機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第298話「さよなら大好きな人」

 

「機体損耗率はそこまでだが、帰投するまで持つかな」

 

『さぁ……な。なぁ、アルベルト。トーマは、おれを許して……くれるだろうか』

 

「そんなの、分かるワケねぇよ。……ああ、そうさ。分かるワケがねぇ。トーマさんに、お前は長い間、留守を預けたんだからよ。その借りの一個くらいは喰らう覚悟はあるだろ?」

 

『……まずったな。トーマの拳は、冗談にならないんだよ』

 

 互いに言葉を交わしつつ、アルベルトは月軌道の残骸コロニーから《アルキュミアヴィラーゴ》を駆動させようとしていた。

 

「……マテリア、敵の位置関係は分かるか?」

 

『“敵って言いましても。さっきまで殺し合いをしていたんじゃないんですか?”』

 

「……言うなよ。トキサダとはこうしてドつき合わなくっちゃ、分かり合えなかった」

 

『“……呆れます。殺し合いしても、そんなに爽やかな顔が出来るなんて”』

 

「ああ、いや、そっか……オレ、爽やかな顔をしているか?」

 

『“ええ! 憎々しいほどに! 何だって、わたくしがそんな顔を見なくっちゃいけないんですか!”』

 

 マテリアの文句にアルベルトが微笑みを返す。

 

「……何で、なんだろうな。それもこれも、てめぇを信じているからかもしれねぇな。《アルキュミアヴィラーゴ》のアイリウムとして、お前は本当に信頼出来る……相棒だよ」

 

『“な……っ! 褒めたって何にも……! ……これがユキノさんの言っていた、その……あれだって言うんですかね”』

 

「うん? ユキノが何か言ってたのか? お前に?」

 

『“悪いですか! これでも女子ですから! そりゃあ女子トークくらいはしますよ!”』

 

「ああ、それは悪ぃ。軽んじていたな。そうだな、帰ったら……お前を一端の人間として、扱ってもいいのかもしれねぇ」

 

『“……本当に、ですか?”』

 

 いつになく真剣な声音だったせいか、アルベルトはマテリアと顔を見合わせる。

 

 省エネモードの二頭身であったが、見据えた瞳は本物であった。

 

「……お前――」

 

 その瞬間、ライドマトリクサーの肉体を揺さぶったのは残響音であった。

 

 劈くような声が躯体を突き抜け、アルベルトは《アルキュミアヴィラーゴ》が軋みを上げたのを感じ取る。

 

「……何だ、これ……。《アルキュミアヴィラーゴ》の、制御系が、奪われて……?」

 

『“アルベルトさん……っ! これは制御系統へのハッキングです!”』

 

「制御系への? ……だが、何でこの土壇場で……! まさか、エンデュランス・フラクタル上層部の切り札か……!」

 

『“いいえ、これは……もっと上位権限の……”』

 

『アルベルト……! すぐにライドマトリクサー権限を閉じろ! これは……乗っ取られるぞ……!』

 

 響き渡る接触回線の向こうに居るトキサダは即座にライドマトリクサーの接続を排除したようであったが、自分は一拍遅れていた。

 

 マテリアの制御プロテクトをそう容易く破られるはずがないと言う驕りがあったのかもしれない。

 

 アルベルトは視界を埋め尽くす虹色の輝きと、そして耳朶を打つ残響音を聞いていた。

 

「この……音階は……メイア・メイリスの……声……?」

 

 メイアの歌声に酷似した何かが自分の内側へと侵食する。

 

《アルキュミアヴィラーゴ》が痺れたように機体を震わせ、直後にはシステムが切り替わっていた。

 

「コード、“マヌエル”の実行……? そんな馬鹿な! オレが命じてもいないのに、マヌエルの実行なんざ……! マテリア……っ!」

 

『“……アルベルトさん、これは……抵抗出来ま、せん……わたくし達の内側に潜って、食い破ろうとしています……っ!”』

 

「嘘だろう、おい……! 何だってこの局面で……」

 

『アルベルト、ライドマトリクサーを解かないと、これは――!』

 

 そこから先の言葉は耳触りのいい歌声に掻き消される。

 

 周囲を満たす虹の裾野はどうしてなのだか心地いい。

 

 身を預けてしまえば、それだけで安息の地へと導かれるようであった。

 

 それこそ、魂の収束。

 

 それこそ、天国への誘因。

 

 アルベルトは、その馴染み深さに意識を手離そうとする。

 

 疲労も祟っていたのだろう。

 

 トキサダと死闘を繰り広げた神経は、この時、抵抗するだけの気力も持ち合わせていなかった。

 

 流れ、流されていく。

 

 意識が、その深層が。

 

 魂の形が可視化され、虹の彼方へと導かれていく。

 

 そこへと向かう無数の見知った魂の色を見つけ、アルベルトは肉体の命令を無視して、流れに沿って――。

 

『“……駄目……っ”』

 

 不意にその手を取る相手を感じ、振り返る。

 

