機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第4話「未到達な私」

 パシャパシャと写真を撮られるのには慣れていなくって、だからと言って笑顔を取り繕うのも難しく、緊張の面持ちを返していると、上司は困惑した笑みを浮かべていた。

 

「……もうちょっと素直に笑えない?」

 

「いや、あのその……っ! 笑おうとはしてるんですけれど……内定式って緊張しちゃって……」

 

「そんなんじゃ、仕事なんて出来ないわよ? えーっと……シンジョウさん?」

 

「カトリナですっ。カトリナ・シンジョウ……」

 

 名乗ると、上司は困惑の笑みを深くして、それから営業スマイルに戻る。

 

「じゃあカトリナさん。社員証のIDを作るための格式だけの写真なんだから、もうちょっと普通の顔が出来ない?」

 

「うぅ……そう言われちゃうと、そうなんですけれど……。その! この会社で頑張っていこうと思いますんで!」

 

「それは最終面接で言ったのと同じね。偶然にも、私が面接官でよかったわね、あなた。元気なだけが取り柄の子なんて、今どきの企業は欲しがらないんだから。エンデュランス・フラクタルは」

 

 その言葉に、カトリナは上司の胸元に刻まれている会社のロゴへと視線を振り向ける。

 

 一瞬の隙を突いて、シャッターが切られ、写真が撮られていた。

 

「はい、社員証ID。番号はもう振ってあるから、振り分けのほうに行ってもらえる?」

 

「あ、はい……っ。あのそのぉー……私、元気なだけが取り柄ですかね……?」

 

「なに、気にしているの? 大丈夫よ。今どき珍しいんだからね。この会社で元気な子ってのも。だから通してあげたんだけれど」

 

「あの……っ! ありがとうございますっ!」

 

 頭を下げると、上司はそれを諌める。

 

「容易く頭を下げない。安くなるわよ?」

 

「あっ……! すいません……」

 

「しゅんとするのも禁止。これから先は厳しいんだから。振り分け番号を見るに……あなた、結構大変な部署に配属みたいね」

 

「へっ……? そう、なんですかね……?」

 

 上司は肩を叩いてしっかりと鼓舞してくれる。

 

「頑張って。あなたの活躍を応援しているわ」

 

 歩いて行ったキャリアウーマンとしてはバリバリの様子の上司に、カトリナは短く切り揃えた栗色の髪を指先で巻く。

 

「大学時代はセミロングまでしていたのを思い切ってショートにしたの、失敗だったかなぁ……」

 

 ぼやきつつ、カトリナはメインエントランスに飾られている輝かしい社章を眺めていた。

 

 中央の球体に、両翼へと天使の羽根が施されたエンブレムが自分の居場所を物語っている。

 

「……エンデュランス・フラクタル……。新卒で入れたんだ。頑張らないとっ!」

 

 手渡された書類を片手に、カトリナはふんふんふーんと鼻歌交じりに廊下を歩いていると、不意に怒声が遮っていた。

 

「だから! そのプランじゃ下りないんですよ! どうしたって!」

 

「しょうがないだろう! 納期間際なんだ、頼むよ、サルトル技術顧問」

 

「……難しい事を言いますね。妥協すれば全て駄目になるんですよ?」

 

 濃紺色のツナギを着た眼鏡の猿のような顔をした男と、エリートコースまっしぐらとでも言うような精悍な顔つきの男が言い争っている。

 

 思わず足を止めていると、猿顔のほうがこっちに気がついたらしい。

 

 びくりと肩を震わせた自分に、エリートのほうが視線を振り向ける。

 

「君は……」

 

「はっ……初めましてっ! 私、この度、御社に……じゃなかった! 自分の会社なんだから弊社だよね……? 弊社に入社いたしました、その……カトリナ・シンジョウですっ!」

 

「あー、新入社員の方か。確かレクリエーションがもう始まっているはずだが……」

 

「レクリエーション? ……えーっと……うわっ! もう時間過ぎちゃってる!」

 

