機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第302話「ツミツキ」

 

 テーブルモニターへと表示された秘匿メッセージには、かつてエージェントであった身分の時に使われた暗号命令が添えられていた。

 

 メイアは《アデプト》の猛威を払い除けながら、その命令が間違いの代物ではない事を、暗号文で問い返す。

 

 しかし、返って来たのは同じ命令であった。

 

「……光学迷彩を用いての現宙域からの離脱……? マーシュ、何言ってるんだ……。そんな事をしたら、オフィーリアが……」

 

 返答はない。

 

 これは飲み込め、と言うサインだった。

 

《ゲシュヴンダー》が敵機から距離を稼ぎ、ラムダの甲板へと降り立つなり、光学迷彩に浸っていく。

 

 メイアは《アデプト》をビームサーベルの一閃で払い除けてから、一度艦へと目線を飛ばす。

 

 次々に宙域へと溶けていくラムダの艦影は一度逃せば自分だって追いつける保証はない。

 

「……信じて、いいんだよね……?」

 

 甲板へと降り立ち、光学迷彩を起動させる。

 

 オフィーリア勢は激戦の只中だ。

 

 気付いたとは思えなかった。

 

 ラムダが広域通信網を突っ切って加速した直後、メイアは問い質していた。

 

「……どういうつもり? マーシュ。これじゃ、見捨てたようなもんだ」

 

『必要なのよ、これはね』

 

「理解出来ないっ! だって……ボクらが招いたような戦いだ! 彼らを孤独に死なせるために利用していたって?」

 

『そうよ。それ以外にない』

 

「……嘘……ねぇ、嘘って言ってよ! イリス? みんな……」

 

 イリス達は《ゲシュヴンダー》に乗り込んだまま、格納デッキへと続いていた。

 

 彼女らの無言の肯定に、メイアは下唇を噛み締めて命令を受諾するしかない。

 

「……何だって、こんな……」

 

 コックピットブロックを開け放つなり、メカニック達が取り付いて《ゲシュヴンダー》を整備する。

 

 イリス達は機体に乗り込んだまま微動だにしない。

 

「どうなってるって言うんだよ、これって!」

 

『必要な事なのよ、メイア』

 

「分かんない……っ、分かんないよ、イリス! 何が必要だって言うの! 彼らの気持ちを無視して、こんな……」

 

『月面を目指す。それが最重要目的』

 

 マーシュの断言口調にメイアは絶句する。

 

「それは……既にクラードが向かってくれていて……」

 

『いいえ。あの“クラード”では仕損じる。その時のために、あなたが赴かなければいけない』

 

「何を言って……何を言ってるんだ、みんな! どうにかしちゃったのか……!」

 

『メイア。あなたこそが鍵なのよ。この来英歴の、滞留した世界を覆す鍵……レヴォルの意志が微笑むのは、間違いなくあなた』

 

「それは、何かの間違いで乗れただけだろう? ボクなんかよりもクラードが!」

 

『メイア、あなたは知らなければいけない。何故、私達、エーリッヒの子らである、“ウルトリクス”が目覚め、そしてあなたを再びこの艦に招いたのか。全てはあなたを王とするため。この間違いに狂った来英歴を、正すためのただ一つの指標。一等星こそがあなただった』

 

 イリスの論調には冗談のような類は見られない。

 

 何よりも、嘘は言っていないように聞こえる。

 

「……何の事だって言うんだ……? ボクは、ただのアーティストで……!」

 

『そんなわけがないでしょう。あなたは、元々、選別されていた。記憶にはないかもしれないけれど、ライドマトリクサーとして新生する前に、あなたはあの“クラード”に出会っている』

 

「……ボクが、どこかでクラードと出会っていたって、そんなの関係はないはずだろう……」

 

『いいえ、関係があるのよ。あなたは元々、戦災孤児だった。エンデュランス・フラクタルが戯れに行っていた聖別のための戦場。そこであなたは、偶発的にクラード……いいえ、その名を戴く前の彼と出会い、そして一度死んだ』

 

 イリスの断言にメイアは身を硬直させる。

 

 今、彼女は何と言ったのか。自分の事を、何だと断定したのか。

 

「……ボクが……死んだ……?」

 

