「ほら、これ……! 三枚目のアルバムに入っていた曲ですよ、アルベルトさん」
「ああ、そうなんだな……。オレはてんで疎いもんだから……」
しかし、少し意外であったのはシャルティアのような真面目ぶった少女でも、ギルティジェニュエンの“罪付き”であった事だろう。
「……オレは何も知らなかったんだな。お前の事も、一つだって」
「もう、アルベルトさん、ライヴ中に辛気臭い顔をしないでください! あっ、メイアさん、こっち見ました! 気づいてもらえたんですかね?」
黄色い歓声を飛ばすシャルティアは年相応の少女で、アルベルトはその横顔にラジアルの面影を重ねてしまっていた。
ラジアルも生きていれば、このようにそれなりのミーハーな言葉を交わす事もあったのだろうか、と益体もない感覚に身を浸す。
「……馬鹿だろ、オレ。そればっかりは、考えないようにしていたってのに」
「アルベルトさん? 何やってるんですか。イリスさんがリードボーカルしている時は、オレンジ色のペンライトですよ!」
そんな自分の感情を知ってか知らずか、シャルティアは自分の手を引く。
まるで、あの日失った大切な人に、手を引かれているようで。
ともすれば、永劫失った感覚であったのかもしれない。
自分には、人並みの幸せなど訪れるものではないのだと。
勝手に知った風になって、勝手に悲観に暮れて。
それで悲劇を演じれば、自分でもマシなほうだと規定して。
「……最低だな、オレは」
「アルベルトさん?」
「……シャル。こんな時に言うのは、多分ズルいだろうし、それにお前からしてみりゃ、思い出したくもねぇのかもしれねぇ。……だが、言わせてくれ。オレは……お前の姉さんを……ラジアルさんを、守れなかった……」
きっとこれまで押し殺してきた懺悔。
きっと死に行くその瞬間まで封じ込めようとしていた想い。
しかし、シャルティアは軽蔑も、ましてや悲しげな面持ちをするわけでもなく、微笑みを返していた。
「……知っています、アルベルトさんが……姉を想ってくれていたのは。私に、必死に重ねないようにして……今日まで頑張ってくれていたのは。でも……でもですよ。私は……妹だから、ラジアル・ブルームの血縁者だから、今あなたの傍に居るんじゃ、ないんです。私は……シャルティア・ブルームと言う、一人の女として……ここで想っているんです」
その言葉にアルベルトは改めてシャルティアの相貌を直視する。
彼女は慈悲深く微笑み、乱反射する虹色の輝きがそれを彩る。
「――私は、あなたが好き。アルベルトさん」
それは、決してラジアルの妹だから出た言葉でもなければ、一時の感情に身を任せて出た言葉でもないのだろう。
三年間――ずっとだらしない人間だと思われていたはずだ。
彼女の想いを真正面から見定めず、曖昧なまま濁していた自分には、その輝きは眩し過ぎる。
アルベルトは思わず目線を逸らしていた。
「……やめてくれよ。オレに、誰かに好かれるような価値なんざ……」
「でも、私の想いを……受け止めてはくれませんか? こうして、あなたの事を考えて……怒ったり、笑ったり、同じように悲しんだりするのは……私の、シャルティア・ブルームの感情なのは間違いないんです」
「……きっと、一時の感情で昂ぶっているだけさ。オレみたいなのは、そういうのに流されて、また何かを取りこぼす。それが何よりも……」
怖い、と結ぼうとしてシャルティアに手を握り締められる。
その温度と、震える指先にアルベルトはハッとしていた。
彼女とて怖いのだ。
自分の想いを告げる事。
そして、報われない想いが霧散するのは、誰だって怖い。
だが、シャルティアはこうして自分に打ち明けてくれた。
ラジアルの妹としてではなく、まして委任担当官としてでもない。
