『これは……やめさせろ……! どうなっていると言うのだ!』
ダーレットチルドレン達は、お互いの思考拡張脳波でさえも遮断されていくのを感じ取っていた。
『……思考拡張による同期処理が上手く行かない……あの歌のせいか! 《レヴォルヘブンズオーダー》……!』
ぶつり、ぶつりと総体である彼らは己を構成する要素である全てが暗礁の中に飲み込まれていくのを感覚する。
それは思考拡張を贄とするダーレットチルドレンにとって最も強い毒――。
『やめ……させ、ろ……! 万華鏡、ジオ、クランスコールは……!』
『万華鏡はもう死んだ……』
『では奴でいい! 識者の理論のヴィクトゥス・レイジを使え!』
『ヴィクトゥスは我々が殺した……!』
『他に居ないのか……! 他に、我々を……守護出来る存在は……ッ!』
思考拡張脳波が揺らいでいく。
接続されていた世界とのネットワークが崩れ、ダーレットチルドレンはこの来英歴で取り残されていた。
『誰か……! 誰か居ないのか! 我々を……ここで死なせれば……!』
『六十億が逼塞するぞ……! 人類は、また野蛮人の理論を振り翳すのだ! そんな時代に戻ってはならん! 衰退だけは……断じて……!』
「随分と傲慢と怠惰に成り下がったではないか、ダーレットチルドレン。我を滅殺した時とは雲泥の差だな、これは」
割り込んできたのは月面よりこちらを仰ぎ見る単体の人型であった。
『エージェント、クラードの中に居るのだな……! エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……!』
『貴様を滅すれば、この現象が終わるのならば……我々は最後の手を打とう』
「何をすると言うのだ。もう手などない。来英歴の人類は、このまま終焉を迎える。我の用いた手札と、貴様らの用いた手札。ここまで拮抗してきたがやはり……切り札は最後まで取っておくものだ」
《レヴォルヘブンズオーダー》より思考拡張脳波を上書きする強烈な歌声が響き渡る。
『……なるほど、それは確かにそう……だな。切り札は最後まで取っておくもの。よく……吼えたものだ。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー……! 封じ込めておいた鬼札も、ここで効いてくると言うもの! ……最早、制御の必要性もないか。さぁ、我らを導け。――ミセリア・リリス』
『――仰せのままに』
とん、と水鳥が飛び立つように軽やかに。
それは顕現していた。
『……何だ、これは。《サードアルタイル》が……どうして、まだ……動く……?』
心臓を奪い、権能を取り去ったはずの《サードアルタイル》が駆動し、全身に紫色の血潮を充填させる。
相手方のMSが駆動する前に、《サードアルタイル》は両手両足を縛る微細な糸を断ち切っていた。
天使の輪を想起させる駆動系統が赤く輝き、《サードアルタイル》の単眼に灯火が宿る。
「……まさか……」
『そうだとも。ここまでご苦労だった。貴様は言っていたな? 《サードアルタイル》は人殺しのための聖獣ではなく、方舟……! その本質は搭乗者の深層意識を呼び起こす! 貴様がこの来英歴に転移してきたように、この《サードアルタイル》もまた! 呼び声に呼応する! パーティクルビットでエーリッヒの器共を蹴散らせ! ミセリア・リリス!』
直後、虹色の激震が月面を震わせていた。
「いかんな。……相手のほうが僅かに思考拡張の濃度が上だ。このままでは食い潰されるぞ、クラード。……そんな事、言われずとも分かっている! これは……!」
自信の喉を想定外の形で震わせるエーリッヒの意志に、クラードは月面を薙ぎ払う敵意の刃を目の当たりにしていた。
――曰く、それこそが本来の姿。
曰く、封じ込められてきた、神々の権限。
《サードアルタイル》は人間が初めて地を踏み締めたかのように、これまで浮遊してきた躯体を、重く月面の大地へと項垂れさせていた。
虹の皮膜が生じ、自分だけではなく合流してきたラムダの《ゲシュヴンダー》を粉砕していく。
『こちら! 《ゲシュヴンダー》一号機! 何故……! 何故、聖獣の心臓を奪い取ったのに、こいつはまだ動いている……!』
「簡単な帰結だ。《サードアルタイル》には元々、心臓などない。彼奴等の言う通り、あれは方舟。聖獣の心臓に相当する部位ががらんどうであった。だがそれでも、我の次元宇宙においてはこの来英歴の機械人形共を蹴散らすのには十全な装備を施されている。そして、それを操るに足る存在と駒が揃ったのならば、容易なる結末であろう。……黙っていろ! 今は俺が……!」
拳を握り締め、脳髄に寄生する老爺を振るい落とそうとするが、その時には《ゲシュヴンダー》に向けて一閃が放たれていた。
