『それにしたって本当に……よかったの? 戦闘待機なんて……』
《サードアルタイル》のコックピットブロックは手広く取られ、中央に収まるグゥエルと、そして想定外の存在にユキノは戸惑っていた。
『ミュイ……これ、ちいさい……』
『我慢してくれ、ファム。《サードアルタイル》を動かすって言うんだから』
パイロットスーツに身を包んだファムは窮屈そうにして首を傾げる。
『でも、グゥエル……《サードアルタイル》を動かすのに、これだけの権能を操っていたなんてね』
ポップアップディスプレイも投射映像もどれもこれも最新鋭の代物だ。
否、自分達にとっては既知の技術でさえもないモニュメントも並んでいる。
『ああ、俺はエンデュランス・フラクタルで聖獣の操縦を叩き込まれたから。何よりも、これだよ』
グゥエルが片腕を翳す。
パイロットスーツと同期したモールド痕は彼がもう、ほとんど全身ライドマトリクサーなのだと嫌でも物語っていた。
しかし、それはお互い様だ。
ユキノもパイロットスーツに施されたモールド痕を翳し、グゥエルと突き合わせる。
『……クラードさんと小隊長はよく……こうやっていたわね。今さらになって意味が分かるのなんて』
『いつだって、手遅れなもんなんだよ、俺達みたいな手合いは、さ』
その言葉振りが、三年前の月軌道決戦のそれとはまるで異なっていたせいだろう。
ユキノは思わず尋ねていた。
『……グゥエルは……三年前、私を助けてくれたわよね? あの時も……その、必死で?』
『あの時は……そうだな。俺もガキだったんだよ。何も知らなかった。世界のスケールも、何と戦っているのかも。イワハダは……?』
『パイロットからは退いて、メカニックになっている。会わないの?』
グゥエルは視線を落とし、今も同期処理と情報交差に慌ただしいコックピットの中で呟く。
『……どうだろうな。《サードアルタイル》のパイロットになった時から、もうこんな調子でさ。三年前には、馬鹿やったよな。覚えてるか? 俺達、よく副長からさ、三馬鹿だって怒られてたっけ』
『あ、……うん。そうだったわね。二軍は出来れば前に出るな、って。でもお前達は間違いようもなく、誇り高い凱空龍の仲間だって……。何で、こうなっちゃったんだろうね。小隊長と……騎屍兵になった副長が、殺し合うなんて……』
『俺だって一度ヘッドを殺そうとした……結局は、さ。分かった風になるしかないのかもな。誰だって、そうやって生きて来たんだろうし。ヘッドだって……あの人にしか分からない地獄があるんだろう。俺やユキノが知った口を利くもんじゃない』
『……けれど……それって残酷よ』
一度失った片腕を抱く。
グゥエルほどではないとは言え、三年前に肉体を損傷し、結果としてライドマトリクサー施術を受けたこの身体は、もう隔絶されて久しい。
凱空龍の二軍であった頃が、とても懐かしいのだ。
『……デザイアに居た頃と、それとベアトリーチェは、俺達にとっての青春だった。けれど青春ってのは、卒業しないといけないんだ。凱空龍は間違いなく、俺達の特別。若さだったんだろうな。けれど、若さってのに身を任せて、何もかもをやってのけるのって、それはもう……難しいんだと思うんだよ』
ベアトリーチェを守るために、ああして出撃出来たのは若さゆえの蛮勇であったのだろう。
今も同じ事が出来るとかと問われれば即答出来る自信がない。
『……グゥエル、私は……RM第三小隊の副長として、出来る事をやってきたつもり。これまでも、これからも。でも、時々……こんなのでいいのかって、怖くなる。私みたいなのについて行って、死んでいった仲間も大勢居るわ。そんな彼らに……道を諭せるだけの人間なのかどうかって』
グゥエルは手を手繰って投射画面を手繰った後に、頭を振っていた。
『それは、きっと……一生分かんないのかもな。俺も、さ。エージェント、サイファーとして生きてきた頃の記憶はあるんだ。クラードさんの……エージェントの仕事ってさ、後ろ暗い事ばっかりなんだよ。あの人はあれだけの苦しみと骸の上に……今もこんな混迷の戦場を生き抜こうとしている。それって、滅茶苦茶しんどいとは、思うんだ』
