「く、クラードさんとの休暇、ですか?」
艦長室に呼び出されるなり厳命されてカトリナは面食らってしまう。
てっきりこれまでのピアーナに対しての行動が咎められての事だと思っていただけに、休めと言う命令は意想外であった。
「そうよ。あなたもクラードも働き過ぎている。なら、ちょっとは休みなさい」
「で、でも私っ、これが仕事ですのでっ!」
「そういう感情論はいいから」
「あっ……はい……」
しゅんとしてしまった自分を慮ったように、ため息一つでレミアは書類仕事から一旦、距離を取る。
「……正直ね、これもまた仕事の一部ではあるの。あなたは委任担当官でしょう?」
「えっ……あ、はい……」
「なら、クラードのメンタルチェックもあなたの仕事のうち。彼は……ちょっと参っているみたいね。前回の敵との思わぬ苦戦とアルベルト君との決裂に近い行動に。……それでも、彼なりに思うところはあるみたいだから、あなたにはそれを解きほぐして欲しいのよ」
「解きほぐしてって……でも私、クラードさんからしょっちゅう邪魔者扱いを受けていますし……」
「邪魔って言われればあなたは仕事を放棄するの?」
「それは――! そんなわけないんですけれど……」
「だったら、今はクラードと一緒に休暇。その後、ベアトリーチェは月軌道を目指して出港します。その時に、クラードが疲労困ぱいでどうしようもないでは遅いのよ」
「……あの、思っていたんですけれど皆さん、クラードさんの事、信頼しているんですね……」
「当たり前でしょう? 彼と《レヴォル》は切り札よ。我がエンデュランス・フラクタルにとってはね」
「……でも、クラードさん。ピアーナさんの時もそうでしたけれど、前回の敵と戦った時、らしくなかったって言うか……私の眼にも無理してるって言うか……」
「分かっているのなら、休ませなさい。ただし、これから二十四時間の同行義務が生じます」
「同行義務って……それって四六時中一緒に居ろって事ですよね……?」
「難しくはないはずよ。戦えと言っているんじゃないんだから。……ああ、でも。あなたからしてみれば戦い以外のクラードと会話しろってのは戦闘行為よりも難しいかしら?」
「い、いえっ……! お仕事担当させていただきます……!」
「なら下がって。これでも書類仕事にてんてこ舞いなの。……頭痛薬、また必要そうね。後で医務室行こっと……」
レミアは明らかに疲弊した様子で書類仕事をさばいていく。それもこれも、全部自分とクラードのせいだと言わんばかりに。
「……あのぉー、レミア艦長。でもその、クラードさんとの休暇って何をすれば? そうだっ、艦長はクラードさんの好みを知っているんじゃ――」
「駄目よ、楽しようとしちゃ。私からの助言は一切なし。楽しんできなさい、カトリナ・シンジョウさん」
何だかそれそのものが意趣返しのようで、カトリナは閉口してしまう。
「……い、行ってきます……」
よろよろと力ない足取りで回れ右をした自分にレミアは一言だけ付け足す。
「ああ、そうそう。あなたは委任担当官なのだから、少しでも有意義な時間にするように。無意味に休暇を潰すのだけはやめてちょうだいね」
艦長室を去ってから、カトリナは呟く。
「……なら、教えてくれたって罰は当たりそうにもないのに……。レミア艦長ってケチだなぁ……」
唇を尖らせていると、ふと目に留まった影に立ち止まる。
「あ、ラジアルさん……」
「シンジョウさん? どうしたんですか?」
「ああ、いやその……。艦長に無理難題を吹っ掛けられちゃって。それをどうしよっかなぁ、って考えている途中です……」
「そうですか……。私はちょっと、乗機の確認に」
「乗機……って、ラジアルさん、戦闘用MSに乗るんですか?」
仰天したこちらに比してラジアルは落ち着き払っている。
「ええ、これももうヴィルヘルム先生や艦長には通しておいたんですけれど。シンジョウさんくらいだと思いますよ? 知らなかったの」
「……ええ……私ってばハブられちゃってます……?」
「そんな事はないと思いますけれど。……ああ、ちょっと見てきますか? どうせだし」
「あ、いいんですか? ……じゃなくって……でも何で? オペレーター勤務だけの契約だったんじゃ……」
「まぁそのつもりだったんですけれど、私も出来る事をやっていきたいってのはありますし。……それに前回、重石になっちゃったのは事実ですから」
