機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第304話「ファム・ファタール」

 

 接続口へとRM施術痕を突きつける。

 

 可変した両腕と、そして全身に至った施術痕を読み取っての瞬間的な装着。

 

 肉体が転変し、獣の鉤爪が黒白の輝きを帯びていた。

 

「距離を……詰める!」

 

 鉤爪が握り込まれる。

 

 直後には、《サードアルタイル》との物理距離が――殺されていた。

 

 ダーレッドバスターを応用した絶対的な距離そのものへの相殺処置。

 

 肉薄したこちらに対し、《サードアルタイル》は迎撃準備でさえも出来ていない。

 

 パーティクルビットが構築される前に、クラードは満身より吼え、鉤爪を振るう。

 

《サードアルタイル》の表皮が引き裂け、地面に慣れていない躯体はそのまま無様に大地を滑っていた。

 

「こいつには聖獣の心臓がないんだったな! エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー! なら……!」

 

 貫手の形に鉤爪を固定し、つい先刻《ゲシュヴンダー》が射抜いた部位へと差し込む。

 

《サードアルタイル》のパーティクルビットが全方位より狙い澄まし、次の瞬間にはその火力を前に《ダーレッドガンダム》の装甲は砕け落ちるかに思われた。

 

 ――しかし、自分もまた波長生命体であるのならば。

 

 可能なはずだ。思考拡張脳波で呼びかける事が。

 

「……戻って来い! ファム……!」

 

《ダーレッドガンダム》が砕かれるか、それとも《サードアルタイル》の躯体が内側より爆ぜるか。

 

 永劫にも思われたそのレイコンマにも満たない時間の隙間へと、クラードは赴いていた。

 

 降り立ったのは白の空間である。

 

「……ここは……煉獄、か……」

 

「理解が早いではないか、クラード」

 

 自身の背後に佇むエーリッヒには眼もくれず、クラードは歩み出していた。

 

 この空間には武器は持ち込めない。

 

 悪意も、ダーレットチルドレンの持つ思考拡張脳波もであろう。

 

 だからこそ、向き合える。

 

 ファムはその場に蹲っていた。

 

「……ファム。お前は……」

 

「来ないで。軽蔑したでしょう? エージェント、クラード。私はファム・ファタールじゃない。ダーレットチルドレンの尖兵、ミセリア・リリス」

 

「……何も違わない。お前は、ファムだ。あの日……デザイアで出会った日から……」

 

「そう――かしらね……!」

 

 飛びかかってきたファムはこちらの首を締め上げる。

 

 殺意の宿った瞳は平時の紫色ではなく、瑠璃色に染まっていた。

 

「……ミラーヘッドの蒼のようだ、まるで」

 

「悠々としていられる? あなたは私に殺されるのよ! 煉獄とは言え、死ねば同じ……!」

 

「そうか、俺はお前に殺されるのか」

 

「そうよ……! あなたは馬鹿を見た! こんな女を信じていたんだって、後悔しながらね……!」

 

「だが、俺の知っているファムは悲しむだろうな」

 

「どうかしら……! ファム・ファタールと言う人格は最初から存在しない……!」

 

「じゃあ何故――泣いているんだ?」

 

 こちらの問いかけにファムは――否、ミセリア・リリスは当惑していた。

 

 自らの頬を伝う熱に、ミセリアは硬直する。

 

「私が……泣いている……? どうして……?」

 

「俺達を欺くのならば、もっと早くに、お前は出て来るべきだったな。ファムには、もう心がある。がらんどうのままじゃない。ましてや、不幸の象徴でも……」

 

「こけおどし……! ここであなたを絞め殺せば、同じ事でしょう!」

 

 首を締め上げる力が強くなる。

 

 しかしそれと同時に、ミセリアは咽び泣いていた。

 

「どう、してぇ……っ! どうしてなのよぉっ! この私は……! 《サードアルタイル》を動かすために生み出された、最強の思考拡張の使い手! ダーレットチルドレンの尖兵、ミセリア・リリスでしょう……っ!」

 

「意味存在は、そんなものに集約されない。ミセリア・リリス。お願いだ。ファムを、返してくれ」

 

「お願い……? お願いですって? 笑わせるわ! あの鋼鉄のエージェント、クラードが私に懇願するなんてね! 大人しく返してあげると思ってる? 最初から! ファムなんて子は居なかったのよ!」

 

「……ファムを返してくれ。俺の願いはそれだけだ」

 

