機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第279話「ユアネーム」

 

「慰問ライヴ、ねぇ……。この世界の土壇場に、なかなか太い神経だとは思うんだけれど」

 

 レミアは艦長室でバーミット相手にこぼすと、彼女は二杯目のコーヒーに口を付けていた。

 

「だからこそ、なんでしょうね。あたし達、知りたくない事まで知ったって言うか、そこまで思い切らせちゃうってのは素直に責任感じていますよ」

 

 メイアにとってしてみれば、かつての朋友が生きていただけでいいのに、彼女らは別の場所を見据えている。

 

 それは性質の悪い冗談かもしれないし、メイアにとっての地獄かもしれない。

 

「ダーレットチルドレン、世界を覆う悪意、か。バーミット、どれくらい信じてるの?」

 

「半分くらいですかね。まぁ、事ここに至って嘘をつくメリットなんてないですから、ラムダの艦長からしてみれば、それこそ必死の訴えかけだったんでしょうけれど」

 

「……それに加えてMFのパイロットの擁立、か。手を組むとは言ったけれど、心情の部分ではどうにも、ね。嘘だろうが本当だろうが、私達はそこまで高尚になったつもりもないし」

 

「艦長もあたしも、カトリナちゃんだから付いていく気になったって言うのに、それが世界の行方ってなれば穏やかでもないですよ。それに第一、もしラムダとMFパイロットの言う事が事実だとして、ダーレットチルドレン打倒後にはどうなるんですか? 新しい秩序でも?」

 

 世界を支配しているのが間違いなくダーレットチルドレンなる存在だとして、その後どうするつもりなのかまでは聞き出せなかった。

 

 メイアが会談の場から離れたのもあるが、何よりもマーシュ達に切り込み切れなかったのもある。

 

「……何か隠している、裏があるって言いたいんでしょう? 私もそれは同感。けれどお互いに脇を突っつき合っているような時間も余裕もない。モルガンが攻めてくれば、私達は対抗策を講じるしかない」

 

「因果なもんですよねー。……トキサダ君達が敵だってのもありますけれど、それでもあたし達はこれまで、自分の信じるもののために戦ってきたって言うのに」

 

「信じるものも、その時々の信条も別々よ。私は……キルシーをしっかりと、送り出せたのかしら」

 

 地上で消えて行ったキルシーの最後の瞬きを、目に焼き付けるようなそんな余裕もなかった。

 

《ティルヴィング》と共にキルシーは自分を殺す権利があったはずだろう。

 

 だと言うのに、ファムとカトリナ、それにクラードによって辛うじてこの立場に収まっている事の、何と脆い事か。

 

 レミアはコーヒーの黒い表層を覗き込んで、ふとこぼす。

 

「……世界に是非を問うような責任感も、まして権利もないのかもしれない。私達は、その時々で最適解を導き出すだけの……それだけの代物でしかない。トライアウトに居たのだってそう。……私は、あの日、月軌道で死んで行った人々に、報いたかっただけ。こんな弱さ、カトリナさんはきっと、軽蔑するでしょうね」

 

「カトリナちゃんだってこの三年間、ベアトリーチェと皆を率いて強くなったんです。信じましょ? あたし達の出来る事なんてせいぜい、あの子が致命的なミスをしないように見守るだけなんですから」

 

「……老け込んだ事を言うのね、バーミット。あなたは最後の最後まで、いい女で居るつもりなんだと思っていたけれど」

 

「そりゃー、そうですよ? あたしの信条として見りゃ、いい女の条件を踏んでいるだけですから。ただ……レミア艦長が命じたんでしょ? あたしに、教育係って」

 

「そう、だったわね。カトリナさんとあなたを引き合わせたのは私だった……何て事はない。決着をつけろと言われているのよね。自分達の引き寄せてきたこれまでに」

 

 それがダーレットチルドレンの打倒なのだとすれば、今は従うべきだろう。

 

 元々、これまで目の前の戦いに必死になってきた手前、それほど崇高になれないだけの話だ。

 

 だから、秩序も。

 

 ましてや世界の行方も、今はどうだっていい。

 

「……私達は、結局見守る側なのよ。世界の是非も、カトリナさん達がどう動くのかだって」

 