コロニー、シュルツに仕掛けてきた連中との会敵時に確かにラジアルは障害ではあった。
だが、それももう終わった事なのだ。
ならば別段責め立てられる事でもないはずなのに。
それでも彼女の眼差しは、先へ先へ、次へ次へと望んでいるようであった。
「……何でそんなに、前を目指せるんですか?」
「シンジョウさん?」
「……私だって、元気なだけが取り柄じゃないです。前の戦闘で、クラードさん、ちょっと参っちゃってるのは分かりますし。それにアルベルトさんだって。何だか重たいものを背負っているのは嫌でも分かっちゃいますよ。それでも……前に進むのをみんなやめない……。何だかそんな風な人達と一緒に居ると、自分のちっぽけさを自覚しちゃいそうで……」
「……意外でしたね」
「えっ……やっぱり私なんかが――」
「いえ、シンジョウさん、マイナスな事も言うんですね。私、あなたがプラス方面の事ばっかり言う、ちょっとアレな女の子だと思っていました」
ラジアルからの意外な人物評に顔を上げたカトリナは、雅なラジアルの相貌を見やる。
「……私、これでも嫌な女なんですよ? あなたの事はずっと……いい思いしかした事のない箱入り娘だと思っていましたし、レミア艦長だって死神の渾名を持っている嫌な女だと思っていました。他の人だってそう。私は大女優、ラジアル・ブルームなんだって、だからみんなと違うんだってどこかで線を引いて。だから、でしょうかね。オペレーター兼MSパイロットをやろうとしているのって、結局はそういう事なんです。私は私に出来る責任を取りたい。でもオペレーターのままじゃ安全圏からあれこれ言っているだけ。なら、私も背負いたいって。アルベルトさんだけじゃない、みんなの分の痛みだって。これって、別に変な話でもないんですよ? ……私は女優として、リアルに身を置きたい。その延長線上の代物なんです」
「……でもリアルって言ったって、生き死にの関わってくる戦場ですよ」
「この戦闘艦に居る以上は同じのはずです。誰だってみんな、死に物狂いで戦っている。なら、私だけ戦わないのは嘘のはずですから。それに私、アルベルトさんの隣に居たい。もっともっと、あの人の特別に……そうなりたいなぁって思えるようになったんです」
「……それって……」
濁した自分の語尾をラジアルは微笑んで頷く。
「ご想像にお任せしますけれどね! ……まぁ、これもズルなんですが」
大女優の言葉にはいつだって度肝を抜かれるばかりだ。
彼女にはきっと自分には見えていないものが見えているのだろう。
その視座だからこその戦い方。それがMSパイロットとしての経験を踏みたいのなら、自分に止める言葉はない。
「……でも、MS《オムニブス》……あれって結構特別ですよね? 戦域偵察型MSって言う触れ込みで……」
「スペックには目を通してくださったんですね。ええ、まぁ。威力偵察って言う任務を帯びています。《レヴォル》がこれまで出たとこ勝負だったんですけれど、《オムニブス》が先行して敵の戦力やこちらとの概算値をマッピングして、その後に《レヴォル》や《マギア》による攻勢、と言う形へと変移していきますね」
「……それって一番危ないところに行くって事ですよね? 何でそこまで……」
「何でって……さっきも言った通り……。ああ、これもズルですね。まぁ、嫌な女だってカミングアウトしちゃったんで言いますけれど、一番のリアルは前線に出る事なんです。私は幸いにしてRM施術を受けた存在。なら、パイロットとしての適性自体は低くっても、それなりに応戦くらいは出来ます。何ならミラーヘッド戦だって」
「……でもそれは……ラジアルさんが赴かなければいけないんですか?」
どうしてもその疑問が突き立ってしまう。
ラジアルは笑って誤魔化そうとしたようであったが、敵わないな、と呟いていた。
「……何だかシンジョウさん、真正直な眼で私を見て来るんですもの。嘘や偽りは、あまりためにはなりそうにないですね。……シンジョウさん。自分の守りたいもの一個、胸に抱くとすれば何です?」
「守りたいもの、一個、ですか……?」
呻っているとラジアルは晴れやかな表情で口にする。
「私にとってのそれはこのベアトリーチェであり、そして明日のために戦い抜くことなんです。だって私、ほんの一週間ちょっとだけれど、このベアトリーチェが好きに成れました。なら、報いる事をしたいんです。ほとんどワガママですけれどね」
