「ライヴが催される……? そんな事している場合じゃ――!」
言い出しかけたのをサルトルが制する。
「そういう場合なんだろうさ。今回みたいな土壇場じゃ、特に、な」
アルベルトはコックピットブロックの配線を手伝いながら、後頭部を掻いていた。
「納得出来るかって言うんすよ。……そりゃ、オレみたいなのが口出しする領分でもないんでしょうが」
「慰安ライヴ……って建前だろう。……正直、オジサンとしちゃ、ギルティ……何とやらは分からんが、それでも、な。ここまで酷な現実を突きつけられたままで最終決戦とはいかんのも分かるんだよ」
サルトルは《アルキュミアヴィラーゴ》の整備班へと声をかけ、駆動系を確かめさせる。
「トーマ! どうなっている?」
『こっち、脚部問題なしっす。他の油圧とかも見てください。アルベルト氏! コックピットから反応速度、多分、マイナス2以下だとは思うんすが』
「分かってっよ……。ちぃと待てって……」
ライドマトリクサー接続口へと両腕を翳したところで、視界の隅で丸まっているマテリアを認める。
彼女はスリープモードに入ると言ったきり、コックピットに横たわって寝息を立てていた。
少しは存在力が回復したからか、ピアーナの頭身にまで戻ったマテリアは普通の少女のそれと変わらず、豊満な肉体は逆に目に毒だ。
アルベルトは鼻っ面を指でつまんでいた。
ふがっ、と人間がそうするように呼吸困難で起き上がったマテリアは自分を直視するなり呆然とする。
「……起きたか?」
『“アルベルトさん……”』
起床の際に少しは交わす言葉でもあるか、と考えていたアルベルトは直後に顔を真っ赤にしたマテリアの言葉に想定外に叩き起こされる形となる。
『“だ、誰かー! アルベルトさんに襲われるー!”』
思わず吹き出し、アルベルトはマテリアを取り押さえようとしたが、それが余計に彼女の言葉に説得力を持たせていた。
『“あ、アイリウムだからって寝起きを襲うなんて! アルベルトさんはやっぱり、ケダモノですね!”』
「あ、アホ抜かせ! ……ったく、ちょっとは心配したこっちの身にもなれってんだよ」
『“ふぅーん、心配ですか。ですが、このパーフェクトなボディを持つわたくし相手に、全く欲情しなかったとでも?”』
「……するわけねぇだろ。見た目ピアーナなんだからな」
頬杖を突いて憮然としていると、マテリアのよく分からない沸点に触れたのか、彼女はぽこぽこと殴りつけてくる。
『“何でですか! 少しはムラっとするものでしょう! ……ハッ! まさか本当に……アルベルトさん、ロリコンなので……?”』
「馬鹿言ってんじゃねぇよ! ……って言うか、ピアーナも五十超えてんだろ。それも変なんじゃねぇの」
『“あー! 若いのがいいんですね! どうせ若いのが! やっぱり、ちょっと少女趣味じゃないですかぁー! ふぅーんだ! どうせ、古株アイリウムですよーだ!”』
「……誰もそこまで言ってねぇだろうが。第一、調子はもう大丈夫なのかよ?」
こちらが慮ると、マテリアは狭いコックピットの中で身体をひねる。
正直、邪魔だがまた逆鱗に触れかねないので黙っておく。
『“うぅーん……ちょっと寝過ぎましたかね?”』
「それならいいんだがな。……強制的にスリープモードに入ったから、少しはこっちだって責任感じてたんだぞ」
『“じゃあ、責任……取ってくれるんですか?”』
頬を赤らめたマテリアの広域通信の声に、アルベルトはコックピットの中で思わず立ち上がっていた。
見事に脳天をぶつけ、痛みに悶絶する。
「バ……ッ! 馬鹿言ってんじゃねぇよ! つーか誤解生むだろ! 誤解!」
『“ふぅーん、少しは元気になったじゃないですか。あれだけ死ぬ思いで戦っていたって言うのに”』
その言葉繰りにはアルベルトも返す言葉もない。
トキサダの《プロミネンス》の怨念にあのまま身体を持って行かれていた可能性だってあったのだ。
「……お前、確信犯で言っただろ」
『“ちょっとは調子戻ったのはそっちじゃないんですか? ……あんな風に戦って欲しくないんですよ。《アルキュミアヴィラーゴ》のアイリウムとして……これは混ざり気のない本音です”』
死ぬ気で戦えば、それだけマテリアからしてみれば恐怖の戦場だと言うわけか。
アルベルトは少し不貞腐れて、マテリアから視線を外す。
「……分かってんだよ。理屈の部分じゃ、な。ユキノとお前に助けられたんだって事くらいは。けれどよ、こればっかりは譲れねぇんだ」
『“何ですか、それ。馬鹿のする事じゃないですか。自分から死にに行って、それでこれだけ銃弾喰らって。アルベルトさん! 聞いてます?”』