 ミセリアは眉を跳ねさせて締める力を強くする。

 

「……後悔する事ね、クラード。あなたは何にも成し遂げられないまま、ここで死んで行く。《ダーレッドガンダム》の力があったって、あなたは女の子一人助けられない」

 

「メイア・メイリスも救う。ファムも助ける。……どれだけ傲慢と言われようとかまわない。俺の望みを叶えるためなら、誰が敵だっていい」

 

「その結果が! こうして私に殺されるのだから、あなたは愚かしいのよねぇ……!」

 

 分かっている。

 

 ここでの死は、現世の死に直結する。

 

 それでも、クラードは願い続けていた。

 

 祈り続けていた。

 

 ファムが――ミセリアの人格に負けるはずがないという事を。

 

 ミセリアは破滅を願う人格かも知れないが、それでも自分の知っているファムは――。

 

「……俺の知っているファムは、人の死に涙出来る……そういう人間だ。誰かが傷つけばそれ相応に苦しむし、誰かが居なくなれば自分に出来た事を模索する。ファムは……お前らの言うような都合のいい操り人形じゃない」

 

「そんなの! 馬鹿の言い草よ! ファム・ファタールはもう死んだ!」

 

 クラードは瞑目していた。

 

 ここでミセリアに殺されようと、それが最悪の結果に成ろうとも自分は――ファムを殺せない。

 

 その結論だけが明瞭に出ているのならば、何も余分な事を考えるものか。

 

 やがて、指先が首筋の皮膚に食い込むかに思われた、その時であった。

 

「……何でぇ……っ! 何で、何で、何で……っ! 何で殺せないの! エージェント、クラードを殺すための方策はずっと練っていたはず! こうなる事は分かり切っていたはずなのに……! 何で私はぁ……っ!」

 

「もう、お前にも心がある。ミセリア・リリスとしての心だけじゃない。ファムとしての心だって。だから、お前はこれまで俺達の戦いを見てくれていた。その度に感じ入る心くらいはあったはずなんだ。何の感情もなく、世界への叛逆を遂行出来るはずがない。俺は――お前とは一蓮托生だと、思っている」

 

「私は……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーと、ダーレットチルドレンの思考拡張のハイブリット体よ! 選ばれし人類だって言うのに、……だって言うのに……私を許せるの……?」

 

「許すも許さないもない。俺は、ファムとお前を信じてみる事にしただけだ。信じて馬鹿を見たとしても、それでもいい。俺はもう、疑って生きる事には疲れたんだ」

 

「……だから、何でぇ……っ! あなたを殺すために……私はずっと居たのよ! この子の中に……! だってのに……ぃっ、あなたを殺せない。あなた一人、くびり殺せないなんて……!」

 

「それがお前の善性なんだ。ミセリア・リリスと言う自己は、俺を殺す事を望んでいない。そして、もう一つ。ファムの幸せを願っている」

 

 ミセリアは目を見開いて叫んでいた。

 

「そんなもの! 吐いて捨てるような価値でしょうがぁっ! ファム・ファタールなんて女の子は最初から居なかったって言うのにぃ……っ! 私が……あの子に……情けを感じていたって……?」

 

「ミセリア・リリス。もう一度だけ、言う。ファムを返してくれ。無理やりじゃなくっていい。お前の意志で」

 

 何故ならば――ミセリアもまた、苦しんできたはずだ。

 

 自身の背負う十字架。

 

 ダーレットチルドレンにいずれ操られ、その傀儡としてこの世に生を受けたという事実に。

 

 だから、これは奪還ではなく、願いでしかない。

 

 指先が硬直したように跳ね、ミセリアの肉体はゆっくりと離れていく。

 

「……私の、意志、で……?」

 

「そうだ。お前が返したくないのならば、それでいい。だが、俺は諦めが悪い。ファムを取り返す、そしてお前も救う。それでは駄目なのか」

 

「駄目なのか……って……だってそんな道は……存在しない……っ!」

 

「ある。この世にはあるんだ、ミセリア・リリス。お前はまだ、きっと世界を知らないのだろう。それでも、ファムの中で見聞きした事はあるはずだ。これまでファムの眼を通して、世界の美しさを知って来たはずだ。ファムは他人を恨むような人間じゃない。だから、見て来たものは一つだって、濁っていなかっただろう?」

 

 クラードは起き上がり、へたり込んだミセリアへと手を差し伸べる。

 

「ファムを返してくれ。ミセリア・リリス」

 