 マテリアが必死にその両腕で自分の魂を引っ張っていた。

 

「……マテリア、お前……」

 

『“駄目です、駄目……っ。だって……アルベルトさんは大事な人だから……連れて行かせや……しません……っ!”』

 

 しかしマテリアはただのアイリウムだ。

 

 この世界を覆い尽くすシステムには抵抗出来ないように設計されているのだろう。

 

 亀裂が走り、血潮が舞う。

 

 苦しげな呻き声を上げ、必死に自分を取り戻そうとするだけで、肉体が崩壊の一途を辿っていく。

 

「……やめろ、やめてくれ、マテリア。……もう、いいんだ。……これが相応しい、罰ってヤツなんだろうさ。思えば色々……人も殺し過ぎたし、オレ自身、もうとっくになんだろう。これが魂の安息だってなら、もう抵抗したって……」

 

『“駄目、です……っ! だってアルベルトさんがここで消えたら……みんなが悲しみます……! ユキノさんや、シャルティア委任担当官、カトリナさんも、わたくしのオリジナルも……! みんなみんな……悲しみます……っ! だから、行かせない……! 行かせちゃ、いけないんです……ぅ!”』

 

「……おい、何で……お前が泣くんだよ、マテリア……」

 

 放心状態で声にした自分にマテリアは遅れた認識で頬を伝う熱を関知する。

 

「“……私、泣けて……? ああ、よかった。だって、あなたを想って泣けるんだから。わたくしも、一端に人間だったって事なんですかね……?”」

 

 壊れそうに微笑むマテリアに、アルベルトは今になって取り返しのつかない事態に陥っている事を自覚していた。

 

 どうして、魂の安息だなどと感じたのだろう。

 

 ここまで目の前の――大事な人を悲しませるのならば、それは抵抗しなければいけないはずだ。

 

「マテリア……ッ! マテリア、お前……! こんな事に力を使っていいワケ……ねぇだろ! お前の力は……オレなんかを助けるためじゃなく……!」

 

『“なに、言ってるんですか。だって、アルベルトさんがわたくしに教えたんですよ? ……誰かを想う事の、尊さを”』

 

 七色の色彩を誇る髪の毛が解け落ちる。

 

 二つ結びの髪留めを失ったマテリアの相貌は慈愛に満ちていた。

 

 それはかつて――永劫に失った大事な人の面影。

 

「……お前は……オレを……」

 

『“アルベルトさん。忘れないでください。……機械だって、人を愛せるんですよ? えへへっ、見直しました?”』

 

 そう言って微笑んだマテリアを抱き寄せようとして、その力が消え失せる。

 

 アルベルトの腕は何もない空を掻いていた。

 

「……マテリア……? どこへ……どこへ行くんだ……?」

 

『“この声の主には……わたくしが代わりに行きます。だから、アルベルトさんはもっと、たくさんの人達を……救ってください。愛してあげてください”』

 

「何言ってんだ、待ってくれ! マテリア……! オレは……気持ちに気付けたんだぞ! 気付けたって言うのに……」

 

 ああ、分かっている。

 

 気付けたから、愛されるわけでもなければ愛せるわけでもない。

 

 そして――いつだって自分は手遅れで。

 

 いつだって、何もかもを失ってから、その眩さを思い知らされる。

 

『“さようなら、アルベルトさん。大好きですよっ! ……へへっ、言っちゃった”』

 

 はにかみながらマテリアは虹色の天蓋を抜けて、その身体を昇華させていく。

 

「マテリア……ッ!」

 

 その腕を掴もうとして、すり抜ける。

 

 最早、存在力の欠片もないマテリアの躯体は、意味を持たない。

 

 フッと、不意に意識が肉体へと巻き戻っていた。

 

 先ほどまでの多幸感は消え失せ、重たい身体だけを持て余す。

 

「……オレ……は……」

 

『アルベルト! 聞こえているか……! さっきの……ジャマー兵装みたいなのは……あれはライドマトリクサーに作用するみたいだ。ギリギリで接続を切れたから、おれは大丈夫だったが……』

 

 トキサダの通信が回復する。

 

 いや、ずっと呼びかけてくれていたのかもしれない。

 

「……マテリア……?」

 

 アルベルトはテーブルモニターに表示されたメッセージを解読する。

 

「アイリウム、ロスト」の明滅表記の下に、綴られていた想いに胸が詰まっていた。

 

「……マテリア……オレはお前に……何もしてやれねぇままで……終わったのか……」

 

 ほんの一行の、小さな丸みを帯びた文字。

 

「――大好きな、誇れるマスターへ」と刻まれたマテリアの遺した文字に、アルベルトはコックピットの中で咽び泣いていた。

 

『……アルベルト。……泣いて、いるのか……』

 

「……すまねぇ……今は……今だけは……」

 

 何が起こったのかを明言化する前に、喪失の悲しみを埋める事は、器用に出来そうにもなかった。

 

 

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