機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

264 / 323
第261話「姫と淑女」

 

 誰かの呼ぶ声が、聞こえたような気がした。

 

 顔を上げるが、骸で構築された砂浜は凪いだまま。

 

 赤い血潮の波は変わらない時間を刻んでいる。

 

「……私は、ここで朽ちていくしかない。そうなのでしょうね」

 

 最早諦めもついた。

 

 ワンピース一枚だけの自分へと、骸骨が覆い被さる。

 

『キルシー……君を、護る……よ……』

 

「もう必要ない。全部……壊れてしまえばいい」

 

 蹲ったままキルシーは破滅への願望を語る。

 

 世界なんて焼け落ちてしまえばそれで全てが終わる。

 

 そんな絶望の淵に佇むのがお似合いなのだ。

 

 だから不意に世界に亀裂を生じさせた「聲」を――にわかには信じられなかった。

 

『キルシー……っ!』

 

「……ファム……?」

 

 そのようなはずがない。そう思いながらも絶望の白い砂浜で、キルシーはゆっくりと顔を上げる。

 

 赤い波間の向こう側から声が、自分を呼ぶたどたどしい声が聞こえてくる。

 

 思わず腰を浮かしかけて、骨ばった騎士が足首を掴む。

 

『行っては駄目だよ、キルシー……私が……護るから……』

 

 誰を信じればいいのだろうか。

 

 嘘としか思えない幻聴だろうか。

 

 それとも、自分を護るとのたまうこの骸骨の騎士であろうか。

 

『キルシー……っ!』

 

「ファムが……ファムが呼んでいるの……? でも……あなたはだって、私を裏切った……!」

 

 思念が波風を立たせ、世界が敵意の色相に染まる。

 

 自分を中心軸として風圧が巻き起こり、拒絶の旋風が幻聴を遠ざけていた。

 

『そう、だ……それでいい、キルシー……もう、傷つく事なんて……ない』

 

『キルシー……っ!』

 

「やめて……うるさいうるさいうるさいうるさい……! あなたなんて嫌いよ、ファム! あなたはだって、私を救ってくれる女神じゃなかった! 私を裏切って……それで今は幸せなんでしょう? なら……私なんて、最初から要らなかったんじゃない……」

 

『……キルシー……でもファム……キルシーのこと、すき……だよ……』

 

「やめて。ファム、あなたには人の心なんて分からないんでしょうね。一度裏切られてしまえば……どれほどの事を諦めてしまうのか……。一度見限られてしまえば……どれだけ……願ったって祈ったって……無駄なんだって分かってしまうのよ……!」

 

 脳裏に浮かび上がるのはあの日、自分を見捨てて出奔してしまった姉の背中があった。

 

 どうして連れて行ってくれなかったのだろう。

 

 子供だったから?

 

 弱かったから?

 

 それとも――邪魔だったから?

 

「……お姉様は……私なんて要らなかった……だから、置いて行った。私を……あんな籠の鳥のような場所に……!」

 

『ちがう……ちがうよ、キルシー……。レミアは、そんなひとじゃないよ……』

 

 幻聴はやはり都合のいい言葉を吐くものだ。

 

 ファムがレミアを知っているはずがない。

 

「……あなたに何が分かるの? お姉様は……私なんて生まれないほうがいいって思っていたんだわ。だから……! 平気で置いて行けた! 平気で見捨てられた! ……もう、思い出しさえもしないでしょうね……私の事なんて、とっくの昔に見限られたのよ……! だからもう……優しい世界なんて、要らない」

 

 世界が色相を失う。

 

 白と赤ばかりの暗色の世界で、波風が吹き荒れ、骸の砂浜が風圧で乱れる。

 

「私は……最初から一人ぼっち! 一人ぼっちの……ただの道化! ファム、あなただって笑っていたんでしょう? 無駄な事をしている、馬鹿な女だって! どうせ、私なんて誰も必要として……ない」

 

『それは違う……違うはずです……っ!』

 

「……誰の声……?」

 

 ファムの声が生じた場所より、抵抗のような声が発せられる。

 

『レミア艦長は……あなたを助けて欲しいって……殺したくないはずなんです……っ! でも、あなたを止めないといけない。だから、私達に託してくれた……!』

 

「意味の分からない事を……じゃああなたは私に何をしてくれるの? 何も出来ないでしょう? だって言うのに、無責任な事を言わないで!」

 

 拒絶の風が吹き荒び、声を吹き飛ばさんとする。

 

 その刹那に、ファムの声が響いていた。

 