「あー、うっせぇなぁ。お前、アイリウムだろ? ……何だってここまで自我があるってんだよ」
『“あなたのアイリウムだからですよ! ……《アルキュミアヴィラーゴ》にこれだけ無理させて、しかも整備班の皆さんは一晩中修理ですよ! 分かってるんですか! どれだけ自分が無理な事を仕出かしたのか!”』
「……それは悪ぃと思ってんよ。……でも、それとこれとは別だろうが。トキサダは……あいつはオレが介錯してやらなきゃいけねぇ。そういう……使命感みたいなのが、絶対にあるはずなんだ。あそこまであいつを追い込んだのはオレの行いみたいなもんさ。だから……譲れねぇ、漢の、戦いだ……」
『“ふぅーん……言うじゃないですか。けれど! もう二度と、あんな死にに行く戦い方はしないでくださいよっ! わたくしじゃなかったら、あんな機動、耐えられずにオーバーヒートしちゃいますからねっ!”』
「……うるせぇなぁ。今もオーバーヒートしてんじゃねぇの?」
額を触ってやると、マテリアは耳まで真っ赤になって自分を突き飛ばす。
今度は無重力で肉体が転がって後頭部を痛めていた。
『“えっち! ばかっ! 信じられませんっ! ……いきなり女の子に触る人が居ますかっ!”』
「痛ってー……てめぇ……こっちは心配してんだぞ? よく吼えられるもんだよ、ったく」
『“アルベルトさん、そんなのじゃろくすっぽ女の人には振り向いてもらえませんね! 今日まで彼女の一人だって居なかったんじゃないですか!”』
「……ったく、余計なお世話だっつぅ話だよ。第一、そんなんで次の戦いに備えられるんだろうな?」
『“ふっふーんだ! アルベルトさんに比べれば、どうです? わたくしの優秀さは! オリジナルのわたくしなんかよりもよっぽど優秀でしょう? 《アルキュミアヴィラーゴ》の火器管制システムと新規装備された武装の同期処理! それに機体制御スラスターとミラーヘッドビットの管制制御だってやってのけるんですよ? すごいでしょー!”』
胸を反らしたマテリアに、アルベルトは大仰なため息を漏らしていた。
「……そいつは、よく出来たこって。それにしたってなぁ……この非常時になかなか落ち着いてもいられねぇってのは本音なんだよ。どういうつもりで……メイアとか言うのはライヴなんざ……」
マテリアが中空を見据えて情報を同期する。
『“ああ、メイア・メイリスのライヴ、ですか。スリープモード時の出来事だったので、つい今しがた認識しました。ふぅーん、いいんじゃないですかね、別に。次の戦いがある意味では決着になるんです。一服の清涼剤ですよ”』
「アイリウムのクセに分かった風な事を言いやがるんだからなぁ……。お前もそう思うのかよ」
『“現状を鑑みて、次に進むための儀礼的なものが必須なのは疑いようもないでしょう。ラムダのもたらした情報と、そしてダーレットチルドレンなる存在。どれもこれも、一昼夜で飲み込むのには大き過ぎます”』
儀礼的、と評されてアルベルトは頬を掻く。
「……人間、そういうもんなのかもな。非効率でも前に進むための勇気ってもんが要るのかも知れん」
『“それこそ、アルベルトさんだってそうじゃないですか。前回の戦闘だって同じ事です。自分の価値観を突き詰めていけば、そこに生まれるのは必然的な己そのものでしょう?”』
「……ま、否定はしねぇよ。ただ……己ってもんに突き詰めていけば、結局は我儘にもなっちまう。その皺寄せみたいなのは……自分の中に持っておくべきだろうな」
『“うーん、分かりませんね。そこで自分の中で結局は葛藤が生まれるのは分かっているのに、何で求めるんですか? 妥協すれば、少しはマシな答えに辿り着けるのでは?”』
「……妥協なんてこの戦場に求めちまえば、オレはまた、三年前よりも深い後悔に呑まれちまう。だから、今回ばっかりはガチに真剣だ。自分の中でマジに成っちまわないといけない戦いは常にあるんだよ」
何よりも――トキサダはモルガンにディリアンが居るのだと挑発した。
あれがただの言葉の表層にせよ、事実にせよ、戦う理由には充分だ。
自分達は今一度、ぶつかり合わなければ収束しない因果にあるのだろう。
「……トキサダ、何でお前は……そっちに行っちまったんだよ」
我ながら女々しい自問自答に、マテリアは腰に手をやってふんと鼻を鳴らす。
『“そんなの、状況がそう決めただけの代物ですよ。ゴースト、ファイブが死んだはずのトキサダ・イマイであったと言うのは、オリジナルのわたくしでさえも知らなかったのですからね。こんな因縁、誰だって望んじゃいないはずなんです”』
