「それにしたって、まさか救難ポッドに女の子が入っているとはねぇ」
窓辺で足を止めていたカトリナへと、手を振って歩み寄って来たのはバーミットであった。
「バーミット先輩……あの、クラードさんの助けた女の子って……」
「あたしが着替えさせたり、髪の毛整えたりしてあげたんだけれど……引っ掻かれちゃった」
何でもないように笑うバーミットだが、左腕に痛々しい包帯を巻いている。
「……どういう人だったんですか? ヴィルヘルムさんやサルトルさんが言うのには、ライドマトリクサーだって……」
「うーん、カトリナちゃんはさ。ライドマトリクサーに関してどこまで知っている?」
「どこまでって言われても……。身体改造施術の職務は一応は有機伝導技術の上に成り立っていますから、二級の内容までは」
「あ、そっか。そういや勉強していたんだったわね。有機伝導技師の資格」
「はい……でも、二級から先は本当に難しくって……。実践的な資格にもなってきますし」
「有機伝導体操作技術の資格かぁ。あたしも昔、取っといたほうが有利だって聞いて取ろうとした覚えがあるけれど、ありゃ駄目だわ。だって他人の身体を改造するとか、やっていられないでしょ」
「で、でもそれだけじゃないはずなんですよ? ……有機伝導技術は思考拡張の部門にもあって、それによって重度のトラウマからの解放や、患者の意識を少しでも楽にする事が――」
「マニュアルみたいな事を言うのね、カトリナちゃんは。でもさー、いざそういうのが必要な艦に来てみて、どう? 自分は役立てそう?」
「それは……」
言葉を濁すのが何よりの証明であった。
バーミットは微笑んで、まぁまぁと肩を叩く。
「まだまだ月軌道までは先なんだから、そんなお通夜みたいな顔をしない! ……クラードとは上手くやれそう? そっちのほうが大事じゃない」
「あの……っ、ちょっとだけ、ですけれど、進歩ありました」
「おっ、そいつは朗報。あの堅物クソガキのクラードがちょっとは素直になってくれた?」
「素直に……は難しいかもしれませんけれど、でもクラードさん、私の事、つまんないだけの奴じゃないって言ってくださいましたし……」
こちらの返答にバーミットは頬杖を突いて応じる。
「それってさ、ようやくスタートラインより三メートル前って感じじゃない? ……あいつの判定って何気に辛いからねぇ。他人の事をつまんないだのつまんなくないだと言うけれど、別にそこまで気にしてやる事もないのよ? つまるつまらないって結局は、あいつの主観だし。つまらない奴認定されたって別にいいのよ。関わんなきゃいいだけの話」
「でもその……っ、私、委任担当官ですのでっ! 関わらないと言うわけには……」
「あー、そうだっけ? 大変ねぇ、委任担当官ってのも」
「お仕事に関しては本当に目が回る日々で……。まさか戦闘艦に乗って月を目指すなんて思いも寄らなかったなぁ……」
「エンデュランス・フラクタルのロビーで、ウケのいい笑顔浮かべて、それでニコニコしてこちらへどうぞー、とかやっているほうがよかった?」
「……いえっ、その……。どんな仕事になっても、全力で立ち向かうのがその……私流ですので。それは本当に、どんな仕事になったとしてもだと思います」
「案外、カトリナちゃんは体育会系ねぇ。……でもこれは先輩からのありがたい一個アドバイス。根詰めたってどうしたって、どうしようもないものはどうしようもないのよ。どんなに頑張ってもね、届かないもんは届かないし、思ったよりも手に届くものだってある。その見極めみたいなのは早めに出来るようになっておいたほうがいいわよ。じゃないと……届きもしないはずの理想に、下手に手を伸ばす癖が付いちゃうとね。何が出来て何が出来ないのかまで取りこぼしちゃう……」
「……バーミット先輩?」
その言葉に翳りを感じて彼女の相貌を窺おうとして、頬っぺたにきゅっと摘まれてしまう。
「カトリナちゃーん、つーかまーえたっ!」
「ふへぇっ? も、もうっ! よしてくださいよ!」
「……まぁ、頑張りなさい。出来る範囲でね。この艦も出来る範囲しかやらない主義だろうし、レミア艦長はそういうタイプの女だからね」
「……レミア艦長の事、よく知っているんですか?」
