つい先刻、《ダーレッドガンダム》からのシグナルがあり、鍵を差し込んだまま、カトリナは硬直していた。
《オムニブス》のコックピットには涙の粒が浮かび上がっている。
無重力地帯を漂う止め処ない感情に、カトリナは面を上げていた。
「……ガンダム……《ヴォルカヌス》……。ラジアルさんを……殺した……相手」
『ここでかち合うとはなァ! こいつも運命ってヤツなのかもしれねぇ! てめぇだけは、この手で犯して殺すって決めてたんだ! なァ、そうだろう! カトリナ・シンジョウよォ!』
「……あなたはどうして……どうしてこんな、悲しみだけを振り撒いて……何がしたいんですか……っ!」
『何が? 寝ぼけた事抜かしてんな。破壊と殺戮、そして略奪と支配。こいつはセットだろ? 生きていく上で!』
「……何を……。そんな事をしたって、誰も幸せには、成れないんですよ……!」
『そのうすとぼけた理論をすっ飛ばす。もう絞りカスみてぇな《ヴォルカヌス》でやってのけるとすりゃあ、それ以外にねぇだろうが。てめぇは俺の理論を、頭っから否定した。俺は俺の決着をつけるためだけに、ここに! 《ヴォルカヌス》と共に生きているんだからよォ!』
突きつけられた《ヴォルカヌス》の太刀は折れ曲がっている。
《ヴォルカヌスカルラ》として自分達の脅威として立ち塞がった相手ではなく、《ヴォルカヌス》単体である事から鑑みても、作戦は遂行されつつあるのが理解されていた。
ザライアン達は上手く生き延びたのだろうか――そのような疑問が些末事に感じられるほどに、中てられた殺意の圧は重苦しい。
「……どうして……どうしてぇ……っ」
『どうしてもこうしてもあるかよ。……ああ、そうだ。てめぇは俺を、死ぬ価値もねぇクソ野郎だってのたまいやがった。その清算をしてもらうぜ! カトリナ・シンジョウォ!』
《ヴォルカヌス》が赤銅色のミラーヘッドを質量兵装として用い、振るった腕の挙動だけで《オムニブス》の翳した武装が断ち割られていく。
爆砕する前にパージして耐え忍ぶが、至近距離まで段階加速を経ていた敵影を視認するのが完全に遅れていた。
機体の腹腔を殴り据えられ、衝撃が拡散する。
コックピットを揺さぶる生の敵意に、カトリナは吐しゃ物を撒き散らしていた。
ヘルメットの内側が汚れ、意識が急速に凪いでいく。
『殺す価値もねぇって言いやがったのは……マジにてめぇが初めてだ。ああ、そうさ。てめぇは俺の生きざまに……唾を吐いた! だから一発じゃ死なせねぇ。簡単に死ねると思うな。生まれた事を後悔させながらじっくり嬲り殺してやる……』
相手はミラーヘッドをわざと最小限度に留め、その拳で《オムニブス》の装甲を叩き据える。
恐怖と絶望が押し寄せてくる中で、《ヴォルカヌス》のパイロットの哄笑が響き渡っていた。
『どうだ! 怖ぇだろ、痛ぇだろ! これが、てめぇの否定した暴力だ! そうさ! 暴力だけが、この世で一番、意味を持つ! 戦場なんかで幸せだとか眠てぇ事言ってんじゃねぇよ、たわけが! 何が幸福だ! 何が今幸せか、だ! その点で言えば、俺は今、幸せで仕方ねぇぜ! てめぇを今に殺せる! もっといい声で啼けよ! 怯えろ! 命乞いをしろ! 無様に泣き叫んで、死にたくないって言え!』
相手は主兵装を破壊されているためか、あるいはわざと自分に恐怖を抱かせるためか格闘兵装で《オムニブス》を消耗させていく。
アラートが鳴り響き、機体損耗率が六割を超えたところで、カトリナは目を瞑っていた。
――もう、何も見たくない。
クラードが傷つく未来も、自分が死に行く絶望も、何もかも。
だって、鍵をかけたのは自分自身なのだから。
テーブルモニターに表示されたステータスには、「ダーレッドバスター起動承認」が赤く明滅している。
クラードは撃ったのだ。
どれほどのリスクを抱えようとも、自分の道を通すために。
だと言うのに、自分は。
その引き金の一部でも引いた自分自身は。
「……怖くって、仕方がないんです……クラードさん……」
折れた剣を掲げ、《ヴォルカヌス》が大上段に振るい上げる。
《オムニブス》には戦闘兵装はほとんどない。
斥候用のMSであるためか、あるいは修繕途中であるためか、今牙を突き立てられるような気がしなかった。
何よりも――自分の我を通して誰かを殺すような覚悟もない。