「……けれどファムを返したら、私の存在意義はなくなってしまう……」

 

「俺はお前も救う。簒奪者だと罵られたっていい。お前がこの世に生まれ落ちた事に負い目を感じる事なんてないんだ。ミセリア・リリス。俺と一緒に来い。まだ……この世界にはどうやら、価値があるらしい」

 

 それに、とクラードは言葉の穂を継いでいた。

 

 今しがた、思い返したように。

 

「……極上のオムライスを……食べてみたいと思わないか?」

 

「オム、ライス……? 何言って……鋼鉄のエージェントが、最後の最後に言う言葉がそれなの……?」

 

「俺はまだ、何もかもを取り戻したわけではない。だから、分からない事だらけなんだ。だが……分からない世界の中で、一緒に歩みたいと願った人が居た、そう思えた誰かが居た。……だからその願いの灯を、消したくない」

 

「馬鹿げているわよ。エージェント、クラード。あなたはきっと、馬鹿げている」

 

「……かもしれないな。俺もここまで来るのに壊れ切ったのだろう。それでも……取りこぼすくらいなら、俺は強欲でも、前に進む」

 

 ミセリアはこちらの手を取る。

 

 彼女は顔を伏せ、けれど、と小さく口にする。

 

「……あの子にはじめてを取られるのだけは……嫌」

 

 腕を引き寄せられ、そのままミセリアの顔が大写しになったかと思うと、くちづけが交わされていた。

 

 クラードは放心したようにそれを眺める。

 

「……キスははじめてだった? エージェント、クラード。……バイバイ。私はあなたの中で……そしてファムの中で、生き続けるわ。身体は返してあげる。けれどあなたの心に……ほんの小さなささくれだけを残して、消えていくの。……悪女でしょう?」

 

 微笑んだ途端、ミセリアの身体が脱力してその場に倒れ込む。

 

「ミセリア……!」

 

 身体を抱えたクラードが呼びかけると、ゆっくりとその瞳が開かれていた。

 

「……ミュイ……?」

 

 薄紫色の瞳孔が自分を捉え、それから首を傾げる。

 

「……クラード、かため……へんだよ?」

 

「片目……?」

 

 瞬間、右目が疼き、後ずさる。

 

「……これは……俺の中に、生き続けると言うのは、そうか……そういう意味……か」

 

 指の間から白く濁った粘膜が零れ落ちる。

 

 クラードは新たに開かれた瞳で、世界を捉える。

 

「……俺の中で、生きると言う意味。……受け止めたよ、ミセリア・リリス。お前の眼差しを……俺は引き受けよう」

 

 瑠璃色に染まった右目の瞳孔が絞られ、逆三角の紋様が浮かび上がる。

 

 重なったのは、正三角形。

 

 六芒星を宇宙の色彩を帯びた瞳で写し取り、クラードはその命の篝火を燃やす。

 

 右目が燃え盛り、奥歯を噛み締めていた。

 

「……行くぞ、《ダーレッドガンダム》」

 

 直後には現実の視野へと引き戻されたクラードは《ダーレッドガンダム》の鉤爪を翳していた。

 

 狙いを絞り、ダレトへと赴こうとするダーレットチルドレンのIMFを照準する。

 

『……まさか。ミセリア・リリスが……敗北した……?』

 

『違う……。ミセリア・リリスの思考拡張は、生きている。まだ感じられるが、それが何故……何故、あの機体から感じられると言うのだ……! 何をした! エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー!』

 

「何も。我は本当に、何もしていないとも。しかし、この身体の主が思ったよりも強欲でね。エージェント、クラード。今ならば手繰るまでもないだろう? 彼らの思考拡張を引き受けたんだ。誰よりも明瞭に感じられるはず。……ああ、そうだな。エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。ミセリア・リリスの思考拡張脳波は俺の中に……在る」

 

 見開いた右目が熱く滾る。

 

 瑠璃色の炎が巻き起こり、脳髄を絞る感覚と共に《ダーレッドガンダム》の鉤爪をひねっていた。

 

 それと同期して脊椎の形状をしたIMFに蠢く幾百の悪意を掌握する。

 

『……我々を逆に支配する……?』

 

『不可能なはずだ! そのような事……! ミセリア・リリスは我々の傀儡であったのだぞ!』

 

「……うるさいよ、お前ら。本当に……つまらないんだな。ああ、そうか。これは叛逆でも何でもない。つまらない連中を……ただただ潰す。エージェント、クラードにとっては呼吸よりも何でもない、所作の一つだ」