「ああ、だからって下手にカトリナちゃんに助言したりはしないわよ? あの人はあの人で求めているものが違うし、まぁ見えているものだってね。あの人は何せ、この艦のボスだから。下手打って機嫌損ねると、ボン! よ? いつ破裂するか分からない風船みたいな人なんだから、刺激はほどほどにね」
「……あの、艦長職、大変だと思うんですけれど」
「けれど? 文句とか愚痴なら聞いてあげるわよ。なにせ先輩だし」
「じゃああの……クラードさんとレミア艦長って、過去に何が? だってあの人、死神って呼ばれているって……」
「あら、それはどこで聞いたの?」
「あ、ヴィルヘルム……む、むぐっ……」
慌てて口を噤んだがもう遅い。バーミットは沈痛なため息をつく。
「……なるほど。ヴィルヘルム先生か。あの人もお喋りねぇ。まぁ、さもありなんだけれど」
「あの、どういう意味なんです? 死神とか……。それにクラードさんと……言っちゃなんですけれど、とても親しそうで……」
「なにー、幸せ女のカトリナちゃんでも嫉妬しちゃう?」
「し、嫉妬とかじゃないですよぅ! ……ただそのぉー、一パイロットと艦長の距離じゃないって言うか……」
もじもじとしていると、バーミットはまぁまぁ、と取り成す。
「あの二人に関しちゃあねぇ。似た者同士とも言うか……。ああ、まぁクラードと艦長が恋仲だったとかはないわよ? さすがに年齢が離れ過ぎているしね。でもレミア艦長に関して言うのなら、何で死神なんて呼ばれているのかは、追々教えてあげる」
「へっ……何でですか?」
「後ろ。振り向いてみなさいな」
「後ろ……?」
振り返った先に居たレミアにカトリナは息を呑む。
あわあわと困惑する間にも、レミアは怜悧な瞳を投げていた。
「……で、私が何で死神とかと呼ばれているって話だったかしら?」
「いえ、そのあの……そ、そうだ! バーミット先輩!」
振り返った先では、とんずらーと言い残して通路を折れていくバーミットが手を振っていた。
「……もう。逃げちゃった……」
「で? 委任担当官、カトリナ・シンジョウさん? あなたはこんなところで油を売っている場合?」
「いえその……うぅ……何にも言えないなぁ……」
「クラードに四六時中付いていろとは言わないけれど、彼と彼の連れて来た人達に関してはあなたが専属窓なんだから。仕事はしっかりこなしてもらわないと困るのよ。いくら他人のゴシップが気になってもね」
レミアはこういう時にちくちくと相手の弱点を責めるのがうまい。
若干涙目になっていると、レミアの抱えている書類の中に救難ポッドの書類があるのを発見する。
「それって……例の女の子の?」
「ああ、一応ね。艦長として報告書は見ておく義務はあるから」
「……どんな子だったんですか? バーミット先輩も話したがらないから」
「まぁ、何て言うか野生児ね。噛み付くわ引っ掻くわ。ライドマトリクサーなんだけれど、今のところ照合記録はなし。これは恐らく……仮説に過ぎないんだけれど旧地球連邦軍の専属RMであったのならば可能性はある」
「旧地球連邦の専属ライドマトリクサー……? でもそれって、何十年も前に……」
「そう。地球連邦がその権威を失墜させ、そしてほとんどの全ての権限を外に……統合機構軍や軍警察に投げたのが、少なくとも二十年以上前。だとすればこの子は二十年も前から、あのデブリ帯を彷徨っていた事になるんだけれど……」
「年齢が合わないんじゃ?」
「いいえ、最初期のライドマトリクサーなら、見かけの年齢なんていくらでも誤魔化せるわ。しかもあの子、全身がほぼライドマトリクサー施術の代物だから、オリジナルパーツなんて脳くらいなもんじゃない? それほどの改造施術を受けているのよ。だから、見た目の年齢は当てにならない」
「……それって、地球連邦のパイロットだったって事ですか……?」
「可能性はあるわね。……あのね、カトリナさん。こういうことわざを知っている? 一寸の光陰、軽んずべからずってね。あなたがこうしている間にも、もしかしたらクラード達は問題を起こしているかもしれない。この子……ピアーナに関して、あなたが解決出来るとも思えないのだけれど」
