消滅したと思った。
死んだでもなく、殺されたでもなく。
この世に在った証明など何一つ存在せず、掻き消されたのだと。
より上位の情報には、下位の情報は無意味だと断じられ、なかった事にされてしまう。
そう言った情報の刷新と同じく、自分達の肉体はより上位の情報と言う名の瀑布に吹き飛ばされたのだと。
だが、まだ下位の情報たる指先と、そして瞼が動いた時、艦長はようやくまだ生きている事を認識していた。
「……い、生きている……」
だが自分達は。
そう、今も宙域を見張る第六の使者に滅却されたはずだ。
だが、月面艦隊の大多数が無事と言う情報を受け、艦長は上ずった声を発する。
「何が……何があった!」
「艦長! あれを! ……まさか、第四の聖獣が……」
絶句した部下の声に従い、メインモニターへとようやく視線を投じると、そこに背中を向けるのは全身これ武器とでも言うように鋭角的な武装を誇る、第四の聖獣――。
「MF、《フォースベガ》……。だがあれは……あれは世界の敵のはず……! 何故、我が方を……守った?」
明瞭な言葉を発せられずに疑問形になっていると、今度は見知った声が通信を伝って耳朶を打つ。
『……ご無事ですか、アルチーナ艦長殿。そして月面艦隊の方々』
まさか、と艦長は声を振る。
「……ザライアン・リーブス……。何故……」
『何故も何も、僕はこの第四の聖獣……《フォースベガ》のパイロットです。よって、第六の聖獣の討伐任務を帯びましょう。この場であれを制する事が出来るとすれば、僕ともう一人だけ……』
《フォースベガ》はまだこの世界のMSに近い規格を持っているだけあって、人型の機体はヒトがそうするように目線を振り向ける。
そこには赤い装甲を推進剤で照り輝かせ、幾何学のビット兵装を放つ《ラクリモサ》が視認出来た。
「ら、《ラクリモサ》健在……! 当然、ですが、ジオ・クランスコールのバイタルも……」
浮ついた様子の部下の言葉に、艦長はようやくと言った様子で肘掛けを握り締め、これが地獄でも、ましてやあの世の沙汰でもない事を悟っていた。
「……まだ、地獄は続くと言うのか……。《ラクリモサ》に充てられる戦力は!」
「我が方の《マギア》、まだ行けます!」
「よし。《マギア》編隊、《ラクリモサ》と……MF04、《フォースベガ》の援護に回れ。今はあの……新たなるMFを月面から引き剥がすわけにはいかん!」
その信念を振るった喉が焼け爛れたような感覚を放つ。
この状況をまるで信じられないのだ。
何せ、友軍の片割れがMFと言う事実。
そして、《ラクリモサ》を操るジオとて、信じられたものではない。
いつ、その攻勢が自分達を標的にするか分からない中心軸などあるものか。
だがジオはこちらの懸念などまるで気にかけないように敵影へと直進していく。
「……しかし、あれは本当に……MFだと言うのですか。まるで滅茶苦茶な形状だ……」
構造は「8」の字を象った紫色のモニュメント。しかし、その後背部はすり鉢状になっており、砲身と思しき上下二つの虚ろ穴は重力磁場を帯びてこちらを見据えている。
――撃つためだけの機体、いや魔獣か。
そう胸中に独りごちた艦長は月面艦隊よりもたらされる情報をさばいていた。
『アルチーナ艦! 今、何が起こった! MF04が我が方への砲撃を……切り裂いたのが、モニター出来たが……』
そのような事が起こったのか。艦長はしかし、今は事の追求よりも生き残る道を選ぶべきだと声を振り絞る。
「……討つぞ。MF06はこれより、我々総員の敵として、迎撃対象とする!」
しかし、とどこかで醒めた脳裏で感じる。
勝てるのか。
MF相手に。
先の大戦――“夏への扉事変”ではMF二機相手に連邦艦隊は大半を失った。
今回もまた失うだけの戦いにならないとも限らない。
だが、それでもまだ――。
「戦わぬと言うのは……嘘のはずだ……!」
それだけは自分達の寄る辺だと言うように肘掛けに爪を立てていた。
送るだけの時間をくれ、と、そう進言してきた凱空龍の面々に対して、反対する気も起きなかったのは自分の裁量にしては甘かった部類だろう。
いちいち死者に気を取られるな、と強く断言してもよかったのだが、それはあまりにも酷だと思ったからかもしれない。
いずれにせよ、十分間だけの黙祷の時間を設けたのは、それはラジアルへの――彼女への憐みもあったのだろう。
「……レミア艦長。あたしは別にいいと思っていますけれど。同僚が死ねば、そりゃあ悲しみます」
「……先回りしたような事を言わないでよ。私はでも、鉄の女として振る舞うべきだったのでしょうね。月面航路まで時間を無駄にしたくない」
「それ、言ったってミラーヘッドの段階加速でここからならすぐなんでしょう? それも分かっていて、許可したんじゃないんですか?」
「……あなたには敵わないわね。私相手に臆した事なんてないでしょう?」
