第306話「終焉へと」
祝祭であった。
錦の赤や青の御旗が立てられ、砦の外周を囲う。
それはかつて二十年前に旅立って行ってしまった英雄を回顧する祭りであり、今も空に間違いのように佇む大虚ろへの変わらぬ恐れでもある。
その日、《エクエス》部隊の大規模軍勢は、空砲を放ち、砦の中の人々は一斉に祈りを捧げていた。
無事に帰ってくるように、と幾度となく祈り続け、そして願い続けてきた。
彼らの想いは一つ――この世界を切り裂く革新の刃の帰還。
「あ、あれ」
子供の一人が空を示す。
母親がそれを咎めようとして、茫然としていた。
「……何……あれ」
昏く世界へと是非を問いかけ続けている扉が今、沸騰したようにその表層が泡立つ。
この世界において、ダレトを見据えてきた者達でも初めての光景であった。
「観測班……!」
司祭達が声を張り上げようとしたその時には、ダレトの向こう側より漆黒の影が大地へと落とされていた。
「……黒き……使者……」
掲げられた腕だけで、砦の全体ほどはある巨体に誰もが絶句する。
爪を立て、ダレトを無理やりこじ開けたその巨躯は、相貌を晒していた。
折れ曲がった四本の角を持ち、頭部形状だけでも異質である。
黒い表皮が蠢動し、落日の光景に堕ちた世界で、亀裂の走った口角より乱杭歯が垣間見えていた。
獣だ、と誰ともなく声にした途端、天地を割る咆哮が発せられる。
その獣は雄叫びを上げて世界へと、黒い泥を撒き散らしていた。
泥が大地に至った瞬間、焼け爛れた地表より噴煙が生ずる。
世界そのものが、獣相手に適応していないのだ。
獣の在り方を拒む世界に対し、しかし相手はさらに扉を押し広げて顕現しようとする。
「……何が起こっているんだ……」
誰もが騒然とする中で、娘に手を引かれて彼女はその光景を目の当たりにしていた。
「……あれは……あの子が……クラードが失敗したって言うの……?」
二十年の歳月はまだ幼かった彼の妹が一端の女性に成るまでの時間が経過していた。
「……お母さん。あれは、何なの……?」
問いかけられて彼女は――バーミット・リーブスは返事に窮する。
「……《ガンダムレヴォル》……? いいえ、違う。そんな存在に集約されない……。あれは、世界を滅ぼす……厄災……」
「《エクエス》部隊を出撃させろ! 今すぐに応戦に移れ!」
《エクエス》部隊が武装を固め、出撃しようとした直後に躯体を揺さぶる高周波が放たれていた。
『……これは……オリジナルレヴォルの、干渉波……! 駄目です! 全機、行動不能……!』
「射竦められたと言うのか……オリジナルレヴォルに……!」
司祭達は砦の人々を守ろうと声を飛ばす。
「皆の者は、砦のシェルターへと! あれは……旅立ったはずの《ガンダムレヴォル》に酷似しているが……そんなはずが……」
誰もが困惑するしかない状況で、バーミットは拳をぎゅっと握り締めていた。
「……クラード……あなたが帰って来る事を、皆が祈っているこんな日に……世界が、終わるなんて……」
まさしく終末の光景に相応しい。
終焉の泥が大地を満たし、黒々とした津波が洗い流していく。
他の砦から出撃したMSがダレトより出現した獣へと火線を見舞うが、どれもこれも表層を弾くばかりの豆鉄砲だ。
獣がその腕を振るう。
風圧だけで世界崩壊の序曲に等しい。
粉砕された機体が爆発の光輪を拡散させるのをバーミットは視界に入れ、シェルターへと一路急ぐ人々の波に呑まれていた。
誰かの足がもつれ、バーミットは転倒してしまう。
「お母さん……!」
「大丈夫……大丈夫……だから」
「けれど! もう脚だってよくないんだから……肩を使って。どうして……こんな事に……」
「……クラード。あなたはどうしているの……? 世界は……どうなって、しまうの……?」
次元消失現象に突き落とされたのはこの世界だけではない。
ダレトが接続している全ての次元宇宙へと、真っ黒な泥を吐き出し、事象特異点たる獣が出現する。
――それは既に終わり切った連星でもあり。
――それは黒い地平線がどこまでも続く宇宙でもあり。
――それは技術レベルが遥かに乏しい世界でもあり。
全ての次元において、繋がったダレト一つを通し、獣の顕現を示す。
黒い影に呑まれた獣は、その喉元から叫びを発し、蒼く染まった眼光で睥睨する。
振るうだけで世界そのものの拒絶現象に晒される爪。
そして咆哮が終わりの淵に立った世界を突き抜けていく。
正しく、その現象を捉える事が出来た世界は、きっと少ないだろう。
それでも、誰もが思ったに違いない。
――世界は終わる。
終焉を手繰る獣の名前を、名を知らぬ術を持たない者達でも、脳髄へと呼びかける声を聞く。
「あれは機動戦士……機動戦士、《ガンダムダレト》……。災厄の獣……」