一人の少女として、自分を好いてくれるのだと。
だがその感情を、受け止めるのには自分はあまりにも――汚れていた。
シャルティアを不幸にしたくない。
ラジアルのように、最後の最後に誰かの事を考えて、死んで欲しくない。
だから、自分勝手な、それこそ身勝手な気持ちがこうして彼女との間に壁を作る。
もう誰も――傷ついて欲しくない。
「……傷つくのは、オレだけでいい……」
「……アルベルトさん?」
「……シャル。オレは帰る約束なんて出来ねぇ。無事に帰って来るなんて……そんな生易しい結末がオレみたいなのに似合いだとも思えねぇ。戦場に……置いてきたヤツが居るんだ。そいつの魂を一個……拾い上げてからじゃねぇと、何にも言えねぇんだよ。約束も、誓いも……恋慕も……オレには遠い代物だ」
言い訳だ。
シャルティアの想いに応えられないからって、トキサダを言い訳にしている。
こうして拒絶するほうが楽だから。
誰かの想いを受け止めて、その上で戦場に赴くのは何よりも怖いから。
そして、また失うのを怖がって、誰かを引き留めたくもない。
もし、自分が戦場に散れば、シャルティアは思い詰めるだろう。
自分と同じ思いをさせたくはない。
誰よりもラジアルの妹に。
暫し、沈黙が流れる。
『みんなー! 今日はありがとー! 最後のナンバーになっちゃったけれど、ボクらは! 絶対に宇宙で一番のバンドになるっ! だから、その時までヒットチャートを追いかけていてっ! 絶対、後悔はさせないからっ!』
最終ナンバーが奏でられる中で、アルベルトはシャルティアの頬を伝う涙を目の当たりにしていた。
きっと、彼女の想いを裏切ってしまった事だろう。
だが、自分には応える術がない。
そんな純粋な好意に、何を預けられると言うのだ。
命一つでさえも、女に預けられない弱い男だ。
シャルティアを一端の少女として扱うのならば、きっと想いに応えてやるべきであった。
しかし、もう恐怖を味わいたくはない。
誰かを遺して行く事も、誰かに取り残されるのも。
何もかも――恐怖しているだけの、弱い自分。
何が度胸だ、何が一端の戦士だ。
自分はここまで脆い。
クラードを支えると言う意志も、カトリナを想い続けた慕情も、ラジアルの事を一時でさえも忘れなかった記憶でさえも。
自分はこうして損なう。
自分はこうして手離していく。
シャルティアの想いに、単純に答えられればいいだけなのに。
自分も好きだと、想いを形にすればまだ楽であったのか。
それとも、大人として、シャルティアの成熟し切っていない好意は、憧れと大差ないと諭せればよかったのか。
何も出来ない。
何も、決められない。
アルベルトは身を翻していた。
覚悟は、自分の中だけでいい。
誰かに預けてしまえば、それだけで脆くなる。
それだけで、自分だけの代物ではなくなる。
だから――戦地に赴くのは一人でいい。
最後の戦場が待っているのならば、その決着は自分以外の誰かに付けるものではないはずだ。
メイア達の演奏がトップスピードを経て、そうして閉幕へと導かれていく。
形あるものはいずれ終わり、そして二度と再演される事もない。
きっと、命だってそのはずだ。
終焉を描くのに、誰かの想いは、ただただ辛いだけ。
だから――直後のシャルティアの声にアルベルトは胸を打たれていた。
「それでも……っ! それでも……待っていますからぁ――っ!」
ライヴ中の大声に人々の関心が集まる。
身も世もなく叫んだシャルティアの言葉に、それらしい一言でさえも返せないまま、アルベルトは硬直していた。
指先でさえも自由ではない。
だが、ここで彼女を一人にしていいのか?
彼女の気持ちに、何一つ報いる事も出来ぬまま、旅立っていいのか?
