「宙域地図なんかと睨めっこしたって、しょうがないでしょう?」
ブリギットの管制室に潜り込んできたダイキの声に、ピアーナは顎に手を添えたまま応じる。
「いえ、最後の最後まで作戦が重要です。このまま月軌道を目指した場合、無数の廃棄コロニーが待つ宙域を抜ける事になります。そうなればMS部隊の苦戦は必至。少しでも勝てる算段をつけなければ全滅もあり得ます」
「……あの、リクレンツィア艦長。少しはロマンスってものを分かりませんか?」
ダイキが艦長席の背もたれに手をつく。
ピアーナは呆れ返ってため息を漏らしていた。
「……貴方は相変わらず、少し楽観的が過ぎます。この局面、読み負ければ全てが水泡に帰すと言うのに」
「ですが、俺なら勝てますよ。自信がある」
「その自信はどこから湧いてくるのやら。……いいのですか? カトリナ様と話をするよい機会であったはずです」
「ああ、それ、もういいかなって。あいつはあいつなりに精一杯ですし、何よりも……恋仲を引き裂くような野暮ってのはしませんよ」
「……失礼。誰と誰が、ですか?」
「あれ、艦長、とぼけるのはなしでしょ? あのクラードとか言うのと、カトリナがですよ」
「……クラードとカトリナ様が?」
「おっかないっすよねぇ。《ダーレッドガンダム》、でしたっけ。あの機体、何度も凄ぇ現象を引き起こしていますけれど、俺みたいな身分じゃ、あんなの動かすだけで精一杯でしょう。何つーんでしょうかね。役割があるとすりゃ、クラードってのと真正面からかち合えばやられるだけってのも分かります」
「……貴方は以前、クラードと戦った経歴があったはずですが」
「それはお互いの実力を知りっこなかった頃でしょう? ……今となってしてみれば、あんなのを想い続けるカトリナも、どうかしています。二人とも、狂気なんですよ。そんでもって狂気じみた恋愛ってのは、夏風邪の次くらいには性質が悪い」
「狂気じみた恋愛……ですか」
「お互いに狂っちまえるんですよ。世界を片っ端からひっくり返す戦いをして、その上で恋愛なんて出来るってのは存分にイカレちまっています。俺は……そういうの、多分出来ないんでしょう」
「……話を、聞いていませんでしたが、貴方はカトリナ様に、告白はしたのですか」
「そんな度胸、なかったですよ。あいつの傍には居たつもりですがね。理解者ってのは難しいんです。幼馴染でしたけれど、あいつの事、一端に理解も出来なかったんだな、ってオフィーリアに合流してから思いましたもん。あいつの傍にはクラードが居て、んでもってあのいけ好かねぇ、アルベルトとか言うのが居て……それから、艦長が居るんでしょう? あいつを心の底から、幸せに出来る奴ってのは、もう定数埋まってるんです。だったら、わざわざ席を取り合うのなんて、それこそみっともないですよ」
そう言って笑うダイキはしかしピアーナの眼にはどこか寂しげにさえ映った。
「……ですが、クラビア中尉。貴方はずっと、カトリナ様の事を想っていられた……」
「想いだけじゃ、何にも。何にもならないのが実情って奴でしょう。俺は一端の戦士を気取っていましたけれど、それくらい思い切らないと何もかも取りこぼすって感覚だけが先行して……」
ダイキの視線を落とした掌は震えていた。
戦士にでも恐れはある。
それを封殺していたのは騎屍兵を束ねる師団長としての身分だ。
騎屍兵は死者、死者には恐れと言う機能でさえもない――そう信じて、外道じみた作戦もこれまで講じてきた。
「……わたくしも存分に、人でなしでしょうね。カトリナ様に嫌われたくないと思いながらも、自分の役割に集約されるものを感じて……。クラビア中尉、わたくしは撃つと、わざわざカトリナ様に宣告さえもしたのです。ですが、このザマは何でしょうか? ……ブリギットを操り、カトリナ様の援護をしたいと願っている。それは多分……ハイデガー様がわたくしに託した想いもあるのでしょう。記憶を取り戻してから、時折、分からなくなるのです。この気持ちの芯は、五十年前に失った記憶の残滓なのか、それとも本当に今……カトリナ様を想っての事なのか……何もかも虚飾めいて……」