 こちらの慌て様にエリート上司は柔らかく微笑む。

 

「急いだほうがいい。レクリエーションを受けなくってはこの会社がどんな会社なのだかも分からないだろうからね」

 

「い、いえっ! しっかり勉強しましたから! 御社……じゃなかった、弊社は確か、技術面で月のダレトに関する優先権を持っているその……っ、優良企業で! それで、民間企業としては初めてダレトへの観測器を用いたと言う輝かしい偉業を誇っていて……素直に尊敬ですっ!」

 

 猿顔の技術者も、エリート上司も呆然としている。まさか、間違ってしまっただろうか、とカトリナが慌ててパンフレットに目を通していると、ぷっとエリート上司が吹き出した。

 

「いや、すまない。なかなか貴重な人材だと思ってね。純粋なのはいい。こういう仕事をしていると、忘れがちなものもある」

 

「あ、あの……っ、失礼をしてしまったようならそのっ……!」

 

「いやいや、失礼なものか。よく勉強されている。いい社員だ」

 

 それは褒められたのだろうか、とぼんやりと顔が熱くなっていく感覚を味わっていると、猿顔の技術者がエリートに言いつける。

 

「とにかく、上へ下へとこっちはてんてこ舞いなんですから、人を寄越してくださいよ。それと納品書に関しては、守っていただかなければ……!」

 

「ああ、分かっている、サルトル。ベアトリーチェ号に関しては君らに一任しているんだ。我々に口を挟む権利はないよ」

 

「……ベアトリーチェ号……?」

 

 小首を傾げる自分へと、猿顔の技術者はふぅむ、と観察していた。

 

「なっ……何ですか……?」

 

「いや、新人さんならレクリエーションに行かんでいいのかな、と」

 

「あっ! そうだ、行かなくっちゃ……! って……どこに行けば……」

 

 困惑する自分に相手は破顔一笑する。

 

「分かるよ。この会社広いもんねぇ。天下のエンデュランス・フラクタル。多分、上の階だと思うけれど、この時間だと多分、もうお開きだ。親睦会みたいなのはあるだろうけれど、それにだけでも参加していくかい?」

 

「……いえ、何だかそれは悪い気がしますし……」

 

 レクリエーションをすっぽかして親睦会だけ参加なんて厚顔無恥にもほどがある。

 

 今日は遅刻したとでも言い訳が立つだろうか、と思案していると、猿顔の技術者に壮大に背中を叩かれていた。

 

「なに暗い顔してんだ! せっかく一流上場企業に入ったってのにその面じゃ、もうリストラされたみたいじゃないか」

 

 咳き込みつつ、カトリナは頬をむくれさせる。

 

「……でも、クビもあり得るかも……」

 

「ないよ。我らがこの会社をどこと心得る。ちょっと遅刻したくらいじゃ、そもそも! まだ顔すら覚えてもらってないんだ! レクリエーションなんて形だけさ。格式ばった会社だから、そういうところでは人は見ない。見るのは、ここだ」

 

 そう言って彼は自らの瞳を指差す。

 

 カトリナは自分の眼を同じように指差していた。

 

「ここ、ですか……?」

 

「そう、ここ。デキル新人はもうそこから違う。残念ながら……あんたはそうじゃなさそうだけれどね」

 

「うぅ……やっぱダメ新人だと思われてる……」

 

「そう悲観しない。いい物を見せてあげよう。さっきの上司もこれは秘密にしとけっていわれているが、なに、バレなきゃいいんだよ」

 

 技術者に手招かれてカトリナはエレベーターに乗り込み、最下層へと下っていく。

 

 重力が変動して僅かに血流が脳に巡ってきてめまいを覚えていた。

 

「ああ、急にブラックアウトになるかもしれないから気を付けて。ここから先は、機密ブロックだ。重力は少しだけ軽減されている」

 

 その証拠のようにカトリナの身体は浮かび上がっていた。

 

「うわ……っ、うわ……」

 

