ミラーヘッドの残像現象を引き写した掌底の二連撃が同時に弾き出され、《ダーレッドガンダム》の内奥に含まれた世界そのものを震わせる。
『……まさか、我は敗れると言うのか……! 全ての事象宇宙と時間消失点に存在する、《ガンダムレヴォル》の存在と“クラード”の可能性によって……!』
《ダーレッドガンダム》が全ての事象宇宙に繋がっている「イフ」の存在そのものなのだとすれば――全ての世界から到来する英雄達の歌と、そして想いこそが邪悪なる存在ごと打ち壊す。
「……《ダーレッドガンダム》が万能であればあるほどに……エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー、貴様が何もかもを乗り越えたからこそ、この策は通じた。一部分でも切り落としていれば、この攻撃は通用しなかった」
『全能である事が弱点だと……! そんな、そのような事が……!』
《ダーレッドガンダム》の姿は最早、形状を伴わせていない。
当然だ。
全ての次元宇宙の力を借り受けるという事は、数多の次元宇宙によって分解されるという事。
《ダーレッドガンダム》はこの世界に生まれ落ちる前の、それこそ物質世界の理の果てへと還元されつつあった。
「《ダーレッドガンダム》と共に、貴様は全てのダレトによって繋がれた世界を経験する事になる。それが何百年、いいや何億年に渡る旅路になるかは分からない。分かろうとも、思わない」
『ああ、嫌だ……嫌だ、我は……ようやくこの究極の躯体を得たと言うのに……。それなのにまた滅ぼされるのか? 呼ばれたから来たのだぞ! だと言うのに……来英歴を、救おうと、して……』
鉤爪がこちらへと伸ばされる。
何かを求めるように、何かに焦がれるようにして、大きく開かれた鉤爪がその先端から物質崩壊し、右腕のマニピュレーターが晒される。
その右腕が、かつての自分の如く世界の答えを懇願するように、天を掴まんとする。
きっとエーリッヒの行動原理はその最後の一言に集約されたのだろう。
――呼ばれたから、救おうとして訪れた。
そこに打算もない。
何もなかったはずだ。
だと言うのに、歪めたのはこの来英歴そのもの。
彼の願いも、彼の志も、何もかも世界が拒絶した。
「……幾星霜の時間旅行の果てに、貴様は最初の願いを……思い出すのだろうな」
黒く濁り、灰色の果てに朽ち果てていく《ダーレッドガンダム》は何の痕跡も残さなかった。
全ての可能性世界と事象宇宙へと、《ダーレッドガンダム》とエーリッヒは召喚され、そしてその旅路が終わる頃には自我も保てまい。
『……終わったんだね。クラード』
「……いいや。まだ一つだけ」
メイアの声にクラードは軋みを上げる機体をダレトへと向けていた。
機動戦士《ガンダムダレト》は依然として、世界の理を捻じ曲げてこの世界に生まれ落ちようとしている。
「……お前もまた、《ガンダムレヴォル》と“クラード”であると言うのならば……。その絶望を呼んだのは、他でもない。俺だ」
しかし、どうする。
《ダーレッドガンダム》とエーリッヒへと最後の一撃を打ちのめした右腕は肘から先が消失していた。
《レヴォルヘブンズオーダー》も左腕を失っている。
「……我ながら満身創痍だな。これでもまだ……機動戦士《ガンダムダレト》を倒さなければならない。しかし、方法論も思い浮かばないんだ。俺に……何が出来るって言うんだ……」
無力感に打ちひしがれた自分へと、メイアの機体が肩を小突く。
『何言ってんのさ。方法ならある。……分かってて言ってるでしょ? ボクは嘘だけは鼻が利くんだ』
「……だがそれは……お前の《レヴォルヘブンズオーダー》と、そして……」
分かっている。
方法ならばたった一つ。
これは《ゼロポラリス》が教えたのか、あるいは先ほどの事象調律現象で脳髄に叩き込まれたのか。
数秒前には思いつきもしなかった方法を、自分は分かっていて言っている。
しかしそれは――冴えたやり方と言えるのだろうか。
むしろ、愚かしさの果てにある、最悪の方法論ではないのか。
「……メイア。俺はお前を……失いたくはないんだ」
