ぴくり、と顔を上げたのは、予感があったからか。
それとも、そんな事はないはずだ、という認識があったからか。
「どったの?」
「……誰かの声が、聞こえた気がしたんだ。……知っている奴の声だった」
メイアは怪訝そうにこちらの顔を覗き込む。
「それって、ライドマトリクサーとしての何か?」
「……いや、ただの感覚だ。恐らくは何でもないのだろう」
「そっ。まぁいいや。ボクらはしかし、これより向かおうってのは分かるよね?」
ラムダの航路は既に知らされてある。
その宿縁の行き着く先も。
「……まさか月軌道だとはな。そしてラムダのほうが僅かに足が速い」
「月面に陣営を持っている白軍の管轄下にあるからね、マグナマトリクス社は。まぁそっちの事情とこっちの事情はちょっと違うかもだけれど」
「どちらにしたところで、俺と《レヴォル》が月に辿り着けるのならば、それでいい。全てはその後でも構わない」
「へぇ、意外に冷静なんだ」
「取り乱したって仕方がないだけだ」
しかし、とクラードは修繕されていく《レヴォル》を見据える。
自分の見知った人間以外の手が入るのはいい気分ではなかったが、それでも《ネクストデネブ》との戦闘で得た傷痕はほとんど埋められていた。
「……どうして《レヴォル》の修復方法を知っている」
「まぁこっちは色々と情報に精通しているってワケ。だから《レヴォル》も直せるし、それに月航路まではそこまで苦労もしない。ミラーヘッドによる段階加速と、光学迷彩で相手に気取られもしないはずだよ」
「……先に仕掛けてきたのは例外か」
軍警察の奇襲を全く読めなかったわけでもあるまい、と考えていたが、メイアは頭を振る。
「……何でバレたのかよく分かんないけれどでも……あれが相当な使い手だったのは確か。下手に追うとやられていたかも」
恐らくトライアウトでの使い手と言えば、件のグラッゼか、それとも別の誰かか。
いずれにしたところで、月までの安全航路を辿るのに現状は動くまでもない。
「……一つ、教えろ。《レヴォル》は俺を見限ったのか?」
「そんな事はないんじゃない? 《レヴォル》は依然としてキミの物だろうし、それは《レヴォル》からしてみても同じじゃないかなぁ」
「俺だけに囁くはずだった叛逆の意志……それは今やお前の言う事も聞く」
「案外、あるんじゃない? だって、人間がこれだけ居たらさ、イレギュラーも起こるもんだって」
「イレギュラーを排除してここまで来たんだ。今さら障害を信じられる身分でもない」
こちらの言葉にメイアは腰に手を当てて憮然とする。
「……お堅いなぁ、もう」
「言われ慣れている。月軌道を行くのならば、確実に連邦の月軌道艦隊とかち合うぞ。その場合、勝機はあるのか?」
「なければやらないよ。うちの《カンパニュラ》も隠密には長けているし、それに関しちゃ任せてもらっていい」
《カンパニュラ》と呼称されたMSは今も格納デッキでメンテナンスを受けている。
「……光学迷彩を搭載した機体なんて、実在したのか」
「それはキミの発言じゃなくない? レヴォル・インターセプト・リーディングのほうがよっぽど不自然」
「……どうかな」
踵を返した自分に、メイアは声を振り向ける。
「あのさ……! 何があったのかは分からないけれど、でも……仲良くやれそうなら仲良くやっていきたいんだ。それはだって、同じレヴォルの意志に選ばれた者同士だって言うんなら」
「俺はエンデュランス・フラクタルのエージェントだ。他者と馴れ合う気はない」
「……それもお堅い話。もう一蓮托生じゃないの?」
「お前はマグナマトリクス社のエージェントであるように、俺は俺の責務を果たす。そのためだけにここに居る」
「《レヴォル》の修復を甘んじて受けているのもそのため?」
「……お前らは悔しいが、ベアトリーチェよりも資源が潤沢しているようだ。ならばそれを活用しない手はない。《レヴォル》の完全修復と、そして月への航路、目的が重なるのなら、その手を使わないのも嘘になる」
「なるほど。それも一蓮托生の理論と言えばそうだ」
クラードは何度か頷くメイアに、胡乱そうな眼差しを向けていた。
「……俺をどうこうしようと思えば出来るはず。何故、この艦ではそうしない?」
「必要がないから、じゃダメなの?」
「俺は他社のエージェントだ。破壊工作でもするかもしれない」
「《レヴォル》が居るうちはしないでしょ、キミは」
見透かしたような事を言う。しかし、その通りではあるので下手に言い返す愚は冒さない。