『ミュイ……でも、ファム、キルシーといて、たのしかったよ……? なのに、キルシーはファムといて、たのしくなかった……の?』

 

「楽しかった? そんなのまやかしよ! ファム、私はあなたの事なんて大嫌い! あの時……見捨てればよかった! 手を差し伸べた事も後悔しているわ! そのままどこかの貴族の物になってしまえば、それでよかったのよ! あなたなんて……最初から居なければ……!」

 

 その時、世界が鳴動する。

 

 鋼鉄がぶつかり合う音が残響し、キルシーは声を途切れさせていた。

 

「……何の音……?」

 

『そんな事……そんな事……言わないでください……っ! ファムちゃんはあなたの事を……ずっと、ずっとずっと……! 助けたかったはずなんですっ! そんなファムちゃんの気持ちを踏みにじるのが……友達なんですか! 本当の友達なら……痛みだって背負い合える……!』

 

「何を……そんな正論、今さら説かれるまでもないわ。友達? そんなもの、感じた事もない。私は昔から、ずっと一人……キルシー・フロイトに友達なんて居なかった……!」

 

 かつての記憶が足を取ろうとする。

 

 泣きじゃくっていた過去が、不意に思い出されてキルシーは敵意の嵐を躊躇ってしまう。

 

 ――友達なんて居なかった。ずっと一人の世界だった。

 

『ミュイ……でも、ファムとキルシーは……ともだち……だよ……?』

 

「やめて。そんな言葉で……私の中に入って来ないで! 何を無遠慮に……あなた達が私に何が出来るって言うのよ!」

 

 そう、もう手遅れなのだ。

 

 全ての世界は白と赤に分かたれ。

 

 自分は永劫、この罪人の砂浜で囚われる。

 

 その運命はとうの昔に、受け入れたはずなのに。

 

 またしても、鋼鉄を破砕する音が響き渡る。

 

「……何を、やっているの……? もう無駄なのよ! ファム、あなたなんて大嫌い!」

 

『じゃああなたは……打算だけでファムちゃんと付き合っていたって言うんですか……っ! そんな歪んだ気持ちだけで……ファムちゃんと……っ!』

 

「そうよ、悪い? ……クランスコール令嬢の身分は色々と使えるはずだって、そんな計算だけで!」

 

 吹き荒れる嵐。

 

 砂浜が崩れて行く。

 

 その内側で脈打つのは無数の骸骨の群れであった。

 

 自分を許しはしない。

 

 自分を、この場から離しはしない。

 

 もう、永遠に裁かれる時なんて来ない。

 

 地獄の片隅で、こうして囚われる事でしか。

 

 だがまたしても――鋼鉄が衝突するような鈍い音が響く。

 

「……だから何をしているんだって……今さら意味なんてないのよ! もう放っておいて!」

 

『出来ません……っ! 出来るわけ……ないじゃないですか……っ! だって、あなたはレミア艦長にとって大切な人で……ファムちゃんにとっても大事な人で……なら私にとってもそう! 幸せに――成るんだぁ……っ!』

 

 キルシーはその言葉の芯の強さに僅かに後ずさる。

 

「幸せ……? そんなもの、最初からなかった! なかったはずなのよ! ……私はどうせ、貴族に抱かれて……それで子供を産むような道筋しかなかった! 利用されるだけされて……最期の最期にそれを幸福だったって自分に言い聞かせるの……それが……せいぜい許された幸せで――」

 

『そんなの……っ、本当の幸せって言いませんよ……っ! 誰だってそう! 幸せに……成れるんですっ!』

 

 どこまでも耳障りな声だ。

 

 それでいて、この絶望の極致にあると言うのに、何故なのだか声が自分の中で響き渡る。

 

 もう諦めを踏み越えたと言うのに、今さら幸せなんて事をのたまう。

 

「……やめて……そんなもの……ない」

 

『ミュイ……! キルシー……!』

 

 耳を塞ぐ。

 

 世界を拒絶する。

 

 それで全て事足りたはずだ。

 

 全て終わりでよかったはずだ。

 

 だと言うのに、まだ――諦め切れない己の弱さが。

 

 どこかに希望があるのだと思いたい弱い己が。

 

「……本当に……あなたは……私の事を……憶えていて、くれるの? だって、思い出さないほうがいいに……決まっているのに……」

 

『ミュイ! キルシーのこと、わすれるわけ……ない……! だって……ファムたちは、ひとりじゃない、よ……!』

 

 その言葉と共に天上が割れていた。

 

 灰色に染まった世界が砕け落ち、明るい光の生じた空から、無数の弾痕を付けられた兵器が手を伸ばす。

 