「あっ……でもでも……! そのピアーナって子が、ライドマトリクサーなら! 私にも出来る事の一つくらいは――」
「ないわよ。もし、旧地球連邦の遺物だとすれば余計にね。持て余すくらいなんだから、こんなもの。骨董品のRMなんて、新造艦にあっても仕方ないし」
断定口調のレミアに、カトリナはしゅんとしてしまう。
「そ、そうですか……。そうですよね……」
「この子の処遇は私が決めるわ。あなたはクラード達からあまり目を離し過ぎないように。彼らが下手に暴動でも起こせば、いくらこの艦でも面倒になるわ」
「ぼ、暴動なんて、そんなの……」
「起きっこないって? 何でも、考え過ぎるくらいがいいのよ。まぁそのせいで頭痛の種は消えないわけなんだけれど。クラードがどれくらいの知恵者でも、もしかすると出し抜かれる事だってあるかもしれない。それくらいは考えておくのね。他人の悪評とかを気にする前に」
刺々しいレミアの言葉にカトリナはすっかり参って道を譲る。
「……そんなに言わなくっても……」
僅かに出た文句をぼやいていると、そうそう、と振り向かずに呼び止められてカトリナは心臓が口から出るかと思ってしまった。
「な……何ですか……?」
「クラードの事、しっかり見てあげて。彼は無茶をするタイプだから。だからこその委任担当官なんだけれど」
レミアはまるでクラードと対等のような物言いを使う。
気にかかったのでカトリナは探りを入れてみた。
「……その、クラードさんと艦長って、どういう関係なんですか? だって年齢も違い過ぎますし」
「私が行き遅れているように見えるって?」
「い、いえっ、とんでもない……」
尻すぼみになる自分の声に、レミアは応じていた。
「……そうね。戦友とでも、言えばいいのかしらね。彼との関係は」
「……戦友……」
その言葉を解明する前に、レミアは通路を折れて行ってしまっていた。
「そこでどーんですよ! おれとヘッドがね」
ラジアルにデザイアに居た頃の話をしていると、トキサダもついつい調子づいてしまうのか語尾が明るい。
その言葉に補足したのはアルベルトだった。
「まぁ、あいつは切り込み隊長でしたからねぇ。すごいと言えばすごいんすよ。ラジアルさんにはそういうの、無縁かもしれないっすけれど」
「いえいえ! 面白い話を聞かせてもらっています! ……でも、そんなコロニーで、嫌になったりしなかったんですか?」
「嫌とか、そんな事を考えている暇はなかったですし」
「そうそう! おれ達は無敵の凱空龍だって、そればっかりでしたから! なぁ、ヘッド!」
「あ、ああ、そうだったな……」
自分の言葉がどこかこの場に似つかわしくない事を悟ったのか、それともノリが悪いところを見せてしまったせいか、トキサダは肩を叩く。
「ヘッドってなかなかにカタブツなもんで! 武勇伝とかたくさんあっただろ?」
「あ、ああ……。でもほとんどがクラードの手柄だからなぁ」
どれもこれも、大きな組織を潰せたのはクラードの功績が大きい。
その際に凱空龍は手助けをしただけだ。彼におんぶに抱っこであった事実は拭えない。
「……んだよ、調子狂うな、ヘッド。もっと教えてやれる事もたくさんあるんですよ? ラジアルさん」
「そうですね。色々と知りたいです。演技の勉強にもなるでしょうから」
「いやー、ヘッドから元大女優だって聞かされた時にはびっくりしましたけれど、おれらもさすがに女優さん相手には強くは出れませんって!」
トキサダはすっかりラジアルの魅力の虜のようだ。
ラジアルも男の転がし方くらいは心得ているのか、調子のいいトキサダや他の面子の言葉にいちいち大仰に驚いたりしている。
「でも、それだけの過酷な状況下で、よく生き残られましたね」
「命ミョウガって言うんですか? おれ達にはツイテるんですよ。こんな新造艦に拾ってもらえて、その上、ラジアルさんみたいな美人とお話出来るなんて! なぁ、ヘッド!」
「あ、ああ、そうだな。オレ達はツイテいる、か……」
だが先の戦闘で上手く立ち回れたのはクラードが先行したお陰だ。
その上、自分達の援護射撃で助けられたかと言うとそうでもない。
クラードの世話になっているのは相変わらずなのだ。
凱空龍を率いていた頃と何一つ変わるところはない。