「驚くなって。無重力訓練は受けただろ?」

 

「う、受けた時はその……いきなりこうなるとは思ってないもので……」

 

「そいつは違いない。まぁ、来なよ。建造中だがね、とっておきだ」

 

 猿顔の技術者は唇の前で指を立てて悪戯めいた笑みを浮かべた後に、開いた扉からカトリナの手を引く。

 

 カトリナは突然に拓けた視界の中で、上へ下へと行き交う物資の波を目に留めていた。

 

「すごい……ここだけ別空間みたい……」

 

「ある意味合っているかな。この機密ブロックは上とは遮断されている。通信規格も違うから傍受されないし、盗聴なんてもってのほか。本物のシークレットベースだよ」

 

 どこか誇らしげに漂ってみせる技術者に、カトリナは当惑しつつもその手に強く引かれて、上下逆さまになった扉を潜っていた。

 

 果たして、そこに佇んでいたのはオレンジ色の色彩を持つ船舶であった。

 

 カトリナは会社に入る前に勉強した船舶の種別をそらんじる。

 

「すごい……! 行政連邦のヘカテ級だ……」

 

「おっ、詳しいね。そうとも、これが史上初の、民間主導で建造されたヘカテ級機動戦艦。その名をベアトリーチェ。呪いの魔女の名前を冠している」

 

「呪いの魔女……」

 

『エンデュランス・フラクタル六番支社から定期連絡。警戒宙域への監視を厳とし、ベアトリーチェ収容港からの入港者はBブロック経由でメカニカルルームへとアクセスしてください。繰り返します、メカニカルルームは現在、無重力区画に指定。遠心重力区画はAブロックまでに駐留し、MSハンガーへと向かう社員はノーマルスーツの着用を義務付けています』

 

「……軍用施設のアナウンス……」

 

 ぼんやりと言葉にしていると、不意に上方から声が投げられていた。

 

「サルトル技術顧問! 上の人間をここに入れると色々とうるさいぞ! そうでなくってもリクルートスーツの新人なんて……」

 

「ああ、分かっているさ。だがね、とんだ迷子の子猫のようなんだ。ちょっとばかし遊び心を発揮したまでさ」

 

「後でばれたら大目玉なんだからな!」

 

 指差して去っていく他の構成員に、カトリナはサルトルと呼ばれた技術者へとじっと恨めし気な視線を寄せる。

 

「誤解しないでくれよ。あんたの処分だとかそういうののために連れて来たわけじゃない。あのままレクリエーションに行ったって退屈だろ? だったら、このエンデュランス・フラクタルの神髄に迫ってみるのも悪くないはずだ」

 

「……それは……そうかもですけれどぉ……。私が怒られちゃう」

 

「うん? いや、そうでもないんじゃないか? 今気づいたが、あんたはここに配属らしい」

 

 社員証IDを指差した相手に、カトリナは慌ててIDの上に記された所属部署を読み上げる。

 

「……兵器開発部門。私が……兵器の開発?」

 

「あんた、結構デキル新人だと目されていたみたいだな。こっちにいきなり配属になるなんて、運がいいんだか悪いんだか」

 

 だが花形のエンデュランス・フラクタル社で急に兵器開発と言われても頭がついて来ずに、うろたえるばかりである。

 

 そんな自分へとすっと手が差し出される。

 

「だとすれば、おれ達は仲間だ。おれの名前はサルトル。ここで技術開発主任をやらせてもらっている。まぁ直属の上司ではないだろうが、同じ部署だ。よろしく頼むよ、えーっと……」

 

「あっ、シンジョウです。カトリナ・シンジョウ……」

 

 気後れ気味に手を差し出すと、サルトルは笑顔でその手を掴んでいた。

 

「よろしくお願いしようかな。カトリナ女史」

 

「じょ、女史……?」

 

「おや、シンジョウのほうがよかったかな?」

 