「俺は思ったよりも世界を知らなかった、と見るべきなのか」
「あるいは、世界はもっと広かったとでもね。キミの思っていた世界よりも、ボクらの提供する世界のほうが魅力的に映る?」
「いや、それは……どうだろうな。結局世界なんて、どこに行ったって同じだ。不幸だけが分配され、そして同じような不運だけが連なっていく……」
「それはキミの哲学だと思っても?」
「ただの経験則だ」
応じてあてがわれた部屋へと戻ろうとした際、艦内でアナウンスが響き渡る。
『エージェント、クラードさん。それにメイア、艦長室に着て頂戴』
「何で? まだ戦闘待機には早いでしょ」
『用事があるのよ。マグナマトリクス社の本社に向かう前にしておきたい事がある』
「……だってさ。どうする?」
「ここで従わないのもまた違うだろう」
「だよねぇ。けれどま、今ばっかりはキミの境遇に同情。こんなワケの分かんない艦内で、よく騒ぎ出しもしないし、敵意を剥き出しにもしない」
「……《レヴォル》が騒がないんだ。なら、俺は大人しくしていろ、という事だろう」
グリップを握り締め、艦長室に向かうと、ベアトリーチェよりも広めに取られた艦長室で先にマーシュと名乗っていた女艦長が声にする。
「よく来てくれたわ、二人とも」
「呼んだのはそっちだろうに」
「マーシュ艦長、ボクは特に艦長の命令には反対しないように努めているけれど、彼はそうじゃないでしょ」
「そうも言っていられなくなってね。シミュレーションルームを用いて、これより月までの到着の間、あなた達二人には模擬戦を重ねてもらいます」
「模擬戦? ……何のために」
「レヴォルの意志のため、とでも言えば、快く従ってくれる?」
「冗談。それとも厚顔無恥なだけか? ……データが欲しいだけだろうに」
「先回りして理解してくれるのは助かります。マグナマトリクス社としては一ミリでも《レヴォル》のデータを手に入れたい。もちろん、それはあなた達二人で成り立つものだと思っている」
「要はレヴォルの意志のモニター化を図りたいだけだろう。貴様らは俺と《レヴォル》を飼い馴らしたい」
「そこまで分かって貰えているのなら言葉を弄する気はありません。《レヴォル》は依然として不明瞭な点が多い。それを詳らかにするためには、戦ってもらって示すしかない」
「ボクは嫌だなぁ。だってそれってさ、モルモットみたいなもんじゃん」
「メイア、分かっているはずよ。あなた達はそれでも、マグナマトリクス社、即ち月面に到着すれば似たような境遇が待っている。ここで先んじて手を打つか打たないかなのよ」
「本社の連中に露見すればまずい事でも?」
「エージェント、クラードさん。それを開示する義務はありません」
「……だろうな。俺だって言うような権利もない」
しかし、とクラードはこのマーシュと名乗った女艦長のやり辛さを胸中に覚えていた。
レミアのように明け透けなわけでもない。だと言うのにどこかで手の内を読まれているような感覚は何だ。
「それで、協力してもらえるわね? お二人さん」
「……協力は惜しまないけれど、でもいいの? 《レヴォル》の解析なんて彼からしてみれば旨味なんて一ミクロンもない」
「いいえ、クラードさんだって、それは思っているはずよ。《レヴォル》が何故、メイアにも反応したのか。知りたいはず」
「交換条件だと言うわけか。なるほど、賢い判断だ」
「メイア・メイリスと言う彼女の戦いがどうして、《レヴォル》のメインレコードに刻まれなかったのかも気にかかっているはず。氷解する術を与えると言っているのよ」
「……まるで何でも分かっているような口ぶりだな」
「少なくとも現状のあなたよりかは知っているはず」
譲らない論調にクラードは嘆息一つで打ち切っていた。
「……構わない。シミュレーションを試そう」
「いいの? それはキミにとって不利益なんじゃ?」
「不利益でも、やらなければ軟禁だろう。そうなってしまえば俺は《レヴォル》に触れる事さえも許されない」
「分相応を弁えた人間は好きよ。じゃあ、試してもらおうかしら」
「シミュレーションルームまでは俺が行く。別に貴様らに案内までしてもらう気はない」
そう言って立ち去ろうとした際に、マーシュは言い置く。
「でもそれは……あなた達のどちらかに、レヴォルの意志が囁く……そう思っていいのかしらね」
「だろうな。俺かこいつかのどちらかだ。両方はあり得ない」
そう、あり得ないと、規定したいだけなのかもしれないが。