震え始めた指先を、ダイキの手がそっと握り返していた。
「大丈夫ですよ。そりゃー俺だってかなり壮大な話だと思いましたけれど、俺と組んで一緒に画策するの、楽しかったんじゃないですか? 俺は楽しかったですよ。艦長もモルガンを率いる完璧なだけの人じゃないんだって分かって」
ダイキのてらいのない笑顔に、ピアーナは戸惑うばかりであった。
「……いいの、でしょうか……? そんな、一時の楽しさに身を任せてても……。わたくしは、どれだけ行ってもきっと……弱いままなのでしょうね。王族親衛隊を暴こうとしたのも、万華鏡に探りを入れていたのも……どれもこれも、わたくしに許された領分でもないはずですのに」
「艦長、かったるい事考えるのはやめにしましょう。俺は、そういうところも含めて、艦長の事、好きになったんですから。今さら、だとか本音は、だとか言うのは全部終わってからでいいんじゃないですか? 俺は最後の最後に、リクレンツィア艦長がこの胸に来てくれりゃ、どうだっていいですよ」
気安いダイキの言葉に、ピアーナは膨れっ面になっていた。
「……もう。本当に貴方と言う人は……食えないのですからね」
「あれ? 怒らせちまいました?」
「知りません。貴方は本当に、分かっていないんですから」
「あっれー……俺、そこまで空気読めないつもりもなかったんですけれど……ここじゃそういう意味じゃないんですか?」
「そういう意味って……貴方はデリカシーがないんですよ。分かっていないって言うのは……それであって」
「じゃあ、リクレンツィア艦長は俺の事、嫌いですか?」
突きつけられた質問にピアーナは頬を紅潮させて目線を逸らす。
「……そんな事……言ったつもりもありませんよ」
「よかった。やっぱり艦長は人間らしいですよ。俺みたいなのの言葉なんて、別に繰り言だって断じてもいいってのに、リクレンツィア艦長は付き合ってくれます。それって結構、面倒見がいいって言うんですよ」
「……クラビア中尉。言葉の意図を逸らさぬように。貴方は本当にいいのですか? 元々信じたものに、背を向けるようなものでしょう?」
「俺の信じたものってのは、その時々で流動的です。あー、でも……中佐殿に悪い事をしたなってのは思いますかね」
「……親代わりでしたか、確か」
「ええ、まぁ。けれど、あの人は何だかんだ分かってくれるとは思っているんですよ。イノシシ頭のダイキって言われていても、見捨てなかったんですから。あの人に誇れるような男に……俺はなりたいだけなんです」
ピアーナは長く嘆息をついてから、肘掛けで頬杖を突く。
「案外、わたくしも貴方も、相応に馬鹿だった、と言うわけなのですかね」
「それ! それですよ、艦長。馬鹿上等じゃないですか。必死に食らいついて、それで馬鹿って呼ばれるの、俺は悪くないと思ってますよ」
微笑んだダイキに、ピアーナは背もたれに体重を預け、フッと笑う。
「……ダイキ・クラビア中尉。わたくしはもう二度と、大切な人を忘れたくありません。その結果、取りこぼす事が何よりも怖い。だから――貴方もカトリナ様も忘れない……いいえ、忘れてやらない」
「いいですよ。いつまでも憶えていてくださいよ! あ、でも今のだとまるで死ぬみたいなんで、やっぱなしで」
ダイキはどこまでも楽観的だが、今はその楽観視が有りがたい。
ピアーナは深く瞑目し、やがて言葉を紡ぐ。
「……最後の戦い、これで勝とうが負けようが、わたくし達はもう、進み続けるしかない。右足と左足を交互に動かせば、進める。進んだ先に何があろうとも……たとえ闇が待っていようとも、わたくし達は間違いなく、前へと……」