「――呼ばれてみりゃ、辺鄙な場所だねぇ、しかし」
クランチはシャトルの第一便で月軌道近くにあるコロニーへと出向いていた。
コロニー、エメトピア――通称、「博物館」と評されるコロニーは大小さまざまな動物や植物が陳列されており、その中には当たり前のように人間の模造体もある。
「隊長、これが世界で初の、ミラーヘッドに臨んだ人体のホルマリン漬けですか」
部下の指差した先に居たのは、昏い視線を虚空に投じる禿頭の男性であった。
培養液に浸かった彼は、時が止まってしまったかのように中空へと視線を向けたまま静止している。
「……運が悪かったのさ。ミラーヘッドの試験なんざ、俺は死んでも御免だね。こっちにゃ、ライドマトリクサー施術の歩み、か。まったく、人類ってのはいつだって拍子を踏み外す」
「我々だけはそれを言えんでしょう」
「かもな」
笑い話にする仲間達と共にこの場に似つかわしくないように緊張の視線を周囲に流しているのは、前回の戦闘で生き残った《エクエス》乗りだ。
「……お前、名前は? そういや聞いていなかった」
「……グローブ・マグマトリィ……。ただのしがない《エクエス》乗りだ」
「グローブ、ねぇ。お前、信仰心は?」
「信仰心……? 神を信じているとかそういうのか?」
「ああ、そうだ。俺の部下になるんなら一度聞いておきたい」
「……いや、ないな。ミラーヘッドの……第四種殲滅戦の標的にされた時から、信仰は捨て去っている」
「そいつぁ結構。上出来だ。ならお前はまだマシなほうだ。ここで、神だとか何だとか信じ込んでいるヤツってのは始末が悪い。神も仏も、何もかもがこの世を見捨てちまっているのさ。もうこの世界に神も居なければ悪魔も居ねぇよ」
「それは通説か? それともそっちなりの死生観とでも?」
「どっちだって適当に判断すりゃいいのさ。俺は神も悪魔も信じちゃいねぇ。信じているのは、自分のトリガーを引く時の感覚だけだ」
「……なるほど、それは羨ましいな」
「羨ましい? 神をも恐れぬ偉業だ。畏れ多いの間違いじゃねぇのか?」
「いいや、羨ましいとも。何度もあんな局面の戦闘を?」
「ああ、ミラーヘッドの第四種殲滅戦ってのは人間の死は数えられねぇ。あるのは何機墜としたか、何機迎撃したかだけ。めちゃくちゃシンプルで分かりやすい戦場だ。だからこそ、俺は気に入っている」
クランチは人類初のライドマトリクサー施術の歴史を辿りながら、壁の展覧物をなぞっていく。
紐解くのは人間が人間以外になった禁断の歴史であろう。
「……私は、まだその域には成れていない。そこまで思い切れないんだ。クランチ・ディズル。もしかすると、お前こそが……このミラーヘッドで変わり果ててしまった戦場を、もう一度人間のものへと回帰させるために何者かが遣わした良心なのかもしれない」
「良心、ね。そいつぁ、かなり穿った見方だとは思うが」
『――だが君はミラーヘッドの戦場での生還率は百パーセント。そこに作為的なものを感じずにはいられないな』
重々しく響き渡ったのは、地球圏で聞き届けた子供の声と同じであった。
「……おい、どっかから見ているんなら降りて来いよ。こっちでサシで話し合おうぜ」
『生憎だが我々は君達に姿を晒すわけにはいかない』
『左様。よってこのような形であっても最大限の譲歩である事を理解して欲しい』
「理解、ね。あんたら、何が目的で俺みたいな戦争中毒者を? もうかなりの人でなしだぜ? こんなのにわざわざ場所まであてがって呼び寄せた意味が分からねぇ」
『……クランチ・ディズル。君は戦争が好きかね?』
「好きだね、かなり。戦争ってのは人間の剥き出しの本能の発露だ。そこに、取り繕った無駄な虚勢や、あるいはただの人間的な妄言は何も意味をなくす。だから俺は戦争が好きだ。人殺しに飽きもしねぇ、とんだ働き者ってわけさ」
『想定内の答えだが、やはり君には素質があるようだ』
「誰かを殺せって言うんならしかし、専門家を雇いな。俺が乗るのはせいぜい《エクエス》が関の山だ。もっといい機体で狙撃だとか、あるいは暗殺だとかやりたいんなら俺よか上手いヤツは大勢居る」