「……クラードさん……私……私、あなたに何かを託して、知らない振りをして、それで死んで行ければ……」
それでいいのかもしれない。
もう、手離していいのかもしれなかった。
責任も、重荷も。
その命でさえも。
ここで何もかもから逃れて、そして満足のうちに死んで行ければ、それで。
だと言うのに、何で。
だと言うのに、どうして。
「……何で……まだ生きていたいって、私はそう感じているの……?」
脈打つ命の鼓動は。
己の内奥から発する命の声は。
ここで終わる事を容認していない。
ここで終わるような人生で諦め切っていない。
ここで幕引きする事を、誰よりも許せないのは――。
「……私自身の、声……だから、流されちゃ……駄目。カトリナ……っ!」
操縦桿を握り締める。
《オムニブス》が挙動し、《ヴォルカヌス》の両断の太刀を受け止めていた。
『何……ッ! まだ足掻くかよ……この死に損ないがァ……ッ!』
「ええ、そう……確かに、私は死に損ないかもしれません……。けれど、泣いて喚いて、嫌だ嫌だって、身も世もなく声に出すのは……もう本当に終わりの、どん詰まりになってからでいい……っ! まだ、終わっていない……っ! 終わっていないもの……!」
『終わりだろうがァ! てめぇも俺も!』
「終わりだって言うんなら――私を殺して見せてください。それがあなたに出来る……叛逆でしょうに……っ!」
《オムニブス》がバーニアを焚いて緊急加速する。
想定されていない加速度がかかり、《ヴォルカヌス》ともつれ合うようにしてオフィーリアの甲板上を滑っていく。
『こ、この……クソ女がァ……ッ!』
呼吸が荒れる。
世界が乱舞する。
異様に高くなった心拍が告げる。
――生きている、今こそ、生きるべきなのだと。
開けた視界には、ほとんど大破に等しい、《ヴォルカヌス》の相貌。
「あなたもこんなになるまで……戦ってきたんですね」
『分かった風な口を……利くんじゃあ、ねぇ……ッ!』
脚部に格納されていた刃が閃き、《オムニブス》の片腕を落とす。
ガン、と全天候モニターの一部の電源がダウンしていた。
「まだ……!」
もう片方の腕で《ヴォルカヌス》を封殺せんと、その襟首を掴み上げる。
相手がレヴォルタイプならば、頭に何度も叩き込んできた、戦闘術がある。
まずは切り込むようにして、足さばきで敵を浮かせる。
その後に、マニピュレーターが砕けようとも相手の首回りを引っ掴み、己の側へと引き寄せていた。
体躯は一本の芯を持って、揺るがず、揺らがず。
己の全霊をかけて、相手を引き込めば直後の光景は決まっている。
制御を失った相手を背負い、カトリナは雄叫びを上げて《オムニブス》で《ヴォルカヌス》を叩き伏せていた。
それは自らに根差した、渾身の「背負い投げ」。
甲板へと叩きつけられた《ヴォルカヌス》の装甲が砕ける。
『……クソ、がぁ……何でなんだ……。何で……殺さ、ねぇ……』
「あなたは死なせません。……私が生かすんです」
『俺みたいなのは……蛮勇に死んだほうがまだ、マシだってのに……。死ぬ価値もねぇって、てめぇが言ったんだぞ……』
「けれど、あなたは死なせない。だって、どんな人でも絶対……幸せに成る権利は、あるはずだから……っ!」
《ヴォルカヌス》のパイロットから気勢が失せる。
きっと、伝わったはずだ。
生半可な気持ちでぶつかり合ったわけではない事くらいは。
『……撃たれたほうがまだ、救われる。こんな、醜態……晒すんならな』
「生きてください。あなたが殺した分、生きて生きて、生き抜いて……その後に、償うんです。だって、そうじゃないと絶対……あの人が生きる未来も、作れないはずだから」
『……戦争中毒者にそれは堪える。だから、ここで終点だ』
瞬間、《ヴォルカヌス》の眼窩に宿った戦意にカトリナがうろたえた瞬間、相手はミラーヘッドを生み出して浮かび上がっていた。
《オムニブス》がオフィーリアの甲板を転がり、そのまま絶対の死地へと落ち行くかに思われた刹那。
《ヴォルカヌス》のマニピュレーターが《オムニブス》を掴み上げ、オフィーリア側へと投げる。
「……何で……」
『善行なんざ積む気もねぇ。だから、俺がこれからやるのは悪行だ』
《ヴォルカヌス》が赤銅色のミラーヘッドを展開し、オフィーリアとモルガンの衝突地点を押し広げていた。
二隻が急速に弾かれ合うようにして、剥がれていく。
やがてモルガンの船尾が映ったその時には、《ヴォルカヌス》は視界から消えていた。