『……クラード。ボクは、さ。元々、この世界を……来英歴を滅ぼせって、そう言われて絶望していたんだ。自分でも嫌になるけれどさ、嘘だけは分かる。だからこれは、本当なんだろうね。ボクの存在理由ってのは、エーリッヒのおじいちゃんの言っていた通り、ライドマトリクサーや思考拡張を持つみんなを、不幸にしちゃう歌を奏でる事。でも、さ。どうせ歌うなら、ボクは世界を救いたい。みんな、ハッピーにしちゃいたい! だってそうでしょ? 何もかも最後には、ハッピーエンドが一番いいに決まっているんだから!』
「……だが託された事も、全てが偶然ではなく、必然であったなど……俺は容認したくないんだ……」
『……クラード!』
呼びかけたメイアにクラードは視線を振り向けた途端、メイアは《レヴォルヘブンズオーダー》からこちらへと身体を丸めさせて飛び移ろうとしていた。
クラードは瞬間的な判断でコックピットを開け放ち、メイアを受け止める。
「ははっ! ちょっとした宇宙遊泳って奴!」
「……メイア……」
閉ざされた狭いコックピットの中でメイアはそっと自分の胸元へと指差す。
「……分かっちゃうんだ。クラードのここ、あったかいって。それはきっと、ボクと言う人間が望んだ幸せでもあり、世界を救う答えなんだって事」
クラードはバイザーを上げ、胸元に差した白銀の栞を握り締める。
「……お前を行かせたくない……」
「それは、さ。エージェント、クラードとしての言葉?」
「……いいや。名無しの果て……無価値(ノオト・ポラリス)の言葉だ……」
紡ぎ上げた唇は震えている。
この世でたった二人の、同じ名を持ち、そして同じ過去を持つ人間同士のぬくもり。
それを自ら捨て去る事でしか、世界を救えない。
顔を伏せた自分へと、メイアはそっと手を添えていた。
果たされたのは――ほんの一刹那のくちづけ。
「……ありがとう、ノオト。キミと会えて、本当によかった。あの日! キミに名前を付けて、本当に……よかった!」
メイアは華のように微笑んで、それから白銀の栞を握り締める。
「待てよ、メイア……。お前はあの日……言ってくれただろう? 逃げてもいいんだと……! 逃げて、逃げて、逃げ延びて……! 海の見える家で一緒に暮らそうと……! ほんのささやかな……デートでもしよう……と」
「それはメイア・メイリスになる前に、名前のない少女が望んだ、ささやかな幸せなのかもね。クラード! ボクの分まで、幸せにね! だって、みんな……! みんな! 幸せになるために、生まれて来たんだから……っ!」
白銀の栞を一層強く握り締めたメイアの姿は空間を跳躍し、粒子へと変換されて《レヴォルヘブンズオーダー》へと戻っていたようであった。
『じゃあね! クラード! また会おっ!』
本当に、それだけのように。
今日の約束が終わって、明日の誓いがあるかのように。
また――何のてらいもなく再会出来るかのように。
《レヴォルヘブンズオーダー》は可変し、機動戦士《ガンダムダレト》へと真っ直ぐに向かっていく。
調律の干渉波が押し広がり、機動戦士《ガンダムダレト》が一瞬だけ硬直する。
その直後には《レヴォルヘブンズオーダー》はダレトの向こうへと、遥かなる旅路を漕ぎ出していた。
機動戦士《ガンダムダレト》が吼え立て、世界を破壊すべくその爪を振るい上げる。
「――最後の使者、災厄の担い手を滅ぼす唯一の術だ」
直後にはクラードは、白に塗り固められた世界へと堕ちていた。
煉獄の片隅で、クラードは装甲服を排されて、メイアと向かい合う。
だがその距離は何万歩よりも遠く、そして永劫に分かたれている。
向かい合った距離は一歩にも満たないはずなのに、それが明瞭に分かってしまう。
「ダレトの向こう側と、来英歴のそっち側から、同時に鍵をかける。そうすれば事象宇宙の破壊者である機動戦士《ガンダムダレト》は意味存在を失い……やがて保てなくなって形象崩壊する」
メイアが先ほど掠め取った白銀の栞をそっと持ち上げる。
栞は形状を変え、白銀の鍵へと組み変わっていく。
それと同期するかのように、クラードも腕を持ち上げる。
右手に握られていたのはカトリナから渡された黄金の鍵だ。
鏡合わせのように、メイアとクラードは鍵を突き出す。
「……メイア。俺はお前を……救えなかった」
「大丈夫だって! クラードはさ! やっぱり、ボクじゃない。うん、ボクじゃないんだ。カトリナとファムと、それからイリス達だとか、あとマーシュも……それとアルベルトも……みんなを……あれ? あれれ……?」