『クランチ・ディズル。君の手腕を買いたい』
『とある巡洋艦を撃沈してもらいたい。その際には、それに伴って強力なMSが出撃するだろう。これまでの戦いで、一度たりとも負け知らずなMSとライドマトリクサーだ。それを相手取ってもらいたい』
「殺せってのか?」
『いいや。MSは出来れば形を保ったまま鹵獲。パイロットは殺しても構わないが、そこまで精密な事は《エクエス》では難しいだろう。新型機をあてがってもいい』
「要らねぇよ、んなもん。俺の用意した《エクエス》以外だと、最近のはどうにも浮ついていけねぇ。あれくらいケツが重いほうが女も乗機もちょうどいいのさ」
ところどころで笑い声が聞こえてくる。部下達には最上のジョークだったであろうが、相手には通じなかったようで真面目な返答が帰ってくる。
『……では《エクエス》で出てもらう。我々の思想に賛同した、と思ってもらっていいのかな』
「おい、待てよ、あんたら。こっちに提示されたのは報酬額だけだ。その巡洋艦とやらがマジモンにヤバい代物なら悪いが降りさせてもらうぜ。俺達だって命は惜しい」
『意外だな、君は、命なんてこの現実と言うゲームを遊び抜くためのツールだとでも思っていそうだったが』
「そいつは意見の相違ってヤツだな。どれだけ遊びに長けていたって命あっての物種だ。案外、そこまでクールにゃ成り切れんのよ。それに、そっちだって得体が知れねぇ。少しは手の内を明かしちゃもらえねぇかねぇ」
ここでの最大限の譲歩だと言ってのけた相手だ。
ともすれば正体不明のまま、自分達は踊らされる可能性もある。
そうなった場合、不利益を被るだけではない。
不用意な死は、自分達にとってのただの損害にしかならない。
『部下想いなのだな、案外君は』
「勘違いをすんな。部下だけじゃねぇ、自分の命が一番さ。それでも儘ならん戦場ってもんに駆り出されるのが自分だとは思っちゃいるが、それにしたって限度ってもんがある。俺は死ぬために投げられる爆弾だとは思っちゃいないんでね」
『そうか。それがしかし、鏡像殺しの名を取るクランチ・ディズルの言い草かね?』
「鏡像殺しなんて、戦場を渡り歩く中で付いた渾名さ。よくある代物だ」
『そうではないのだろう? 君は、ミラーヘッドの中核、その構成物質に至るまで全て視えているはずだ』
「……見透かしたような事言いやがるんだな。俺の特権に関しては、俺だって分かんねぇんだよ。何でミラーヘッドの弱点なんざ見えんのか。ミラーヘッドに対して何で俺だけ無敵モードなのかってのはな」
『知りたくはないか? その偶発性、思わぬギフトに関して』
「答えでも知ってるって言いたいのか?」
『ヒトは、環境に適して自らの生態系を大きく変えられる生き物だ。この星がミラーヘッドの幻像に包まれても、それでも君はたった一人でも生き永らえられる』
「買い被るなよ。そんな風になったら俺だって生きる気力をなくす」
『だが君は適材適所としての戦場だ。そこに生きる事を是としてこれまで生きてきたはず。恐らくはこれからも』
「……おいおい、ここは宗教の場か? 俺はあんたら相手に、へいこらして、それで単純に生きていくだけのバカにはなりたかねぇんだよ」
『だがシンプルなのは好きだろう、君は。我々は戦場を与える、君はそこで生を謳歌する。充分に利益の取れた関係性だ』
「……戦場にのみ生きる事の有用性を説くんなら、それはもう死者と同じだが」
『よく喋るものだ。弁も立つとは気に入った』
「そいつぁどうも。……なぁ、俺は戦場の血飛沫や、罵詈雑言も、それに怨嗟も嫌いじゃねぇが、こういう場所はどうにも癇に障る。……何が言いたいってんだ? 俺にヒトの歴史の再現でもしろと?」
『再現ではなく再演だよ、クランチ・ディズル。君の行うのは、限りなくヒトの暴虐性を突き詰めた先にある再上映(アンコール)だ』
「分からないねぇ……。今さらそのたった一隻の巡洋艦とやらを墜とせってのも、よく分からんMSを鹵獲しろってのも。どれもこれも現実からはかけ離れたように映るぜ? 要は俺に死にに行けとでも言っているのか?」
『聡いな、だが死ねと言っているのではない。君は生きて、そして有用性を示していただきたい』