「ボスは怖いですよ。でもあたしは、だからって何でもかんでも従う人間じゃないんで。クラードとは違って」
バーミットは化粧道具で紅を引いてから、ぱたんと手鏡を閉じる。
「……クラードは、生きていると思う?」
「グラッゼ・リヨンの証言が確かなら生きているはずですけれど」
「でも《レヴォル》だけ鹵獲された可能性もある。私はもう、クラードに期待しないほうがいいのかもしれないと思いかけているのよ」
「……意外ですね。艦長、もっとドライな女でしょう」
「ええ、平時はね。でも、今はそうとも言えなくなっちゃったってわけ。笑えるでしょう? 鉄の女なんてどこにも居なかった。私はただの……レミア・フロイトって言う、他人よりもそう言った機微に疎いだけの、女に過ぎない」
「クラードの前ならそれでも貫けたって意味ですか」
「……あなたはまだ最初期のクラードを知っているはず。彼は変わったと、私は個人的には思っていたわ。それもこれも、あの期待の新人……カトリナさんやアルベルト君のお陰なのかもってね。でも、私はそれ以上に、昔のクラードに居て欲しかった。彼が変わらなければ私も変わらないで済む。彼が不変の……それこそ鉄のエージェントならば、私も鉄の女でよかった。誰にどう思われようとも、私は私のままで……。でも、彼は行ってしまった。もう届かない彼岸へと」
「まだ死んだとは限らないんじゃ……?」
「ええ、でも確かに、昔知っていたはずのエージェント、クラードは死んだのよ。それは間違いない。もうあの頃の彼の眼差しに……鋭利な抜き身の殺意に、私は中てられる事もない。それは安心していいのか、それとも不安になるのかも分からない。でも、私は目の前に突き出されたトリガーへの答えを保留にしている。それはきっと、まだまだ私の中で答えなんて出てないんだって証」
クラードはいつだって、その引き金を握っていた。
いつか、その引き金を絞る時、それを待ち望んでいるかのような赤い瞳――。
「その時、後悔しないように、そう生きろって、クラードはかつて私に言ったわ。それは今も彼は守ってくれている。そういう……約束なのよ」
「約束ですか。でも、そう言った点じゃ、カトリナちゃんも約束したって言っていましたね」
「……カトリナさんが? クラードと?」
勘繰る趣味はないが、それでも気になってしまう。
バーミットはこんな時でも明るいキャラを崩さない。
「今ならお安くしておきますけれど? 艦長の臨時ボーナスくらいで」
指で丸を作ってにっこりと笑ってみせる彼女もまた強いのだ。
レミアはフッと微笑んで、よしておく、と応じる。
「だって、いくらカトリナさんが未熟でも、それは彼女達だけの約束のはずでしょう? そこまで下種になったつもりはないわ」
「あら、そうですか。……独り言なんでノーカウントでいいですけれど、オムライス作るって言っていたみたいですよ」
「オムライス?」
「独り言です。オムライスを、帰ったら作ってやるって……カトリナちゃんも可笑しな約束をするもんだなぁ、って思っちゃいましたけれどね。でも、あのクラードの足を止めるのに、ちょっとした約束事ってのは思ったより重石になるかもしれませんね。だって今の今まで、クラードって守れない約束は交わさなかったじゃないですか」
「……そうね。クラードは、守れない約束は絶対に交わさない。だからきっと……絶対に帰ってくるんでしょうね。それが誰のためであれ、オムライス一つのためだって……」
「そうですよ。クラードは気に食わないくらいのヤなクソガキですけれどでも、約束だけは守って来たじゃないですか。なら、あたし達は信じましょ。それがどれだけ守る当てのない約束だって。それでも待つのがいい女の役目でしょ」
「いい女の役目、ね。あなたが言うと説得力あるわ、バーミット」
「でしょー? あたし、これでもいい女の条件、満たしているつもりですから。……さて、っと。あたしも行きますか」
平時のOL服と違い、喪服に身を包んだバーミットは管制室の設定を行ってから歩み出す。
「あたし、カワイイのの面倒もありますんで。先に行ってます」
「……私は出席しないわよ」
「それも込みで、これからのベアトリーチェの身の振り方ってのを、考えないといけないのかもしれませんね。あたしは素直になろうと思います。カトリナちゃんもカトリナちゃんで、あの子はとても素直。だからこそ、悲しみも悲しみとして受け取ってしまう。今は、その肩が重さに竦んじゃう前に、アドバイスしないと」
「あなたも教育係としての自覚が出てきた、と思うべきなのかしら」
「よしてくださいよ。そんなの、もうちょっと年食ってからだって間に合うでしょうし」
管制室に一人取り残されたレミアは煙管を吹かしつつ、ふと呟いていた。
「でも、それが若さなのよ、バーミット。私はもう、誰かのために泣くような涙は、ほとんど枯れてしまった、嫌な女なんだから」