『泥沼化した戦場にこの来英歴の“クラード”を見出すためにわざとそう促された。そして、たった一人の“クラード”が見つけ出されたはずだった。我々が察知したその時には、手遅れだったけれど』

 

『メイア。あなたは戦場で一度死に、そしてその肉体を再構築すべく、ライドマトリクサーとして生まれ直した。でもその時に……私達は一手遅れた。エンデュランス・フラクタルが擁立しようとしていた“クラード”と、あなたの血肉が何らかの形で混在し……この世に二人の“クラード”として観測されるようになってしまった。その結果、彼らはあちら側の“クラード”を《レヴォル》のパイロットとして登録し、あなたの事はあえて見逃していた。クラードは二人も要らないという判断だったのかもしれないし、あるいはあなたの中に眠る因子を、彼らは想定外だとして見過ごしたのかもしれない』

 

「……ボクの中に、眠る因子って……」

 

『エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。その名前を、聞いた事があるわね? メイア。殊に、ここで言われるのは“惑星のエーリッヒ”ではなく、“月のエーリッヒ”。ダレトが開いた直後にこの次元宇宙に舞い降りた、最初の使者』

 

 マーシュはこちらに理解させるような隙を与えない。ただただ、情報に翻弄されていくばかりの自分へと、さらなる真実を告げる。

 

『エーリッヒは肉体を解体され、精神をテスタメントベースに封印された。その封を、誰も解けないと思われていた。けれど、違った。鍵は既にこの世に二つ、揃っていたのよ。一つは、エンデュランス・フラクタルの擁立したクラードと言う名のエージェント。彼と新造艦ベアトリーチェが月軌道を目指していたのは、エーリッヒの持ち得る因子、精神と呼べる情報が必要であったから。テスタメントベースの封印より、ダーレットチルドレンの手から掠め取る必要性があった』

 

「……だから何だって……“月のエーリッヒ”だとか言うのは、確かに聞いたよ。オフィーリアでね。艦長の記憶にあったって言う……でもそんなのとボクが関係あるわけ――!」

 

『関係あるのよ。テスタメントベースに封印されていたのは精神だけ。情報としてエーリッヒ・シュヴァインシュタイガーを構築する一側面。では、もう一つ。肉体は? 適合する肉体が必要であったはず。本来、この来英歴の“クラード”がエーリッヒの精神と繋がった瞬間、MF05《フィフスエレメント》は本来の性能を取り戻すはずだった。でも第五の聖獣は眠りについたまま、あの月軌道決戦でクラードより奪われてしまった。万華鏡、ジオ・クランスコールの手によって、ダーレットチルドレンの物に堕ちた』

 

「それは……知っているよ。だってボクらだって、《レヴォル》の叡智を手に入れようとしていた。同罪って言えば同罪だ。その結果が、レヴォル・インターセプト・リーディングの汎用化と、騎屍兵を含む現代の戦場の延長線だろう? 《ゲシュヴンダー》だって……《レヴォル》の産物だ」

 

『事はそう簡単ではないのよ、メイア』

 

 いつになく、反抗心が心の奥底から屹立してメイアは壁を蹴っていた。

 

『どこへ行くの』

 

「分からない……分かるもんか……!」

 

 ただ闇雲に逃げ出すのではない。

 

 今、こうして全能者のようにマーシュの通信先の声を聞かされるのが耐えられなかっただけだ。

 

 艦長室の門前で、メイアはパイロットスーツに備え付けられたホルスターに留めた拳銃を意識する。

 

 もしもの時に、これを使う事態だけは避けたい――そう念じて扉を開ける。

 

「……来る頃だと思っていたわ」

 

「……マーシュ、キミは……」

 

 マーシュの佇まいは平時と変わるところはない。

 

 ただ、憔悴し切ったような面持ちは何かを覚悟したようですらあった。

 

「私を殺しに来たのね」

 

「そんな事態にならないように、ボクはキミと正面切って話に来た。あの場で明け透けに色々語られたんじゃ、プライバシーも何もないって思ってね」

 

「……時間がないのよ。月面到着と同時に、イリス達には作戦行動に移ってもらう」

 

「その作戦ってのは、何?」

 