「その有用性とやらを示すのは誰に、だ? まさか神とやらとは言わないだろうな?」
『神ではない。だがこの世界において、それらを知り得る全ての者をそう呼ぶのならば、我々は全能者』
「――真理探究者の窟、ってわけか。趣味が悪ぃ……こんなもん、ただの事実の列挙、事実の羅列だ。どれもこれも、並べ立てただけの真実になんざ、意味なんてねぇ」
『そうだとも。意味はない。意味は創るものだ』
『我々の声を君は知覚として、音の羅列ではなく意味ある声として認識するように、彼の者達は光を光として認知出来るわけではない』
『時にそれは闇であり、暗礁であり、そして絶望へのはなむけでもある』
「観測次第ってヤツだろ。要は考え方一つだ。意味あるかないかなんて代物はな」
『クランチ・ディズル。それにその部下達よ。君達はこの座についた。ならば次に訪れるべきものを既に認知しているはずだ』
「言葉にしなくっちゃ分からないものもこの世にはあるぜ? ……あんたら、何がしたい? 何を望んでいる? 巡洋艦の轟沈とMSの鹵獲。それにしたって、もたらされない情報は情報とは呼ばないんだよ」
『これは失礼した。では彼の者に送信させよう』
「彼の者……?」
クランチが視線を振り向けた先に居たのは、パイロットスーツに身を包んだ人間であった。
男か女かも背格好だけでは分からない。
バイザーの奥にあるはずの瞳の視線が読めず、怪訝そうな目線を振り向けたこちらに対し、相手は一枚の情報端末を差し出していた。
部下を顎でしゃくり、それを手に取らせる。
「……端末のようです。それも高度な……。圧縮化を施されており、解読が必要ですが……」
「いい、後で繋ぐ。しかし、それでも得心ってヤツがいかねぇのはある。俺達へのリターンが金だけってのも納得がいかねぇ。もうちょっとあんだろ」
『そうだな、何が望みだ? 言ってみるといい』
「まるで神みたいに気取ってるあんたらを、俺達の前に差し出せ。そうすりゃ、少しでいいから信じてやる」
ここで噛み付いたのはひとえにあまりにも相手の態度が超然としているのが気に食わなかったのもある。
当然、普通の相手ならばここで応じないか、あるいは誤魔化す程度だろうが……。
『――よかろう。彼の者を見るといい。それは我々の一員だ』
「……このパイロットスーツが、か?」
『その服飾を脱げ』
パイロットスーツ姿の者が、ヘルメットの解除スイッチを押し込み、そのまま気密を確かめてから外していく。
――途端、晒し出された代物に、全員が息を呑む。
「……何だ。何だって言うんだ、こいつぁ……」
『それが我々だ』
部下の一人が吐き気を堪えて口元を押さえる。
ここまで歴戦の戦場を潜って来た者達が、目の前の存在相手に圧倒されている。
今の今まで、最悪の戦場を闊歩してきた人々の眼でも、それはおぞましき――。
『……時間だな』
パイロットスーツの内側から蒼い炎が燻ぶり出す。
瞬く間に蒼い業火に包まれた相手は膝を折り、そのまま断末魔を上げて焼け死んでいった。
「……こいつが、証明だと?」
『我々が君達にある程度の正体を明かすとすれば、そこまでだ。それ以上は我々とて下策となる』
「……あんたらは、何だって言うんだ。今の……人間じゃ、なかった……」
『いいや、人間だとも。我々もある意味では、君らと同系統の人類だ』
嘘も休み休み言え。
こんなものが、同じ人類だとも思いたくない。
「……人類だと……。じゃあ何か。あんたらは人類代表だとでも?」
『そこまで驕り高ぶったつもりはないよ』
『だがね、これは単純に要望なのだ。君は鏡像殺し、クランチ・ディズル。例のMSを相手取るのには君のような化け物が相応しい』
「……化け物、ね。いいいわれじゃなさそうだが」
『何を言っている? これでも評価しているんだ』
『左様。怪物殺しは同じく怪物こそが相応だとも。そのMSの名前を教えておこう。その名は――《レヴォル》。世界に叛逆する機体だ』
「……《レヴォル》……」
その名が今はどうしてなのだか、どのような感情よりも先に、自分の中へと沈んでいくのを感じていた。