「いや、そうではなく……。あのー、私、本当にここの配属で間違いないんでしょうか? 何か手違いだとかじゃ……」

 

「いや、IDに書いてあるんだからその通りだろう。なら手間が省けたってもんだ。どうせ戦艦ベアトリーチェに関して言えば、この部署じゃ公然の秘密みたいなもんだし、初日に言えてよかった。それよりも、カトリナ女史。あんたはまずはうちのボスに会わないといけない。今は……おーい! 艦長はどこに居る?」

 

 呼びかけたサルトルに数名のスタッフが反応する。

 

「ああ。部屋でコーヒーでも飲んでいるでしょ」

 

「じゃあ部屋までか。女史。そこまでのルートはBブロック沿いに行けばすぐに辿り着ける。なに、難しい話じゃない。直属の上司に挨拶する。これは社会人の常識だからね」

 

 はぁ、と生返事を返していると、すぐにサルトルに背中を叩かれる。

 

「さぁ、行った行った! まだベアトリーチェに関しちゃ言える事は少ないんだ。次のニュースを楽しみにしておいてくれ」

 

 サルトルは他のスタッフと共に巨大な機動戦艦へと流れていく。

 

 カトリナはBブロックへと続く区画を見つけ出し、低重力の中で漂いながら、パンフレットへと時折目線を配る。

 

「えっと……ここの事、書いてない、よね……? じゃあ本当に秘密って事? そんなの、あるのかなぁ……」

 

 疑わしいが、見せられた現実だけは本物。

 

 カトリナは一度、戦艦ベアトリーチェに向き直ってから、B区画へと歩み出していた。

 

 ハンドグリップを引き出し、流れるままに任せていると、すれ違うスタッフや社員が物珍しそうな視線を投げてくる。

 

「……やっぱり場違い。帰りたい……」

 

 呟いているうちに、カトリナは区画の中でも少しだけ落ち着いた色調の廊下へと行き着いていた。

 

 重力がゆっくりと調整されていく。

 

 どうやらこの周辺は1Gに設定されているらしい。

 

 物々しい木製の門扉があり、その向こう側に上司が居るのは容易に想像出来た。

 

 ノックしかけて、カトリナは躊躇う。

 

「……何て言おう……。レクリエーションサボってこっちに先に来ちゃいました……何て言えないし」

 

 そういう事を全く教えられなかったので、カトリナは一度、来た道を恨めし気に振り返ってから、何度かノックを戸惑っているうちに声が響いていた。

 

『入るなら入って。時間は有限よ』

 

 どこから見られていたのか、恐らく中からの声にカトリナは羞恥の念に顔を真っ赤にして、静かにノックする。

 

「し、失礼します……」

 

 応接室が大きく取られており、数々の調度品が壁一面に並んでいるが、それらはどこか均整が取れておらず、南国のものもあれば、極寒の地方のものもある。

 

 執務机の向こうで腰かけているのは亜麻色の髪の女性であった。

 

 憂いを帯びた泣きボクロが、物悲しげながらも整った鼻筋を強調する。

 

 しかし眼差しそのものは鋭く、射るようですらあった。

 

「……あなたが、今日配属された?」

 

「あ、はい……。カトリナ・シンジョウと申します……」

 

「おかしいわね。今日はまだ配属予定ではないはずだけれど」

 

「あっ……サルトル……さんに連れて来られて……」

 

「あの技術顧問も困ったものね。女の子には甘いんだから」

 

 髪の毛をかき上げた女性はそのままため息を漏らし、自分を見据える。

 

「それで? レクリエーションをサボってここまで来て、何の御用?」

 

「あっ……その、ここに配属みたいなのでその……ご挨拶を……」

 

 まごついてしまう。よくよく考えれば顔合わせはまだ先のはずなのに自分から乗り込んでくるのは無礼を通り越して最早滑稽ですらある。

 

「私に? ……確かにここの責任者ではあるけれど。困ったわね。あなたには専属の上司を付けるつもりだったのに、いきなりこの部屋に来てしまうなんて」

 