「……だよな。望んじゃ……いないってオレは、でも信じたいだけなのかもな」
かつての盟友との殺し合いなど、誰も望んでいないのだと、そう規定すればまだ正常な自分を保てる。
だがもし、トキサダとの関係が修復不可能だとして。
もう二度と、以前のように笑い合えないのだとすれば、自分は――。
「……オレは、戦う。己の我儘を貫き通すために、何よりも……凱空龍時代のあいつを、オレは誰よりも知っている。だからこそ、取り戻すための……ああ、そうか。クラードの言っていた奪還のための戦いってのは……こういう事なのかもな」
奪還の戦いを掲げてきたクラードの辛さもまた、分かったような気がする。
『“……アルベルトさん、シャルティア委任担当官の直通です。繋ぎますね”』
マテリアがアイドリング状態になり、シャルティアからの通信を接続させる。
『アルベルトさん、その……大丈夫……ですよね?』
どこか所在なさげなシャルティアの声にアルベルトは平時のように応じかけて、彼女との不意な口づけを思い出す。
「あ、ああ……《アルキュミアヴィラーゴ》は整備班に任せりゃ、何とかなりそうだ。次の戦いがいつになるかは分からねぇけれど、この調子なら……元の戦力を取り戻せそうだ……な」
『それは……よかったです。あのその……アルベルトさん、今、《アルキュミアヴィラーゴ》が見える距離に居るんですけれど……近くに、行っていいですか?』
一拍の逡巡の後に、アルベルトは首肯していた。
「……おう、いいぜ」
『じゃあ……』
制服姿のシャルティアが視野に入り、アルベルトは思わず視線を逸らす。
彼女はコックピットブロックに手をつくと、傍らに立つマテリアを気にかけていた。
「……あっ、マテリア……でしたよね? 戦闘警戒ですか?」
『“……べっつにー。何でもないですよー”』
これは分かっていてわざわざ同席しているのだな、と言うのはアルベルトには察知出来たが、シャルティアは構わずに自分へと顔を近づけさせる。
「あの……アルベルトさん。前みたいな戦い方……やめて欲しいんですけれど……もうそんな事、言ってられなくなっちゃいました……よね?」
「あ、ああ……シャルも聞いたのか。ラムダの連中がもたらしたっつー、その、情報を」
「ええ、委任担当官として聞いておく必要性がありましたから。……でも、私としてはそれを知っても……結局、同じなんじゃないかって思うんです」
「同じ……ってのは?」
「……私達がやれるのは、目の前の事象だけ。地上で《ティルヴィング》を止めた時だってそうです。目の前の事に一生懸命になった結果が、この状況なんだと思います。だから、やる事もこれまで通り。ある意味じゃ、間違っていないと思います」
シャルティアにしてはかなり冷静な物事の俯瞰にアルベルトは若干の当惑を浮かべていた。
「……その、なんだ……。お前って、そんな冷静だったか?」
いつもならば、ここで怒声が飛んでくるのだろうが、彼女は寂しく微笑む。
「……アルベルトさんが、何度も無茶をするから、何だか慣れちゃったのかもしれません。そりゃ、私だって処理し切れていませんよ? 状況って言うか、局面で言えば。だって、来英歴全てを牛耳っていた存在が居て、それに唯一対抗可能なのが私達なんだって……。そんなの、納得出来るわけがありません。でも、今は信じなくっちゃ。伊達に三年間、レジスタンスしていたんじゃないんだって、見せつける時じゃないですか?」
「そ、そりゃあそうだがよ……。お前にはまだ、そこまで背負わせるのは酷っつーか……」
駄目だ、とアルベルトは困惑する。
シャルティアの顔を真正面から見られない。
きっと、彼女からしてみれば、約束手形のつもりのキスだったのだろうが、今の自分には重く沈殿する。
「アルベルトさん? 大丈夫……ですか?」
そのしなやかな指先が触れかけて、アルベルトは思わずそれを拒む。
「あ、いや……! 大丈夫だ! オレは大丈夫だからよ……! シャル、お前にはお前の出来る事、精一杯やって欲しいんだよ。オレみたいなのに足を取られている場合じゃねぇって言うか、その……」
言葉を濁していると、シャルティアはそっと、腕に触れてきた。
ライドマトリクサーの施術痕を優しくなぞった指に、思わずどきりとする。
「……その、メイアさんの……ライヴ。一緒に……行きませんか?」
「お、オレ? オレはでも……《アルキュミアヴィラーゴ》の整備が……」
「少しの間でもいいんです。……アルベルトさんの時間、私にくれませんか?」
それはきっと、トキサダとの殺し合いを間近で見たからこそ出る言葉でもあったのだろう。
次も帰って来られるとは限らない。
