「……盗み聞きは趣味が悪いとは思いつつも、広域通信では拒みようもない」
グラッゼは格納デッキで漂いながら《エクエス》へと改修措置を施していた。
「でも、マジにいーんすか。このマニューバだとパイロットがコックピットの中でシェイクされちゃいますよ」
「いや、それくらいでちょうどいい。暴れ馬を乗りこなすくらいでなければ、次に《オルディヌス》とやらが攻めて来た時にどうしようもないからね」
「ふぅーん……どっちでもいいんすけれど、グラッゼ氏は味方って事でいいんすかね」
「今のところは、だがね。それでも心配ならもしもの時の爆弾でも仕掛けてくれてもいい」
「そこまでするこたぁないっしょ。あーしもただのメカニック身分っすけれど、結構紳士なのは分かりますし」
「……トライアウトに君によく似た女性メカニックを残してきている。彼女に報いるためにも、私は帰還せねばならない」
「……口説き調子なの、やめてくんないっすか」
そうか、自分はいつの間にか口説き調子になっていたか、と思い直して、グラッゼはフッと笑みを刻む。
「……いや、これは悪癖だな。直しようにも難しい」
「そうっすか。でも、それは相当に信頼っすね。女性メカニックって今どきっすけれど、地位ないんだと思っていましたけれど」
「トライアウトはそこまで保守的じゃないさ。元々は私の専任メカニックだった。しかし、彼女もある意味では巻き込んでしまった。それは悔やんでも悔やみ切れんよ」
「……パイロットにそこまで想ってもらえれば充分だとは思いますけれどね」
「君はどう感じている? 先ほどの……騒乱とでも言えばいいのだろうか……。この艦の生命線はやはり《レヴォル》とクラード君であったのだろうな。月軌道までの航路を取るのに、彼が居なければ困難であろう」
「……逆っすよ。それがなくっても、あーし達は月に向かわなくっちゃいけない。それがどれほど無理っぽい筋でも」
「……君は……」
「トーマっす。覚えなくっていいっすよ」
「いや、レディの名は覚えておくのが紳士の役目だ。トーマ君、君はこの情勢をどう見ている? 《オルディヌス》なる新型機の台頭、そしてトライアウトネメシスの襲撃、どれを取っても危うい綱渡りだ。それなのに……この艦の人々は希望を捨てようとはしないんだな。それが不可思議でもある」
「……そんな不思議な話でもないっしょ。あーしらにはそれしかないんすよ。エンデュランス・フラクタルと言う名の企業に買い叩かれただけの才能っす。そりゃ、正規軍であるグラッゼ氏からしてみりゃ、だいぶ横暴だし、だいぶ無茶苦茶かもしれないっすけれど、それでもあーし達はもうそれしかないんすよ。月へと向かう。その先は……その時に考えるってもんで」
「案外、君らは考えなしのようでそうでもない。君ら一人一人が稀代の才能だ。だと言うのに、ヘカテ級とは言えこの艦でその時を待ち望んでいる。……ある意味ではクラード君の見ていた景色と同じだ。あり得ざるビジョンの中に君達は棲んでいる」
「あり得ざるビジョン、っすか。……あーし達はでも、そのあり得ないが日常なんすけれどね」
「……クラード君は美しき獣だった。彼ともう一度だけでもいい、死合えるのならそれに越した事はない」
「それはグラッゼ氏の望みで?」
「望み? ……いや、これは呪いだな。クラード君の赤い瞳に、私も魅せられているのだよ。彼の持つ抜き身の殺意、それこそが私をこの世に制約し続ける。そして私は、その制約がこれほどもないように心地よい。彼の瞳に応えるためならば、私は阿修羅にも成ろう」
「……ヤバそうな思想っすね。アルベルト氏とも違いますけれど、クラードさんへの執着っすよ、それ」
「執着……かもしれないな。私は彼に……とんでもなく執着している。それは彼が私を見てくれるその時までずっとだろう。彼の瞳が私を捉えたその時、私は果てのない渇望の果てへと辿り着く」
