「……クラードさん。案外普通に物を見たりするんですね」
クラードが買い付けた袋を見やり、カトリナは茶化す。
「……何だよ。俺が何か買うのがそんなに可笑しいか?」
「い、いえ……っ。いや、嘘ですね。はい! 可笑しいです!」
「……いい笑顔で言いやがるよ、まったく。あんただってそうじゃないか。随分と買って、休暇を満喫したみたいで何よりだよ」
「えっ……そうです……かね?」
「新品の服を五着も買って、それで無欲だとか言える?」
「それはー……違うかもですね……」
「だろう。まぁ、こういうのもたまにはあるって話だ。……レミアに感謝するといい。ここから先の旅路には、余計な装飾品を買うような暇なんてないかもしれない」
「……艦長、分かって言っていたんでしょうか?」
「どうだろうね。レミアの事だ。俺達じゃ窺い知れないものを背負っている。それが艦長としての責務だとか、責任者としての義務だとか、毎回煙に巻かれるけれど、それでもレミアは頑張り屋だ。あれで人一倍、努力だけはしている」
「……意外。クラードさんって他人を褒めるんですね」
「……ホント、さっきから馬鹿にしてるだろ。俺が何も知らないと思っているとすれば、それは大間違いだ」
「でもクラードさん、これまで何て言うかその……戦う事ばっかりでしたので、ちょっと意外でした。艦長や他の人の事、しっかり見ているんだなって」
「……俺はエージェントとして必要な事ならばそれに従う。そうじゃなければ何もしない、それだけだ。必要に駆られたから、俺はそう従っただけ。それの何が悪い」
「……悪いとか何だとか、思っているわけじゃないですけれど……。クラードさん、戦い以外だと本当に切り詰めているみたいに見えましたから」
その言葉にクラードは嘆息をつく。
「艦長命令だ。ならば従う義務がある。俺の身体は……肉体はエンデュランス・フラクタルに帰属する代物だ。《レヴォル》と共に在る事だけを求められてきたのだから、それも当然だろう。俺は、自分自身を飼い馴らす。それも当たり前」
「でもその買ったものは、当たり前っぽくは見えませんでしたよ?」
クラードは赤い買い物袋を手に提げ、心底不自然そうに尋ねていた。
「……俺にも分からない。何がどうなっているのかなんてな。だが、休暇と言うのが必要だったと言うのだけは、それはその通りなのだろう。レミアの判断に、やはり間違いはない」
「……艦長の事、信頼しているんですね」
「そうじゃなければベアトリーチェの月航路なんて任せられない。レミアは特別だ。ただ……その特別さを自覚しづらいだけの……」
「だけの……何なんです?」
そこでクラードは言葉を切り、いいや、と買い物袋を下ろす。
「俺も勘繰り過ぎだ。他者の事は所詮は他者。そうだと規定し続けたはず。だって言うのに……あんたは俺の何になりたい?」
「な、何にって……」
詰問の論調を伴わせていたからだろう。カトリナは戸惑った後に、うーんと思案する。
「……その、私……っ、幸せになりたいんです」
「それは前も聞いた。あんたの幸せ論は」
「そうじゃなくってその……幸せになるための道標に、私の仕事の、委任担当官って言う仕事があるんだとすれば……。私は、クラードさん。――あなたもきっと、幸せにしないといけないんだと思います。それが私のその……仕事をする上での目標って言うか……」
「……ふぅん、変わってるね、やっぱり」
「く、クラードさんはないんですか? その、目標……みたいな……」
問われてすぐには出なかったが、自身の掌に視線を落とし、モールド痕を見やる。
「……RM施術者ってのはさ、他人よりも感覚は鈍くなっていくんだ」
「それはその……一応、習いました。有機伝導技師の資格の時に……」
「ああ、そうか。ならまだ話は早いかもな。……俺は言ってそこまで有機伝導技術を受けているわけでもないけれど、この両腕は完全なライドマトリクサー。だから、時たまに、何だけれど、俺がここに居るのが、正しいのか正しくないのか……分からなくなってくる」
「それはその……戦う上での、ですか?」
「……それもあるけれど、何よりも俺の存在意義みたいな奴かな。この手は作り物の手だ」
「……クラードさん……」
「生身のあんたじゃ分からないだろ。これはきっと、あのピアーナとかも分からない。手と脳髄が直結されていて、時折、気分が悪くなる。作り物の腕と、生身の脳が電子的なリンクを持っているなんて」
「で、でもそれは……普通の人間でもあり得る事で……」
「人造的な四肢を持つライドマトリクサーは自分の脳なんて見た事もないはずのものを頼りにして生きていく。そこに精神があるのか、生きていくだけの価値は残っているのか。残存する生命力の性分を、そこに突っ込んだところで意味なんて見出せるのかって」