『グゥエル……』
『何人も殺したし、どんな命令にも迷いを浮かべず、即断即決出来るだけの判断能力と強さ。……クラードさんは凱空龍に居た頃から、ずっとそうなんだって知って、俺、怖くなっちまったんだ。クラードさんはきっと……俺達には分からない地獄を見てきたはずなんだ。なのに、あの人にずっと……その傍に居るんだって、言ってのけられるヘッドとカトリナさんは……やっぱり違うよ。俺達みたいなのとは……違う……』
『カトリナさんはでも……この三年間、ずっと苦しんできた。近くで見て来たもの、分かるわ。あれだけ苦しんで、苦しみ抜いて、それで結局、得るものなんて何にもないかもしれない戦いに、何度も赴いて。……でも、カトリナさんは救われたと思う。私、思い出せないけれど、ハイデガーさん、だっけ。自分のお爺さんが、カトリナさんとクラードさん、それにピアーナさんの未来のために戦ってくれたんだって言う証が、それこそ生きて生きて、生き抜く事なんだって言う答え、出ちゃったんだもん。それってとても……とても意義深い事だと思うわ』
カトリナとクラードの未来のために、五十年間の時を超えたハイデガーの意志はどのようなものだったのだろう。
考えるだけで途方もない時間も距離も、そして未確定な世界も、何もかもを信じ抜く――それは相応の覚悟がないと不可能なはずだ。
『ミュイ……さんばんめ、ちょっとおもい……』
『ああ、俺用にカスタマイズしたから、ファムの運用方針とはちょっとずれているかもしれないな。だが、フォローを頼んだぜ、俺達の天使』
『ミュイっ! ファム、やるよ! だって……だってキルシーとにいさまが……いってくれたもん……! ファムも、たたかうっ!』
きっと奇跡の代償であったのだろう。
キルシーに、そして万華鏡、ジオ・クランスコールの最期。
二人はファムの未来を信じられた。
だからこそ、迷いなく決断出来たはずだ。
それが彼らの望みだと言うのならば、きっとファムも自分の中の意志に従う。
誰かに強制されたわけでもない、自分だけの真実を見出すために。
『……そろそろ、戻るわね。グゥエル、ファムを頼むわよ』
『ああ。任せてくれ。元々《サードアルタイル》のパイロットはファムなんだ。何なら俺より上手く扱えるかもしれないからな』
ユキノはファムに手を振って、身を翻していた。
オフィーリアの艦内へと戻ってから、不意に虚しさが思考を掠める。
『……でも私は……きっとそんなもののために、戦っていたんじゃないのよ……。許されたかった、それだけだった。けれど、そんなの今さらよね。……最後に一つだけ証が欲しいなんて』
それこそ傲慢。
それこそ女々しいだろう。
ユキノは整備ドックに通されていく《アルキュミアヴィラーゴ》のコックピットへと、自ずと足が向いていた。
別段、アルベルトから証が欲しかったわけでもない。
ただ――これまでの戦いを清算するのに、彼の言葉があればきっと迷わずに戦えるのだと、そう思いたかっただけだ。
『……馬鹿よね、私。結局、ヘッドから大切にされたいだけだなんて』
コックピットを覗き込むと、不貞腐れたように丸まっているマテリアとちょうど視線がかち合う。
『……マテリア……?』
疑問形を挟んだのは彼女の瞳より涙が溢れているように映ったからだったが、マテリアはこちらを認識するなりすぐに持ち直す。
『“ユキノさん……でしたか。どうしたんです?”』
『いやその……小隊長を……呼ぼうかと思って』
我ながら嘘が下手だな、と感じたところでマテリアがぷいっと視線を背ける。
『“アルベルトさんなら、メイア・メイリスのライヴに行ったっきりですよ。何なら朝帰りじゃないんですか?”』
マテリアのジョークのセンスにユキノは舌を巻く。
『……どこで覚えてきたの? そんな言葉……』