「若者に任せる、ですか。レミア艦長、それ言い出すともうオバサンですよ?」

 

「……でも、悪くはない身分だわ。オバサンでもね」

 

「それは話が合いますね。あたしもです」

 

 互いにマグマップを寄せ合い、コツンと音を立てる。

 

 艦長室には二人分のコーヒーをすする音だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラムダの格納デッキは手広く取られているが、それでも押し合いへし合いに近い状態で、カトリナは圧倒されていた。

 

「すごい……これがギルティジェニュエンの……ライヴ……」

 

 熱量がまるで段違いだ。

 

 タオルを掲げ、団扇をそれぞれ伴わせたファンの熱気に中てられたようによろめいたのを、不意に受け止められていた。

 

「何やってるんだ、あんたも」

 

「あっ……クラードさん。私、ライヴとか来たの初めてで……」

 

「奇遇だな。俺もだ」

 

 クラードの横顔をそっと盗み見る。

 

 彼はメイア達の立つステージをじっと見据えていた。

 

「……その、クラードさん、こういうの興味あったんですね」

 

「興味とかじゃない。ただ……メイアと言う人間の、これはある意味じゃ叛逆の証なんだろう」

 

「叛逆の……」

 

「奴なりに出来る事を模索したのが、ライヴと言う形で結実しただけだ。俺はそれも一つの抗いなのだと思う」

 

「一つの抗い……ですか。メイアさん達、けれどもう、あの調子じゃ……」

 

 何となくでも分かる。

 

 メイア達はこのライヴを最後のライヴにするつもりなのだろう。

 

 それでも、彼女らの生き様を誰か矯正出来るものか。

 

 メイアは最後の戦いに赴く前に、仲間達と今一度、絆を確かめ合いたかったのだろう。

 

 それは自分も――きっと同じ。

 

 傍らに佇むクラードへと、カトリナは問いかける。

 

「……メイアさんの事、もう何とも、思ってないんですか?」

 

「……レヴォルの一件に関しては俺にもまだ分からない。だが、奴に害意はない。なら、その道を少しは気にかけてもいいと思えただけの話だ」

 

「クラードさんは《レヴォル》の事、まだ探し続けるんですよね?」

 

「当然だ。俺にとっての唯一の存在証明……それを手離したまま、終わるつもりはない。……だがジオ・クランスコールはきっと、違ったんだろう」

 

 クラードの口からジオの名前が出るとは想定しておらず、カトリナは驚愕する。

 

「……万華鏡、ジオ・クランスコール……」

 

「ファムの兄であるのは知らなかった。俺をこの三年間、導いてきたロキである事も」

 

「彼なりに思うところでもあったのでしょうか……?」

 

「分からない、消えた者達の想いは、きっと後に遺された者が推測するだけだ。本当のところはきっと……誰にも分からない。だから……意味があるんだろうな。ジオ・クランスコールは、ファムを頼むと、そう言ってくれた。ファムは?」

 

「ファムちゃんは……閉じ籠っちゃって……。ダーレットチルドレンの話を聞いてから、ずっと、私の部屋に……」

 

 聞かせるのには酷であったのだろうか。

 

 そう感じていると、クラードは前を向いていた。

 

「ファムなりに思うところもあるのだろう。俺はこの三年、ジオ・クランスコールに……幾度となく命を救われてきた。ロキとして、俺をどうして見守って来たのかは分からない。だが、分からないなりに、憶測出来るのは……奴は俺に、ファムと、未来を託したかったのかもしれない。この先に訪れる全てを跳ね飛ばすほどの、強さを、俺に与えるために奴は試練を、演じていたのかもしれない」

 

 分からない。

 

 全ては結果論だ。

 

 クラードがこうしてジオの事を想う術も。

 

 残されたファムがジオの事を思う術も。

 

 きっとどちらも同じもの。

 

 想いに質も、それに伴う責任もない。

 

 ただ――人として、彼はどのように散って行ったのかを考える事だけが出来る。

 

 それこそが、生者に出来る唯一の抵抗なのだろう。

 

「……私、でもファムちゃんは……愛されていたんだと思います。ジオ・クランスコールがどういう存在だったのか、ほとんど知らないけれどでも……ファムちゃんへの愛情だけは……本物だったんじゃないかなって」