「クラードさんは……人間ですよ」
「ライドマトリクサーだ。どれほど言い繕ったってな。だが、俺はこれで生きていく。これで生きていくしかないと、自分の指標にした。あんたの言う目標ってのがあるとすれば、俺は壊すだけしか出来ない破壊者。なら、壊した先に何があるのかを、見つけ出したい」
「……そんな事……」
「戦いにおいて俺は相手を倒し尽くす。その上で答えが待っているのなら、答えに縋りつくんじゃない、答えが来るのを待つ。俺は答えの先に行く。それがエージェント、クラードの……生きていく指針だ」
それさえ出来れば、もう他には要らない。
他は邪魔な要素だ。今は、こんなものだけでも通用する。
そう考えていたクラードは、不意にカトリナの手が自分の手に触れたのを感じ取っていた。
「……何だ」
「……クラードさんの手は冷たくないです。人間の手です」
「嘘を言うんじゃない。RMの手は冷たい。人間なんて簡単に裏切れる」
「でも……っ、裏切らないのがクラードさんじゃないんですか?」
「……知った風な事を言う」
これ以上話していても有益とは思えない。
一日分の休暇はエージェント、クラードに余計な事を考えさせる。
「……戻らなければ。《レヴォル》が待っている」
「……でも待ってっ! ……《レヴォル》だけじゃありませんよ」
白衣の袖を握ったカトリナが頭を振る。クラードは目を伏せていた。
「……《レヴォル》だけだ。俺を待っているのは、いつだって」
「そんな事はありません。私も……じゃあ待ちます! 待ち続けます! これ、約束しましょう!」
小指を差し出したカトリナにクラードは怪訝そうにする。
「……何なのそれ」
「指切りです! 指切りで約束したら、だって約束破ると針千本ですからねっ!」
「……非合理な約束方法だな」
「いいからっ! これで約束しましょう!」
小指を絡めたカトリナにクラードは首を傾げる。
「あのさ、俺はこれでも手はライドマトリクサーなんだ。小指だけでも簡単に折ってしまえるけれど?」
「こ、怖い事言わないでくださいよぅ……。いいから……指切りげんまん、嘘ついたら針千本、のーますっ! 指切った、っと!」
小指が離れ、クラードは不明瞭な感覚に当惑する。
「……あんた、分かんない事ばっかり言うんだな。大外刈りだの、幸せ論だの、指切りだの……。俺にはあんたのほうが、よく分かんない存在だよ。エンデュランス・フラクタルや……これまでの戦場であんたみたいなのは生き残ってこなかった」
「うぅ……っ、やっぱり変……ですか?」
涙目になったカトリナにクラードは手を払う。
「変とか変じゃないとかと言うよりも、あんたも異常者だ。俺とはベクトルが違うけれど」
「い、異常者って……」
「そうじゃないのか? ベアトリーチェはこれからも何度も戦闘に巻き込まれる。その度に思い知るはずなのに、何で俺に付き纏うんだ? 俺と一緒に居ても嫌な戦場で不愉快な思いをするだけだ」
「それは、その……っ」
「委任担当官だから、って言う理由は、もう聞き飽きたんだけれど」
先回りして言ったせいか、カトリナは言葉を彷徨わせる。
「あの……っ、えっと……」
「ないなら早く帰る。もう夕暮れ時だ。さすがに一日の休みとは言え、この時間帯に帰らないとまずい」
踵を返しかけて、カトリナが声を張っていた。
「わ、私……っ! 私だからじゃ……駄目ですか……?」
「……どういう意味」
「私が……その、委任担当官の仕事としてだけじゃなく……カトリナ・シンジョウだから……じゃ、駄目でしょうか? 私は私の職務のために、確かにクラードさんに付き纏って……います。でも、それだけじゃない。私は私の事を誰よりも裏切りたくないんです。私がこの場所に居る理由として、カトリナ・シンジョウだから……ここに居るんです……っ」
「何だそれ。なかなかに無茶苦茶な理論だな」
「……暴論なのは分かっています。自分でも何言ってんだろって……。でも、今の私に出せる答えは、その程度で……」
「そうか。なら別にいいんだろ。カトリナ・シンジョウだから、ここに居るってのは……これまでの幸せ論や、委任担当官の仕事だからって言うのよりかは、うん。飲み込めた」
「ほ、本当ですか……っ?」
「ただ、俺はそれでも前に行く。戦いの先へと。あんたの言葉で足を取られるわけにはいかない。俺の行く先に何があるのかは、俺と《レヴォル》だけが知っているはずだ」
ようやく、ベアトリーチェに向けて歩み出す。
後ろからカトリナが追従してくるが、今はどうしてなのだか、嫌な気分ではなかった。