その事実が何だか情けなく思われて、アルベルトは沈痛な気分になってしまう。
「あの、アルベルトさん? 先の戦闘では、よく前に行ってくださって……」
こちらが沈んでいると思われたのだろう。
慰めの論調にトキサダが悪乗りする。
「いやいや! おれ達も役に立てて恐縮です!」
「……クラードは、何を思ってあんなに前に……」
深刻そうな自分に対して、トキサダとラジアルが顔を見合わせて、少しだけ困惑した面持ちを返す。
「その……よかったじゃないですか。こっちには被害はなかったんですし」
「そうだぜ、ヘッド! 気の持ちようだって!」
「……いや、どんだけ言い繕ったって、オレらがやったのはクラードの足を引っ張ったみたいなもんだろ。あいつの戦いを……本当の意味で助けてはやれないのか……」
「深刻過ぎだって、ヘッドは! 第一、おれらの《マギア》じゃ、前に出過ぎて撃墜されたらそれこそしょうがないだろ?」
「そうですよ。アルベルトさんはよくやっています。艦砲射撃も整備済みとはいえ、実戦ではまだまだな部分もあるんですから。《マギア》部隊には助けられっ放しで」
「いや、しかし……」
そこで口をついて出ようとした弱音の言葉を吐く前に、トキサダが通信で呼び出されていた。
『トキサダ・イマイ! 《マギア》部隊の前回の戦闘で被弾した箇所を応急処置しておいた。大した事はないが、ちょっと見に来てくれ。他の面子も同様にな』
「ああ、分かったよ、サルトル技術顧問。じゃあおれはメンテに行くんで。おい! 他のも! おれに続け!」
大それた声量で凱空龍の面々を率いていくトキサダの背中に、アルベルトは自分にはない広さだと感嘆する。
トキサダが調子よくラジアルに手を振って廊下を折れたところで、彼女は言葉にしていた。
「……何だってそんなに不安げなんです? アルベルトさんは」
「オレ? オレは……やっぱ駄目だなって。クラードの戦い振りに頼り過ぎている。これじゃ、デザイアで世話ぁなっていた頃と何も変わらないんです。これじゃ、いけないはず……それはみんな、分かっているはずなのに……!」
悔恨を噛み締めた自分にラジアルは真正面に向き直ってこちらの相貌を覗き込む。
「……あの、近いんですけれど……」
「アルベルトさんって顔に似合わずと言うか、繊細なんですね」
「……せ、繊細で悪いですか。オレは別に、悪ぶろうとかそういうのもないんですよ」
「宇宙の暴走族なのに?」
「それとこれとは別っす。第一、オレが宇宙暴走族の基準でもないって言うか、トキサダとかのほうがよっぽどそれっぽいっすよ。オレは……半端者なので……」
クラードに頼り、今もトキサダ達の在り方をどこか承服し切れていない。
それが半端者と呼ばずして何と呼ぶのだろう。
ラジアルは訳知り顔でこちらと踊るように並び立つ。
「……ラジアルさん、暇なんですか。オレら何かに構ってないで、艦内作業やったらどうなんですか?」
「いーんですよ。現状ベアトリーチェは自動航行モード。もし敵が来ても勝手に迎撃してくれちゃいます。艦長だって、今は書類仕事でしょうし」
「……例の、クラードが助けたって言う、子の事ですか?」
「女の子なんですって。ピアーナ・リクレンツィアとか言っていたかな……。聞いた事あります?」
「……いや、全然。つーか、そんな事オレに話していいんですか? 守秘義務でしょう?」
「もう、今さらじゃないですか。アルベルトさんに隠したって、何もいい事ないですし。それに私、隠し事って苦手なんです」
「まぁ、それに関しちゃ……何となく分かりますけれど」
「あー、今ちょっと失礼な事考えたでしょ? こいつには隠し事なんて出来るはずないって。これでも女優業やっていたんですよ?」
「いや、それは知っているつーか……ラジアルさん、ちょっとは自覚したらどうなんですか?」
「自覚って……何をです?」
きょとんとした眼差しで返されるので、アルベルトは大仰にため息をつく。
「そういうところですよ。トキサダなんかは女への免疫もないから、ついつい言わなくっていい事まで話し過ぎてしまう。そういうの、分かっていて相手から引き出しているところ、あるでしょ」
「……分かっちゃいました? さっきのは我ながらわざとらしい、三文芝居でしたらからねぇ」
