機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第294話「ゼロの答」

 

「本来の欲求……」

 

『死にたくないだけでは臆病者の理論だ。だが君は麗しき獣、死にたくないの一点張りで獣は自然界を闊歩するか? 違うだろう。獣には、さらに高次の欲求が存在する。渇望と言ってもいい。何のために、君は戦う?』

 

「……俺は……」

 

 濁した瞬間、《レヴォルトルネンブラ》が掻き消える。

 

 やはり神速の段階加速、ほとんど空間跳躍に等しいそれを、クラードは双剣を翳して防御するが、先ほどの言葉が突き刺さって僅かに刃が揺らぐ。

 

 その一瞬をグラッゼが逃すはずもない。

 

 手刀が《ダーレッドガンダム》の眼窩へと突き込まれる。

 

 コックピットを射抜かれかねない死の感触がぞわりと背筋を這い上ったその時には、習い性の感覚が急速後退に移らせていた。

 

 だが――。

 

『その眼ではもう戦えんな』

 

 グラッゼの言う通り、メインカメラを潰された《ダーレッドガンダム》では、たとえダーレッドバスターが承認されていても精密砲撃は不可能だろう。

 

 レイコンマの世界で反応が遅れていれば死んでいたという事実が、より機体挙動を鈍らせる。

 

『残念だ。このような幕引きなど、望んではいなかったのだが』

 

 暗礁に沈んだコックピットの中で、クラードは胸元へと手をやっていた。

 

 かつて、得たはずの自分の名前。

 

 それを誰かに託そうと思えたのは何故なのだろう。

 

 あの日――戦場が落日に包まれた紅蓮の黄昏で、死んで行ったであろう少女の想いを受け止めて今日まで戦い抜いてきたはずだ。

 

 しかしそれは、後付けの理由であったのか?

 

「クラード」に成るべくして成ったのだと思い込んでいた。

 

 だが、もしあの少女が生きていれば――逃げてもいいのだと、そう導いてくれたのだろうか。

 

 逃げてもいいのだとすれば、自分にとってそれはどこにある?

 

 どこに魂の故郷を求めればいい?

 

 他の誰かに自分の理由を与えて、それで満足か?

 

 ――否、違うはずだ。

 

 逃げるのも、戦うのも、そして向かうべき道を誰かに問うのも、どれもこれも間違っている。

 

 自分だけの理由があるはずだ。

 

 死なない、死ねない、死にたくないと願えた己の心。

 

 魂の色が何を求めているのか。

 

『ワルツの最終楽章は、踊り手の首が落ちて完結する。私にとってそれは、《ダーレッドガンダム》とクラード君、君ら双方の首だ。血で贖うといい、己の敗北の意味を』

 

 闇の中で、《レヴォルトルネンブラ》が最後の構えを取ったのを感じ取る。

 

 サブカメラに切り替えたところで、敵機の反応速度を捉えるのはほとんど不可能だろう。

 

「……俺はどうしたいんだ……。教えてくれ、《レヴォル》……」

 

 システムは応じない。

 

 心の在り処を問い質すのに、レヴォルの意志はこうも無慈悲だ。

 

 いつ、《レヴォルトルネンブラ》が必殺の太刀を見舞うのかも分からない。

 

 そして、自分自身、この先でどう在りたいのかも見えない。

 

「俺は……」

 

 ――待ってますから!

 

 脳裏に弾けたその声と主に、クラードは瞠目する。

 

 どうしてなのだろうか。

 

 三年前の月軌道決戦の最終局面、カトリナの顔が浮かんだのは。

 

 レヴォルが、かつて自分を生かそうとしてくれた少女の言の葉を知っていたのは。

 

 全て、意味なんてない、どれもこれも別々の代物かもしれない。

 

 だが、この次元宇宙に「クラード」が集約したのは偶然ではないはずだ。

 

 全てが必然、理の中で動いているのだとすれば。

 

 あの戦火で少女に手を引かれて逃げ出した事も、カトリナと出会った事も、レヴォルと別れた事も、そして――自分がこうして今生きている事でさえも。

 

 全てが――繋がっているのだと。

 

 誰かが言ったわけでもない。

 

 誰かに諭されたわけでもない。

 

 生き方を決めるのは己自身だ。

 

 自分は一度、逃げてもいいのだと思えた。

 

 次に、死なないのだと思い込んでいた。

 

 しかし、それは死ねないのだと考え直せた。

 

 そして――数多の出会いと別れの果てに、自分を好きになってくれるような人間に誓えた。

 

 死にたくないのだと。

 

 だが、それはコインの裏面だ。

 

 表面にある、本当の意志を形にしなければここで自分は朽ち果てるのみ。

 

 本当の自分の望みは――恐らくただ一つ。

 

 逃げた時にも、死なないと感じていた時にも、死ねないと規定した時にも。

 

 それらの欲求の真の部分にあるのは、純粋な人間の感情だろう。

 

 無音のはずの宇宙で、風が吹き抜けたのを感じる。

 

《レヴォルトルネンブラ》が必殺の太刀筋で向かってくる。

 

 純然たる殺意を滾らせ、その身に宿したのはこちらを獲ると確証した命そのもの。

 

 世界を満たす蒼の世界で、グラッゼの宿す感情だけが一つの想いとして収束する。

 

 入り混じっているのは、羨望、戦意、渇望、そして――刹那にかける死狂いの感覚。

 

 月面の砂塵を舞い上がらせ、《レヴォルトルネンブラ》の太刀筋が舞い上がる。

 