だから――証が欲しい。
それはでも、三年前にラジアルが懇願したのとまるで同じで。
アルベルトは返答しかねていた。
「……ちょっと、考えさせてくれ。オレも、少しは自分の感情を整理出来るかと、思ったんだが……そうもいかないらしい」
「……でも、待ってますから」
そう言い置いてシャルティアは機体から離れていく。
その背中を見送っていると、マテリアが不意に呟いていた。
『“……ヘタレ”』
「……ああ、間違いようもねぇ、ヘタレの言い草だっただろうな。だがよ、オレはもう、二度も三度も……誰かに約束出来ねぇんだよ。絶対に帰るなんて、言うのは簡単だろうさ。あいつの気持ちに……答える事だってな。……でもよ、駄目なんだ。駄目なんだよ、オレ……。ラジアルさんに誓った想いを、あいつに重ねちまったが最後、きっとオレは……駄目になっちまう」
『“ラジアル・ブルームとシャルティア委任担当官は別でしょう?”』
「分かっちゃいるんだ。あいつに、重ね過ぎちまうのは単純に、失礼なんだって事くれぇは。でも……たまに垣間見えちまう。あいつの瞳が、声が、香りが……ラジアルさんをどうしたって、オレに忘れさせてはくれねぇ……」
『“似てないと、思いますけれどね”』
「ああ、全然似てねぇんだ。だから、なのかもな。もっとラジアルさんそっくりな妹だったら……オレはここまで……大事に出来なかったのかもしれねぇ」
この関係性を大切にしたいと思ったのは他でもない。
シャルティアが一人の女性として、自分を導く側に立とうとしているからだろう。
不完全な誰かの代わりではなく、別のひととして。
だから、伝えられない。
だから、簡単に想えない。
重ねる事は何よりも侮辱だという事を知りながら、少しずつ近づいていくこの距離が、もどかしいほどの距離が、かつてラジアルと培った時間に等しくなっていくのが。
「……オレは多分、怖いんだ。シャルが……オレにとって掛け替えのない人間に、成っていくのが……」
『“失うのはもう御免、と言うわけですか”』
「……笑えよ、マテリア。ビビってばっかの臆病者ってな」
『“……笑えませんよ、そんなの。だってアルベルトさんは、その分優しいんでしょう? それって……機械でも、笑えません……”』
優しさか、と我ながら自嘲する。
傷つきたくないだけだ。
傷つくのが怖くて、傷つけるのも怖くて。
それで心地よい距離を模索して、結果として突き放したままがいいなんて思い込む。
どこまで己を糊塗すれば気が済むのだろう。
シャルティアの前でありのままの自分を晒す事が出来ない。
こんなにもプライドと、そして恐怖心に塗れたただの自己顕示欲だけの人格なんて。
「……オレの弱さを、ここ一番で飼い慣らせないなんて……オレは、けれどでも……」
『“いいんじゃないですか。だって、アルベルトさんは人間でしょう? アイリウムに間違いは許されません。だってそれは、パイロットを危険に晒す事になり得ます。でも人間なら、ちょっと間違ったって、それをリカバーするだけの何かがあればいい。わたくしは機械だから完璧に分かったわけじゃないですけれど、それって人間の特権じゃないんですか。なら、アルベルトさんはシャルティア委任担当官を、救えるはずなんです。戦闘のフィードバックでもない、計算じみたものでもない、それこそ人間でしか、救えない領域なんですから”』
「人間でしか、救えない、か……」
マテリアなりの励ましだったのだろう。アルベルトは振り返って、マテリアの頭をくしゃくしゃと撫でる。
『“なっ……何ですか……犬にするみたいに……くしゃくしゃされたって嬉しくなんてないんですからねっ!”』
「いや、悪かった、マテリア。オレ、もっとたくさんのものを、得ていいのかもな。……失う事にビビり散らかしていたんじゃ、何にも得られねぇ。クラードはきっと、こういう時に言うんだろうさ。取り戻すのに、貪欲じゃなくっちゃ意味がないってな」
『“……何です、それ。本当にクラードさんの言葉ですか?”』
「……いや、それこそ引用不明な、言の葉の一つだろうさ。マテリア、留守任せたぜ」
『“あっ……待って……”』
コックピットブロックから離れようとして、マテリアの手が自分の腕を掴む。
僅かにつんのめってからアルベルトは振り向く。
「……どうかしたか?」
『“あ、いや……わたくし……何で……”』
当惑した様子のマテリアへと、アルベルトは返答する。
「心配すんな。戻ってくる」
その一言にマテリアは聞こえないくらいの声音で、指先を離していた。
『“そういうの言えちゃうのが……ズルいんですよ、アルベルトさん”』