「あのー……やっぱりご迷惑……?」

 

「当たり前でしょう? ねぇ、こういうことわざを知っている? 芋の煮えたもご存じないってね。普通、ボスが居るからって真っ先に会いに来る人は居ないでしょう? 物事には順序と言うものがあるのよ。迷惑かそうでないかはさておきね」

 

 そう口にしてから、女性は額を押さえてタブレットを取り出し、口の中に放り込む。

 

 それを呆然と見つめていると、彼女は手を払っていた。

 

「気にしないで。持病の片頭痛だから」

 

 何だか婉曲気味に自分の存在そのものを嗤われているようで、カトリナは気色ばみかけたが、ここで怒って何になる、と自身を落ち着かせていた。

 

「その……失礼に当たったのなら、私……」

 

「カトリナさんだったかしら? 学業も優秀、名門大学を首席で卒業……すごい経歴じゃない。そりゃエンデュランス・フラクタルも欲しい人材よね」

 

 いつの間にか投射画面上に自分の経歴をスクロールさせていた相手にカトリナは慌ててしまう。

 

「あ、あの……っ! そんなに見せられる経歴じゃ……」

 

「いえ、充分過ぎるほどよ。なのに、レクリエーションをバックれてこっちに来るなんて……相当肝が据わっているのか、はたまた……」

 

 くすくすと女性は笑う。

 

 何だか羞恥の念でいっぱいで、カトリナは耳まで真っ赤になっていた。

 

「その……」

 

「フロイト」

 

 不意に発せられた言葉に目を丸くしていると、女性は柔らかく微笑む。

 

「レミア・フロイト。一応はこの部署のボスをやっているわ。名乗っていなかったでしょ? カトリナさん」

 

「あ、はい……。よろしくお願いします……」

 

「はい、よろしく。でー……あなたの配属はここになっているわね。これはサルトル技術顧問の間違いじゃなかったわけか。でも、配属も、ましてや仕事が振られるのもまだ先なのよ。あなたは新入社員なんだから親睦会……は、もう終わっているわね」

 

 壁掛けの時計を一瞥するレミアに、カトリナは困ったように後頭部を掻く。

 

「いやその……親睦会だけ行くと嫌な感じじゃないですか」

 

「そうね。それはその通り。ただまぁ、やる事がないのも実情なのよ。何なら、一足先に職場見学でもしていく? 給料は出すわよ?」

 

 思わぬ提案であったが、一日でも職場に慣れたほうがいいに決まっている。

 

「は、はいっ……! せっかくここに来たんですから!」

 

「レクリエーションをサボってねぇ」

 

 その言葉にカトリナはしゅんと肩を落とす。どこか、レミアは棘があると言うよりもこうして自分の反応を見て楽しんでいるようであった。

 

「いい心がけではあるわね。マップを渡しておくわ。その順路に従って、整備班と顔合わせでもしておいてちょうだい。あなたの仕事のうちの一つだから」

 

 差し出された地図の複雑怪奇さに参っていると、レミアは気づいたように、あっ、と声を上げる。

 

「そう言えば新人の教育係が居たんだったわ。今、呼びつけるから」

 

「あ、いいですよぉ……。まだ予定にはないんですし……」

 

「迷われたらこっちが困るのよ。もしもし? バーミット、出勤しているわよね? すぐにこっちに呼んでちょうだい」

 

 てきぱきと仕事をこなすのはさすがはボスと言った風体か。

 

 圧倒されていると、不意に扉が開かれていた。

 

 その先に居たのは茶髪をセミロングにした女性社員である。どこか気だるげで、カトリナがうろたえていると、レミアは早速指示を飛ばす。

 

「バーミット。また寝ていたでしょ」

 

「だってぇ~、あたしの仕事デスクですし、暇なんですもん。ベアトリーチェが進水式に入るまでデスクワークはほとんどやる事ないですし」

 

 欠伸を噛み殺したバーミットと呼ばれた女性社員は、今さらカトリナを視界の隅に発見する。

 