 

 思考拡張でIMFの制御系へと潜り込む。

 

 ダーレットチルドレンは事ここに至っても抵抗を続けようとする。

 

『だ、誰かぁ……! 奴を叩き潰せぇ……っ! 殺せ、殺すんだぁ……っ!』

 

『何者でもいい! 奴を潰せれば然るべき褒賞を与える! この来英歴を救った英雄として祭り上げよう! さぁ! 誰でもいいから……我々を害する存在を……殺せぇ……っ!』

 

「……つまらない。本当に、心底つまらない。お前らは、ただ生き続けたいだけだろう。ここに来るまでどれだけ、俺が骸を踏み越えて来たと思っている。そいつら一人にすら、満たない。無価値の存在だ、お前らは。生き意地汚くこれ以上の抵抗を続けるのなら――俺が裁く」

 

《ダーレッドガンダム》が鉤爪を叩き下ろしたのと同期して、IMFは月面へと墜落していた。

 

 銀色の砂塵を巻き起こし、機能不全に陥った脊椎だけの躯体へと、《ダーレッドガンダム》は歩を進める。

 

 ゆっくりと、その足取りに迷いはない。

 

『殺せぇ……! 奴を殺せぇ……っ!』

 

『何者でもいいぃ……っ! 誰でもいいからぁ……っ! あの化け物を、殺せぇ……っ!』

 

『祝福は与える! 願うものは何だって……与えよう……! だから奴を殺せぇ……我々を助けろぉ……っ!』

 

《ダーレッドガンダム》が右腕を払い、白銀の鉤爪を開く。

 

 空想の殺人鬼を想起させる凶悪な右腕を貫手の形に構え、IMFを押し潰さんとする。

 

『やめろぉ……! やめて、やめてくれぇ……! 我々を破壊すれば……全てが狂うぞ……! 来英歴の人類のために……!』

 

「うるさいんだよ、お前らは。さっきから思考拡張でちくちく、ちくちくと……。他人の脳波に介入して……ただただ生きていたいと命乞いをする。どれほどみっともないのだか、分かっているのか?」

 

『え、エージェント、クラード! 貴様はただ、エーリッヒ・シュヴァインシュタイガーの怨念に衝き動かされているに過ぎないぃ……っ! 手を組まないか? 我々と組めば、全てを与えよう! この世の全てが手に入るぞ! 来英歴の人間達を支配出来る! 檻の中の人類を、ようやく導けるのだ! それはとても素晴らしい!』

 

「檻の中の人類? その人類の……ただの一個体に潰されようとしている最中に、発する言葉か?」

 

『ああ、あああ、訂正する! 訂正しようとも! エージェント、クラード! 貴様は特別だ! 特段に優れた人類だろう! だから、我々と組めばいい! 我々の力が……約定の思考拡張脳波があれば、どのような存在であろうとも! 全て! 貴様の思うがままだ!』

 

「俺は永遠なんて欲しくはない。ましてや支配なんて、一番反吐が出る言葉だ」

 

『あ、あああ……っ! どうしてなんだ……! どうして、どうしてどうして、どうしてぇ……っ! 欲しいものがあるだろう? どうあっても手に入らないものがあるだろう? どうあったって取りこぼして来たものがあるはずだろう? だから、我々と来るんだ、エージェント、クラード! そうだ! ダレトの向こう側へと、我らと一緒に来ればいい! きっと神の視座が手に入る! 分かるだろう? 進化した人類だと言うのならば……この甘美なる囁きが……!』

 

「……今まで散々、他者を弄んできたお前達が、言える言葉か? 俺は……この世界で、来英歴で生きる。そうして、生きて行けば……真っ当な死に様が見当たるだろう。ああ、そうだ。俺は……人並みに……生きていたいだけなんだ」

 

『逼塞した人類に未来はないぞ! ダレトの向こうにこそ、全てがある! 見てみたいだろう、別世界を! この世を構築する嘘が剥がれた、真の世界を! 分かるはずだ、思考拡張脳波を得ているのならば、この考えが! 正しいのだと言う事くらい! 貴様は……だってもう……他の凡百な人間達とは、違――』

 

「俺は人間だ」

 

 IMFを圧殺する。

 

 途端に、今まで騒がしかった声は消え失せていた。

 

 この来英歴を裏から支配してきた影の者達は、誰にも看取られずに圧死の道を辿っていた。

 