「大女優のやる事ですか、それが。第一、オレら相手に芝居打ってどうするんです? 得られるものなんて何もないでしょうに」
「いいえ! あなた達はだって、私とは違うリアルに身を置いているはずなんです。だったら、女優として! 次に舞台に立つ時を夢見て取材するのは当然でしょう?」
やけに芝居がかった声で言うものだから、アルベルトは本気なのか冗談なのか判別しかねる。
「……そういうのも、やめておいたほうがいいんじゃ? オレら相手に何を知ろうって言うのかはどうでもいいですけれど、ラジアルさん、オレの知っている限りじゃ、そこそこ名が知れているんですから。安く見られちまいますよ」
「いいんです! 安くなろうがどうなろうが。それは結局、次の芝居への糧でしかない。どう転んだってただでは起きないのが、私の強みですから」
「……そいつはたくましいこって……。でも、ラジアルさん、本当にベアトリーチェに似つかわしくないって言うか、ただの看板女優なんでしょう? いいんですか? 死ぬかもしれない最前線なんかに来ちまって」
「それはアルベルトさんだってそうじゃないですか。前回の戦闘、危なかったんですよ。敵の第二部隊をクラードさんが察知したからよかったものを」
「それは……何とも言えねぇと言えばそうなんですけれど……。待っているだけってのは、性に合わねぇだけっすよ」
「その辺、私も似ているかもしれません。ただ漫然と待って、それでいい芝居が出来るわけじゃない。それこそ、自分から取材して、体当たりでもいいから向かってみて、それで見えるものもあるはずだって」
「……言い方悪いかもしれないっすけれど、向こう見ずっすね。オペレーターなんてやっていたら一個のミスが命取りでしょう」
「それは舞台に立っていたってそうですよ? 一個のミスが命取り。私一人がとちるだけで、その映画や舞台そのものが台無しになってしまいます」
「……じゃあそんな修羅場潜り抜けて来た大女優が、何だって戦闘艦でオレみたいなアウトロー相手に喋ってるんですか。そんな場合じゃないでしょう」
「それは次に活かすためです。大体、私がベアトリーチェに乗船しているのは、次の映画の出資会社がエンデュランス・フラクタルだからなんですよ?」
「……次の映画って、もうスケジュール入ってるんですか?」
「ええ。三年先くらいまでかな、幸いにしてお仕事をもらえる予定です」
その在り方に羨ましさを感じたわけでも、ましてや眩しさを感じたわけでもない。
ただただ、自分達とは在り方が違うのだと実感しただけ。
「……そうっすか。じゃあ余計に、こんな戦闘艦に居る場合じゃないんでは?」
「でも、ベアトリーチェでの日々は充実しています。アルベルトさんみたいな人にも会えましたし」
「……からかわないでくださいよ。オレなんて茶化したって何にも出やしないんですから」
「そんな事はないですよ? そんな面構えなのに、アルベルトさん、案外乙女なんですから。分からないものですね」
「……オレが、乙女? まさか」
しかしラジアルはそれ以上を言及しようとはしない。ある意味では、それこそが自分のウィークポイントだとでも言うように。
「……あり得ないとは、言い切れないって事っすか」
「人間、自分の事となると見えないものですから。それは時に、誰かの視線からじゃないと全然な事もあります」
「……それ、大女優の言葉と思うと含蓄がありますね」
とは言えこうして雑談をしている暇もないはずだ。アルベルトはこちらへと好奇の目線を振り向けるラジアルに対して後頭部を掻く。
「……そのー、いいんすか。本当なら他の事をやらないといけないんじゃ?」
「そんな事はないですよ? 私とエンデュランス・フラクタルとの契約は、あくまでも専属オペレーターとしての業務と、そして女優業への貢献。だったら、こんな時間だって無駄じゃないはずです」
「……無駄じゃない、ねぇ……言いますけれど、ラジアルさんは――」
そこでアルベルトは言葉を切る。
廊下を折れてこちらに向き直った相手に喉奥が硬直していた。
「あっ、シンジョウさーん!」
快活に手を振るラジアルに対し、アルベルトは視線をぷいっと背けてしまう。