 

「愛情、か。……奴は俺に、何を見たんだろうな。月軌道決戦で相対した時、確かな死の足音として屹立した奴は……俺と《レヴォル》に……」

 

 その疑問に返そうとして、ステージ上からのギターの音色に遮られていた。

 

『みんなー! 今日はボクら、ギルティジェニュエンのライヴに来てくれてありがとー! この模様はリアルタイム配信もされているから、世界中の孤独を感じているみんなへ! ボク達は……多分これから先、いっぱい後悔するし、いっぱい嫌な気分にもなると思う。でもでも……! その度に思うはずなんだ! 生きたいって! この世界でも、クソッタレな世界でも、生きていくしかないんだって! だから、みんなへと、この曲を捧げるよ! まずはデビュー曲から!』

 

 メイアがリズムに合わせて歌声を響き渡らせる。

 

 それは平時のメイアとはまるで異なっていて、カトリナはその模様に圧倒されていた。

 

 音が、声が、想いそのものを吐露するかのような歌詞が――全てが混然一体となって格納デッキを震わせる。

 

「これが……メイアさんの、武器……」

 

 別に今日まで一度としてメイア達の曲に触れて来なかったわけではない。

 

 しかし、生で聴くのはまるで違う。

 

 ライヴ会場そのものが生き物だ。

 

 メイア・メイリスと言うカリスマを際立たせるための一種の生命体。

 

 観客のうねりを受け、メイアは続けざまに曲を奏でる。

 

 輝くライヴパフォーマンス。爪弾くギターの反響音。

 

 メイアはこうして――自由になる。

 

 誰にも止められない想いの具現。

 

 メイアの歌声に、カトリナは自分でも意識しないうちに胸元でぎゅっと手を握り締めていた。

 

 輝く汗、声が弾け、メイアは絶対の存在となる。

 

 ステージ上の彼女は今までの戦局を全て吹っ飛ばすだけのパワーを持つ怪物だ。

 

 これまでの懸念も。

 

 これからの憂いも。

 

 何もかも、知った事かの一事で塗り潰していく。

 

 メイア・メイリスとしての存在感をぎらつかせ、世界への抗いの歌声ががなり立てられる。

 

 メイアの赤い瞳が、ステージ衣装が煌めきを誇る。

 

 マイクパフォーマンスに入ったところで、ラムダの船員からの黄色い歓声が飛ぶ。

 

 メイアは手を振ってリズムを爪先で刻んでいた。

 

 イリス達のベースに乗って次の曲へと移り変わっていくメイアは、まるで変幻自在。

 

 事象宇宙を飛び回る確率論の悪魔が居るとして、今のメイアはその悪魔でさえも味方にする。

 

 全ての確率が、変動値が彼女のために微笑む。

 

 ウインクしたメイアの挙動にどきりとしたその時、クラードの相貌を思わず盗み見ていた。

 

 彼はそっと瞑目していた。

 

 メイアの気持ちの発露を真正面から受け止めたように。

 

 だから――カトリナはその手を握り寄せていた。

 

 かつて、名も知らぬ映画を前にして、人間だけが痛み以外で泣けると言ってくれた面持ちと同じ、その変わらぬ瞳に。

 

 クラードは一拍だけ驚愕したようであったが、自分の指先を受け入れていた。

 

「……メイア・メイリスは自由だな」

 

「……ですね。メイアさんの言う、宇宙で一番のバンドって言うの……こういう事だったんすね」

 

「宇宙に心があるとすれば、今のメイア・メイリスにはきっと味方しているんだろうな。……俺にはない」

 

「クラードさん?」

 

 クラードは包帯を巻いた右腕に視線を落とす。

 

 蒼く滲んだ血の色に、昏い眼差しを投げていた。

 

「波長生命体としての……俺の心は、どこにあるんだろうな。誰になるべきなのか、何になるべきなのか……もう分からなくなってしまった」

 

「……でも、クラードさんはクラードさんですよ。きっと、これまでも、これからも」

 

「……いや、もう俺は……クラードで居続けていいのかも分からなくなってしまっている。聖獣のパイロット達が等しく“クラード”であると言うのなら……俺の存在価値は何だ?」

