その伝令がもたらされた瞬間、カトリナは駆け出していた。
「艦内は警戒中よ」
そう声がかかったが構いはしない。
今だけは、と息を切らして向かった先はピアーナが軟禁されているはずの区域であった。
扉のパスコードを打ち込む間も惜しく、先走った気持ちが開け切る前の扉の向こうから呼びかける。
「ピアーナさん!」
返答はない。
まさか、と鼓動が早鐘を打つ。
「ピアーナさん! ピアーナさんっ!」
ピアーナは項垂れた姿勢のまま、硬直していた。
まさか、クラードは《アルキュミア》を破壊し、ピアーナの命まで奪ったのか――最悪の想定が浮かんだその時には、カトリナは強化ガラスを叩いて呼びかける。
その声音は熱を帯びており、急かすように強化ガラスを打ち叩く。
「ピアーナさん! ピアーナさんっ……そんな……死なないで……」
「あの……勝手に殺さないでもらえますか、カトリナ様」
ばつが悪そうに瞼を上げたピアーナに、カトリナは思わず涙を流す。
「ピアーナ……さん……生きて……」
「どうやら、そのようですね……。あのクラードとか言うの、《アルキュミア》を殺し切らずに、乗っていたライドマトリクサーだけを無効化するなんて、危険な真似を」
「き、危険なのはピアーナさんもそうじゃないですかぁ……。よかったぁ……」
へたり込んだ自分に対し、ピアーナは目を白黒させる。
「……失礼ですが、何でカトリナ様がそこまで? わたくしにそうまでする縁がないでしょう」
「何言ってるんですか。もう充分に縁ですよ。……だってピアーナさんは、私のやる事を、間違っているとは言わなかったですから。なら、私は私の仕事をします。それが正しいんだと……信じて」
「……申し訳ありませんが、変わっていると、言わざるを得ないですね。もう十年以上は他者とは交わってはいない身ですが」
「それ、ピアーナさんが言っちゃったら駄目じゃないですか。私は普通ですよぅ」
唇を尖らせて抗議すると、レミアの声が艦内に響き渡る。
『クラードが撃墜してくれたお蔭で敵の陣形は総崩れよ。今なら迎撃出来る。このまま応戦しつつ、デブリ帯を突破。ベアトリーチェは月航路に向けての針路を取ります。それと……カトリナ・シンジョウさん? オープン回線のまま喚かないでもらえる? 一連の取り乱しようは艦内周知の事実だけれど、大丈夫そう?』
「えっ……うわっ……しまったぁ……。付けていたヘッドセットがオープンだったんだ……」
思わず顔を見合わせると、ピアーナはぷっと吹き出す。
「わ、笑わないでくださいよぉ!」
「いえ、その……本当に……! でも、何だかこうして笑ったのは……すごく久しぶり……」
清々しい面持ちのピアーナに、カトリナは声をかけようとして繋がった回線に応じていた。
「もうっ、艦長。私をこれ以上、晒し者にするつもり――」
『何言ってるんだ? あんた、相変わらず駄目だな』
「く、クラードさん? えっ、何で? 交戦中なんじゃ……」
『あらかたの敵はアルベルト達が掃討してくれたよ。俺はもう艦内に戻っている。それで? ピアーナは生きてる?』
「あっ……生きてます。そのっ……ありがとうございます。ピアーナさんの事、きっちり考えてくださって……」
『生きてるんならいいんだ。《アルキュミア》も回収した。敵の残存戦力はアルベルト達が迎撃しつつ、ベアトリーチェはデブリ帯を抜ける。そうすれば、俺達は月航路まで、だ』
「一ついいですか、クラード」
呼びかけたピアーナに、カトリナはマイクを彼女へと向ける。
『……何だ? どこを壊せばさすがにまずいのかはライドマトリクサーなら分かる。それを狙っただけだよ』
「そうではなく。貴方はわたくしを殺したって特に不利益はなかったはずです。何故……生かす事に決めたのですか?」
返答には僅かな間があったが、クラードは応じる。
『……殺しても益がないんなら、一思いにやれと言う奴以外には、別の選択肢だってあっていいはずだろう。俺はそうした、それだけの話だ』