「……《エクエス》で急に敵に回るのだけはやめてくださいよ、……っと。これで調整完了っす。パージした片腕だけは予備の《エクエスガンナー》のパーツが残っていたからよかったっすけれど、これも急造品なので。反応は鈍いかもしれないっす」
「感謝するとも。しかし……この艦もだいぶこなれてきたはず。だと言うのに……それでも執着一つの重力に縛られてしまえばそこまでだ。私はこの艦を沈めろと命を受けてはきたが、それはトライアウトのグラッゼとしての命令だ。今の私は何者でもない」
「それは安心していいんすかねー」
その問いかけにグラッゼは静かに笑みを刻んでいた。
「少なくとも君らに軽蔑されるような生き様は、刻みたくはないのでね」
「――定刻ね」
レミアは予め艦内放送で定めておいた乗務員のこれからの是非を問うべき時間が来た事を感じる。
頭痛薬で重たくなった頭を振り払い、下船する人々の待つ格納デッキへと見送りに向かったレミアは、廊下でグリップを握り締めた際、また頭痛の種の予感にタブレットを口に放ろうとして、いや、と押し留める。
「……今は、頭痛薬で痛みを誤魔化している場合じゃないわね」
格納デッキの出口に下船する人々は集っている――はずだった。
そこにはしかし、誰も居ない。
その代わりと言ったように、自分の背に声が投げられていた。
「フロイト艦長、どうやらここに居残ったのは、みんな馬鹿だったって話みたいだな」
「サルトル技術顧問……。みんな、本当のいいと言うの? コロニー、ミッシェルなら敵の追撃もかわせるし、本社からの追及だって……」
『今さらそんなものに期待するような奴は一人だって乗っちゃいなかったって事だろう?』
接続されたヴィルヘルムの通信に、レミアは当惑の眼差しを艦内デッキに漂う人々へと振り向ける。
――自分はお世辞にもよく出来た艦長ではないはず。
それなのに、この先の危険を顧みずに戦い抜いてくれる眼差しを投げるクルーに、少しは人でなしでもこみ上げてくるものもあった。
「……馬鹿ね、みんな揃って」
「それは言わない約束だろ、フロイト艦長」
レミアは広域通信を張り、ベアトリーチェ全クルーに告げていた。
「これより! ベアトリーチェはコロニー、ミッシェルを発ち、月軌道へと向かいます! ミラーヘッドの段階加速を用いての宙域の突破作戦。……雷撃作戦になるわ。それでも構わないと、思っていいのよね、みんな」
総員の首肯が返ってくる。
それでも覚悟を問い質すように、レミアはヘッドセットのマイク越しに言葉を継ぐ。
「……分かったわ。でも、これだけは言っておきます。月軌道は《ネクストデネブ》と同じ……いいえ、もっと脅威かも知れないMFの支配域。そこで生き残れる保証は一ミリもない。だから……生き残れなんて言わないわ。そんな容易い言葉、私は吐けないもの。ただ一つ――死ぬ気で今だけを見据えてちょうだい。私達の未来は私達だけで掴むもの。本社の目論みがどうだろうと、このベアトリーチェで信に値する価値にだけ、命を懸けて欲しい。それだけよ。通信終わり!」
切り上げてレミアは管制室に向かう。
管制室ではバーミットと凱空龍の女性メンバーがラジアルの代わりについていた。
「……これで色々とすっきりしたんじゃない? レミア艦長」
「それは皮肉のつもり、バーミット。でもまぁ……懸念は少しだけ拭えたかもしれないわ」
「月航路まで安全とも限らない。でもあたし達は前に進まないといけない。……どれだけ憂鬱だってね。それがあたし達の……あたし達なりの叛逆なんでしょう」
「……叛逆、ね。それも皮肉な言葉、クラードの物だけだと思っていたけれど」
艦長帽を深く被り直し、レミアは真正面を向く。
メインモニターを見据え、丹田より叫んでいた。
「ベアトリーチェ、出港! 目標地点は一つ――月軌道へ!」
今は、ただ向かうだけ。