「あっ、ラジアルさんに、アルベルトさん。こんにちは。どうなさったんです? こんなところで」
「宇宙暴走族に関しての取材を行っていたんです」
「取材……。ああ、ラジアルさんは女優でしたもんね。今度やるっていう舞台、楽しみにしているんですよ。チケットも完売間際で取れて」
「本当ですか? じゃあ……そのチケット、もしかしてペアチケットだったり?」
「ええ、まぁ。でも行く相手も居なくって……」
アルベルトへとラジアルは一瞥を寄越すなり、くすっと微笑んで彼女は提案する。
「だったら、アルベルトさんと行けばいいんじゃないですか? 彼、結構映画とか詳しくって、私の出た映画、全部観てくれていたんですよ?」
「本当ですか? アルベルトさん、すごいんですねっ!」
純度の高い笑顔を向けられてアルベルトはまるで蛇に睨まれたカエルのように押し黙るしかない。
むすっとしているように見えたのだろう、カトリナはどこか探り探りの声を発する。
「あれ? 怒らせちゃった……」
「大丈夫ですよ、カトリナさん。彼、これで純なんですから」
「……おい、ラジアルさん。あんたでもそれ以上は……」
「でも、本当に惜しいなぁ。アルベルトさん、結構喋ってみると喋りやすいし、それに何だかちょっと乙女チックで、面白い方なんですよ? 何なら一度お茶でもすれば如何ですか? シンジョウさんも」
「……おい、あんた。何を勝手な事――!」
「えっ、いいんですかね? でも私、お仕事まだまだありますし……」
「いいんじゃないんですか? だって自動航行モードですし、火器管制も生きていますので、今なら何でもし放題でしょうから」
「……あんた、いい加減に……」
「アルベルトさんもぉー、そういうの、お得意でしょう? 女子の扱いは」
ラジアルの微笑みは小悪魔めいていて、それだけで魅せられそうになってしまうが、今はそれ以上に――カトリナのほうを直視出来ない。
「アルベルトさん、映画にお詳しいんなら、盛り上がっていたんじゃないですか?」
「ええ、そう! そうなんです! 本当に色んな芸術にお詳しくって! ……本当に宇宙暴走族なのかなって思うくらい」
「……詳しくねぇっす。ちょっとした嗜みくらいで」
カトリナから視線を外してラジアルに小言を漏らすと、彼女は当惑したらしい。
「あれ……っと、やっぱり私、何かしちゃいましたかね……。何だか機嫌悪そう……」
「いーえっ! これが普通なんですよ。可愛いじゃないですか。アルベルトさん?」
「……うっせぇっすよ。第一、オレはクラードを追ってきたんだ。映画だとか、デー……いや、お茶をするためにこんな戦闘艦に居るわけじゃありませんので」
断とした論調で語るものだからカトリナは微笑みながら困惑顔になってしまう。
「……やっぱり私が怒らせちゃったみたいですね。ラジアルさん、アルベルトさんも、私はお仕事に戻りますね。お邪魔虫みたいなので……」
手を振るカトリナに、アルベルトはじっと睨み返しただけで手は振らない。
しかしいつまでも背中を目で追っていたせいで、ラジアルに口を挟まれる。
「……ヘタレ」
「な――っ! う、うっせぇっすよ! 誰がヘタレなんですか!」
「……何だか分かりやす過ぎてつまんないくらいですねー。小学生ですか? アルベルトさんは」
こちらの声が震えているのも何もかも見透かしたようなラジアルの言葉繰りにアルベルトは目線を逸らして言いやる。
「な、知った風な事、言わないでください。オレは、何でもねぇんですから」
「嘘。あーあ! なぁーんだ。アルベルトさん、シンジョウさんみたいな子がタイプなんだー!」
「で、デケェ声で何言ってるんですか、あんたは!」
頼むから静かにしてくれ、とこちらがカトリナの行ってしまった廊下を気にしながら言うのを、彼女は面白がる。
「ホントーに、なぁーんでなのかなぁー! 目の前に憧れの大女優が居るのに、新卒の女の子ばっかり目で追っちゃうなんてー! ちょーっと失礼じゃないんですかー!」
「だから! 聞こえちまうでしょうが! ちぃと黙っていてくださいよ!」
「……ふふ、アルベルトさんってば、本当に分かりやすくって面白いです。こんな風に男の子をからかって遊ぶのって、もう十年振りくらいかも」