 コックピットから顔を覗かせた相手にキルシーは戸惑う。

 

「……ファム……本当に、ここまで来てくれたの……?」

 

「ミュイ……っ! キルシー……!」

 

 白銀の髪を舞い上がらせ、ファムの身体が骸の砂浜に降り立つ。

 

 それは決して、女神のように荘厳な姿ではなく――。

 

 ファムは不格好に転がり落ち、何度も足を取られてから、顔を上げる。

 

「キルシー……みぃつけた!」

 

 まるで今まで拒絶していた事なんて忘れるような柔らかな笑顔で。

 

 思えば彼女はずっとそうだった。

 

 自分がフロイト家の令嬢である事など関係なく。

 

 かと言って己がクランスコール家の令嬢である事も感じさせず。

 

 たった一人の「ファム・クランスコール」として――自分に向き合ってくれた。

 

 キルシーは思わず駆け出す。

 

 骸骨の騎士が足を取り、押さえ込んで何度も阻もうとするが、それでも構いやしない。

 

 足首に巻かれた鎖を断ち切り、砂浜を這って、不格好にファムの下へと向かう。

 

「……ファム……ファム……ファム……!」

 

「ミュイっ! キルシーっ!」

 

 ようやく辿り着いた頃にはボロボロで。

 

 お互いに決して無事とは言えないような様相で。

 

 それでもキルシーは目の前のファムに向けて、抱擁していた。

 

「……ようやく会えた……。私の……本当の友達……」

 

「ミュイっ! キルシー、よかった! だってキルシー、なにもかわってない!」

 

「変わってない……? 私、が? ……こんな風になってしまったのに?」

 

 世界は歪んだ。

 

 世界は終わりを告げた。

 

 灰色の骸の大地に、赤い臓腑の海に、どこまでも広がる曇天。

 

 もう世界に希望なんてないと、そう何度も思った事か。

 

 だと言うのに、ファムの笑顔だけが翳りがない。

 

 彼女だけがこの世界で――自由だ。

 

「ミュイっ! いこっ、キルシー! こんなとこ、くらくってこわいから……ファムがつれていってあげるっ! レミアも、カトリナも、クラードもいるところに!」

 

 きっとそれは救済であったのだろう。

 

 だが、キルシーはその手を離していた。

 

「ミュイ……?」

 

「……ファム。駄目。そこまであなたに頼ってしまえば……私はきっと、永遠に後悔する。だって、あなたはもう、私の女神じゃないもの。私の……たった一人だけの、本物の友達。だから、決着は……自分でつけるわ」

 

 振り返る。

 

 視線の先にはおびただしい骸の数。

 

 骸骨の騎士がたどたどしく言葉を紡ぐ。

 

『キルシー……君を……護る、よ……』

 

「ガヴィリア……あなたもまた、私が捕らえてしまった。だから、こんな運命を背負わせた……。終わりにしましょう。私達は、もう……」

 

 途端、粉砕された天蓋が急速に閉じていく。

 

『ファムちゃん! こっちに!』

 

 鋼鉄の兵士の手が伸びる。

 

 ファムはしかし何度も振り返っていた。

 

「……でも、でもでも……キルシーが……!」

 

「もういいのよ、ファム。私は、ようやく救われた。あなたの手に、ずっと縋っていると、だって大人に成れないもの。――だから、これでバイバイ。また会いましょう」

 

 それはほんの数刻の別れのように。

 

 精一杯の偽らざる笑顔で。

 

 手を振る。

 

 彼女との永劫の別れのために。

 

 そして、自分自身への決着のために。

 

 天上が閉じ、世界は再び闇に呑まれるかに思われたが、キルシーの胸に宿った灯火だけは本物であった。

 

 魍魎達の叫び。

 

 亡者達の怨嗟。

 

 それを引き受け、キルシーは両腕を広げる。

 

「さようなら、ファム。あなたは……もう一度、世界に戻って。それで私以外の、誰かを救ってあげて。だから私の罪は、私で背負う」

 

 怨霊の骸が一斉に降り注ぐ。

 

 その罪の刃が表皮を断ち切る。

 

 手足を斬り裂く。

 

 それでも――逃げない。逃げてなるものか。

 

「……もう、逃げないって決めた……。ファム……あなたのためだもの」

 

 やがて骸の群れに抱かれて意識を消し去ろうとした、その時であった。

 

『キルシー……キルシー――っ!』

 

 その声の主にハッとして振り返る。

 

 赤い臓腑の海の向こうから、聞こえてきたのは。

 

「……お姉、様……?」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。