「誰ですか、この子。ここ、艦長の部屋ですよね?」

 

「新人さん。今日入社式だったでしょ」

 

「入社式なら余計にここに居るのは変なのでは?」

 

「まぁ色々あってね。サルトル技術顧問の気紛れ」

 

 二人のやり取りを他所にカトリナはおずおずと挙手する。

 

「あのー……私、どうすれば」

 

「バーミット、あなた新人の教育係でしょ? このセクションを案内してあげて」

 

「えーっ! 困りますよ! これから先、もう退勤だと思っていたのに!」

 

「じゃあ余計に都合がいいじゃない。残業代は出すから、その子の教育指導、お願いね」

 

 バーミットはこちらを見やるなり、上へ下へと観察してから、ふぅんと訳知り顔になる。

 

「温室育ちの甘ったれって感じね」

 

「あなたよりいい大学に出ているみたいよ?」

 

「それってぇ! 学歴差別ですよ!」

 

 バーミットは苛立たしげに髪をかき上げた後に、すっと手を差し出す。

 

「あたし、バーミット・サワシロ。よろしくね。えっと……」

 

「あっ、カトリナです。カトリナ・シンジョウ……サワシロさん……」

 

「バーミット、でいいわ。あんまりファミリーネーム好きじゃないの。あ、でも先輩は付けてよね」

 

「あ、はいっ! バーミット先輩!」

 

「うんうん! 素直なのが一番ね。じゃあ艦長、この子連れ回しますけれど、極秘ブロックとか」

 

「遠からず知るでしょうけれど、まぁ掃除でもやってもらえば? 手は足りているようで足りてないのが現状でしょうし」

 

「ですね。失礼します」

 

 その動作だけは気だるさを消して挨拶するものだから、カトリナもそれに倣う。

 

「でもさー、カトリナ……さん? エンデュランス・フラクタルのこの部署にいきなり配属なんて、面接で会社の悪評でも言ってのけたんじゃないの?」

 

「あ、悪評? そんな! 面接ではとても気を遣って――」

 

「で、勝ち取ったのがこの地位? なぁーんか、裏でもありそうだけれど。ま、いっか。上役のご機嫌損ねたらこの仕事、すぐこれだから」

 

 くいっと首を掻っ切る真似をするバーミットにカトリナは恐る恐る尋ねていた。

 

「あの……バーミット先輩。やっぱりここって厳しいんですかね……?」

 

「厳しいも何も、知っているでしょ? エンデュランス・フラクタル社。その円滑も。月のダレトへの優先権を持っている数少ない優良企業で、なおかつその技術をほとんど独占状態にする、現時点での勝ち馬ってところ」

 

「か、勝ち馬……? そんなつもりで入ったんじゃ……」

 

 何だか計算高くこの企業を選んだようで癪である。バーミットは、違うの? とでも言いたげに小首を傾げる。

 

「分かんないなー。カトリナさんは――」

 

「あ、呼び捨てでいいですので……」

 

「じゃあカトリナちゃんは、別にここじゃなくってもよかったんじゃ? だって、ダレトのおこぼれに預かる会社なんていくらでもあるでしょ。倍率高いし、その上何だかんだで仕事はめんどくさいよ? やってける? って……あたしも面接官みたいな事聞いちゃってるなぁ。反省反省」

 

 フッと笑みを浮かべる大人の余裕をなびかせたバーミットに、カトリナは自分に足りないものを自覚していた。

 

「いえっ、その……。私、こんな事言うといっつも笑われていたんですけれど、言っていいですか?」

 

「うん、何でも言って。あたし、これでも教育係だから」

 

「じゃあ、その……私、幸せになりたいんです」

 

 その言葉にバーミットが立ち止まって眉根に皺を寄せる。

 

「……カトリナちゃん。どこでどういう宗教にはまろうが自由だし、他人の人生で何を信じるべきかを問うつもりはないけれど、いきなり幸福論とかは――」

 