「報いる事……ですか。でもそれが、戦う理由……」
「いけませんか? ……戦う理由なんて千差万別ですし、私の戦う理由と、あなたの戦う理由は違います。それも当然の理。……でも私、気付いちゃったんです。好きな場所で、好きな人を守るために戦えれば、それに勝る喜びってないんだって!」
「好きな場所で、好きな人のために……」
「小難しく考えたってきっとうまくいきません。なら、私は動物的本能でもいい。自分のために、剣を取れる人間になりたいだけなんです」
それは大女優の言葉と言うよりかは等身大の女性の言葉に思えていた。
ラジアルと自分はさして年の差はないはずであったが、彼女はずっと先を見据えている。
直近の前しか見えない自分とは大違い――。
「……何だか私、駄目ですね。真正面しか見えていないみたいで……」
「駄目じゃないですよ。それがシンジョウさんのいいところでしょう?」
二人で話している間に格納デッキへと浮かび上がり、彼女の搭乗機となるであろう、《オムニブス》の整備班へと向かっていた。
全体像としては灰色の重装甲機――角ばった機体シルエットに、バイザー型のメインカメラを有する。
「あっ、ラジアルさん、ちーっす」
「トーマちゃん。どう? 調子は」
「ぼちぼちっすねぇ。この《オムニブス》の整備はあーしが担当する事になったんで、野郎連中には触らせません。哨戒用の機体ですんで、下手なMSよりも固く設定しておきますね。装甲ももらいましたし、何なら重武装も出来ますけれど、ラジアルさんの好みに設定しとくのが一番いーっしょ」
「頼むね。……あ、この辺はライドマトリクサーだから重ためでもいいよ。私、これでも力強いから」
「了解ーっす。あれ? カトリナさん、ここ来ていいんすか? 表でクラードさん待たせてるんでしょ?」
「ええっ? 何でそれを……」
「もうこっちじゃ常識ですし、クラードさん、待たせると怖いっすから。メカニックとしての知恵です」
「大変、急がないと……っ!」
「ああ、それともう一個。これ、女としての知恵っすけれど、格納デッキにリクルートスーツで来ないほうがいいっすよ。丸見えなんで」
ひゃっ、と短く悲鳴を上げてスカートを押さえると、先ほどまで視線を向けていた整備班達の視線が逃げていく。
「せ、セクハラ……!」
「忠告っすよ。所詮は知恵だけなんで対策は自分でしてくださいよー」
手を振るトーマに手を振り返して、カトリナは格納デッキの向こうに見える港へと駆け出していた。
「あっ……クラードさん……」
「遅いよ」
「お、お待たせしました……」
「……レミアもお節介だな。俺に休暇なんて要らないって言ったのに。それも余計なコブ付きで」
「こ、コブ……?」
思わず尋ね返した自分にクラードは一瞥も振り向けずに歩み出していく。
何だか平時の艦内と同じような感覚で、クラードの背をカトリナは追っていく。
「……ちょ、待って……。足速いですってば……」
「あんたさぁ、ただでさえ無重力は足腰をやりやすいんだ。少しは歩く事も覚えておいたほうがいい」
「と、とは言いましてもぉ……。体力落ちてるのかな……」
「どうだっていいけれど。あんたに一日中付き纏われるんだ。どこかに迷子になられたら困る」
「……ま、迷子? もうっ……」
「また小動物のマネ……。何、それって流行ってるの?」
頬をむくれさせるとクラードは心底呆れ返ったとでも言うような声を返し、大仰なため息さえもついてみせる。
「……知りませんっ」
「ああ、そう。俺も知らないから、適当に歩くよ」
クラードはその言葉通り、コロニー、シュルツの街並みに大して感情を揺り動かされるでもなく、ぽつぽつと歩いていく。
カトリナはしかし、その光景がつい二日前とはまるで違っているのを思い知っていた。
そこいらで未だに燻ぶる戦火の残光に、思わず口にしてしまう。
「……ここも、戦場になったんですね」
「どこだって戦場にはなる。運がいいか悪いかだけだ」
「でも私達さえ来なければ、死なない人だって居たんですよね……」
「責任とか感じているんならやめたほうがいい。そんな調子じゃ月面航路まで持たないし、それにただ単に不幸だったで割り切ったほうがよっぽど賢い生き方だ」
「で、でもそれって……っ! そんなのってないじゃないですかっ!」
「そんなのって何。見なよ、あれ」