自問自答が渦巻く胸中で、顔を上げる。
涙が伝い落ちるのを、ただ誤魔化したかっただけだ。
熱が想いとして結実し、彼女へと振り返れればまだよかったのかもしれない。
しかし、滴に成る前にアルベルトは拭い去っていた。
「……オレは……きっと悪い大人だ。お前を裏切る……」
その一言で、軽蔑して欲しかった。
見損なって欲しかった。
もう自分に期待なんてしないで欲しい。
死に行くだけの屍に、何を見ると言うのだろう。
戦場を理由にして、少女の恋い焦がれた一つを腐り落とさせる。
そんな自分には、孤独はきっとお似合いで――。
「……失礼」
だから、踏み込んできた声の主にアルベルトは認識する前に、肩に手が置かれたのを感覚する。
振り返ろうとして、思い切った張り手が頬を捉えていた。
「……痛っつ……お前……騎屍兵の……」
「シズク・エトランジェ。……聞いておいて普通忘れるか?」
だがあまりに遊離していた。
どうしてシズクが、という感情よりも張り手を見舞われた理由が分からずに当惑する。
「……何でお前が……」
「ここに、って? 私だって、死に行く前に少しは……生者の真似事がしたかっただけかもしれない。当然だろう、私は騎屍兵。既に墓碑銘が刻まれている。だが……お前は違うだろう。アルベルト・V・リヴェンシュタイン。待っていてくれる、その帰りを期待してくれる人間が居る。それがどれだけ……替え難い事なのか、分かっているはずだ」
まだ熱を帯びた頬を、アルベルトはさする。
さすってから、その手を拳に変えて握り締めていた。
「……分かってるに……決まってんだろうが。オレは……! でも分かっていて……期待させてそれを裏切るのなんて……もう真っ平なんだよ! トキサダが待ってるんだ……! あいつの腕だ、今度こそオレを刈るだろう。だって言うのに、オレは一端に帰る場所を持っているなんて……それはだって、狡いだろうが……!」
「狡くとも、それは今を生きる人間の特権だ。死に囚われて、それで恋い焦がれた想いを無駄にするのは、それこそ無為な代物と知れ。お前は生きなければいけない。生きるために、取り戻すために……戦え。それが私を呪縛から解放した男の……宿命だ」
ハッとして、アルベルトはシズクの麗しいかんばせを見据える。
彼女の生き様を――自分が救ったと言うのか。
呪いから解き放ったのは、自分だと言うのか。
「……オレは……知らない間に、誰かを助けて……?」
「それを分かっていないのなら、それでいい。勝手に生きて、勝手に死ね。それが、精一杯今日を生きるという事なのかもしれないが、私にしてみれば知った事か。……死に様を描くのに……私では道を説ける気もしない」
そう言って踵を返すシズクの白雪のような相貌に、アルベルトは何か気の利いた言葉をかけようとして、飲み込んでいた。
今救うべきなのは、彼女ではない。
自分が今、向き合うべきなのは――。
「……シャル。オレは……簡単な約束なんて出来ねぇ。出来ねぇけれど、一個だけ。オレはお前を……」
そこでアルベルトはしんと静まり返っている事に気付く。
ライヴの喧噪が失せ、皆が自分達に注目していた。
「……なっ、てめぇら……聞いて……!」
『あーあ! せっかく一世一代の告白が聞けると思ったのになー!』
メイアのMCに周囲の観客が笑い声を漏らす。
どうにも、自分だけでは格好がつきそうにもない。
こういう時に、及び腰になってしまうのが自分なのだ。
どうしようもなく、「アルベルト・V・リヴェンシュタイン」なのだろう。
シャルティアは涙を拭って微笑みを向けてくれていた。
「……じゃあ、答えは、待ってますから」
それだけで了承が取れたのは今だけは幸運であった。
メイア達が再び、音楽を奏で始める。
『じゃあ気を取り直して、最後のナンバー! 行こっか!』
歌の中に埋没していく。
こうして平時とはまるで異なる環境に身を置いて、それで何かを得られると言うのならば、きっとそれは替え難い。
誰かではなく、自分の決意だけで突き進んでいけるものだと言うのならば。
メイア達の歌声を聞き留めつつ、シャルティアの手がそっと、自分の手へと触れたのを、今は咎めなかった。
彼女の想いに応えられない、弱い自分でも、それでも。
今は、歌声に打たれて――ただ空気に身を任せるのみだった。