「……どこへ……」
『……あばよ、カトリナ・シンジョウ。形さえ違えば、俺はあんたに……救われていたのかもな。まぁ、最悪の出会いには違いねぇんだろうが』
「どこへ……あなたは! レミア艦長っ! 《ヴォルカヌス》は……!」
『カトリナ、さん……? ようやく通信が復旧したかと思ったら、今は……?』
「今は……オフィーリアの甲板部に、何とか縋り付いています。《ヴォルカヌス》のシグナルを追ってください! 彼は……!」
『《ヴォルカヌス》、モルガンブリッジ前面に浮上! ……これってどういう……』
バーミットの声が響き渡った瞬間には、カトリナは全てを悟っていた。
「……あなただって、幸せに成れた……っ! 幸せに成れたはずなんです……っ!」
返答はない。
だが《ヴォルカヌス》へと据えられていくモルガンの砲門に、まだ見ぬ彼は――どこか救済の答えを得たかのように。
終焉の宇宙に、声が迸る。
一方は、自らのエゴを集約させ、破滅を望んだ声。
そしてもう一方は――エゴの果てに、答えに至った「人間」の声。
直後、モルガンから一斉掃射された砲撃が何を射抜いたのか。
モルガンのブリッジが捲れ上がり、炎の手を上げたのが何を意味するのか。
言葉にするまでもなく、ハッキリと。
カトリナには分かってしまったのだ。
「……何で……何でぇ……っ! だって、あなただって、あなただってそうじゃないですかぁっ! 答えが分からなかっただけじゃないですか! クラードさんが見ていた景色を……あなたも見て……だから、争い合って……ぇっ……」
嗚咽は止まらない。
分かり合えたかもしれない、なんてどれほどに傲慢か。
拳銃も刃も必要のない世界があったかもしれないなんて、どこまでも侮辱か。
きっと、分かり切っているのだ。
幸せに成れたなんて、とんだ戯れ言。
幸せに成る権利なんて、とんだ夢見話。
それでも、自分を曲げずにいられたのならば、きっとそれは、誰にも負けない力になったはずなのに。
「……何でこんな風にしか……生きられないんですか……。クラードさん……」
片腕を失った中破状態の《オムニブス》で、カトリナは慟哭する。
そんな道は、元よりなかったのかもしれない。
願うだけじゃ、望むだけじゃ、祈るだけじゃ届かない未来だったのかもしれない。
それでも、幸せを祈る事は、望む事は、祈る事は――そんなにもいけない事なのだろうか。
そんなにも、罪深いのだろうか。
答えは出ないまま、暗礁の宇宙にモルガンが粉砕されていく。
至近距離で轟沈したモルガンの衝撃波が《オムニブス》を嬲り、ようやく縋り付いていた機体が木の葉のように吹き飛ばされる。
『……カトリナさん!』
声が滑り落ちていく。
想いが消え落ちていく。
そんな中で、カトリナはオフィーリアより堕ちていく己をいやに醒めた視点で俯瞰していた。
「……似合い、なのかも、しれない。だって、ここに来るまでどれだけの犠牲に成り立ってきたの、カトリナ……。裁かれるとすれば、こういう瞬間でしょう……?」
現状の《オムニブス》には復帰するだけの燃料もない。
このまま、終わりの果てに佇む冷たい死が待っている事だろう。
その感覚に身を任せようとした、瞬間、どうしてなのだか閉じた瞼の向こうでクラードが手を差し伸べていた。
「……都合がいいなぁ、私。何もかも、全部……あの人に投げた癖に」
その手をあえて取らないのがきっと、自分なりの贖罪。
だと言うのに、相手は自分の手を無理やりに――繋いだ。
『カトリナ嬢っ!』
直通回線にカトリナは目を見開く。
オフィーリアよりスクランブルで出撃した《レグルス》より声が伝令されていた。
『ああ、間に合ってよかった……生きているっすよね? カトリナ嬢……!』
「……トーマ……さん……?」
『まだ諦めるのには早いっすよ。アルベルト氏もクラードさんも……みんながこの戦場を押し上げてくれてるっす。だって言うのにカトリナ嬢だけ……一抜けはなしっしょ』
急増品で固められた《レグルス》が《オムニブス》を引き上げていく。
コックピットの中に居たのはトーマだけではない。
『まったく、こういう時に諦めが早いのが取り柄だったか? 期待の新人は!』
『シンジョウ先輩……! よかった、生きて……!』
「……サルトルさん。シャルティア委任担当官……みんな……」