「あっ、違って! ……誤解されやすいんですけれど、私、幸せになるってその、欲求が強くって! それでエンデュランス・フラクタルを選んだんです。ここなら、私が理想とする幸せに近づけるのかな、って」

 

「それは結婚願望とか、昇進とかそういうのを考えての話?」

 

「いえ、そういう……何て言うのかな。分かりやすいんじゃなくって、もっと漠然としているんですけれどでも、幸せになりたい……いいえ、幸せになるんだって! どこかで、目指しているところもあって」

 

 バーミットは再び歩き出し、思案するように顎に手を添える。

 

「幸せになりたい、ねぇ……。ま、カトリナちゃんの幸せ論がどこにあるのかはあたしはまだ分かんないわ。さっき顔合せたばっかだし。ただまぁ、幸せになるのの第一歩、知りたい?」

 

 振り向かれてカトリナは食いつく。

 

「あ、はい! 是非……っ!」

 

 バーミットはロッカーから掃除用具を取り出し、自分へと手渡していた。

 

「えっ……。あの、バーミットさん? これは……」

 

「幸せになる第一歩。まずは掃除くらいは出来ないとね。整備班に色々聞いて、上りの時間帯まで掃除。やっておいてね」

 

「えーっと、デスクワークとかは……」

 

「一日目から甘えない。そういうのはもっと分かってから言うものだし、まずは身体で覚える」

 

 デッキブラシやバケツを抱え、カトリナはリクルートスーツ姿で整備班の場所へと降り立つ。

 

 彼らはちょうどコーヒーブレイクの途中であり、自分の闖入に目を見開いていた。

 

「そ、その……お手伝いさせてください!」

 

「デスクワークなんじゃ?」

 

「甘えないで! って言われちゃったので……。まずは肉体労働をやらせていただきます! 頑張りますんで!」

 

 頭を下げると、整備班はめいめいに視線を交わし合い、じゃあ、と格納デッキを示す。

 

「そこんところを洗ってもらえると助かるかな」

 

「はいっ! ピッカピカにしますね!」

 

 カトリナは掃除用具を整えようとバケツに水を入れようとして、制止の声がかかる前に蛇口をひねってしまう。

 

 すると、水流が弾け盛大に水を頭から被ってしまっていた。

 

「悪い、言うの忘れてた。そこ壊れてるんだった」

 

「さ、先に行ってくださいよぉ……」

 

 思わず涙ぐんだ自分に整備班は慌てふためく。

 

「あー、泣かないで。じゃあ一部だけでいいから、後は俺達がやっておくからさ」

 

 そう言われてこくりと頷き、一区画のみをブラシで擦って汗水を流す。

 

 そんな作業をしていると、ふと考えてしまう。

 

「……これって一流企業の仕事?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お、終わったぁー!」

 

 家に帰るなり、スーツのままベッドに寝転がる。全身の節々が痛み、明日は筋肉痛確定であった。

 

「……にしても、エンデュランス・フラクタルってもっと高潔な会社かと思っていたのに。……やっぱり一流上場企業ってブラックなのかな……」

 

 ごろ寝しながら端末を弄っていると、新着メッセージに反応して起き上がる。

 

「お母さんから? 何だったんだろ……?」

 

 数回コールすると、通話口で母親の声がする。

 

『ああ、カトリナ? こんな遅くの時間までだったの?』

 

「あ、うん……。色々あっちゃって……」

 

 初日からレクリエーションをブッチして掃除をしていたとは言えず、カトリナは曖昧に微笑む。

 

『あんた体力だけは馬鹿みたいにあるからって無理しちゃ駄目よ? 身体壊してからじゃ遅いんだから』

 

「馬鹿って……諫言痛み入ります、母上様……これでいい?」

 

『もう……相変わらずなんだから。そういえば、さっき、ポートホームで届け物があったけれど、それってあんたの?』

 