「……これでもう、《レヴォルヘブンズオーダー》を起動し続ける必要もない。《ゲシュヴンダー》を扱っていた、ラムダの連中。メイア・メイリスを止めろ」

 

 枯れ果てた喉で声を搾り、振り返った瞬間、ビームの光条が無数に咲き、《ダーレッドガンダム》の躯体を射抜く。

 

 あ、と断末魔の声を上げるような時間もなく。

 

『《ダーレッドガンダム》……《セブンスベテルギウス》を迎撃。その生存は許されていない。我々、ウルトリクスの計画には』

 

 クラードは一体化した感覚のまま、第二波を肉体で捉える。

 

 機体装甲板が剥離し、《ダーレッドガンダム》が赤い銃弾に撃ち抜かれてバラバラに砕かれる。

 

『撃ち方、やめ』

 

 隊長機らしき《ゲシュヴンダー》がハンドサインを送り、歩み寄ってくる。

 

 その銃口が頭蓋を捉えていた。

 

『私達にとっての未来に、あなたは必要ない。……たとえメイアの存在の裏面であったとしても、あなたは邪魔なのよ。エージェント、クラード。あの厄介なダーレットチルドレンを抹殺してくれたのだけは、礼を言う。けれどそれとこれは、別』

 

 躯体に火を通そうとして、どれもこれも空回りする事に気付いていた。

 

「対聖獣弾頭だ」

 

 自分の喉を震わせるエーリッヒの声に、クラードは宇宙を漂う《レヴォルヘブンズオーダー》より響く歌声を聞いていた。

 

 世界を呪う歌。

 

 世界を壊す歌。

 

 世界を罰する歌。

 

 そんなもの――。

 

「そんなもの……メイア・メイリスは……望んじゃいなかったはずだろう……!」

 

『メイアの気持ちが一端に分かった風に成ったつもり? 私達は……もっと前から一緒だったのに、あの子を突き飛ばしたのよ。奈落の底へと。その絶望が……あなたみたいな後から出てきた人間に……分かって堪るものですか……!』

 

 ビームライフルの銃口が輝く。

 

 一秒に満たない、終わりの引き金。

 

 クラードは何か、言葉を講じようとしていた。

 

 彼女らを説得出来るような何かを探ったが、自分の中身はがらんどうだ。

 

 メイアを想って、メイアの事を考えて――どれもこれも嘘めいている。虚飾めいている。

 

 どれもこれも、彼女らの断腸の思いに遥かに及ばない。

 

 だから、喉から漏れたのは、ほんの小さな、疑問でしかなかった。

 

「……メイア・メイリスを人殺しの道具にするのか?」

 

『メイアの歌でこの世界は幕引きを迎える。それは充分で、それでいて納得出来る、唯一のトゥルーエンドでしょう?』

 

 右腕が奔る――間に合わない。

 

 思考拡張で相手をハッキングする――時間がまるで足りない。

 

 回避行動を取る――馬鹿な、相手が逃がす愚を犯すわけがない。

 

 だから、ここで終着なのだろう。

 

 自分には似合いの、最終局面。

 

《レヴォルヘブンズオーダー》より放たれる悪魔の歌で、この世界は終わる。

 

 ダーレットチルドレンは滅ぼされた。

 

 しかし来英歴は、新たなスタートを切るまでもなく、歌声に沈殿していく。

 

 ここで終わっていいのか、と言う問いかけさえも愚問。

 

 世界は――とっくの昔に終わりを手繰り寄せていた。

 

 だから、罰のように屹立する。

 

 だから、罪のように天国の歌が劈く。

 

 だから、終焉はこうして描くのが相応しく。

 

 だがどうしてなのだろう。

 

 このがらんどうの心に僅かに沁み渡った断片は。

 

 このがらんどうの心を僅かに震わせる心拍は。

 

 このがらんどうの心を僅かに軋ませる悔恨は。

 

 終わりたくない、終わらせたくないと叫ぶ、叛逆の意志は。

 

「……だってそれは……俺の描く叛逆じゃない。俺のレヴォルは……ここに居るはずだ」

 

 胸元を叩く。

 

 カトリナより贈られた結晶体のネックレスが、まだここに在る。

 

 想いの欠片が、まだ自分の中にあると言うのならば。

 

 鼓動は、脈動は、心拍は、心の音は。

 

 終わらせたくないと願うだけの証左があるのなら――叫べ。

 