クラードが顎をしゃくった先にあったのは、打ち捨てられた店内で必死に営業準備に移ろうとしているアパレル店の店員達であった。
「あれって……」
「あんたはああいうほうに居るほうがお似合いだ。戦闘艦に居るのなんて異常なほどだ」
カトリナはガラス越しの店内を眺める。
奔走する自分とさして年かさの変わらない新卒社員達が、営業準備に入ろうと汗を流している。
その中には割り切れないであろう現実も込みのはずだ。
「……戦いがあったんですよね」
「分かり切った事を言うんだな」
「でも……でもそれって……私、当事者ですよ」
「俺と乗り合わせたのは不幸だ。別にあんたの背負う咎じゃない」
「それでも……っ! 私の役職はここですっ! ここなんですっ! 戦闘艦ベアトリーチェの、委任担当官! 私の居場所は……あなたの……あなた達の……っ!」
そこまで口にして、じゃあ何なのだと答えは出ないままであった。
なかなか喉から出ない言葉にクラードは痺れを切らしたのか、それとも単純に興味なんて最初からないのか、目線を焼け落ちた映画館へと振っていた。
「……あの時、《レヴォル》の降り立った場所。一回来るべきだとは思っていた」
しかし、トライアウトに蹂躙されたはずの映画館の片隅では、暗幕を使っての即席の映画鑑賞が行われていた。
「……何で、こんな目に遭ってまで……」
「こんな目に遭ったからだろうな」
特に何も言わず、クラードは暗幕の中に入っていく。
思わず自分もそれを追って暗幕に入っていた。
上映されていたのは安物のラブロマンスで、それも酷く画像劣化が激しい。
恐らく、こうして映画の興行をする事でさえも困難なはずだ。
客は皆、立ち見で誰もがしかし、安物のアイドル映画を釘付けになって観ている。
「……何で……」
「人は痛み以外で泣けるらしい、唯一の生き物なんだそうだ」
視線を振り向けるとクラードは映画を鑑賞しながら口にしていた。
「……昔、そう教えてくれた人が居た。その一つが映画であったり、他人の悲しみに寄り添う事だったりするらしい。……俺には縁がないと、その時は切り捨てたんだがな。だって言うのに巡り巡ってと言うべきか、俺が目にするのは、こんな行き当たりばったりの戦場ばかりだ」
一昔前のアイドル映画なので完成度は二の次。
脚本だってお世辞にも褒められたわけではないのに――カトリナは静かに頬を伝う熱を止められなかった。
「……これ、は……」
「こんな土壇場の最果てだって、物語はある。どれほど戦場が酷く移り変わっても、どれほど炎と硝煙と血に塗れたって、人間は立ち上がろうとする気概がある。……俺は人間にとことん嫌気は差しているが、それだけは評価出来るよ。どんなどん底の場所だって、嫌な目に遭っても、辛い目に遭っても、苦しくっても……前を向こうとする気力だけは萎えないって言う人間が出てくる。俺はそれこそが戦場の価値なんだとは思う」
「戦場の……価値……」
「戦って殺し合って、憎み合って、奪い合ったって……。それでもなお、折れない人間の意志……。俺は絶望しているけれどさ。そういうのに光を見る奴だって居るわけだ。今のあんたみたいに」
「……私みたいに……」
「俺は誰かのためには泣けないよ」
そう短く、それでいて悲しみと諦観を湛えたクラードの言葉にカトリナは目線を振る。
「……そうだ。泣けないんだ。誰かのために。何かのために……。この手は壊してしまうばっかりで……」
視線を落とした先にあったのは、機械化された腕であった。
ライドマトリクサー施術、現在科学の忌み子であるクラードをこの地獄に縛り付け続ける証。
答えなんて見えないとでも言うように、クラードは自分の掌に視線を落とす。
カトリナは思わず――その手をぎゅっと握っていた。
つい先ほどまで泣いていた人間が自分の手を握ったものだから驚いたのだろう。
クラードの、その赤い瞳に翳りが宿る。
「……何なんだ」
「今は……映画が上映中ですのでその……静かにしておきましょう」
「……それもそうか」
冷たい手だ。
本当に、人の温かみなんてこれまで一ミリだって感じた事がないとでも言うような手。伝わる体温は拒絶の意味を持っている。
「……それでもそう伝えた人はきっと……あなたに生きていて欲しいから……」
「どうだろうね。俺にはもう、そいつの言いたかった答えなんて分からず仕舞いだ」
それでもこうして、繋いだ手に感じるものだけは、本物のはずであった。