「……あのですね。オレはあんたのからかいの道具じゃないんですから」
「でも、この艦の中じゃ、面白味があるとは思いますけれどね? アルベルトさんの秘密、また一個もらっちゃった」
この女性は小悪魔などではないと思い知る。
真性のドS悪魔だ。
その微笑みが何よりも証明している。
「……オレなんて、どうせからかったって面白味なんてねぇはずですけれど……」
「いいえ? アルベルトさん、本当に純な反応してくれるのでちょっと新鮮です。知ってます? 女子の間で、そういうのが意外と好かれるんですよ?」
「……だから、からかうなって言っているでしょうに」
「……ホントの事なんだけれどなぁ。ま、いいでしょう。アルベルトさん、意外な好みなんですね。シンジョウさんってでも、クラードさんの委任担当官でしょう? ……取られちゃうかも」
「……あいつにも女っ気なんてないですよ」
「どうでしょう? クラードさん、堅物だけれどやる時はやるタイプですし。どうします? シンジョウさん、クラードさんのほうになびいちゃうかもしれませんよ?」
「……だから、あり得ねぇって言っているじゃないですか」
「何でそう言い切れるんです?」
「何でって……オレは半年間とは言え、クラードと一緒に居ましたから。あいつがそんな軽率じゃないって事くらいは知っているつもりです」
「あら? じゃあ本命はクラードさんのほうだったり?」
思わず吹き出したのを、ラジアルはくすくすと鈴を転がすように笑う。
「ち、茶化さないでください! ……ったく、何だってそうなるかなぁ、女ってのは」
「でも、一個だけアドバイスすると、女の子は男の子に自分から告白されるほうがいいって言うのはありますかね」
「……オレが? カトリナさんに?」
「おやぁ? 誰とは言っていませんけれど?」
またしてやられた、とアルベルトは視線を背ける。
「……あれ? 怒っちゃいました?」
「……知りません。オレはこれ以上、もうラジアルさんとは喋りませんので」
「えー、こわーい。怒らないでくださいよぉー」
「……猫なで声出したって無駄なんですから。第一、あんたがオレに何を求めているって――」
そこから先を遮ったのは甘く柔らかな口づけであった。
一瞬だけ呼吸が止まる。
全神経が氷でも差し込まれたかのように冷たくなる一方で、温かな唇の感触だけがリアルになっていく。
思わずアルベルトは突き飛ばしたところで、ラジアルが尻餅をついていた。
「いたーい……。アルベルトさんってば」
「な、何を……!」
「あれ? もしかしてキス、はじめてでした?」
ふふっ、と微笑むラジアルにアルベルトはようやく事の次第が呑み込めてくる。
「き、き……っ、キスって……!」
「なぁーに赤くなってるんですか? 私は初めてじゃないですよ? と言うか、スクリーンで何度か観ていらっしゃるんでしょう? 私のキスシーンくらいは」
その唇に思わず目が行ってしまう。
言葉を紡ぎ出した甘い吐息に、アルベルトは後ずさっていた。
「……お、オレをからかったって! 何がどうってのは……!」
「えー、そんなつまんない事言わないでくださいよ。だって私、別にアルベルトさんの事、嫌いじゃないんですから」
「……き、嫌いじゃないってのは……」
「好きとも言っていませんけれどね」
そう結ばれて、アルベルトは完全に彼女の掌の上だという事を認識する。
「……ラジアルさん。大女優がやる事じゃないでしょう」
「あっ、もう醒めちゃいました? それとも、はじめてのキスの味が思ったよりもそうじゃなかったですか?」
「……あの、いい加減怒りますよ?」
こちらが凄んだものの、ラジアルはウインク一つでそれを掻き消してしまう。
「あ、ならもうおいとましますね。だって怒られちゃうの、嫌ですし」
どこか軽いステップで立ち去っていくラジアルは、でも、と言い残す。
「アルベルトさんとキスするの、別に嫌いじゃないですよ?」
「……それは好きでもないって事でしょう」
「学習よし! まるっ、ですね!」
微笑んで立ち去っていくラジアルの背中がもう見えなくなってから、アルベルトは自分の唇をさする。
先ほどの柔らかい感触と、甘い女の吐息――。
「……何だってんだ、オレは。……戦闘艦で何やってんだ、ったく……」