『“所詮、わたくしは膨大なメタデータに裏打ちされたただの情報集積体、ただの閲覧情報(マテリアル)ですから。別にマシーンだから気にしませんよーっだ”』
思いっ切り気にしている人間の口振りに、ユキノはコックピットブロックに手をかけて、マテリアの様子を窺う。
彼女は少しばつが悪そうにこちらとは視線を合わせない。
『“……何ですか。わたくしの顔に何かついていますか?”』
『いや、その……あなたも小隊長の事、気にかけてくれてるんだなって』
『“はぁ? ……そんなわけないじゃないですか! アルベルトさんなんて気にしているわけないでしょう! まったく、そんな戯言言うためにここまで? それは随分と暇な事ですね!”』
「……そうね。暇だから、あなたと話したいなんて思ったのかも」
バイザーを上げ、ヘルメットを外して艦内の空気に身を浸す。
マテリアは心底理解出来ないとでも言うように論調を荒らげていた。
『“あのですね、アルベルトさんはだから身勝手なんですよ! 何ですか、シャルティア・ブルーム委任担当官にキスされたからって、ちょっとなびいちゃうなんて! そんな軽薄な大人だから、何にも決断出来ないんですっ!”』
「えっ、シャルティア委任担当官がキスなんてしたの?」
想定外の言葉が飛んできて当惑していると、マテリアはハッとして慌てて口を噤む。
『“あ、いえ……今のは違って……。その、忘れてください。機械には無理ですけれど、人間には忘れるって機能があるはずでしょう?”』
「いや、それはそうなんだけれどさ。……聞いちゃった事を忘れるのは難しいかな……。シャルティア委任担当官から?」
『“それはそうでしょう。だって、アルベルトさんからキスなんて甲斐性のある事、出来ると思います?”』
「ああ、それは確かに同意だわ。小隊長からするのは無理ね」
『“そうでしょう、そうでしょう。……って、その……例え話であって、これは実在するものじゃなくって、えっと……フィクションで……”』
アイリウムであるのに、まるで人間のような下手くそな嘘をつこうとするのだな、とユキノは微笑みかけていた。
こちらの様相に、マテリアはむっと頬をむくれさせる。
『“な……何ですか、その笑い……。どうせ、わたくしはこんなですよ。……やっぱりオリジナルのわたくしのほうがいいんですかね。だって、こんなの変ですよ。アイリウムなのに……こんなプログラム、絶対ないはずなのに……。何でなんですか、これ……!”』
マテリアは拳をぎゅっと握り締めて立ち上がっていた。
彼女のツインテールがふわりと浮かび上がり、黄金の瞳が涙の粒でいっぱいになる。
『“こんなの……要らない感情のはずですっ! こんなの……だって絶対におかしいでしょう! アイリウムなんですよ……パイロットを補助し、時には的確なアドバイスを送り、時には助けとなる……それが機械の役割なんでしょう? でも……変なんですよ、壊れちゃったんですかね……? わたくしは……アルベルトさんの事を、プログラム通り補佐しようとしているだけなのに……何でこんな……!”』
「きっと、好きなのよね。あなたも小隊長の事が」
ぽつりと口にすると、マテリアは呆けたようになって、電子の涙を浮かばせる。
『“……す、き……? わたくしが、アルベルトさん……を?”』
「パイロットとアイリウムの関係じゃなく、きっとあなたは小隊長の事、もう放っておけないのよ。それって女の子として、好きって事でしょ?」
こちらの言葉にマテリアは暫時、呆然としていたが、やがてぶんぶんと首を横に振り始める。
『“ち、ちちちち……ちが……違いますっ! そんなわけ……そんなわけないでしょう! だって、わたくしはぱーふぇくとなアイリウムで……《アルキュミアヴィラーゴ》に搭載された、ピアーナ・リクレンツィアのスタンドアローンデータですよ? だって言うのに……人間を好きになんてなるはずが……!”』
「でも、あなたの反応、どう見たって小隊長を女の子として好きに見えるけれど?」