 クラードは暗闇に沈んだコックピットで、静かな鼓動を認識していた。

 

《ダーレッドガンダム》が持つ鼓動、否、それだけではない。

 

 混じり合った蒼の脈動。

 

 これまで戦い抜いてきた証が、骸を踏み越えて来た自我が、こうして屹立する。

 

 世界への存在証明として、自分に出来る事は、たった一つ。

 

「俺は――生きていたい」

 

 死なないでも、死ねないでもなく、ましてや死にたくないわけでもなく。

 

 ただ――生きていたい。

 

 誰かと同じ時間を共にしたい。

 

 そして、叶うのならば――それは愛するべき者達と同じ道を。

 

 途端、クラードを覆っていた鎧のパイロットスーツも、接続されたライドマトリクサーの感覚も、重苦しく自分を縛り付ける何もかもが消え失せていた。

 

 真っ白な世界だけがどこまでも広がっている。

 

 その中で、白の老人が問い質していた。

 

「クラードよ。それが貴様の答えか?」

 

「……ああ。どうやらそのようだ。身勝手にもほどがあるな。ここまで他人にご大層な口を開いてきた自分が……ただ生きていたいだけなんて」

 

「貴様の望む答えがそこにあると言うのならば、どうする? もう一秒もあるまい。《レヴォルトルネンブラ》の斬撃は完遂される」

 

 クラードは振り向いて己の拳を固めていた。

 

「……ここでは死ねない、いいや、そうじゃなく、俺は生きていたい。生き抜くためには、策が必要だ。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー、俺を勝てるようにしろ」

 

「命じるか、この我に。だがそれは破滅への誘因だぞ」

 

「構うものか。俺は生きなければいけない。そのためならば、汚れの一つや二つは背負おう」

 

「そこまでして、貴様の手には何も残らぬかもしれない。それどころか、最悪の道を辿っているのかもしれないのは」

 

「承知の上だ。何よりも――愛するべき者達のために、ここで敗北するわけにはいかない。俺は、奴を倒す」

 

 エーリッヒは両腕を広げ、世界を哄笑で満たす。

 

「では、力を連れて行け! 最大の力、万華鏡との戦いで目覚めかけていた、貴様自身に眠る力を! 波長生命体の真髄、思考加速の覚醒だ!」

 

「どれだけの力だろうとも……俺は乗りこなすまで」

 

 再び世界に舞い戻ってくる。

 

 ライドマトリクサーの呪縛も、自らを縛る重圧も何もかもを背負って、クラードはこの世界に顕現していた。

 

 視界は閉ざされたまま、それでも意識はこれまでにないほどの明瞭さである。

 

「……思考加速、エグゾーストネットワーク……!」

 

 途端、世界が変容する。

 

 加速の中に置かれた意識だけが先行し、グラッゼの放った刃を潜り抜け、ベテルギウスアームへと右腕を沈み込ませていた。

 

 一体化する右腕の鉤爪が《レヴォルトルネンブラ》の腹腔へと叩き込まれ、掌底の形に固めた腕が紫色の色調を帯びる。

 

「ダーレッド――ッ、バスター――ッ!」

 

 黒白の砲弾が《レヴォルトルネンブラ》のアステロイドジェネレーター炉心を貫く。

 

『何だと!』

 

 クラードは《ダーレッドガンダム》の頭蓋を叩き割るべく振るわれた一閃が相貌を打ち砕いたのを目の当たりにしていた。

 

 引き裂かれた頭部より覗く《レヴォルトルネンブラ》の躯体を突き上げ、放出された弾頭が敵の装甲から意味存在を消失させていく。

 

 やがて敵機は月面へと突っ伏していた。

 

《ダーレッドガンダム》を操るクラードは、打ちのめした相手へと声にする。

 

「俺の……勝ちだ」

 

『……見事……』

 

《レヴォルトルネンブラ》のコックピットが開き、グラッゼが黒いパイロットスーツを晒す。

 

『行け、クラード君。最早、敗北したこの身で言える事は、一つでさえもない』

 

「……お前はどうする」

 

『斬り合いで負けたのだ。フラれた側がいつまでも未練たらしく縋るものでもあるまい。クラード君、これを持って行け』

 

 グラッゼが差し出したのは一枚の白銀の栞であった。

 

 クラードはゆっくりと《ダーレッドガンダム》のマニピュレーターを下ろし、鎧のパイロットスーツを解除する。

 

 腕を伝ってグラッゼと対峙したクラードは警戒を怠らずに、その手から白銀の栞を受け取っていた。

 

 途端、脳髄に声が響き渡る。

 

 よろめいた自分をグラッゼが受け止めていた。

 

「……これは……これも、《ゼロポラリス》……? 俺が持っていたドッグタグと、同じ……?」

 

『詳しい事までは不明だが、君がかつて愛用していたあの銀色のドッグタグと、そして今手渡した代物は同じであるらしいな。この来英暦に宿った聖獣、MF00、《ゼロポラリス》、か』

 

「……《ゼロポラリス》……俺を表す、指標……」

 

『……最後に教えてもらえないだろうか。君の本当の名を』

 

「俺の、名前は……」

 

 ここまで死闘を演じた意味もあるはずだ。

 

 口にしようとして、クラードはハッと宙域を振り仰いでいた。

 

 こちらを照準するのは型落ちの機体――《プロトエクエス》である。

 

「……まさか……」

 

 息を呑んだ瞬間には全てが遅い。

 

《プロトエクエス》の銃弾は、確かに放たれていた。

 

 

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