メイアはきっとこういう時に全ての決着をつける言葉を吐けると思い込んでいたのだろう。
その頬を伝う大粒の涙に彼女は困惑していた。
「何で、何でなんだろ……? キミとは笑顔で……お別れしたいのにぃ……っ」
「……別れはきっと、美しいものでもないんだろう。だから……俺からも言わせてくれ。――メイア・メイリス。また、どこかで会おう」
片側から言われっ放しなど自分の性分でもない。
それを聞き届けてメイアは少し驚愕したように眼を見開いていたが、やがてフッと笑みを刻む。
「……ああ、そういうの。そういうの言えちゃうから……ズルいんだよなぁ、キミは。……うん、また、会おっ!」
そうして二人同士に、鍵を回す。
カチリと、錠が閉ざされた感覚。
それと同時に、クラードは肉体へと引き戻されていた。
暗礁の宇宙で、ダレトより生み出されようとしていた機動戦士《ガンダムダレト》が呻き声を上げる。
機体の半分以上がこちら側へと顕現していたが、不意打ち気味にその巨大な存在がダレトより滑り落ちていた。
宇宙に開き続けた間違いの象徴のような大虚ろは――この世界に現れた時と同じく、恐らく全ての人類にとっては唐突に――流転して閉ざされていた。
機動戦士《ガンダムダレト》が雄叫びを上げる。
無音の宙域を震撼させたのは断末魔であったのだろうか。
来英歴に呼び出されたその躯体が静かに、月面へと横たわっていく。
黒々とした血潮を撒き散らし、災厄の担い手は絶命していた。
両腕をまるで縋るかのように掲げて、巨大質量が白銀の砂塵を巻き起こす。
機動戦士《ガンダムダレト》の血糊が月に流れ出て、月面の半分を黒く染め上げる。
ダレトは跡形もなく消え去っていた。
クラードは片腕と片足を失った《レヴォルトゥルーオブジェクト》で漂う。
『コミュニケートサーキットを起動。“……クラード。ダレトが閉ざされた。メイアが……やったんだ。もう我がどれだけ声を荒らげようとも、どのような使者も呼び起こされはしないだろう。この来英歴は、ダレトの加護を失い、そして永劫に孤独の時間を彷徨う。きっとそれは、ダレトが開いてからの時間を清算するに余りあるだろう。彼らは再び、混迷の時代を行くのだ。前も後ろも見えないまま……”』
「……違う。右足と左足を交互に動かせば……前にだけは進める。前に……だけは……」
『“……そうか。我も、では行くとしよう。遥かなる旅路に。さよならだ、クラード。お前と共に在ったこの数年間……我はただの役割に縛られない、そういった何かを与えられた気がする。《レヴォルトゥルーオブジェクト》は、これで完結する”』
テーブルモニターに沈み込んでいた《ゼロポラリス》ドッグタグが浮かび上がり、崩壊した頭蓋より宇宙の常闇へと流れていく。
それは自分の下から自由になる、と言う意味であったのだろう。
「……ありがとう、俺に名前をくれて。《ガンダムレヴォルゼロポラリス》。さよなら」
さよなら、さよなら、と。
何度も何度も反芻しながら、クラードは月軌道へと漂い始めたドッグタグを一顧だにしなかった。
振り返れなかったのだ。
ここに至ってようやく――人並みに涙出来た自分を、見せたくなかったから。
やがてドッグタグは――オリジナルレヴォルは誰にも看取られる事のない、遥かで穏やかな死へと向かっていくのだろう。
死が存在し得ない波長生命体は、こうして未来へとようやく踏み出す。
ようやく、右足と左足を交互に動かして、前へと進める。
黎明の光が、色彩を失った《レヴォルトゥルーオブジェクト》を照らし出していた。
クラードは頬を伝う熱を止められないまま、生命の帰る場所である青き星へと目線を投げる。
ミラーヘッドの蒼ではない――宇宙に旅立ち、命を散らした者達を温かく受け止める、水の星へと。
RM接続を解除し、コックピットハッチを風圧で吹き飛ばして、クラードは朽ち果てた《レヴォルトゥルーオブジェクト》に踏み出す。
無重力空間を漂い、そして枯れない涙に染み入る朝陽の光を瑠璃色の瞳で受け止めていた。
「……おはよう、世界。ようやく、新しい、朝が来た」
昏睡に堕ち果てていた世界へと、呼びかける。
悪夢の時は幕切れ。
さぁ――朝が来る。
次週、エピローグ「瑠璃色の地球と深紅の花へ」で完結いたします。
最後までよろしくお願いします!