『“ば……ばばば……馬鹿な事を言わないでくださいっ! あ! さては担いでいますね? そうです! そうに違いないですっ! だって……アイリウムですよ? 機械学習しかない、戦闘端末が人間のパイロットを、……パイロットにそんな感情を抱くわけが……”』
「でも、正直なほうがいいわよ。だって、シャルティア委任担当官は自分に正直になったから、小隊長にキス出来たんでしょ?」
『“あ、あれは不可抗力なんじゃない……ですか? だって、補給中に突然なんて……”』
「へぇー、補給中にキスしたんだ? シャルティア委任担当官もやるわね」
大慌てで口元を押さえたマテリアに、ユキノは微笑みかける。
「……マテリア。あなたはきっと、そういう子なのよ。小隊長の事を、好きでいてくれる。特別なアイリウムなんだと思う」
『“……何ですか、それ。馬鹿じゃないんですか。だって……機械と人間なんて……それに、わたくしの元々の役割は、オリジナルであるピアーナ・リクレンツィアの記憶の封印だったんですよ? ……まぁ、わたくし自身も無自覚でしたけれど”』
「でも、こうして私達と繋がり合って、こうして同じように誰かを想ってくれる。私はね、あなたの恋、応援したいなって思うの」
『“……恋って……そんなの、人間の感情のバグじゃないですか。知っていますよ? 恋愛感情なんて欲望と渇望の境目みたいなもので、自分でも制御出来ない、不出来な代物だって。そんなものをわたくしが……マテリアというアイリウムが持っていいわけ……”』
「マテリア」
言葉を遮ってマテリアの手を引く。
電子の海をたゆたう存在の感覚はしかし、しっかりとした体温を伴わせていた。
ユキノはマテリアの腕へと自分の指先を絡める。
そうして胸元へと手を引き寄せていた。
「……分かる? 人間の心臓ってこんな風に……ドキドキするものなんだって事」
『“な、何ですか……言っておきますけれどオリジナルと違ってわたくしにはそっちの気は……”』
「そうじゃなくって、さ。あなたにもきっと、あるんじゃない? 小隊長と一緒に居て、ドキドキする……そういうのが、きっと」
『“……ユキノさん、誤解していますよ。わたくしは機械なんです”』
「じゃあ誤解ついでに一つだけ。……小隊長を守ってあげてね。私じゃきっと、務まんないから」
『“……ユキノさんがしてあげればいいじゃないですか。あんな甲斐性なし”』
「私みたいなのの慕情なんてね、きっと小隊長には届かないのよ。でも、私にはこの距離がお似合い。何なら、こうして見守る距離が心地よいとさえ思っているの。でも、あなたは違う。心がある。心があるのなら、する事は一個だけ。でしょ?」
ユキノはマテリアの手を離し、《アルキュミアヴィラーゴ》から距離を置いていく。
『“ま、待ってください……ユキノさん。心って……そんなもの、何処にあるって言うんですか? だってわたくしは……アイリウムで……”』
「なくさないでね! その心!」
呼びかけてから手を振る。
愛機に乗り込んでコックピットに収まった瞬間、ユキノは静かに呟いていた。
「……よかったですね、ヘッド。だってこうして想ってくれる人、ちゃんと居るじゃないですか。だったら、私は思い切って身を引いて……身を……引ければいいのに……」
簡単に割り切れるかと思っていた。
だが、感情とは裏腹に涙が堰を切ったように溢れ出す。
「あれ? ……何でだろ。もうとっくの昔に、分かっていた事なのに……。何でなんだろ……ヘッドが私の事、振り向いてくれるはずないなんて、だって分かり切っていたでしょう……?」
拭っても拭っても消えない熱に衝き動かされ、ユキノは暗く沈んだコックピットの中で、咽び泣いていた。
それはこれまでの想いの結実であったのかもしれないし、あるいは消えないはずの慕情を振り切ったからなのかもしれない。
いずれにせよ、滞留する熱が「愛情」と言う名前の代物であった事を、今のユキノは痛いほど思い知っただけであった。