堅牢であるはずの《ゲシュヴンダー》が容易く紙切れのように両断される。
「……これが、《サードアルタイル》の本来の力だとでも……? 言ったはずだ、エージェント、クラード。我の次元宇宙では、所詮この来英歴の技術など、千年前の些末事。しかし火だけは同じだと。火は同じく、他者を焼き尽くし、粉砕する。どこまでも等価な、力の権限よ。加えて聖獣の心臓を喰らったようだ。第四の聖獣の断絶概念か」
《ゲシュヴンダー》が散開機動に移り、ラムダの艦砲射撃による援護を受け、再び宇宙の常闇に掻き消えようとする。
しかし、虹の牙は迷う事なく、一機また一機と貫いていく。
『光学迷彩が通用しない……!』
「熱光学による錯乱など、児戯に等しい。今の《サードアルタイル》は狂戦士そのものだ。仕込まれていた彼奴等の思考拡張の土台を踏んで、完全な走狗の状態にある。エージェント、クラード。このまま見過ごすつもりか? ……何を言いたい。この状況を招いたのは、貴様らでもあるだろうに……!」
怒りで脳内が白熱化していきそうであったが、それでもいやに醒めた思考回路が遮断する。
「このまま《サードアルタイル》が《レヴォルヘブンズオーダー》を止めれば、なるほど、我の仕組んだ狂乱は終わりを告げるだろう。しかし、その代償として、貴様らはダーレットチルドレンに勝ち逃げを許す。時間も少ない。……だから、何を言いたいんだ、貴様は……!」
《サードアルタイル》の太刀筋が銀色の大地を断ち割る。
このままではいずれ頭打ちが来るのは必定。
そして――遥か彼方、ダーレットチルドレンの搭乗するIMFは今にダレトへと向かおうとしている。
「貴様にはまだあるはずだ。手段……いいや、出せる手札がね。あれと契約したのは我ではない。あくまで、貴様の自由意思の下に、手綱を握るのが正しかろう。……あれ……?」
クラードは月面に横たわる《ダーレッドガンダム》の残骸へと視線を据えていた。
「……まだ、動くと言うのか……? 知っているはずだ。《ダーレッドガンダム》はこれまでも、超再生現象を巻き起こした事がある。ならば、心臓を奪われたわけではない状態なら、修復が可能だと。何よりも、《セブンスベテルギウス》は時間を掌握する。つい先刻射抜かれた程度の傷口は、造作もないはずだ」
クラード本人も、その可能性には思い至っていた。
だが、確証がない。
何よりも――自分の中に巣食うエーリッヒの声に従っていいのか。
しかし時は無情にも消え去っていく。
《サードアルタイル》が直上の《レヴォルヘブンズオーダー》を仰ぎ、その単眼へと虹の重粒子を集束させていた。
「……地上で撃っていた、あの砲撃か……! 今の《レヴォルヘブンズオーダー》では、避ける事も……! 決断しろ、エージェント、クラード。我を疑ったまま全てを失うか、あるいはその手で、奪還の決意を固めるか」
分かっている。
分かっているのだ。
エーリッヒは三年間、自分の中に潜んでいた。
だから――自分がどうするかなど最早分かり切っているはず。
だと言うのに問答を重ねるのは、あくまでも自分の力が必要だから。
望まなければ、願わなければ――世界への叛逆は成し遂げられない。
それがたとえ、強制された形であれ。
クラードは奥歯を噛み締め、自身の内奥へと言葉を投げていた。
「……今の《サードアルタイル》には、ファムが乗っているはずだな? 何だ、まだあの娘を救おうと言うのか。分かっているはずだろう。先の思考拡張脳波で操られしミセリア・リリスとは、あの娘だぞ? まさしく、不幸の象徴(ファム・ファタール)に相応しいな、これでは。……ふざけるな、そんな結末は、俺が許さない……!」
だから、力を行使する。
だから、自分の出来る最大の権能を使って。
クラードは肉体の奥から、声を迸らせていた。
「――来いッ! 《ダーレッドガンダム》……!」
胸元を射抜かれ、四肢を砕かれた《ダーレッドガンダム》の骸が、次の瞬間、白銀の色調を帯びて掻き消えていた。
クラードは感覚する。
己を中心軸にして再構築される――《ダーレッドガンダム》の鼓動を。
全ては元通りになる。
グラッゼとの死闘を演じた際に穿たれた眼窩も、貫かれた躯体も、バラバラに弾け飛んだ全てが。
月面に滞留する物質粒子さえも巻き込んで、逆巻いた事象宇宙の再生現象に《サードアルタイル》が注意を向ける。
クラードはその右腕を翳していた。
次の瞬間、《サードアルタイル》より白い光芒が放たれる。
物質世界の理を突き崩す威力を誇る聖獣の雄叫びを――同じく禁じられし聖獣は右腕の鉤爪で受け止めていた。
重力が生じ、クラードは再び《ダーレッドガンダム》のコックピットへと舞い戻ったのを感覚する。
「……行くぞ。《ダーレッドガンダム》。ゲインを――ぶち上げろ!」