「ああ、うん。この間キッチンセットが壊れたって言ってたから、帰りの電車でポチっておいた」

 

『一人暮らしなんだからそっちのほうに気を遣えばいいのに。それにしても便利な時代になったわよね。昔はシャトルや輸送トラックが数日をかけて届けていたのよ?』

 

「それ……お母さんだって生まれる前じゃない。トラックなんて一部の区域外を除けばもう走ってないでしょ。いくら地球圏だって」

 

『昔はこうして待つ時間も楽しみだったのにねぇ。画期的な転送技術で物品程度ならタイムラグは一時間以内なんて。そういえば、宅配便と言えば、あんたのほうに送っておいたものは届いた頃のはずだけれど開けた?』

 

「届け物? 何、疲れてるんだけれど……」

 

 気だるげにカトリナは円筒状のポートホームポストに収まっている衝撃吸収材に梱包された物品を開く。

 

『おじいちゃんの遺品整理していたら、あんたが大人になったら渡したいものがあるとか言っていたから送っておいたけれど。届いてる?』

 

「これ、何? おじいちゃんの?」

 

『うん。あんたが就職したら渡したいって言っていたらしくって。私もちょっと前に知ったんだけれど』

 

 衝撃緩和剤で包み込まれていたのは、鍵であった。どこかアンティーク趣味な鍵にチェーンが付いている。

 

「何これ? ネックレス?」

 

『分かんない。おじいちゃんが大事にしていた事だけは分かってるんだけれど』

 

「……そんなの押し付けないでよ」

 

『あんた、ずっと目標にしていた一流企業入れたんでしょ? 一番楽しみにしていたのはおじいちゃんなんだから。こういう時くらいは受け取っておく!』

 

「……とは言っても……何の鍵? 実家の?」

 

『それも分かんないのよ。鍵には間違いないんだけれど……』

 

 何に使うのかまるで分からない鍵にカトリナは訝しげに眉根を寄せる。

 

『ただまぁ、おじいちゃんの目標でもあったからね。あんたがエンデュランス・フラクタルに入るって言うのは』

 

 そう言えば、とカトリナは思い返す。

 

 祖父の勧めで、自分はこの企業を目指すと決めたのだ。

 

 ほとんど自分の言う事には口出しをしなかった厳格な人間であったのは覚えているのだが、どうしてなのだか、折に触れてはエンデュランス・フラクタルの話題を出してきたのを思い返す。

 

「……おじいちゃん、私に一流企業の人間になれって言いたかったのかな?」

 

『分かんないわよ。当のおじいちゃんはもうお墓の下なんだから』

 

 どうにも薄情な母親の口振りに辟易しつつも、カトリナはその鍵を首から下げる。

 

「……ねぇ、お母さん。私、一応はでも、幸せかも。自分の目指すところに行けて、それで仕事も始まって……。波乱もあるけれどでも……それ以上に希望があると思ってる。……ありがと。応援してくれて」

 

『学業に関しちゃあんたの努力でしょ。私は何もしてないわよ』

 

 そう言ってくれるのがある意味ではありがたい。

 

 自分の力で勝ち取った地位なのだと、自負出来る。

 

「でも……もし何かあったら言ってね? いつでも地球には帰るから」

 

『何言ってんの。そうじゃなくっても忙しい会社なんでしょ? ……心配しなくっても、お父さんもまだ働けるし、私もパートタイムで入れてるわよ。今のところは親の事なんて後回しでいいんだから。自分の道を行きなさい』

 

 思わぬ激励に目頭が熱くなったのを感じつつ、カトリナは時計を一瞥して通話の別れに添える。

 

「……じゃあ、明日も仕事だし」

 

『はいはい。せいぜい頑張りなさい。あんたが目標とした場所でしょ?』

 

「うん……おやすみ」

 

 通話を切ってから言い知れぬ物悲しさが胸に去来したが、カトリナは一つ大きな伸びをして、よし! と気合いを入れ直していた。

 

「絶対! 幸せになるんだ!」

 

 

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