゃないですか」
その段になって頬を伝う熱に気付いたように、レミアはハッとしていた。
「……死神と呼ばれた私でも、まだ心が残っていたって事……なのかしらね」
「優しさで、示してあげてください。私達が前で戦います。レミア艦長は……オフィーリアを頼みます」
「ええ、任されたわ。それでも……カトリナさん。無茶だけは、しないでちょうだいね。あなたの無理無策のせいで、寿命が縮む思いをするのはこっちなんだから」
軽口を交わし合い、お互いに身を翻す。
行くべき道は、ここに決まった。