 この世の終点であろうとも、全てが終わる一刹那の瞬きであろうとも、声をがなり立てて、その証を吼えろ。

 

 それが獣の証でもいい。

 

 ヒトである道を捨てるという事であったとしてもいい。

 

 己の願う、祈る、講じる、贖う、手繰る――この世界への精一杯の叛逆を。

 

 この右腕が届く範囲だけでいい。

 

 だから――「俺がまだ、終わるなと言っているだろう……!」――。

 

 途端、世界は静寂へと沈んでいた。

 

 世界を呪う歌も、ましてや突きつけられた銃口の輝きも、そして終わりに瀕した肉体も関係がない。

 

 クラードは真っ白な世界に投げられていた。

 

「……また、煉獄……だと」

 

 否、終わる前に見ると呼ばれている走馬灯だろうか。

 

「それならばまだ、よかったのだがな」

 

 思考を先回りして、白い老爺が佇む。

 

「……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー」

 

「我も終わるのは惜しい。貴様と融合して、ここまで来たのだ」

 

「……手段はあるんだな?」

 

「それが世界を終わらせる結果になろうともか?」

 

 クラードは赤と瑠璃色のオッドアイで、エーリッヒを見据える。

 

「……俺は元々、容易く終わりを容認出来るほど……出来ちゃいないんだ」

 

「足掻くか? エージェント、クラード。これは奴の言った通り、トゥルーエンドよ。来英歴を蝕むがん細胞たるダーレットチルドレンは貴様の手によって潰えた。全てが! 最高のエンディングを迎えたと言ってもいい! ただ一つ……《セブンスベテルギウス》の生存と貴様と我が生き延びた事を除けば、だがな」

 

「……世界の帳消しに遭うつもりはない」

 

「では何を望む! エージェント、クラードよ! 今度は何を欲する! 力は与えた! 望みも叶えた! その先に何を渇望すると言うのか!」

 

 ミセリアを救ってみせた。

 

《ダーレッドガンダム》の力も手中に置いた。

 

 だが、自分が殺される。

 

 自分の贖いごと、何もなかった事にされる。

 

 そんな終わり――願い下げだ。

 

 骨が浮くほど拳を硬く握り締め、クラードは声にしていた。

 

「……俺が生きていて欲しい……そう願った連中が犠牲になる。それは俺の望んだ叛逆の結果ではない。俺は……! この来英歴を、崩落させる……! そんな結果だけに集約させる未来など、事象宇宙の彼方で消え去ればいい……!」

 

「邪悪だな、クラードよ。その願いは邪悪だ。他者を踏み台にし、崇高なる理念を掲げた者達を殺し、啄み、そして手に入れる、邪悪な未来だとも」

 

「だが醜悪ではない。違うか?」

 

 エーリッヒはその答えに――静かに笑みを刻む。

 

「呼んだな? エージェント、クラード。貴様が、呼んだのだ。その手にあるものを自覚しているのならば、手繰り寄せるべき未来ではなかった」

 

 どくん、と鼓動が脈打つ。

 

 自分のものではない心拍の感覚に、クラードは手の中へと視線を落としていた。

 

 果たして――手にしていたのは白銀の栞。

 

「……MF00、《ゼロポラリス》……」

 

「これで全ての条件がようやく揃う。次元同一個体たるエージェント、クラードがこの局面! ダレトが開いている状態で呼べば、それは来るとも……! もちろん、その叫びを受けて、応えないわけがない! 最後の使者が……災厄の担い手が、やって来るぞ! 全てを終わらせるために! “破局”と名付けられし、その存在は……!」

 

 白に染まった煉獄が焼け落ちていく。

 

 端から黒く濁り、紅蓮の炎の向こう側でエーリッヒは哄笑を上げていた。

 

 クラードはその手の中にある白銀の栞が、まるで何かの標のように脈打っているのを感覚する。

 

 明滅するそれは、兆しの如く。

 

「何を……呼んだ……?」

 

「全てだ! エージェント、クラードよ! これでようやく、終わりだ。終焉だとも! 世界終局への秒読みは、貴様自身の願いによって召喚された! その証を見よ! 空は割れ、天蓋は砕けた! 扉の錠はとうに狂い、呼び声に従ってこの来英歴に来る……! 世界を滅ぼすための救済措置だ! 来るぞ、奴こそが――」

 

 その名を紡ぎ上げたエーリッヒの言葉にクラードが手を伸ばした時には、脳髄の煉獄は暗礁の中に消え失せていた。

 

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