 

 自問自答の迷宮に陥りかけたクラードに、カトリナは胸にこみ上げるものを感じて、そっと向かい合っていた。

 

「でも……でもでも、クラードさんはきっと……私にとって掛け替えのない、人ですから。だってあなたは……私の世界を変えてくれた人、なんです。だから、聖獣のパイロットが同じ“クラード”だったとしても……私にとってのクラードさんは、たった一人、あなただけなんですから」

 

 赤い双眸が揺れる。

 

 その瞳が、今だけは弱さを吐き出しているようであった。

 

「……カトリナ・シンジョウ。あんたになら、告げていいかもしれない。俺の本当の名前は――」

 

 名前が紡がれる。

 

 カトリナは目を見開いていた。

 

 その時間だけ、切り取られたように遊離する。

 

 世界が音に溺れている中で、カトリナだけはクラードの告白を聞いていた。

 

 その名前は濁されず。

 

 その名前は澱まず。

 

 その名前は――きっと、ずっと知りたかったもの。

 

 クラードは首から下げたドッグタグをさする。

 

「俺は……ずっとこの名前を背負い続けるんだと思い込んでいた。こうして誰かに……話せるなんて思いも寄らない……」

 

「でも……クラードさんはこうして、私を信じてくれたから、言ってくれたんですよね。本当の……名前」

 

「ああ、だからもう……執着するものでも、ないな」

 

 ふっとクラードはドッグタグを首から千切り、カトリナへと差し出す。

 

 包帯塗れの手が、ドッグタグを握り締め、自分の手へと託していた。

 

 それはまるで縋るかのように。

 

 それはまるでようやく手離せた証を、誰かに祈るかのように。

 

「……クラードさん、でもこれって……大事なものなんじゃ」

 

「構わないさ。俺にはこっちがある」

 

 首から下げていたのは、いつかの記憶にあったネックレスであった。

 

 あ、と声を上げかけてライヴ中である事に気付いて口を噤む。

 

「……それ、持っていてくれたんですね……」

 

「三年間、手離した事はなかった。だから、俺はこれがあればいい。使い古した名前は、あんたに預けるとしよう。カトリナ・シンジョウ」

 

 それは恐らく、クラードからしてみればこれまでの重石を誰かに預けられると言う瞬間。

 

 きっとこれまで訪れる事のなかった魂の安息。

 

 ならば、このドッグタグの重さは、きっとこうして手にするだけでは済まないだろう。

 

 掌に収まるクラードの呪縛の証。

 

 その名前を握り締め、カトリナは微笑みかけていた。

 

「……絶対、忘れません」

 

「ああ。委任担当官にならば、俺の名前を預けても大丈夫そうだ。そのドッグタグ、あんたに預けている。だから……」

 

「絶対に帰ってくる、ですよね? だって預かっているんですもん。返さないと、申し訳が立ちません」

 

「……分かっているのなら、それでいい。預ける意味も……出て来るんだからな」

 

 メイアがヒットナンバーを駆け抜ける。

 

 音階が格納デッキに拡散するのを乱反射した光の中に見出し、カトリナは胸の前でドッグタグをぎゅっと握る。

 

 掌には、赤い思考拡張の標が輝く。

 

 きっと、これは自分の罪の証なのだ。

 

 だがクラードも己の罪の結実を預けてくれた。

 

 ならば、自分はこうして、己だけの罪に溺れるべきではない。

 

 最後の最後に、クラードの分の罪まで背負って、そうして――。

 

「……あれ? でもそれって……背負い合うって事は……」

 

 瞳を振り向けた時、クラードは背中を向けてライヴ会場から立ち去っていた。

 

 追うべきではない。

 

 もう、証はもらったのだ。

 

 その背にかけるべき言葉も、交わすべき言葉も、既に掌にある。

 

 だから、今ばかりは言葉少なでいい。

 

 きっと――クラードは約束と誓いを覚えてくれている。

 

 他の誰が忘れてしまっても、自分だけは彼の名前を憶えている。

 

「……ありがとうございます……クラードさん……」

 

 頬を涙が伝い落ちる。

 

 ライヴの熱狂に掻き消されていく感情を、今ばかりは自分のものとして噛み締めていた。

 

 

 

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