本当にそれだけのように断じてみせたクラードの論調に、カトリナはそっと微笑む。
「その……ありがとうございます。ピアーナさんを、助けてくださって」
『あんたに感謝されたくってやったわけじゃないよ。えっと……カトリーナだっけ?』
「いえ、その……カトリナ・シンジョウです」
『カートリナ・シンジュウ? ……まぁどうでもいいか。後々覚えりゃいいだけだ』
「後々って! ……もうっ、覚えてくださいよ、さすがに……」
文句を漏らしつつ、カトリナは少しだけ満たされているのを感じていた。
自然と顔が綻ぶ。
今はただ、クラードの生還とそしてピアーナの命一つを拾ってくれた事を、感謝するだけだろう。
「……でもクラードさん、さっきの質問じゃないですけれど本当に何でなんです? ピアーナさんの事、何とも思ってないんだったら出来ない事だったんじゃ?」
『そいつがどうなろうと知った事じゃないけれど、艦内で人死にが出るのが嫌なんだろ、あんたは。だから俺はそれに従っただけだ、委任担当官の意向にね』
ここに来て初めて委任担当官としての仕事を認めてくれた――そんな気がして、カトリナは胸が熱くなったのを感じる。
「クラードさんっ! 私、頑張りますんでっ!」
『急に何、うるさいよ。俺はそっちの頑張りなんて関係ないけれどでも、まぁそこそこにやれば? 邪魔をしないんなら、殺す理由はないし』
「もうっ、何だってそんな物騒なんですかぁ……」
その返答には当惑しながらも、カトリナはここからがようやく、スタートかと実感していた。
「クラードを回収後、戦線離脱。ベアトリーチェはこのまま補給路のコロニーに向けて針路を取ります。休憩するのなら今のうちね。お疲れ様、みんな」
管制室でそう声を振ると、オペレーターのラジアルが大きく伸びをする。
「疲れたー! ……まさか海賊と戦うなんて思いも寄りませんよ」
「まぁ、願い下げの戦いだったけれど、クラードのお陰で世は事もなし。よかったんじゃない? あたし達の負担も少なかったわけだから」
ラジアルの言葉に応じるバーミットはもうメイクの直しに入っている。
「……バーミット先輩冷たくないですか? 鹵獲した機体はどうなっているんでしょう? サルトル技術顧問に繋ぎますねー、艦長」
「ええ、お願い。サルトル、どう?」
『まぁぼちぼちだ。型落ち機には違いないんだが状態に関しちゃまぁまぁいいほうだからな。相手がやり手の海賊で最新設備も整っている。このまま出しても何の不具合もない』
「それは僥倖ね。……でも、要らないものまで、背負い込んだって言うわけね、私達は」
『そいつは仕方ないだろう。今回ばっかりはかかる火の粉を払ったって感じだ。まぁ、これまでだってそうだったんだが、こういう事が重なればしんどくなる。フロイト艦長、あんただってそれは分かっているクチだろう。なら、休める時に休んでおくといい』
「そうさせてもらうわ。……にしたって、あのクラードが誰かのために戦ったなんて。本人には自覚はないかもだけれど。でも確かに、変わったのかもしれないわね、彼は」
『本人は変わった覚えなんてないって言うんだろうがな』
サルトルの返してきた常套句に微笑みを浮かべつつ、レミアは面を上げた。
――その瞬間、遠くの瞬きが網膜に焼き付く。
ベアトリーチェ艦内を揺さぶったのは超長距離砲の狙撃であった。
緑色のビームの光芒が管制室に焼き付く前に減殺シャッターが作動し、辛うじて全員の目を保護する。
「何! 敵襲?」
「まさか! 今さっき海賊を倒したばっかりですよ!」
「ああ、もう! お化粧台無し! 艦内警戒配置! 敵が来ます!」
敵、と口中に結んだレミアはデブリ帯の外側で位置する輝きを睨み据える。
「どうやらまだ……安全な航路には早いようね……」
忌々しげにそう言い放ち、敵機へと目を細めていた。
第五章 「機械少女の物語〈ザ・ダークネスフェアリーテイル〉」了