「聖獣討伐。イリス達、《ゲシュヴンダー》にはギリギリまで気配を殺し、恐らくダーレットチルドレンによって迎撃されているであろう、残存する聖獣二体を破壊してもらう」

 

「聖獣、二体……?」

 

「《サードアルタイル》と《セブンスベテルギウス》の名を持つ……《ダーレッドガンダム》の破壊。それこそが起動条件でもある。三年前、“月のエーリッヒ”がクラードと融合しても調律が起きなかったのは、条件が揃っていなかったから。けれど今なら、その条件を満たせる」

 

「……分かんないよ、マーシュ……。何で? それってクラードを……彼を殺すって事……?」

 

「そうなるかもしれないわね」

 

 何の澱みもなく放たれた言葉に、メイアは指先を彷徨わせる。

 

 今、目の前に居るマーシュは何だ?

 

 本当に自分の知る彼女なのか?

 

 分からないと言えばマーシュだけではない。

 

 この状況に何の疑問も挟まないラムダのクルー達。そして見知ったはずのイリスらエージェント仲間も。

 

 どうして――ここまで隔絶されているのだ。

 

 ラムダに帰還したつもりだったと言うのに、これではまるで別世界ではないか。

 

「……キミは……本当にマーシュなのか? ギルティジェニュエンの……マネージャーの」

 

「分からないの?」

 

「……分からない……分からない、分からない、分からない……っ! キミがマーシュなら、もっといい言葉が思い浮かぶはずだろう! 何だって……何もかも終わったみたいな……諦めに堕ちたみたいな瞳をしているんだ! そんなじゃなかっただろ! ボクを逃がしてくれたマーシュは!」

 

 感情を吐露すると同時に、メイアは拳銃を突きつけていた。

 

 震える銃口でマーシュの額へと照準する。

 

「……変わったのはあなたのほうよ、メイア」

 

 ふと、これまでの話振りが嘘であったかのように、マーシュは呟く。

 

 その言葉に茫然としていると、艦長室に飛び込んできたイリス達によって自分は一秒にも満たず拘束されていた。

 

 後ろ手に手錠をかけられ、自決しないように猿ぐつわを噛まされる。

 

「イリス、例の機械を。……出来れば使いたくなかったけれど」

 

 イリスがその手に携えていたのは弓型のヘッドセットであった。

 

「……ファムのヘッドセット……?」

 

「ごめんなさいね」

 

 嵌められた途端、メイアの意識が急速に凪いでいった。

 

 何かを考える事さえも億劫になり、世界の輪郭がぼやける。

 

「これ、は……」

 

「元々は思考拡張の制御装置。翻って、意識を奪う洗脳装置に作り変えられてしまったけれど。メイア、今は黙って聞いてもらえる? あなたはね、選ばれたのよ。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーが死した後に、遺した自らを降ろすための器、この来英歴における転生体としてね」

 

 何の事を言われているのか、理解さえも出来ない。

 

 肉体の感覚でさえも失せていく中、マーシュは淡々と語る。

 

「エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーがこの来英歴にもたらした技術。高度の思考拡張と、そしてライドマトリクサーと言う名の叡智。ミラーヘッドシステム、第四種殲滅戦へと繋がる戦争の力。けれど、彼はダーレットチルドレンに奪われるだけではなかった。ゆっくりと、しかし着実に来英歴を蝕む毒として、用意していたのは大きく分けて三つ。一つはテスタメントベースにおける器との融合。この世界における擁立された“クラード”との精神的な接触、これは成功を果たしたわ。けれど、問題点があった。来英歴には“クラード”に類する能力を持つ存在が二人居た。それに気づいたのは、既にあちら側のクラードへと融合を果たした後だったのでしょうね」

 

「なに、いって……」

 

 言葉が上手く紡げない。

 

 意味も消失していく。

 

 自分が何を言っているのかの一秒先の理解でさえもない。

 

「もう一つは、ライドマトリクサーの技術に潜ませた、鍵。彼がもたらした以降の思考拡張とRM技術には、とあるプログラムが仕込まれていた。でも、誰もその存在に気付けなかった。全能を気取るダーレットチルドレンでさえ。ライドマトリクサーの技術はこの世界の基盤となって浸透し、そして結実した。イリス達が言っていたウルトリクスと言うのはね、いずれこの世界における全ての思考拡張者、ライドマトリクサーが覚醒する兆候なのよ。地球圏に内在する数億人規模での、エーリッヒの意志による調律……それこそが、彼の望んだ世界の終焉であった」