『ちょっ……狭いっすよ! どこ触ってるんすか! 訴えますよ!』
『あっ、すいません……! 手、私です!』
『オジサンはそんな怖い事はしないの! ったく、これだから荒事ってのは困るんだよ』
平時のように振る舞う三人に、カトリナは引き上げられた先の光景に目を見開く。
「……格納デッキから、スクランブルなだけじゃなくって……?」
トーマ達の《レグルス》を支持するように、型落ちの《エクエス》や《マギア》がカタパルトから真っ直ぐに連結されていた。
想定外の出来事に当惑する自分へと、トーマが率先して声にする。
『……あーし達で充分だって、言ったんですけれどね。聞かん坊ばっかりっす』
『《オムニブス》の現状じゃ、浮上も出来やしない! それ、皆、引っ張れよー! 期待の新人を引き上げてやれ!』
サルトルの声を嚆矢として、オフィーリアの甲板部へと《オムニブス》はゆっくりと降下されていく。
皆、この戦場では等価に命の価値を問いかけているはずだと言うのに。
自分を助けるためだけに、彼らは禁を破ったのだ。
「……どうして、そこまで……」
『どうしてって……お前さん、ずっと言ってきただろう? ――絶対に、幸せに成るんだって。だったら、こんなところで命一つ、手離している場合か? ……クラードが待っているはずだ』
安全圏へと到達した途端、《オムニブス》の全天候モニターが全て暗礁に染まる。
カトリナはコックピットブロックを開き、明滅するオフィーリアの艦橋サインを目にしていた。
眩い輝きに目を細めたのも一瞬、《レグルス》のコックピットからトーマが手を差し伸べる。
シートベルトを解除し、浮遊したカトリナはトーマの手を掴んでいた。
伝令した声がパイロットスーツへと残響する。
『……お疲れやまっす、カトリナ嬢』
「……はいっ……はい……っ」
涙が止め処なく溢れていく。
感情が堰を切ったように止まらない。
『回収急げー! 全機、甲板に留まっていて撃墜なんてされたら目も当てられないぞ!』
サルトルの号令が響く中で、カトリナは《レグルス》の狭いコックピットでシャルティアへと接触回線を繋げさせる。
『……シンジョウ先輩……む、無茶苦茶過ぎます! 何でたった一人で出て行ったんですか! 危ないじゃないですか!』
「……うん、ごめんなさい。……私、何でなんだろ……」
自分でも不明瞭な感情に呑まれていく。
《ヴォルカヌス》のパイロットを――彼を救いたかったのだろうか。
否、きっとそんな高尚なものではない。
ただ、許せなかったのだろう。
幸せに成るのだと、吼えてみせた自分のプライド。
それを成立させたいがために、我を通してでも誰かの主張を捻じ曲げたかった――そんなところだ。
落としどころとしては充分なはずだろう。
『月軌道戦線は収束に向かいつつあるが……心配なのはここ一番で行方を晦ませたラムダだな。あいつら、どういうつもりなんだか……』
「……メイアさん達は? シグナルも……?」
サルトルは首を横に振る。
「……そう、ですか……」
別段、利用されるのには慣れていないわけでもないが、彼女らが本心から自分達をただの弾除け程度にしか思っていなかったかと言えば微妙なところだ。
一体、メイア達は何のために、自分達と手を組んでダーレットチルドレン打倒を標榜したのだろう。
戦力としては心許ないはずなのに。
「……別の思惑が……ある? でも、どういう状況で、こんな事を……」
『カトリナ嬢、今は少し休みましょう。この戦局、限りなくまずいっすよ。モルガンが轟沈したとは言え、他の戦力だってあるんです。エンデュランス・フラクタルの艦隊だって……』
カトリナは遥か彼方に流れていくモルガンの残骸を目の当たりにしていた。
ゆっくりと、月の重力圏へと引かれていく骸へと、《ネクロレヴォル》隊の一部が機動する。
「……《ヴォルカヌス》のパイロットの事……私は忘れる気はありません」
『カトリナ嬢? ですがそんなの、ただの重石になるだけじゃ……』
トーマの言葉をサルトルが制していた。
『いや、それがカトリナ女史の決意だと言うのならば、尊重しよう。さぁ、まだ仕事はたんまり残ってるんだ! クラード達が帰ってくるまでオフィーリアを守り通すぞ! それがおれ達の――仕事だ!』
サルトルの声にメカニック達が返答する中で、カトリナは一機の《ネクロレヴォル》が相対速度を合わせて残骸の一部へと漂ったのを目にしていた。