 

「やめ……やめさせ、な、くちゃ……そ、んな」

 

 ぼやける視界の中で口から漏れたよだれが床を濡らして行くのだけが、何故なのだか明瞭に感じられる。

 

「……けれど、それを達成するのには第五の聖獣を取り戻し、なおかつそのコックピットに自らが収まらなくてはいけない。その点で言えば、あちら側のクラードは適任者だったのでしょう。《レヴォル》を取り戻す事に終始していた。でも、不可能なのよ。クラードには出来ない。彼はし損なう。それが予見出来たからこそ、ウルトリクスとしてイリス達は覚醒していた」

 

「メイア。私のフルネーム、言っていなかったわね。私の名前は、イリス。――イリス・エーリッヒ。生み出された時点から、エーリッヒの計画に沿うように造られた、彼のための人形でしかない」

 

「えーりっひ……?」

 

「聖獣のパイロットの一人である、マーガレット・マジョルカだけはこの計画の行く末に勘付いていたようだけれど、彼女も死んだ。月面まで残り三十分もない。最後の問答にしましょう、メイア。エーリッヒの遺したもの、それはこの次元宇宙において優位性を伴わせるための、自己のためだけの転生体。レヴォルの意志に適合し、そして《フィフスエレメント》を手足のように動かせる、自身の仮初の肉体が必要だった。精神がテスタメントベースに封印されている以上、ある程度自走するだけの肉体が必須だったのよ。いずれレヴォルと呼び合い、そして封印を解かれた自分へと舞い戻るための。……ここまで言えば、分かるでしょう? メイア、あなたは戦場で一度死んだ後、特別なライドマトリクサーとして新生した。あなたはエーリッヒ・シュヴァインシュタイガーのための器、彼の理想を叶えるための転生体なのよ」

 

 分からない。

 

 慄くよりも先に、世界の感覚が薄らぎ、何もかもが曖昧になっていく。

 

 分からないのに、どうしてなのだか、涙が伝い落ちていた。

 

「……ボク、は……」

 

「あなたの歌が世界を席巻していたのはね、それがライドマトリクサーや思考拡張者にとって耳触りのいい波形パターンだったから。いずれ自分達を覚醒させるのと同一の歌声、世界を呪う災厄の担い手。あなたの歌声は、レヴォル・インターセプト・リーディングの波形パターンと全く同じ。だからね、あなたは……宇宙最強のアーティストじゃないの。いずれ世界を破滅の淵に落とす……“罪付き”のメイア」

 

 何もかも分からないのに、どうしてなのだろうか。

 

 これまで積み上げてきた偉業も。

 

 これまで積み重ねてきた名声も。

 

 これまで努力してきた思い出も。

 

 これまで抗ってきた記憶も。

 

 これまで――そんな世界でも愛おしいと思ってこられただけの、羨望も。

 

 がらがらと崩れ去っていくのだけはハッキリしていたのは。

 

「メイア。少し眠っていてもらうわ。目が覚めた時、あなたは月面のテスタメントベース跡地に封じ込められている《ガンダムレヴォル》覚醒機たる、《ガンダムレヴォルヘブンズオーダー》を操ってもらう。その呪われた歌で、世界を滅ぼして。それがあなたの、最後のライヴになるわ」

 

 首筋に何かが打ち込まれたのを関知した瞬間、意識は泥のような眠りに落ちようとしていた。

 

 だが、その前に一つだけ。

 

 ただ一つだけ、聞かなければいけなかった。

 

 絞りカスのような意識の末端で、メイアは口にする。

 

「……まー、しゅ……ぜんぶわか、って。り、よう、した、の……?」

 

 最後の最後、マーシュの顔を覗き込もうとして、彼女は目線を逸らしていた。

 

「……当たり前でしょう。私はあなたにとって、最悪の人間だったのだから。演じるのも疲れたわ」

 

 その言葉を聞いて、メイアは安息の中に漂っていた。

 

「うそ……つき……だ、ね……」

 

 

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